第3話「異常事態戦線」

 森岡市、森岡駅。


 人口三十万人程の地方都市である森岡市にある駅で、県内で一番の利用者数を誇る。


 新幹線も止まる駅で、県内では一番大きな駅である。


 駅東口の前にはバスロータリー、タクシープールがあり、その中心には噴水広場が設けられている。


 駅に併設された百貨店や、ファーストフード店、コンビニやカラオケ、飲食店やスポーツジム、生活に必要な施設や娯楽は一通り揃っている。


 西口前には市が運営する交流センターがある。中には図書館や史料室、ジムや温水プール、音楽スタジオやダンススタジオ、コンサートホール、映画館まである便利な施設だ。


 その隣には県内一の高さを誇るビルが建っており、有名企業のテナントが多数入っている。


 少し歩けば住宅街や学校などが見える。東口に比べれば閑静と表現できるだろう。


 季節は冬、雪がしんしんと降り続ける静かな地方都市。日中多くの人が行きかう駅前も、夜中となればクリスマスを祝うライトだけが煌々と光るだけで、人の姿は見えない。




 駅構内、終電も終わり、二人の警備員が構内の巡回を行っている。


 明かりの消えた構内を懐中電灯を手に持ち、出口や入口の施錠確認や、人がいないかのチェックを順々に行っている。


 クリスマスという催事に働いている不幸な部類の男たちは、やはり思うところがあるのか愚痴を零しながら職務にあたっている。




「渡部さん、今年も結局俺らでしたね」




 乱暴な手つきでドアノブを鳴らしながら、若い男が言う。


 その様子を見る人の良さそうな恰幅の良い中年の男は困り顔で、バインダーに挟まった紙に慣れた手つきでペンを走らせる。




「ここはオッケーだね。…内田くん、その話何回目? クリスマスだからって荒れすぎじゃない? ドアノブ壊れちゃうよ」




 ため息をつきながら後輩を窘め、次のチェックポイントへと向かう。


 後ろを歩く青年は不服そうに口を尖らせている。




「今年の大型連休も、お盆も、去年の年越しもクリスマスも俺ら二人だったんですよ? 何とも思わないんすか?」


「うーん、僕はやること無いし、別に。あ、ソコ新しいテナントさん入ったから。…あー、シャッターラインの所にオリコン置いてるね」




 新しく出来たパン屋のシャッターのすぐ前に納品等に使うプラスチックの箱が重なって置いてある。男はスマホを取り出して写真を撮った。


 鍵の束を取り出し、従業員用のドアの鍵を開け、中に入った。


 ガスの元栓、空調のスイッチ、非常口の動線確認を済ませて、開けたドアの施錠をする。




「ほんっと、渡部さんって真面目ですよね…。しかし! その真面目さが後輩を苦しめる事だってあるんですよ!」


「ど、どうしたのさ」




 先輩社員である渡部に詰め寄る内田。手に持った懐中電灯を渡部の顔にあてている。その様は取り調べを彷彿とさせた。




「渡部さんが全然上に文句言ってくれないからですよ! 渡部さんが文句言ってくれなきゃ、後輩の俺も言えないでしょ?」


「いや、別に出たくないなら出たくないって言えばいいじゃない。僕のせいにされても…」


「二年目のペーペーがそんなこと言えるわけ無いじゃないですか! 根性無しだと思われてクビになったらどうするんですか!」


「そんな事でクビにしないよ! ていうか内田君、直属の上司によくそんな事言えるね?!」




 目の前の懐中電灯をガードしながら必死に抵抗する。


 眩しさに耐えきれなくなり、内田の持つ懐中電灯を払いのけると、勢いが強すぎたのか、懐中電灯を弾き飛ばしてしまった。


 音を立てながら飛んで行った懐中電灯は、慣性の法則に従ってしばらくコマの様に回転していたが、やがて動かなくなった。




「うわっ、渡部さんがキレた! すいません!」


「すいませんじゃないよ…。ほら、遊んでないで行くよ。あと西口のシャッターと地下道の非常階段見たら仮眠できるから。懐中電灯、とってきて」




 軽い返事をした内田が懐中電灯の方に向かおうとした時、ふと耳鳴りの様な音がした。


 深夜であっても貨物列車が走っている為稀にこういう耳鳴りがすることもある。




「今日って貨物列車来ましたっけ? なんかやたら耳鳴りするんですけど、俺だけですか?」




 内田も耳鳴りがしているようだ。二人はそんな話をしながら西口と駅を繋ぐ廊下へと歩を進める。


 その間に一向に鳴りやまない耳鳴りに気を取られなくなってきた時だった。


 西口シャッター前に到着し、一度外に出る為にシャッターを開けている最中、耳鳴りでは無い、低い地鳴りの音が聞こえ始める。


 その音量が大きくなるにつれて、地面が呼応するように揺れる。




「地震だ! 内田君、外に出よう! 結構大きいかも!」


「あ、なんか揺れてるなーって思ってたんすけど、コレ地震ですよね。やっぱり」




 二人は開けたシャッターから西口に出る。目の前は広場になっており、その少し先に見慣れた交流センター、そしてその横に聳える地上二四階建ての高層ビル。


 揺れは治まる気配は無く、それどころか大きくなっている。




「震度五くらいはありそうだね…。幸い、中のチェックが終わってからだったから良かったけど…。内田君、大丈夫?」




 地震の多い国に生まれている為、落ち着いて対処が出来たが、心臓は高鳴って妙な寒気がする。


 ゾクリとした妙な感覚の後に背中に冷たい汗が流れるのを感じた渡部は、返事の無い内田を見る。


 内田は駅とは反対の方向を見つめ、微動だにしていない。


 不思議に思った渡部は、もう一度内田の名前を呼ぼうとしたが、内田の口が先に動く。




「渡部さん、アレ、なんすかね? アリーナの横に、なんかありません?」




 アリーナというのは地域住民の交流センターの通称で、誰が呼び始めたのかアリーナの名前で親しまれている。




「アリーナの横っていったら、テックビルじゃないの?」




 アリーナの横には県一の高さを誇る二十四階建てのテックビルがある。高さは九十六メートル、敷地面積は八千平方メートルもある。


 内田に言われた方向を見ると、見慣れたテックビルのすぐ横に、確かに何かがある。


 少しの照明しか無い為に詳細までは分からない。しかし巨大な何かが、昼間には無かった何かがあるのだ。ゴツゴツとして、それでいて細長く不気味にユラユラと揺れている気さえする。


 目を凝らしてもう一度見る、しかしその何かは靄がかかったように形を常に変化させていて、はっきりとした情報は掴めない。




「…良く分からない。でも何かありそうだね。もう少し近づいたら分かるかも」


「えっ! 近づくんですか? 危なくないっすか? ちょ、ちょっとやめません? 何かめっちゃ動悸するんすけど…」




 先ほどまで職場の愚痴を景気よく飛ばしていた内田の顔は青くなっていた。外の気温は氷点下だ。寒くて震える事はあるかも知れないが、ここまで取り乱したりはしない。足は震え、雪の積もる地面に座り込み、ガタガタと震えている。


 渡部は駆け寄って手を貸そうとするが、地震のせいで上手く動けずにバランスを崩し、雪の上に倒れこんでしまう。


 体を起こすために体制を変えて腕に力を入れようとするが、またバランスを崩して、今度は顔から地面に倒れてしまった。


 雪のおかげでダメージは軽減された。地面に倒れて、渡部は気づく。地面が揺れているのではない。己の四肢が震えているのだ。脳が危険信号を発しているが、その強すぎる信号に体がついていかない。


 自分の体のスペックがもっと高ければ、恐らく飛んで遠くへ逃げれただろう。しかし、脳が要求するスピードを出す事は出来ない為、体がどんどん縮こまっていく感覚に襲われる。




「あ、あ、足が…」


「わた、渡部さん! 揺れ、揺れヤバイ! ヤバイってこれ!!」




 地域全体を突風が吹く。それと同時に轟音が辺り一面を揺らす。


 地獄の釜が開く音か、それとも天の雷鳴か、耳を劈く不快な金切り音で、二人は意識を手放した。












 




 銘はBaptizeから出てすぐに、魔徒が出現したであろう場所へと転移する。


 Baptizeから五キロメートル程離れた駅の程なく近くに到着した銘は、弟子のヒノ、調伏した魔徒ラカンゼンジを引き連れて辺りの警戒を行う。




「思ったよりバチバチ来るじゃないか」




 降り立った瞬間に濃密な敵意に浴びせられる。容赦のない毒気とも形容できる敵意に晒されてもたち続けるのは、彼の十座というボジションが故か。はたまた別のものか。


 銘は腰に刺した三本の細剣の内、二本を引き抜いた。


 どちらも見事な細剣で、柄には菱形のマークが入っていて、長さも同じ。違うのは刀身の色。左手に携えた剣は赤く、血を啜っているかのように蠢動している。


 右手にはうっすらと青い光を称えた細剣。冬の景色に相まって幻想的な力を感じさせる。




「グルルル…!」




 ラカンゼンジの発する獣の如き唸り声。敵意を浴びせられ、警戒しているようだ。


 鼻息は非常に荒くなっており、いくら調伏しているとはいえ、魔徒は魔徒。気を抜くと自由に暴れまわる可能性もある為油断はできない。




「さて、おい、結界を貼れ。目撃情報があると厄介だ。半径十キロ。いいな?」


「…」




 銘は傍に控える少女に冷たく告げた。小さくコクリと頷いたヒノは目を閉じて手を翳す。


 足元、胴体、腕、頭の順番で赤い光が伝播していき、ヒノを中心に巨大な円が広がり始める。


 薄く赤い光が大地を走り、結界が貼られる。それと同時に、ヒノが大きく目を見開き、動きが固まる。


 パクパクと口を動かし、何かを伝えようとするが、彼女の口から言葉が出ることは無かった。


 その様子を見ていた銘は怪訝な顔をしてヒナに声をかけようとする。


 しかし、止めた。




(コイツ、あのはぐれとは会話をしていやがったな。僕とは一切口を利かないのに)




 ヒナを弟子にしてから半年程、銘はただの一度も話をしたことは無かった。此方が話しかけても首を振るだけ。それがはぐれ解魔士には物でつられたのか、意思表示をしていた。


 親睦を深めたいとか、仲良くなりたい、そんな俗な感情は微塵も無かった。しかし自分の所有物であるヒナが他の飼い主、しかも自分より格下の者にしっぽを振っているのを見て、少しの苛立ちを感じていた。




(フン、ならいいさ。三流は三流同士仲良くしていろ)




 冷たい目線をヒノに投げ、銘はラカンゼンジを引き連れ、西口の方向へと進む。


 その後ろ姿を見ながら、ヒノは声にならない声を、必死にあげようとするが、その願いは虚しく、届かない。遠ざかっていく背中を、行かせてはならない、そう思ったヒノは銘の後を追いかける。


 銘のコートを引っ張り、彼の足を止める事には成功した。しかし、それだけだ。ヒノは銘の顔を見ると、恐怖で声が出なくなってしまうのだ。




「何だ、邪魔をするな。…何か言いたいなら言ってみろ。半端者の癖に」


「…」




 半端者と呼ばれる自覚はある。解魔士としての覚悟も、能力も足りていないのはヒノ本人が一番分かっている。


 今自分の師匠である銘を止めているのだって、自衛の為に過ぎない。


 ヒナが感知した魔徒の反応は一体では無かった。半径十キロに広げた結界の外側に、更に巨大な魔徒の反応があった。先程まで一緒にいた解魔士か向かっている様だったが、これほどの反応の魔徒を一人で征伐できるかは分からない。


 そして今から向かう先、初めに現れたオニレンゴらしきモノの数は現在進行形で増え続けている。




 緊急事態を伝えるべく、ヒノは懐からペンとノートを取り出して、筆を走らせる。


 大きな円の中心に、自分たち三人を現す点を描き、その外側に大きな虫の絵。はぐれと呼ばれた人間を現す点を書き込んだ。


 それを銘に見せる。自分の声が出ない情けなさや、不甲斐なさはあるが、今は状況説明が優先される時だ。




「何だ、この点が僕達だろ? もう一体出た、って意味か?」




 首を縦に振り、肯定の意志を示す。引き攣る銘の顔を見ながら更に追加情報を足そうとするが、その手を姪が掴んでノートを投げ捨てる。




「近くの情報は良い。だいたい把握している。増えているのだろう? ラカンゼンジ! 先に行って雑魚を散らしてこい!」


「ガアァァァァ!」




 指示を出されたラカンゼンジは怒号を上げて駅を飛び越えて行く。


 そして程なくして、戦闘開始を告げる狼煙が上がる。爆発音の如き重低音、激しさを伺わせる大地の揺れ、ラカンゼンジの元に殺到する多数の魔徒の反応。


 ヒノは落胆する。自分の力の無さに。人にとって災害でしかない魔徒を放置する事が出来ないのは承知しているし、自分達の手に収まる障害であれば対処して然るべきである。


 こちらにはチームワークもなく、連携は形だけ。付き従うべき銘にあるのは、恐らく十座と本郷家跡取りとしてのプライドだけである。


 いよいよ戦闘音が激しくなってきた。元々の戦闘力が高いラカンゼンジと言えど、百を超す数を相手取るのは難しい。


 元々集団戦には向かないばかりか、相手がラカンゼンジの特性を見抜けるほどの知恵を有していた場合、厳しい戦いになるだろう。




「何を呆けてる。僕らも行くぞ」




 ゆっくりと宙に浮き始める銘を見ると、両手に持つ細剣に己の魔力を流し始めている。


 彼の使う剣にはそれぞれ通常の剣には無い特性がある。


 赤黒く、生きている様に見える細剣。『血積けっせき咬剣こうけん』。相手の血を吸い、魔力を食らって成長する魔剣。分類で言えばこれも魔徒になる。


 過去の調査で征伐した魔徒が使っていた装備を使っている。血を吸わせるたびに固く鋭くなる。相手に傷をつけた所から魔力を吸い取る事で、自分で魔力を流さなくても良い。使い勝手が非常に良い。


 そして反対の手には青を称える細剣、こちらは有名な鍛冶師に作らせた無銘の細剣。結社の人間達が信仰する神の祝福を受けた物で、使用者の身を守り、相手を畏怖させる。


 こちらはどちらかと言えば護身用であり、攻撃には使用する事は無い。神の守護によって魔徒の力を弱め、悪意のある攻撃から身を守ってくれる装備である。


 魔力を流すことにより、剣の輝きが次第に強くなる。そして、ラカンゼンジ、オニレンゴがいるであろう場所へと飛び立った。




 下を向いたまま、ヒノは諦めともとれる悲壮な決意を固め、銘に追従すべく移動を開始する。




(とにかく、やらなきゃ。街が危ない)




 ヒノの背中から二対の翼が現れる。ヒノの小さな体を覆える程の大きさの赤く輝く美しい翼を羽ばたかせ、夜の空を走る。


 思えばいつも無茶の連続であった。銘は自分の出世の為に多くの強大な魔徒を相手にしてきた。他の十座に比べれば経験や知識は少ない。あるのは戦闘センスと本郷家の血筋だけである。


 今までは優秀な助手や、歴戦の解魔士などとチームを組んでいたため、何とか生き残ってこれたがこれまでの無茶な戦闘で仲間からの信頼を失ってしまっていた。


 本郷家は優秀な解魔士を何人も排出している名家であり、当主の発言力も結社内では強い。入ったばかりの新参者の銘とチームを組むのはその威光にあやかろうとした者、若しくはその権力に膝を屈した者だった。


 それに銘の独裁的な性格も影響し、しっかりとした信頼関係を築ける訳も無かった。


 全ての征伐依頼を成功させてきた天才、しかし実際は仲間の犠牲の上に立っている暴君でしか無い。


 今回共を連れずに来たのは銘なりに理由がある。きっと「チームでなくても一人でやれる所を見せる」という下らない理由であると思ったヒノは元々乗り気では無かった。


 地上では蠢く怪物と対峙しているラカンゼンジの姿が見える。余計な事を考えている暇は無い、そう判断したヒノは翼を広げ、ラカンゼンジの援護を開始した。






「ガァアアアアアアァッ!!」




 吠えるラカンゼンジの前には無数の敵。


 二メートルを超える巨躯のラカンゼンジとほぼ変わらない大きさのムカデが地を這って襲い掛かってくる。


 ムカデが移動をする度にガチガチ、と金属が擦れる様な音が聞こえる。ムカデを覆う外殻同士が擦れる際に発生している為、相当硬度が高そうだ。


 体には無数の足が生えており、二本の角の様な触角を使って周りの情報を得ている。触角から伝わる地形、敵との距離などを計算して器用に足を動かし移動する。


 触角がある代わりに目の様なものは見当たらない。角の下の大顎には太く湾曲した牙が生えていて、獰猛さを物語っている。


 顔の反対側の先端の形状が頭部と酷似していて、至近距離でなければ見分けるのは至難の業だ。




 ラカンゼンジに対して牙を鳴らし、威嚇行動をしていた一頭のムカデが体を起こして、対峙する。


 その様を見た途端、ラカンゼンジが吠える。その瞬間に対峙していたムカデの首がひしゃげている。驚異的なスピードでムカデに接近し、頭部を力任せにもぎとったのである。


 ラカンゼンジにもぎ取られたムカデの頭部は、未だにカチカチと牙を鳴らしている。




「ギィィイィィィ!」




 首だけのムカデが断末魔の様な声で鳴くと、周りのムカデ達がラカンゼンジの方を一斉に向く。


 音が発生したのと同時にラカンゼンジは乱暴にその頭を地面に叩きつける。その衝撃に耐えられず頭は四散し、ついでと言わんばかりに大地が割れる。


 もぎとられた胴体は力なく大地に伏せている事から、頭を潰せば絶命するようだ。


 ガチガチと音を鳴らしたムカデはラカンゼンジを包囲し始める。まるで訓練を受けているかの様な一糸乱れぬ行進は瞬く間にラカンゼンジの退路を塞ぎ、包囲を完了する。


 フードの下にある赤い眼光でその動きを見ていたラカンゼンジは、口元を歪ませ、喜々としてその壁の一角へと飛び込み、丸太の様な太い筋肉質な腕を叩きつける。


 爆発音にも似た音が木霊し、その音が合図になったかのようにムカデ達が一斉にラカンゼンジ目掛けて襲い掛かる。


 津波の様に四方から襲い掛かるムカデを掴み、頭をちぎっては投げ、足を狙って噛みついてくる牙を蹴り上げて粉砕し、腕に巻き付き動きを止めようとしてくるムカデを地面に叩きつけ胴体を分断する。


 驚異的なまでの暴力の前にムカデは成す術なく沈黙する。しかし優勢に見えるようで、未だにラカンゼンジの周囲には無数の生きたムカデ。数にして二百体以上はいるだろう。


 腕に巻き付いたまま動きを止めたムカデに不快感を覚えたのか、鬱陶しそうに腕を振るって外そうとするがしっかりと巻き付いているため中々外れない。


 気を取られている間にも四方八方からの攻撃の手は止まない。猛攻を凌いでいるラカンゼンジの背後に音もなく一体のムカデが現れて、首元を狙いその牙を突き立てるべく襲い掛かる。


 しかし、その牙は届くことが無かった。ラカンゼンジの背後のムカデの群れが、突然炎に包まれる。甲高い絶叫をあげながら悶えるムカデが他の個体に触れると、その炎が燃え移る。連鎖的に燃えるムカデの群れの上空にはヒノの姿があった。


 ヒノの背中から生えている赤い羽を目いっぱい広げて、その羽の中から火球が出現。ムカデの群れへと一直線に降り注ぐ。


 火球に直撃したムカデは身を捩らせて火を消そうと抗うが、圧倒的な火力の前に力尽きてしまう。


 その現状を知ってか知らずか、ラカンゼンジは目の前の群れを次々に撃破していく。数を一気に減らされたムカデは先ほどまでとは違った行動に移る。




 残ったムカデの大半はラカンゼンジ、ヒノを警戒したのか、包囲を解いて後退する。そして後の個体は地面を掘って地中に潜っていった。


 この行動を見たヒノは銘の方を見る。




「何だ、拍子抜けだな。とんだ雑魚じゃないか。形勢不利と見るや逃げる位の知性はあるみたいだが…。ラカンゼンジの準備運動にもなりはしないぞ?」




 距離をとったムカデに追撃すべく前方を見据えるラカンゼンジ。そして動こうとした瞬間に足元が崩れてバランスを崩す。


 地中で空洞を作り、簡易的な落とし穴を作ったムカデはバランスを崩したラカンゼンジに襲い掛かる。上空にいるヒノは無事だが、舞い上がる土煙で何処にムカデがいるのか分からない為攻撃が出来ない。


 四肢にいつの間にか巻き付いたムカデのせいで、ラカンゼンジは身動きが取れなくなっていた。必死に体を動かすも、磔のような状態の為、力が入らない。


 目の前に一体のムカデが現れて、ラカンゼンジに嚙みついた。脇腹に深々と突き刺さった牙から煙が上がっているようで、ラカンゼンジは苦痛の叫び声を上げる。


 ムカデの牙は鋭く武器にもなるが、ムカデの一番の武器は毒である。狙った獲物に牙を突き立てて、牙を通して毒を注入し、敵の体内を毒で溶かし、その体を食らう。


 しかも魔徒に効果がある毒だ。溶解液に近い強毒性の液体だろう。


 身じろぎし、ムカデの毒から逃れようとするラカンゼンジだったが拘束は依然続いており、怒号を発する事しかできない。




 しかし、その拘束が不意に緩む。自由になった両手を使い、ラカンゼンジは己の腹に噛みついているムカデの頭部を粉砕し、残る敵を撃破すべく体を起こす。


 脇腹からは痛々しい穴が穿たれ、赤い血が流れている。


 気配を感じ取ったラカンゼンジは岩の様に固い拳を瞬時に放つ。


 しかし手ごたえが無い。殻を砕いた実感も、頭を飛ばした感覚もない。土煙が晴れ、拳の着弾点には青い細剣でラカンゼンジの拳を軽々と受ける銘の姿があった。




「はぁ…。僕をムカデと同列に扱うな。助けてやったのに何だその態度は。…言葉を解する知性もないからこんなこと言っても無駄だと思うが…。知性でいえばコイツらの方がありそうだな」




 そう言ったかと思うと、銘は手にもった血積咬剣をラカンゼンジに向けて振るう。


 それを上体を高速で反らし回避した。ラカンゼンジの頭部があった場所には血を吹き出して静かに首を落とすムカデがいた。




「説教している隙をついてくるとはね。油断も隙も無い。やはりお前よりは頭が良さそうだな?」




 上空から降り注ぐ火球が地上に残るムカデを次々に射抜いていく。ラカンゼンジ、ヒノ、銘の三人によって、駅西口にいたムカデは姿を消した。終わってみれば敵を殲滅し、こちら側の損傷はほぼ無い。


 モノ言わなくなった屍を足場にして、銘がラカンゼンジを連れて落とし穴から出てくる。


 周囲に敵影が無い事を確認したヒノは、ラカンゼンジに駆け寄り傷の手当を行う。


 ヒノの羽が暖かい光を放つ。これは比喩表現ではなく、実際に周りの温度が上がっているのだ。


 脇腹に開いた穴にヒノの羽が触れる。光の粒が集まり、傷の周りに集まっていく。見ると徐々に傷が塞がっている。


 銘は眉間の皺を作り、眩しそうにその光景を見つめている。




 結社広し、術は深しと言えど、ヒノの様に回復の術を使える者は珍しい。


 『使用された側の傷や状態を正常な状態に戻す』意味は理解できても理屈が理解できない為、使おう、覚えようとする者が少ないのもその一端にはある。


 通常回復に用いられる術にはそれなりの量の魔力喪失や、対価が必要になる。他者を治す代わりに差し出すものには己の体の一部や、高価な霊薬などの媒体が必要だ。


 それをどういう理屈か、ヒノは代償無しで行っている。


 解魔士には大なり小なり、生まれついて使える能力がある。それは大概が術として他の者に教えらえない。


 理屈や事象の解析が進んでいない、若しくは理屈が分かっても通常の人間では何故か上手く使えない。


 血統や育った環境などに左右される【その解魔士にしか使えない能力】。それを『特性』と呼ぶ。




(こいつの特性はやはり便利だな。人間以外の魔徒にも作用するなんて今初めて知ったが…)




 特に魔力量が顕著に減少しているという事もなく、当然の様に回復させるヒノを見た銘は不快感を覚える。


 自分の特性に不満がある訳では無い。ヒノに比べて劣っているとも微塵も思わないが、無条件で回復させるというのは全解魔士が喉から手が出るほど欲しい術になりえる。


 ヒノの特性に目をつけたからこそ、本郷家はヒノを引き取り育てていた。しかしながら研究すれば研究するほど、他者には使えないという事実しか見えてこない。


 この術が系統化できれば、結社の中での発言力や名誉は更に増す事になるというのに。はがゆい思いをさせられている。


 怯えた様な目でこちらの様子を伺うヒノを見た銘は更に不快感を滲ませた。




(なんだその情けない顔は。僕が何をしたっていうんだ)




 銘に対して異様な程の恐怖心を抱いている様で、ヒノは常に怯えている。


 銘としては命令も聞くし、舐められているよりは良いと感じていたので、特段気にすることでも無いが、先ほどのはぐれとは普通に話が出来ていた。


 例えば銘がヒノに対して辛くあたっていたり、暴力を振るうなどの心当たりがあれば納得もいくが、銘は何もしていないのだ。出会った時から、ヒノは怯えていた。


 かと言って理由を聞いた所で、喋りはしないだろうし、万が一喋った所でそれが本心かも分からない。その為ずっと放置してしまっている。




「さて、寒くなってきたしそろそろ親玉に姿を見せてもらいたい所だが…」




 一方ヒノは、ラカンゼンジの傷を治癒しながら思考を巡らせていた。やはり何かが引っかかる。


 オニレンゴと対峙したことは無いので経験則というのはアテにならない。銘に弟子入りという形で一緒に行動するまで、戦闘経験自体ヒノにはあまり無かった。


 結社内の図書館や、史料室で調べたオニレンゴの特性と、合致する点があまりにも少ない。


 湿度や気温が高い所に現れて、群れでの行動例は確認されていない。そして統率されている様な動き、しかも先ほどの群体とはけた違いに大きな個体が、このすぐ先と少し離れた場所に


同時に出現。何もかもがイレギュラーである。


 先ほどの中型サイズのムカデは斥候の様な役割をしていたのではないかと考えるが、それもおかしな話である。何者かが意図してこの状況を作り出しているのであれば納得も出来よう物だが、これほどまでに大きく、意思疎通の出来ない魔徒を使役する術や特性は聞いたことも無い。


 群体に関してもそうだ。史料によればオニレンゴの体を分断したり、傷つけると小さなムカデになるという事が書いてあった。


 先に誰かが戦っていたなら筋も通るが、出現とほぼ同時に現場に着いていたのだ。その線は無いと考えていいだろう。




 思案を巡らせるヒノだったが、その時間は長くは続かなかった。


 傷の癒えたラカンゼンジは回りを見渡し、遠く離れた所を移動するムカデを発見した。その直後に追撃をするべく走り出す。


 目の前まで接近したラカンゼンジだったが、その拳がムカデを貫く事は無かった。


 大きな地鳴り、振動、そして近づいてくる巨大な反応。明らかに敵意を持って此方に近付いてきている。


 耐えきれなくなった大地は悲鳴を上げ、その身に巨大な亀裂が走る。


 近くにあった大型の施設を巻き込み土埃と噴煙を上げながらソレは現れる。




 全長ざっと六十メートルはあるだろうか。見上げる程に巨大な体には、光沢感のある黒い鱗が隙間無く張り巡らされている。


 隣に聳え立つ大きなビルをその巨大な尾で鬱陶しそうに振り払う。尾についている二本の角の様な器官からは毒液が流れ、なぎ倒したビルの瓦礫を溶かしている。


 ビルが倒壊し、辺りは煙で満たされた。強毒性の液体がついたコンクリートは白い煙を上げて溶けていく。


 先ほどまでクリスマスを祝う煌びやかなライトで装飾されていた西口の様相は、瓦礫と煙、そして毒性の液体による刺激臭が蔓延する場所へと、激変した。


 ヒノはラカンゼンジ、銘、自分に対して毒や瘴気に対する術をかける。


 目の粘膜や肺に大きなダメージを負うとさすがのラカンゼンジでも戦闘不能になる。己の持つ術を惜しみなくかけ続ける。


 自身の戦闘力が術により上がっていくのを感じる。しかし足の震えは大きくなるばかりだ。毒性の霧のせいか、呼吸もしずらくなっている様だ。


 それはラカンゼンジも同じなのか、平時であれば敵対する者を認識すると襲い掛かるのに、ピクリとも動かない。




 霧と瓦礫の土埃が渦巻く中心には、とぐろを巻き頭をもたげた一匹の魔徒。


 その姿は先ほどのムカデと大きく違う所は無い。ただ規格外に大きいことを除けば。


 足場を固めて満足なのか、暴れて落ち着いたのかは定かではないが、動く気配は無い。


 ただ三つの敵対者に視線を投げているだけだ。それだけで、三人の動きを静止させる程の効果を発揮している。


 とぐろの中央には黄色い卵の様な物を大量に抱えている。大事そうに抱えるその卵の一つが突然身を捩らせるように飛び跳ねる。そしてその卵の形が急激なスピードで、まるで粘土を捏ねる様にして変化する。


 縦に、横に伸びたかと思えば、頭の形を作り、無数の足が生え揃い、牙が形成される。


 一匹、二匹、三匹、と次々にオニレンゴの幼体と思われる魔徒が生まれる。




「…あれほど、までとは」




 銘が絞り出した様に呟いた。先ほどまでの余裕綽々といった表情はとうに失せ、オニレンゴの挙動を監視するただの人間になってしまっている。


 血積咬剣だけがカタカタと音を立てる。早く血を吸わせろ、と囁く様に。


 しかし他の三人は瞬きも忘れて立ち尽くしている。


 不敵に全てを見下し、調伏してきた銘も。


 羅を冠する強大な力を持つ魔徒であり、敵対した者には慈悲も無く終わりを告げるラカンゼンジも。


 背の赤い翼で魔徒を焼き、味方を癒すヒノも。オニレンゴ以外の全ての生命の時が止まった様に動かない。




 全く光明が見えない、絶望的なまでに残酷な時間も、終わりを告げる。


 建造物と見間違うほどの生物が、首を持ち上げて号令の如き声を上げる。


 錆びた鉄線をノコギリでゆっくりと引いた時に出る不快な音が大顎から流れ、夜の街に木霊する。


 それと同時に羽化したばかりであろう、オニレンゴの幼体が三人を襲う。


 全ての力を振り絞り、銘は叫ぶ。




「散れ! まずは小さいのから片づけるぞ! 親玉は僕がやる!」




 月の光の下に姿を現した鬼連蜈オニレンゴ。遂に戦いの火蓋は落とされる。


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バフタイズ 煙ちゃん @kemurin

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