ミライの彼女と1999年の山本(名無し)
猫田パナ
ミライの彼女と1999年の山本(名無し)
僕はもう長いこと、高校に通い続けている。
ずっとずっと、高校に通い続けている。
もう通い始めてどのくらい経ったのか、わからない。でも校門のそばの大きな桜の木はいつ見ても満開のままだし、黒板の日付は常に四月X日のままで、僕もクラスメイトも先生も、まるで止まった時の中に閉じ込められてしまっているみたいだ。
だけど僕らはここ以外の世界を知らないから、日々穏やかに学校生活を送り続けている。
多分いつか、どうして僕らがここでこうして生きているのか、その意味がわかる日が来るのだろう。
僕は読書が趣味だから、図書室で本でも読みながら、その時をのんびり待ってみることにする。
「おい、今度うちのクラスに転校生が来るんだってよ」
ある日、親友の鈴木からそんな噂話を聞かされた。噂はその日のうちにクラスメイトに知れ渡って、みんなで担任教師を質問攻めにして困らせた。担任はしぶしぶ、女子生徒が一人うちのクラスに転校してくる予定になっている、とだけ教えてくれた。
クラスメイトは大いに沸き立った。我が桜ケ丘高校の一年A組に転校生が来るのは、実に####日ぶりの事だったのだ。
それから数日後、本当に転校生がやって来た。
神崎リリィ。フランス人の父親を持つのだという彼女は、日本人的な顔立ちの中にも瞳や鼻の作りにミステリアスな異国情緒を匂わせる、他の女子とは一線を画した美少女だ。彼女が視界に入るだけで、目が釘付けになってしまう。他のことなど一切考えられなくなってしまう。僕がそんな経験をしたのは初めてのことだった。
彼女が教室に足を踏み入れた瞬間から、他の女子生徒は全員モブになった。僕にとって生きる意味とは彼女と見つめ合い触れ合い会話する時間にのみ発生するものとなった。
「神崎さん、おはよう」
そう僕が彼女に呼びかけ、彼女が振り返る。
僕を見て微笑み、唇を開く。
「おはよう、山本くん」
そのほんの数秒の間の関わりだけで、僕がその日生きている意味はあると感じられた。いや、その日生きている意味どころか、これまで生きて来た####日の日々は全てこの瞬間の為にあったかのような感覚に襲われる。
逆に彼女が忙しそうにしていて挨拶さえも交わせなかった日は、自分には生きている価値が無いように思えた。
そして不思議なことに、それは僕だけに起きた現象ではなかった。
クラスの男子全員が、僕と同じ状況に陥ったのである。
つまり、クラスの男子全員が、神崎リリィにフォーリンラブしてしまった。まるでプログラムに従って、全員のスイッチがONになったみたいだった。
毎日、クラスの複数の男子が神崎さんをデートに誘い、愛を告白する。しかし彼女は、デートの誘いも愛の告白も全て受け付けず、まだその段階ではないと突っぱねてしまうらしい。なかなかガードが堅いようだ。
デートや告白を何度も断られた男子たちが、休み時間に集まって話し合っている。顔が良かったり運動が出来たり、クラスの男子の中では華がある奴らばかりだ。女子に人気のある、いわば一軍選手なわけだが、それでも神崎さんを落とすのは難しいのだろう。
「まだ告白するには早すぎたってだけだよな、やっぱ先にデートをしないと」
「デートの前に勉強を教えたりノートを貸したり、ある程度彼女に尽くしてポイントをあげておかないとデートに漕ぎつけるのも難しいぞ」
「くっそー。俺もなんか戦略をたてないと」
もはや彼女を攻略するゲームのようにもなってきた。しかし全員心の底からフォーリンラブしているのだから、この競争はお遊びではない。戦争に近い。一つの卵子に向かって精子が競い合って泳いでいくのを感じる。
僕はそうしたクラスの男子の様子を見ながら、これは冷静さを欠いていると思った。
確かに神崎さんは人間離れした美貌を持つ高嶺の花だが、彼女だって一応は人間なのだ。
まずは心を開きあってお互いを知ろうとしないと、デートに誘おうが愛の告白をしようが意味はない。
考えてみれば僕だって、神崎さんの内面については全くと言っていいほどの無知なのだ。
彼女を知り、彼女に僕を知って欲しい。精神面での交流が必要だ。
それに僕はこれといって特徴のない地味な人間。今のままでは神崎さんに何の印象も持たれないまま試合終了だ。
だから放課後、下校するため校門に向かって歩いていた彼女に、勇気を出して一冊のノートを手渡した。
「神崎さん! あの……僕と、交換日記をしてもらえないかな?」
彼女はいつも通りに、こちらに振り向いた。そして不思議そうな顔をしながら、僕が差し出したノートを手に取った。
「交換日記?」
「そ、そう。僕、神崎さんともっと交流を深めたくて……。このノートに今日あったこととか、僕に話したいこととか、何でもいいから書いて明日僕に渡して。明日は僕が書きたいことを書いて、また神崎さんに渡すから」
「へえ、そういう文化があるんだ」
彼女はそう言いながらノートをパラパラとめくる。黒目がちな瞳が何も書かれていないノートの罫線だけを追う。彼女の表情からは彼女の感情をうかがい知ることは出来ない。
そういえば、いつもそうだ。神崎さんからは感情を感じない。彼女が笑っていても、困った顔をしていても、どこか上の空みたいに感じる。
しかし「そういう文化」ってどういうことだろう。彼女は交換日記というものの存在を知らなかったのだろうか? 帰国子女だったとか? そんな話は聞いたことがなかったけどな。
「でも私、何を書けばいいのかわからないな。毎日学校に通って家に帰るだけで、特にノートに書くようなことはないし」
神崎さんはそう言って僕にノートを返そうとしてきた。
そ、そんな……。と僕はショックを受けたが、ここで簡単に引き下がるわけにはいかない。明日にもクラスの男子の誰かが神崎さんと恋人同士にならないとも限らないのだ。やれるだけのことはやっておかなきゃ。
「あの……じゃあ、僕と神崎さんとで、物語を作ろうよ。交互にノートに書いていってさ」
「物語を……。二人でやって、ちゃんと筋の通った話になるかしら」
神崎さんは僕に渡そうとしたノートをまた胸元まで引き寄せた。どうやら少しやる気になっているようだ。あと一押し。
「筋の通った話にならなくてもいいんじゃないかな。無茶苦茶になっても面白いし、ちゃんとした話になったならそれはそれで」
「そうね……ちょっと興味が出て来た。やってみよっか」
「本当に? ありがとう」
「じゃあ、これは預かるから」
彼女はそう言ってノートを自分のカバンにしまった。
「明日、渡すね。バイバイ」
「あ、うん……」
彼女は僕に手を振り、校門を出ていく。
西日に彼女の栗色の髪が透けて光るのがとても美しくて、まるで彼女は女神のようだと僕は思った。
その日から僕らの交換ノートに、二人の物語が綴られていった。神崎さんは何を考えているのかわからない人だけれど、ノートの中では過激に弾けていた。どうしてこんなに豊かな発想ができるのだろう。物語の中で登場人物は、異次元空間を彷徨ったり、パラレルワールドからパラレルワールドへと渡り歩いたり、膨張して宇宙の外側にはみ出したりした。そうした壮大なスケールの中に僕は僕なりの物語を懸命に書き込んだ。1983年生まれの平凡な高校一年生である僕が知る最新の文化を取り入れて。プリクラが好きなコギャルがナイキのエアマックスで宇宙空間に飛び立ち、PHSで渋谷の彼氏に知らせたのは、ノストラダムスの大予言。
僕は1983年から1999年までしか知らない。そして1999年の四月X日を半永久的に生きてきた。
「神崎さん、ノート書いてきたよ」
僕が神崎さんにノートを手渡すと、彼女はページをパラパラと開き、僕が新たに書いた部分に目を通した。ああ、ドキドキする。彼女につまらなくてダサい奴だと思われているかもしれないから。ていうかきっと思われているに決まっている。
それでも彼女はいつも、楽し気に僕の物語を読んでくれる。ふふっと、笑いまで漏らしながら。
「ありがとう。続きを書いてまた明日渡すわ」
そう言って神崎さんはノートをカバンにしまい込んだ。
そうして僕と神崎さんの距離は順調に縮まってきているようにも思われたが、他の男子だって着実に彼女との距離を縮めつつある。
特に例の一軍グループの男子たちは、あの手この手で神崎さんを誘って遊びに出かける。放課後に神崎さんや他のクラスの女子を含めた数人グループでカラオケに行っただとか、週末に遊園地に行っただとか、そういう話を聞くたびに僕は悔しくなった。
内気な僕はそんな風に女子をグループデートに誘うことなんか出来ない。ただひたすら、交換ノートに物語を書き込み、それを神崎さんが楽しんでくれることを願う事しか、出来ないのだ。僕はこれから神崎さんに渡すつもりの交換ノートを読み直す。大丈夫、今回の分も面白く書けているはずだ。
そして教室を見渡し、神崎さんの姿を探し始めた僕の耳に、クラスの女子たちの噂話が届いた。
「ねえ、風間くん、昨日神崎さんと一対一でデートしたらしいよ」
「うわー、やっぱ風間が一番乗りかぁ。イケメンだし、サッカー部のエースだもんね」
「えーでも風間とかチャラくなーい?」
「神崎さんみたいなタイプには、グイグイ来てくれるような押しの強い人のほうがいいんじゃないの。それに二人が並ぶと絵になるしね」
「言えてる~」
僕の身体は強張った。
風間ルイ。クラス一のモテ男であり、明るい性格でクラスを盛り上げるムードメーカーでもある。僕と違ってPHSも持っているし、髪も脱色しているし、腕には女子からプレゼントされたプロミスリングをいくつも付けている。
僕は手にした交換ノートの表紙を見つめた。こんなことして、ただ悪あがきしているだけなんじゃないのか。
それでもやっぱり、諦めることは出来ないけれど……。
少し落ち込む。
それから数日が経った。
僕はまだ神崎さんとの交換ノートを続けている。
だけど風間が近いうち、神崎さんに告白するつもりらしいという噂も流れてきた。
風間は神崎さんとのデートも成功したようだし、今回ばかりはいつものように告白が突っぱねられるとは限らない。とても憂鬱で気が重い。
「やまもとぉ~」
人の気も知らずに、鈴木が間の抜けた声で僕に呼びかける。額には汗をかき、学ランも脱いで白シャツ一枚になっている。鈴木も神崎さんにフォーリンラブしていたはずだが、最近では諦めがちだ。
「最近、暑くねえか?」
そう言うとダルそうにしながら、鈴木は下敷きをうちわがわりにして自分の顔を扇いだ。
「そういえば……」
僕はハッとして額に手を当てる。前髪の生え際が汗でぐっしょり濡れている。
確かに最近、異様に暑い日が多い。こんなことはここ####日の間ずっとなかったのに。
「あんたたち、本当に気づいていないわけ?」
隣の席の早川さんが呆れた顔で僕らに行った。
「あの子が来てから、時間が進み始めたのよ」
『あの子』が神崎さんであることは、言わずもがなである。
「……時間が?」
僕が尋ねると、彼女は教室の黒板を指さした。
「見てみなさいよ。日付、六月二十九日になってるでしょ? 今までずっと四月だったじゃない。あの子が来てから黒板の日付も進むようになったし、季節が巡って、すっかり暑くなってきたの。もうすぐノストラダムスの大予言の七月がやって来るわ」
「えっ」
僕は言葉を失った。早川さんにそう言われるまで、僕は日付が進んでいることにも季節が進んでいることにも気づいていなかったのだ。そんな事ってあり得るのだろうか? でも本当に神崎さんのことで文字通り頭が一杯で、僕は日々書き換えられていく黒板の日付のことなんか、気にも留めていなかった。だってこれまでは何週間経とうが何年経とうが、日付は四月のままだったのだから。
「ヤベーじゃん。どうなるんだろうな、俺達。やっぱノストラの言う通り死ぬんかな」
わざと神妙な面持ちをして鈴木が呟く。
「さあねえ。そんなの創造主に聞いてみなくちゃわからないわよ」
そう言って早川さんは愉快げに笑った。二人とも自分のこともこの世界のことも、どうでもいいと思っているみたいだった。
家に帰ってから僕は考えた。
僕らの世界とノストラダムスの予言が関係あるのかないのかはわからない。
だけど予言通りになってからでは遅いのだ。
七月になれば、いつ恐怖の大魔王が空から落ちて来たっておかしくない。
恐怖の大魔王だけじゃない。風間の大魔王だって数日中には動きを見せるだろう。
そうなる前に、僕は自分の想いを伝えなくちゃ。
そのために、僕はこの世に生まれて来たんだって気がする。
例えそれが、創造主の意図する事でなかったのだとしても。
僕は今までたくさんの本を図書室から借りて読んできた。その結果、この世界についてひとつの仮説を立てていた。神崎さんが来て時が進んだこと、みんなが神崎さんを好きになったことで、その仮説は真実味を帯びてきている。
たぶん、創造主と神崎さんは、この宇宙の外側の人間だ。
翌朝。僕は早めに家を出て、校門の前で神崎さんを待った。
神崎さんは僕を見つけると足を止め、カバンからノートを出した。
「おはよう、山本くん。ノート書いてきたわ」
僕はノートを受け取りながら、彼女に尋ねた。
「神崎さん、僕を『選択』してくれないかな」
「えっ」
小さく声をあげ、神崎さんは驚いたような顔をした。彼女の本当の表情を、僕は初めて見たような気がした。
「僕を『選択』って、どういうこと?」
戸惑う彼女に僕は答えた。
「僕を恋人として『選択』してほしいんだ。僕が君を好きなことはわかっているよね?」
「それは、まあ……。でも『選択』って、山本くん」
どこか悲し気な目をする彼女に、僕は微笑んだ。僕なら大丈夫、余裕だよ。
「ここが何なのか、僕はわかってるよ。なんとなくだけどね」
そう答えたら、彼女はふう、と息を吐いた。
「そんな事もあるのね。だったら正直に話すわ。……まだ達成していない項目があって、選択したくてもできないの」
困り顔でそう答える彼女に、僕は尋ねる。
「君自身は僕が好きなの?」
「それはその、まあ……」
「選択したいの?」
「そうね、確かに」
空を見上げ、少し考えてから彼女は頷いた。
「最終的に山本くんを選択するつもりだったわ」
「達成していない項目は何?」
「えっと……」
彼女はカバンからシステム手帳を取り出し、メモを見ながら言った。
「スキンシップと……」
そう言いかけた彼女を僕はぎゅっと抱き寄せ、滑らかな長い髪に頬を寄せた。彼女のシャンプーの香りなのか、蜂蜜みたいな甘い香りが鼻をくすぐる。彼女の背中に触れる腕から、彼女の体温が伝わってくる。思っていたより熱っぽくて、少し汗ばんでいる。
「あっ」
彼女は頬を赤らめながら小さく叫んだ。
「今、達成したわ」
「あとは?」
「デートがまだ未達成」
「じゃあこれからデートしに行こう」
「学校にも行かずに? 別に放課後でも……」
そう言いかけた彼女に僕は首を振った。
「駄目だよ。今日は六月三十日で、明日から七月なんだ。もう時間が無い」
「恐怖の大魔王ね……わかった」
彼女は僕の目を見て頷いた。
それから僕と神崎さんは学校をさぼって、一日がかりで三回分のデートをした。公園へ行ってボートに乗ったり、遊園地に行って観覧車やメリーゴーランドに乗ったり、繁華街でクレープを食べたり。
そして夕日が沈み始めた頃、僕らは海の見える喫茶店へ行き、一杯のトロピカルジュースに二本のストローを刺して一緒に飲んだ。瞬間、神崎さんは声をあげた。
「デートの項目も達成したわ。……あ、山本くんを選択する項目が増えてる」
「どうにか、間に合ったみたいだね」
僕はほっと胸をなでおろした。
喫茶店の外に出ると、もうすっかり辺りは暗くなっていた。
潮風に当たりながら、海岸沿いの道を歩く。この世界には学校と、公園と、遊園地と、繁華街と、この海沿いの通りしかない。それだけで世界が成り立っている。
僕は海沿いの道の端っこにある、恋人岬までやって来た。この世界で好きな人に愛を告白する場所と言ったらここしかないだろう。
僕と神崎さんは向き合った。神崎さんの目に、僕はどう映っているのだろう。平凡で地味で何の取り柄もなくてダサくてモブ顔で、山本という苗字しか持たない、名無しの僕。
きっと、カッコ良くは映っていないだろう。それでもクラスの男子の中から、僕を『選択』してくれようとしている。
しかし『選択』したら、一体何がどうなるんだろう。
この世界がマルっと変わってしまう気がする。
僕は気づいている。
この世界は、彼女のために存在しているんだ。
だけど変化を恐れ、彼女に自分の気持ちも伝えずに終わるつもりはない。
意を決し、僕は言った。
「神崎さん、好きです。僕と付き合ってください」
緊張で、少し声が震えた。
「……はい、喜んで」
彼女がそう答え、嬉し気にはにかむ。ああ、本当の彼女の気持ちだ……。そして彼女はゆっくりと僕に顔を近づける。辺りが眩しく光り輝いて、ノイズが耳に響いて、もう彼女の顔もぼんやりとしか見えない。
空からは雷鳴が鳴り響き、ガラガラと轟音を立てながら、世界全体が細かいブロックのように分解され、闇の中に崩れ落ちていく。
そうした喧騒の中、僕の唇に彼女の唇が触れた、気がした。
瞬間、全てがホワイトアウトして意識が途切れた。
「あれ……これで終わり?」
リリィは銀色の細い指で右耳の付け根の四角い突起を押す。すると耳の中から筒状の金属がするりと出て来た。メモリースティックだ。
メモリースティックにはゲームデータが入っている。三千年前の人類のデータを基にした恋愛シュミレーションゲームだ。脳のコンピュータに直接つなぐことで古代の暮らしをリアルに体感しながらプレイできる。各キャラクターにも人工知能が搭載されていて、ゲームとはいえ実在の人間とそう大差はない。
「すごくリアルで良かったのに、最後あっけなかったような」
このゲームはリリィの友人が開発中の試作品だ。プレイが終わったらすぐに感想を聞かせてほしいと言われていたことを思い出し、こめかみに手を当て通信をする。
「あ、リリィもうプレイ終わったの? どうだった?」
友人に尋ねられ、リリィは率直に答えた。
「世界観はすごく良かったわ。リアルな古代人の暮らしを体感出来て」
「そうでしょう? 1999年のデータに忠実に街並みを再現して、各キャラクターにもその当時を実際に生きていた人間の遺伝子配列を採用しているの」
「だからリアルだったのね。本当に古代人と関わっているみたいだった。でも……最後はよく意味がわからなかったわ。ホワイトアウトして終わりだなんて。結局恐怖の大魔王は七月に来たの? 来なかったの?」
「え? 恐怖の大魔王? なんだっけそれ?」
「なに言ってるの。あなたが作ったゲームでしょ? しっかりしてよ。山本くんが言ってたわよ、七月になると恐怖の大魔王が来るって」
「ああ、ノストラダムスの予言ね。でも来ないよ、恐怖の大魔王」
「えっ……。だってそれがあるから、六月のうちでないとと思って、私は山本くんと急いでデートして、彼を選択したのに」
「山本? モブの?」
「モブ? そんなはずないよ。パラメータも表示されてたしデートも出来たし最後選択出来たし」
「うそー? バグかなあ。設定ミスかも? ちょっと見てくるわ」
友人が通信を切ろうとしたのでリリィは慌てて尋ねた。
「ちょっと待ってよ! もしバグだったら山本くんを消すの?」
「まあ、場合によってはね。特に絶対に必要なキャラでもないし」
「そんな……」
リリィは思い出していた。山本くんからの交換ノートの提案は斬新だった。二人で物語を創作するのも楽しかったしドキドキした。それに他のどの男子キャラよりも、山本くんの自分に対する想いには熱がこもっているように感じたのだ。
彼を消されたくない……。
でも一方で、こうも考えた。
このゲームデータが公開されれば、誰かがゲームをするたび、山本くんはプレイヤーの女子に恋をするかもしれない。そして自分にしたようなことを、他の誰かにも……。
もしもそうなるとするなら、それは許せない。絶対に嫌だ。
それに今自分の手元にあるメモリースティックには、彼のデータが入っているのだし。
「……消した方がいいかもね」
咄嗟にリリィはそう言った。
「了解そうする! じゃあ、またね」
――プツリと友人との通信が切れた。
リリィは再びベッドに横になる。金属製のベッドに自分の銀色の身体が触れるたび、コチコチと音が鳴る。
リリィの身体はいつも冷たい。常に完璧な性能で、病にも侵されず、パーツ交換で永遠に生きることが出来る金属製の機械の身体だから。頭の中には脳の代わりの量子コンピュータが内臓されていて、彼女の永遠の命に伴い蓄積していく膨大なメモリーも問題なく処理してくれる。リリィの肉体は人間を模っているし、リリィの思考回路は人間を元に設計されているけれど、リリィは原始の人間とはかけ離れている。でも今の時代の人間は、みんなこんな姿をしているけれど。
「もう一度あの世界に行って、山本くんに教えてあげよう。恐怖の大魔王は来ないって。そして彼のボディを用意して、この世界に呼び寄せてあげればいい。そうすれば私と彼は一緒に暮らせる……」
リリィは耳にメモリースティックを挿入しながら目を瞑る。彼にもう一度出会えることに心を躍らせながら。
やがてまぶしい光の向こうに、桜の花びらが舞うのが見えてきた。
ミライの彼女と1999年の山本(名無し) 猫田パナ @nekotapana
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