国書


「では、国書を」

 初老の彼が話を移す。凛と響く一言に、妹子は「はいっ」と些か上擦ったかのような声を上げた。取り出された国書には、人肌の温かさがほんのりと伝わっている。それが楊広の元に届くと、なんとその場で読み始めた。妹子も少々面食らったようで、チラチラと楊広を見つめている。

 紙の擦れる音がして、まじまじと国書に目が通される。その鋭い瞳の先にはどんな文字が並べられているのだろうか。それを知らない妹子からすれば、それこそ身が縮まる思いがした。前に派遣された遣隋使は国書によって門前払いされている。これは妹子にとって挑戦だった。遣隋を成功させる鍵が国書にあることは前回の失敗で証明されている。それがある以上、ここで間違いを起こすわけにはいかないのだ。

 しんとした空間。耳が痛くなるほどの静けさに耐えるためか、妹子はただただ綺麗に磨かれた床を見つめている。しかし、それは大和も同じであった。厩戸から聞かされた内容を思い起こすと、何も起きないとは思えなかった。何かがあれば妹子が責任を負うことになる。そう考えて、目の前で縮こまる背中に再び同情してしまった。震える手をしたこの青年に、全てを背負わせるのか。それはあまりにもむごいと思った。もしも何かがあれば支えてやりたい。そう思うほどに大和は妹子を応援していた。

 しかしその時だ。大和はすっと部屋の空気が変わるのを感じた。それは妹子も同じらしく、二人揃って玉座へと視線を向ける。すると楊広の手が心なしか震えているように見えた。いや、確実に震えている。その証拠に、彼の手の中にある紙がカサカサと小刻みに音を立てていた。一行は焦った。確実に何かが彼の逆鱗に触れた。そうとしか思えない。

 皆が顔を強ばらせた瞬間、今まで頬杖をついていた楊広が急に玉座から立ち上がった。そしてあろうことか、その手にあった国書を床に叩きつける。何かが破裂したかのような鋭い音がして、国書が側近の足元に転がった。くしゃりと歪む美しい紙に、側近たちも驚いて楊広を見つめていた。

 しかしそんな視線など見えていないらしく、彼は素早く玉座の横に手を伸ばす。鋭く高い音を立てて、何かを支えていた台が倒れた。金属音と共に振り返った楊広に、その場にいた皆がぎょっとした。彼の手の中にあったのは、玉座脇に飾られていた宝剣だった。

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