謁見
「緊張するなあ」
隋の皇帝・
大和は緊張を押し出すように息を吐いたのだが、ふと隣に目を向けて眉をあげる。そこには明らかに手を震わせている妹子がいた。自分よりも顔を強ばらせている彼を見て、思わず同情の目を向ける。
以前、彼に問いかけたことがあった。何故隋へ渡ることを承諾したのかと。ここは言葉も常識も通じない遠い異国の地。下手をすれば波にのまれて死ぬかもしれない。それなのに彼は船に乗った。それは一体何故なのかと。すると、彼は少しはにかんだ顔でこう答えた。「あの方に恩を返したかった」と。
あの方とは現在摂政たる地位についている
大和は妹子を見つめると、震える手にそっと自分の手を重ねた。驚いたようにこちらを見る妹子に、にかっと笑みを返してやる。まるで太陽のように眩しい笑顔。彼の手は、もう震えてなどいなかった。
「くれぐれも粗相のないように」
役人の言葉と共にいよいよ大広間の扉が開かれる。大和と妹子は背筋を伸ばして顔を構えた。
重々しい音がして目の前が開けた。その先に広がったのは豪華で艶やかな色彩だ。高い天井に施された装飾。美しく朱塗りにされた大きな柱。その芸術性は二人の想像を超えていた。しかし、ここでぐずぐずしている訳にもいかない。華々しさに気圧されながらも、二人は皇帝のいる部屋へ足を踏み入れる。
たった一歩で急に空気が変わったのが分かった。どこか冷たく、ぴんと張り詰めた圧迫感。外から差し込む数本の光の筋が、鮮やかで華やかな色彩を照らしている。しかしその色合いとは対照的に、決して明るい気持ちになれるような場ではなかった。
大和は妹子の後ろを歩きながら目だけを四方八方に動かす。思わず漏れた息とともに、ただただすごいと思った。やはり
妹子や大和を先頭に、ぞろぞろと広間に入ってきた倭国の行列はたったの十名弱。船には約八十名ほどが乗っていたのだが、そのほとんどが船を操縦する人員であったし、何より隋の役人から「謁見は重役と通訳、書記官のみ」とのお達しがあったのだ。そのため大使である妹子を中心に、福利などの通訳と旅の記録係である書記官、そして都の化身である大和だけが集められたのだった。
一行が広間の中央に進みでると、皆で皇帝に向けて頭を下げた。片膝を床につき、隋の文化に習って拱手をする。一方の皇帝・楊広は玉座で頬杖をついていた。どこか興味の薄い眼差しだと思った。
「この度はお目通りをお許し頂きありがとうございます」
妹子が楊広に向かって軽い挨拶を述べ始める。声は若干震えているものの、通りの良い美しさを持っていた。やれば出来るではないか。大和は感心して妹子の背中を見つめた。
彼が挨拶を終えると、しばしの間静寂が訪れた。それを感じとったかのように玉座に座る楊広が首を持ち上げる。
「その稚児は?」
突然の言葉に妹子は不意をつかれたようだった。まあ一言目がそれでは致し方なかろう。妹子は大和を一瞥すると、まだ固い声で「はい」と答える。
「このお方は我が国の都、大和の地の化身でございます」
「ほう、どこにでもおるものだな」
楊広は再び頬杖をつく。土地の化身についてはよく知っているようだった。大和はそんな楊広に興味をそそられた。やはり隋に来て正解だと思った。この国には自分のような存在が根付いているらしい。深堀すれば何かわかるに違いない。
「そのヤマトとやらは長安に会いに来たのか?」
突然楊広が大和に問いかけた。皇帝というのはここまで話しかけてくるものなのだろうか。大和は内心驚きつつ「はい」と答える。
「大国・隋の都に学ぶべく海を渡って参りました」
「そうか」
楊広は何か続けようとしたようだが、左にいた側近らしき男が耳打ちをして言葉をさえぎる。その役人のふわりとした髪を一瞥すると、彼は正面に向き直った。
「しかし現在長安は出払っておる。何かあれば洛陽の元を訪ねるといい」
役人から何か聞いたらしい楊広はそう答えた。大和が頭を下げると、今度は右に立っていた男が何やらこそこそと耳打ちをする。肩を過ぎる程の髪。目元の皺。どうやら初老のようだが、その威厳の中にはどこか優しい雰囲気も見えた。
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