第二章

第6話 巻かれる煙の気持ちを考えろ

 その時とっさに思った、コイツは僕の妄想だと。

 タルパ、使徒、イマジナリーフレンド、幻覚、多重人格、幽霊………

 自分と神の他に、何一つとして確かな存在はないとしたデカルトの信者ではないにせよ、不思議とこの男は実在しないように思えてならなかった。それになんだ、そのキザな台詞は。名作映画じゃあるまいし、禁煙派が与党になった現代社会で、気軽に、そして自然にタバコを勧める若者がいるのか。いるのだ、僕の隣に。

 痛々しい提案にこのままではタバコと共にのまれそうだと本能が察し、健全な態度で誘いを断った。

「ダメだよ、そんな無粋な事を言っちゃあ」

「そっちが粋がってるだけだろ」

 僕は先輩を逃したことをようやく後悔しはじめるのと同時に、この男にも興味を持ち始めた。新興宗教の勧誘か、ロマンチストな売れない劇作家か、それとも本心は慣れないことをして焦りに焦った元ひきこもりニートなのか、僕にはこの男肩書は何も知らないし、何も知りたくなくなった。

 オオサンショウウオがかつては村人などに食べられていたなど、あのぬめっとした姿を知る現代人には、天然記念物などという国宝的生物として自然界に権威を打ち立てようとも、もはや気味の悪い生物にしか思えないのと同様に、神秘は神秘であるからこそ価値があるのであり、真実はいつ何時何事に対しても残酷なのである。


「欲求不満そうな顔だな」

 確かに満足はしていないが、初対面の未知なる相手に伝わるとは、フロイトもユングも逆に研究対象にしたがるだろう。しかし、キャッチのお兄さんでも同性愛者でもないであろう男に、僕の現状へのフラストレーションが解消できるものか。仮に消化できるなら、やはりこの男は僕の心が生み出した精神安定措置であるという説が一層強まる。だが、いずれにせよ、デメリットはない。


「タバコを吸えば満足できるとでも?」

「いいや、それは無理だと俺が実証した」

 経験に勝る知識なし。ならば僕に進めるな悪魔商人め。

 僕はこの素性の知れない男、年は近いようだが、まるで異邦人かのような言動と思想を垣間見えさせる人物といつ対談を途中辞退しようか迷っていた。副流煙を理由に立ち去るのも容易いが、孤独はタバコ15本分の不健康をもたらすと何かで知ってしまった僕は、誰でもいいから、とアバズレみたく見知らぬ男と時を共にした。

 畢竟ひっきょう、隣に誰も居ないというのは、あっても無くても気づかれず、色合いは勿論のこと、形から大きさという何から何まで認知されることなく流れ去っては消滅するこの雲と同価値なのだ。それも無価値という意味で。


「だから俺はタバコを一本でも早く消費するために話しかけた」

 ここ数日で一番合理的な思考の断片と出逢った。大学の教授よりも崇高でいて大衆的な。

「ライター貸して」

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