第16話 日常と疑惑の錯綜

「それで? 焼肉は美味しかったの?」

「それはもう」

 大学へ通った矢先、こうして桜木先輩に詰められいる。曰く、僕が一日入院したことも知らず、ドタキャンされたと思っていたらしい。

 善かれ悪しかれ、謎の男の証言は嘘だったようで、それに気づいた僕は埋め合わせに回転寿司に誘った。


 そうだ、先輩は確か、普段とは違う様子で誘ってくれたのだった。回転寿司などで、何の話を打ち明けられよう。

 そう自己批判がなされた時には既に昼食時だった。高僧でもない僕は、もちろん三大欲求に打ち勝つことは出来ず、先輩と仲良く?寿司チェーン店で順番待ちをしていた。

 病院のように何番さん何番さんと、順番に席へと案内される様は根源的な繋がりを感じさせたが、平日というのに、かなり混んでいて、これでは道中、危惧した相談ムードが損なわれるという問題に否が応でも直面しなければならない事になる。


 それにしても、結局のところ、あの男は何者なのだろうか。いくら考えても答えは見つからず、不審者かと思いきや、今回のように現実に即さない事実も明らかになるなど、意味も正体も何もかもが不明。

 好奇心などもはや無く、むしろ悪寒さえ催してきそうな不可思議さ。目が回りそうなのは、寿司の流れるレールのせいだと思いたい。


「もしかして、魚苦手ですか」

「ん~別に」

 そういう先輩はさっきからファミレスかのようにサイドメニューとドリンクばかりを注文している。

 これがデートなら失敗感が漂うって窒息するが、それを言うなら、前回ので、今こうして目の前に座っていること自体、あり得ないだろうから、気まずいくらいでは日本男児として面目丸つぶれよ。


「かのちゃんとはもう寝たの」

 僕は漫画のワンシーンみたく、お茶を吹きかけた。恋人でなくとも、そんな事をしては二度と目の前には座ってくれないだろう。

「まさか」

「まだなんだ」

「まだどころか、一生、そんなことにはなりませんよ」

 それは自分自身への忠告でもあり戒めでもあり、呪詛じゅそであった。一時の気の迷いで快楽を得るには、彼女の重みは対価としては不釣り合い。

 そしてまた、先輩とも同様であると思い込みたかった。いつまでも高嶺の花としての君臨を。

 若手植物学者が希少な花を見つけたとして出発したにもかかわらず、研究室の裏庭に、何の悪気もなく咲き誇っているのを発見した日には、学位を返上し、田舎で隠棲いんせいするしかない訳である。

 俗世に生きる俗人である僕は、まだまだこうして先輩と面と向かって意味もなく話していたい。


「つまんないの」

 静かに先輩はそう呟いた。

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