第20話 降伏せよ、メンヘラの為に

 いちいちご高説ごもっともな批判者だが、往々にして批判は批評でないのだから、こうせよよいった改善策は話題に上がらないのである。ゆえに炎上する時は見知らぬ一般人でも有名な芸能人でも金閣寺であっても、ひとしく燃え上がるのである訳だ。

 批判は原始的感情の一つである不快に由来し、それは赤子の視界がまだ定まらぬ内から発露するものだから、身分の貴賤も問わず、そしてまた君子と小人の差もない、各々に生まれながらにして持たされた剣なのだ。

 そうすると、僕の場合、人との関わりが少ないために、己の内に内省とは少し仕様の違う自傷行為的存在がどこからともなく出現したということになる。

 我思う、ゆえに我と彼あり。


 懐疑主義から出発して到達したかのようなまがい物の真理を唱えている頃には、既に批判者を名乗る別人格は姿を消していたのだった。

 これはつまり、既に批判がなされたというそのままの事実を示すだけでなく、僕個人としてついに反省の一歩を歩む時がきたということ。

 現状と照らし合わせれば、かのとする時がきたという事を表しているのだった。



 いきなり家へ来られても困るという事で以前、一応、電話番号を教え合ったことがあったのだが、かのはスマホも携帯電話も持っておらず、教えてもらったのは固定電話機の番号。つまりかの実家。

 絵にかいたようなメンヘラスタイルを貫くかのに合った処世術とも言える。


 だけどもだけど、僕には一つ、メンタル上のがある。

 それこそ、他ならぬ電話だ。

 僕には名状しがたい、いやまさに嫌悪そのものと言える拒絶を、着信音と電話をかけるまでの時間に抱いているのである。

 そう、この瞬間、電話をかける必要があると思い至って、そこから実際に相手が出るまでの時間こそ、何にもまして吐き気を催すひと時。

 深呼吸をしているという事実が、再び心を揺れ動かす。電話での応対自体は、既に現代社会においては確立されており、一定の基準に適う常套句を並べれば、実際は何と言う事は無い。にもかかわらず…………


「…………あのさぁ」

「お前は引っ込んでろ! 今かけるから!」

 批判者の再登場が引き金となって、僕はかのへ初めて電話を掛けた。


「もしもし、山口秋人と申しますが、かのさんのお電話でお間違いないでしょうか?」

「『佳乃かの』のお知り合いでしょうか?」

「はい、よろしければお電話変わっていただけますでしょうか」

「少しお待ちください……」

 まるでかの相手に電話がかかってきた事が一度も無いかのような声色の母親らしき人物。


 そんな独特な声色を思い出していると、電話の向こうで叫び声が聞こえた気がした。

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