第2話「魔徒と解魔士」

魔徒まと


 妖怪、魔物、モンスター、怪物、悪霊、それら一般常識では量れない、超常の力を有する怪異や怪現象を纏めて裏の世界ではそう呼ぶ。 


 ミコの様な神であれ、魔徒の定義からは逃れられない。人間以外の、人間に並ぶほどの知恵や力を持ち、それでいて人とは違う生態や能力を持つ者全般を、結社は魔徒と呼ぶ。


 魔徒にも人間に協力的な者、もしくは人間を守護すべきと考える者もいる一方で、人を堕落させたり、何の理由もなく殺したりする者もいる。




 


 解魔士かいまし。 


 人の身で魔徒を退け、魔徒を滅し、調伏ちょうふくさせる異能を、先天的、後天的問わず保有する、結社に所属する人間。


 能力といってもこちらも多種多様で、自分以外の心が読めたり、発火現象を起こしたり、勘が物凄く良かったり、運動神経、反射神経が特別に良かったりと、一般人と大差ない物から超人めいたものまである為、定義は曖昧になっている。


 しかし共通しているのは、魔徒の存在を認知出来る事である。後天的に見える様になることはほとんどない。


 科学では証明の仕様が無く、仕組みも分からない。こういった超常的な力を使いすぎると、消耗し、昏睡状態に陥る事もある。これらの超常的な力を使うためのリソースを『魔力』と呼んでいる。




 解魔士結社では、所属している解魔士の超常的な能力を「術」として保管し、解魔士の育成も行っている。


 勿論、十座に君臨する解魔士の個性である特筆して強い能力はほとんどが他人に使えないが、解魔の素養さえあれば、似たような術を劣化コピーすることは可能だ。


 強い術には副作用や反作用がある。弱い術であれば、触媒があればノーリスクで使う事が出来る。


 二つ例を上げる。強力だが、術を使う際に読唱どくしょうをしなければならない物。


 これは己の時間を捧げ、文字に込められた意味を読み、事象をイメージすることによって術を使う。しかし強力な術になればなるほど難解で、集中力も必要になる。物によっては自分の寿命を対価にしている物もある。


 もう一つの例は『その術に必要な、または関連する物を使用する事』である。火を起こしたいのであれば、特殊な加護を受けたマッチやライター等である。


 こちらは道具が必要になる為、手間や大量の金銭が必要になるが、一度道具を手にいれて使い方を覚えてしまえばその道具が無くならない限りはほぼ魔力を消費せずに使うことができる。




 術の体系化、保管を国内で一手に行っている結社には解魔士が集まりやすい。国内の解魔士は善道ぜんどう解魔結社に身を寄せている。


 しかしながら、結社に属さない解魔士も少ないながら存在する。


 その解魔士は野良やはぐれと呼ばれて、結社の人間からは忌み嫌われている。魔へと転ずる者、転魔士のような蔑称がある。要は見下されているのだ。


 全ての解魔士がそう考えている訳では無いが、無所属と言えばいい顔をされることはほぼ無いだろう。




 そんな『はぐれ解魔士』の経営する店に、珍客が訪ねてきた。


 史上最高の素質、瞬滅解魔の名を冠する十座の十番。解魔士で知らぬ者はいない名門本郷家の嫡男、本郷ほんごう めい


 若干二十一歳で座に加わった、結社のトップの一人。見目麗しい才人。彼の笑みはとても爽やかで、作り物の様に動く事は無い。


 そんな彼が口を開く。爽やか過ぎて緑の風でも吹いている錯覚さえ見えた。




「やあ、転魔士さん? 今日はよろしく頼むよ? ああ、思ってた通り、狭い店だな。それに何だこの俗っぽい装飾は。異教の祭りに精を出すなんて流石はぐれ。こりゃいい土産話が出来たよ。それに見る限り安酒のオンパレード、なんだいこの趣味の悪い色の酒は。やっぱり色モノは色モノが好きなのかい? あ、席用意してもらってなんだけどさ、座る気は無いから。君らみたいな暇人と違って我々は忙しくてね、何せ十座のノルマが厳しくてね…。疲れてはいるんだけど、ほら、君らみたいな…ええとなんて言ったらいいか…。庶民が座るソファじゃ一休みもできやしないよ。ああ、何だ、カップまで用意してくれていたんだね。そこまで暇だったのか。なら何で第四十伍支部まで迎えを寄こさない? こんな暖かい所で一人でいたのか? 我々はこの寒い中歩いて来たのに? クソだな、庶民とか言葉を選ぶ気すら失せた。おい、何を突っ立っているんだ、準備をしろ。早く行くぞクソ虫」




 俊光はあまりのギャップに言葉を失い、営業スマイルが引きつりそうになる。




(すげえ奴きたんですけど、入店即クレームとかどういう環境で育ったらこうなんの?)




 何処かで聞いていたのだろうか、ミコの念話が俊光の頭の中に響く。




(何この傲慢知己な人間。ああ、人間じゃなくて喋るクソね)

(やめろミコ。お前までクソクソ言うな。前門のクソ、後門のクソになるだろう)

(我までクソになるんですけど?!)




 声色からして通常の怒りモードを通り越して、冷静に怒る一番怖い状態になっているミコを諭しながら、俊光は何とか言葉を返す。




「寒い中ご足労頂き申し訳御座いません。何分小さな店で、このような催事は我々庶民にとってかき入れ時でございまして。このまま結社に帰られては十座である方にお茶も出さない愚か者、と笑い種になってしまいます。今回征伐する魔徒の話もお伺いしたく存じますので、中へどうぞ。今暖かいお飲み物をご用意致します」




 精一杯のレスポンスを吐き出した俊光は、銘を中へ入るよう促す。


 銘は何を思ったのか、しばらく考えた後にフン、と鼻を鳴らして開けっ放しのドアを閉める様に後ろの弟子らしき人間に指示を出す。




「まあ、魔徒の出現時間まで少しの猶予はあるのも確かだ。少しだけ付き合ってやる」




 




 時間は二十五時を過ぎていた。日付変更線を跨ぎ、二十五日を迎えた頃、BAR Baptizeの店内にはクリスマスに似つかわしくない三名の姿が見える。




 店主である俊光、結社からの客で十座の十番。本郷 銘。そしてその銘の付き人の様な少女。


 俊光は銘と少女の顔色を伺いながらケトルに入れたお湯を予め用意しておいたテイーポットに注ぐ。


 ティーポットに蓋をしてしばらく時間を置いて蒸らす。ここの時間で紅茶の良しあしは変わる。




「お茶請けもお出しせずにすみません。こちらをどうぞ。今から煎れる茶葉で作りましたアールグレイのシフォンケーキです。高貴な方がいらっしゃるとの事で、王室御用達の物をセレクト致しました。お口に合うと良いのですが」




 怪しむ様な眼でこちらが出したケーキを見つめる銘だったが、先ほどまでの口激が嘘の様に静かに座っていた。


 隣の少女からは何の反応も無い。




(やっぱり強敵なのはこっちの子供だな。表情が読めない。ポーカーフェイスにも程があんぞ…)




銘の後ろに控えていた少女は年齢は十四~十六あ歳程であろうか。燃えるような赤い髪。しかし手入れなどがされている気配が無い。伸び放題、跳ね放題で顔の大部分を覆っている。


 表情は髪で隠れていてしっかりとは見えないものの、明るくはない。ミコの様に活発では無さそうだ。訳アリ感をこれでもかという程に醸し出している。ポーカーフェイス、というよりは考えを放棄している様な、全てに絶望している様な。子供には似つかわしくない落ち着きを持った少女。


 人の表情や態度から人間性を見抜くのが得意な俊光からすれば天敵である。




 一方、銘は典型的な「俺様至上主義者」で、ファーストコンタクトで気おされはしたものの、どうにか扱える人種であった。


 解魔士の名家、本郷家の嫡男。ズブズブの貴族階級に生まれ、不自由の無い暮らしをしていたのは先ほどの言動で十分に理解できた。人は下にいて当たり前で、特別扱いも当たり前。ではその通りにしてやればいい。


 鳴り物入りで業界入りしてきた名門ブランドには名門ブランドを。


 物の良しあし、ではなく耳触りの良い言葉で上手く誘導すればいいのだ。




「それなりの物は用意していたようだな?」


「流石、お分かりになりますか。まだ口にもされていないというのに…。ハッ! まさか、匂いでお分かりに…?」


「当たり前だろ? 僕を誰だと思ってるんだ。本郷の跡取りだよ? 目を瞑ってても分かるね、僕レベルになると当然さ」




 よもや…そんなお方がいようとは、ヨヨヨ。という表情を浮かべた俊光を見て、銘は気分が良くなったのかシフォンケーキを口に運んだ。美味しそうに一皿平らげている。


 その様子を少女が見ているのを俊光は見逃さなかった。




「さあ、そちらのお客様もどうぞ。甘いものが苦手でなければ、ですが」




 警戒されない様になるべくソフトな声で、口角をあげながら言う。


 こちらを一瞬見たものの、彼女の表情は変わらない。


 しかし、今まで一言も喋らなかった少女が口を開く。




「メイ、が、食べていい、って、言うなら」




 返ってきたのは擦れた声。たどたどしく、力無きか細い声。俊光はある疑問を抱く。しかし、それを考える前に、銘の様子を伺う。


 銘も驚いた様に少女を見ていた。




「ヒノが喋るとはな。ハッハッハ! こいつは傑作だ! 凄いな、はぐれ! 此奴は俺が話しかけても喋らなかったのに! …いや、実に良いものを見せてもらった。いいぞ。食え。今日は気分が良い」




 二人の様子を伺いながら、蒸らしていた紅茶を素早くカップに移す。事前に適温にしていたカップは暖かく、熱すぎず、そして茶葉の香りを遠くまで運ぶ。


 カップに目を離した隙に少女の目の前のケーキは消えていた。表情は相変わらず読めないが、少しだけ頬が紅潮しているように、見えなくも無い。




(シフォンケーキは子供にゃ合わないかもと思ったけど、大丈夫みたいだな)




「お、良い香りだ。手際も良いな。はぐれの癖にやるじゃないか」


「お褒めに預かり光栄です、こちらアールグレイでございます。銘様は熱いのが苦手かと思いまして、適温から少し温度を下げた最も香り高い状態の物を。ヒノさんにはミルクと砂糖をご用意致しました」




 ピクリと肩を震わせた銘は、また訝しむ様に俊光を見る。




「何故、知っている? 誰に聞いた?」


「いえ、誰に聞いたと言われましても、そうではないかと思い勝手に温度を下げただけで御座います。出過ぎた真似でしたら、すみません」


「では、どうしてそう思った。言え」




 紅茶に手を伸ばしたヒノの動きが止まる。顔に刺していたほんのりとした赤みも引いて、完全に委縮してしまっている様だ。




(こりゃー健全な師弟関係じゃ無さそうだな…。まあ予想はしてたけど)




 短く息を吸い、十分な空気を肺に入れ、俊光は言葉を選びながら銘に言う。




「外は大雪、慣れない氷点下の中歩いていらっしゃったので、お体を冷やしてらっしゃいました。当店にいらしてから、暖房で少し体が温まったのか、随分と顔色が良くなられました。体温の変化が顔に出る方って結構いらっしゃいまして、接客を長くやっていますとそういうのも分かる様になるんですよ。そういう方は所謂、猫舌と呼ばれる方が多いのです。何より…」




「何より? 何だ?」




「大事なお客様に火傷を負わす訳にも参りませんので、そう、言わば自衛の為に御座います。このような小さい店、銘様の一声で無くなりますので」




 そう言った俊光は銘の顔を正面から見つめる。


 驚いた顔の銘は栓が切れた様に笑い声をあげる。




「なんて奴だ、いや、恐れ入ったよ。…実は熱いのは凄く苦手なんだ。昔っから何故だかね。父さんでさえ知らないと思うよ。はぐれの癖に洞察力だけは一人前だな」


「滅相も御座いません。接客業をやっていればこれくらいは猿にでも出来ます。…おっと、自己紹介が遅れました、私は一宮 俊光と申します。短いお付き合いになるとは思いますが、宜しくお願い致します」


「使える猿なら雇ってやらんこともないぞ。こんな小さい店捨てて僕の執事でもどうだ?」


「またご冗談を。私如き庶民では務まりません。精々盾になるので精一杯です」




 やんわりとヘットハンティングされたのを、更にやんわりと断ると少し残念そうな顔になった銘は、目の前のティーカップを持ち、口をつける。


 おお、と感嘆のため息をあげたのを見ていたヒノも同じようにカップに手を伸ばす。




「ヒノ様、甘いのはお好きですか?」


「甘い、うん。好き…」


「ではこちらのシロップをどうぞ。少し入れますので甘味が足りなければ、残りを少しずつ入れて調節なさって下さいね」




 そういって、ヒノのカップにシロップを入れて、優しくかき混ぜる。


 両手でカップを持ち、火傷しないように紅茶に息を吹きかけているヒノを見た俊光は、少し安心した。




(トシ、ロリコンなの? そういう趣味あるなら先に言ってよね。我に飛び火したら困る)


(勝手に人の心読むな。さっき言ったけど、幼児体型には興味ないんで。お前よりヒノの方が素直で可愛げがあるね)


(聞き捨てならんぞ! 浮気は許さないからな!)


(まだ酔っぱらってんのか! しゃきっとしろ! なあ、ミコ。このヒノって子…)




 ――。そうヒノが念話を飛ばしてきた所で、銘から話しかけられた。




「ささやかとは言え、良い接待だった。そろそろ本題に入らせてもらうぞ」


「ええ、今回はどういったモノを征伐するのですか?」




 名うての十番の銘一人で征伐出来ない魔徒がこの辺りに出没しているという話は、俊光のネットワークに引っかかっていない。そんな魔徒が出現傾向にあるなら、ミコが感知して自分たちで事前に準備をしていたハズだ。


 日本の首都、東京に総本山を構える結社からわざわざ十座の一人が来る程の案件がこの辺りにあるとは思えない。




「うむ、聞いて驚け。オニレンゴだ。百足の化け物だな。かなり食っている、らしいぞ」


鬼連蜈オニレンゴ…。本当ですか? …しかし何でこんな冬季に?」




 鬼連蜈、鬼百足とも呼ばれる、 ムカデが巨大化し、何らかの手段を用いて変化した魔徒。大きさは報告例が少ない為はっきりとは分からないが、人や家畜、果ては別の魔徒を食らう事によって成長すると言われている。最大で十メートル程の個体が目撃されている。


 虫や動物を元にして派生したと考えられる魔徒は通常そのモデルの生態に沿った行動パターンが多い。今回の征伐目標鬼連蜈は、ムカデが元になっていると考えると、休眠しているハズの冬に出現するのは考えにくい。




「僕だけでいいと言ったんだけどね。やけに他の連中がお供をつけたがってさ、かと言って自分は行きたくないのか、理由をつけて断られたよ。それで丁度いい所にはぐれがいたから使ったらどうか、ってお節介な爺さんに言われてね」


「そのお節介な爺さんって、もしかしなくても典法てんほう大師ですか? 五番に居座る生臭坊主の…」


「生臭坊主とは。いい呼び名だ。本人がいないから言える呼び名だが、響きが気に入った。まあ…そうだな。あの爺さんの紹介なら腕は確かだろうし、最悪結社内から人が死ぬよりはいいって事なんじゃないか?」




 サラリと死刑宣告をされかけた俊光は下っ腹に力を入れて怒りを押し殺す。




「だとしても二人で挑むには、オニレンゴは厳しい相手です。 手数が無きゃどうにもならないでしょう」




 オニレンゴと相対して生きて帰ってきた者は少ない。


 西暦千五百年代に初めて目撃され、討伐した記録らしき物が残っているが人的被害は相当の物だったらしい。


 曰く、百足の大妖怪、鋭い牙と俊敏な動き、強靭な外殻に、強力な毒まで持つという。


 厄介な性質があり、足を切り落とすとその足が小さい百足に変化し、自立行動を始めるという。


 広範囲に人員を配置した火攻めが有効だ、という以外弱点らしき記述は無い。




「手数なら僕の使い魔とヒノがいれば問題ない」


「使い魔、というのは外のフードの魔徒ですか?」


「うん、そう。あいつを従えるのには苦労した。何せ付き人五、六人と引き換えだからね。高い買い物だったよ」


「流石に御座います。あれ程の屈強な魔徒、そうはおりません。ちなみにあの魔徒の名前は何と言うのでしょう?」


「何だ、知らんのか? アレはラカンゼンジ。とある廃寺にいたのを調伏したものだ。命令一つで一生暴れ回る化物だ」


「ふむ、羅冠禅師ラカンゼンジ。強力な魔徒ですね」 




 ラカンゼンジは有名な魔徒である。決して目を合わせてはいけない。目が合ったが最後、物言わぬ肉塊になるまで殴られて、死に絶える。


 この魔徒と相対する際は多対一に持ち込むと良い。ヘイトを一番初めにとった前衛が、ラカンゼンジを引き付けている間に他のメンバーが遠距離からの攻撃を行う。基本的に動きは直線的で読みやすいため、手練であれば一対一でも組み伏せる事が出来るだろう。


 魔徒を調伏させるには面倒な手順が多い。追い詰めた魔徒と交渉を行ない、こちらに隷属させる。その際に必要な物はその魔徒によって違う。


 強制的に陣営に取り込む術もあると言うが、反作用がとんでもなくキツいらしい。




「で、こっちのヒノは火術のスペシャリストに育て上げた」


「なるほど、オニレンゴに通ずる程の火術が、ヒノさんは使えるのですね」


「うむ。そしてこの本郷 銘。結社の術を殆ど習得した類まれなる才覚の十座がいれば、どんな状況、イレギュラーにも対処できよう」


「成程…」




 俊光には気になることがあった。


 はぐれ解魔士には結社の人間程、各地解魔に関する情報が回ってこない。その為にも自分の手に届く範囲内で起こった魔徒関連の情報は集めていた。勿論、オニレンゴの名前も知っていた。しかしやはり、現段階でオニレンゴが出現するとは考えにくい。


 と、言うのもオニレンゴのような強力な魔徒で、生物由来と考えられる魔徒には一定の出現サイクルがあるのだ。今回征伐するオニレンゴであれば十年周期で出現する傾向にあった。結社には膨大な数のデータがあり、近い内に現れるであろう魔徒が記された予報紙――日替わりカレンダーの様な物――もある。


 どういうルーティンなのかは諸説あり、どれも証拠が無い為憶測の域を出ないのだが、有力な説も何個かある。


 魔徒として成熟するまでには時間が膨大にかかる、星の位置に関係している、人の負の感情を集積して、ある一定までのレベルにまで達すると出現する、など研究者の間では様々な定説がある。




「僕が十座にいる時に周期が来るなんて、運の無い奴だよ。梅雨の時期あたりに丁度十年だから気をつけろって結社内では話題になってたの知ってる? その頃の僕はまだ座の人間じゃ無かったけど、期待値が違うからね。情報は回って来ていた」


「は、流石でございますね。…しかしやはり、おかしいのです」


「何がだ? 予報紙が外れる事なんて、日常茶飯事じゃないか。それとも冬季に活動していることが、か? そもそも魔徒が冬眠するだなんて眉唾モノの話、信じてるのか?」




 確かに予報紙の精度はかなり低い。しかし、的が外れている訳でもなくその予報紙が出回ってから半年以内にはほぼ確実に出現する。


 オニレンゴの予報に関しても、そうだった。




「…銘様、やはりおかしいのです。オニレンゴは今年の初夏に、征伐されています」




 銘の顔にはてなマークが張り付く。当然の反応である。


 強い魔徒が倒されたというのは結社内で共有されるべき情報である。それを結社のトップ層が知らないはずも無い。


 結社内の解魔士が強い魔徒を征伐した、との情報の後には『誰がやったのか』という情報が紐づく。そして予報紙も撤去され、別の魔徒の征伐に関する情報に移行する。


 そんな大ニュースを知らないはずなど無いのだ。




「そんな話聞いた事ないが…。やったのは誰だ? 他の座の者たちなら、考えられなくもないが。変な奴も多いからな。しかしそれだと予報紙が未だに出続けている意味が分からん。つまらん嘘をつくな」


「いえ、冗談でこんな事は言いませんよ。しかし確かに征伐されました。予報紙が出続けているのは、単に征伐報告がなされていないからだと思います。というか、してませんし」


「そもそも、結社の人間でもないはぐれのお前が、そんな事知ってる訳もないだろ? その口ぶりだとお前がやった様に聞こえるが? 冗談だろ? 」


「…ええ、信じてもらえないかも知れませんが。確かに私が征伐しました」




 落ち着いたトーンで、相手をなるべく刺激しないように淡々と話しを進める。


 銘は元からはぐれの能力を甘く見ていた。しかも座の人間に声がかかるような魔徒を、自分と左程歳も変わらない人間、ましてはぐれである俊光に倒せる訳がないと思っているのは、口に出さなくても分かる。


 これを言う事によって、今回の仕事に支障が出る事を俊光は危惧していた。


 予想外すぎる情報の為か、銘は固まってしまった。この反応だと次に口を開いた時に質問攻めに合いそうだ。


 俊光は捕捉を付け加えるべく、口を開く。




「大見得を切っておいて何なのですが、その個体まだ成熟する前だったのか、かなり弱かったんですよ。…もしくは誰かと戦った後で、ダメージを負っていたか。特性はオニレンゴでしたが、本物という確証もなく。しかも結社の人間ではない私が報告をした所でとりあってもらえるかどうか…。この話をしたのは銘様が初めてです」


「…フン、成程な。ラッキーパンチという奴か? しかし俄かには信じられんな」


「私も銘様の立場でしたら、その様に考えると思います。ですから、お話するか迷っていたのですが」




 真っ向から否定しない所を見ると、俊光の捕捉に納得できる部分が多かったのだろう。




 ダイレンゴはミコと俊光が出現を察知してすぐに征伐に向かった。しっかりと準備をして臨んだ戦いだったが、意識が無くなる程激しい戦闘だった。


 凪いでも凪いでもキリの無い足、鋼の様に固い外殻、強靭な大あごは大地を抉り、二本の牙からは強毒型の酸を発射する。ミコのサポートが無ければ到底勝てなかった相手だ。


 魔徒には体の何処かに『核』と言われる器官がある。魔力の貯蔵庫だとか、現世に顕現する為の負力の器だとか言われているが、要は魔徒の心臓である。


 核を砕いてしまえば魔徒は消滅する。ダイレンゴの核を砕いたのも間違いなく俊光だった。




「調伏、は難しいか。虫ケラに言葉を理解する機構なんざ無いだろうしな。触媒も贄くらいしか思いつかん。…では核を砕いたのだな」


「ええ。時間はかかりましたが。ギリギリの所で。信じて下さいますか?」


「…ここで嘘をつく意味が見当たらないし、一旦お前の話を信じるとしよう」




 俊光は少し戸惑いを覚えた。意外な反応が返って来たからである。


 銘の様なタイプの人間は、立場が下の者が理解できない事を言うと、一切合切を切り捨てて自分の意見を通すものだと思っていた。


 この短時間で俊光の印象が良くなっているのは確かだ。しかし俊光の解魔士としての実力に関しては低く見積もっている。




(コイツ、ここまで出世出来たのラッキーパンチだったんじゃねーの? 思い当たるフシがあったから認めざるを得なかった、とかか)




「有難うございます。話を元に戻しましょう。オニレンゴが再度出現するとすれば、対策を練り直した方がいいかと思います。あまりにも不自然な点が多い。こういうイレギュラーな出現には厄介ごとがセットで付いてきます」


「…」




 考え込んでいる様子の銘は眉間に皺を作って黙り込んでいる。


 オニレンゴの脅威度も鑑みると、小隊規模の応援がいてもいいくらいだと俊光は考えている。


 俊光が征伐した個体でも大きさが十メートルを超えていた。大きさに比例して戦闘力は上がる。これはどの魔徒でも共通する。




「出来れば、小隊…。いえ、万一を考えて他の座に応援を――」


「却下だ!」




 銘の大声に俊光の提案は遮られる。隣にいるヒノの表情は変わらないが、肩が大きく揺れていた。




「それだけは却下だ。…頭に乗るなよ、はぐれ。お前の話を信じるとは言ったが、口出しを許した覚えはない。それに…何だ? その、あたかも僕が奴に勝てない前提の話は? 下らん。弱った状態とはいえ、お前みたいなのにも倒せたんだ。お前より強い僕に勝てないはずが無いだろ?」




 銘の顔には先ほどまでの余裕は無くなっており、どこか焦っている様に見える。


 顔の前で組んだ手は落ち着きが無く、貧乏ゆすりをする始末。


 銘には銘なりの仕事の矜持があるのかも知れない。


 しかし俊光は安全面の話をしているのだ。確実に何らかのイレギュラーがありそうな場所に赴くのに、無策では対処が難しくなってしまう。


 話せば分かる、というのは先ほどのやりとりで分かった俊光は、説得をするべく口を開こうとする。――しかし、その言葉は紡がれる事は無かった。




(トシ! 近いよ! 魔徒の反応! 何このサイズ…前より大きい、しかも…)




 不意に、その時は訪れた。ミコの念話を聞いた数秒後、結界を突き破るかの様に明らかな異形の力の反応が現れた。


 ビリビリ、と大気が揺れている。脳が危険を察知し、嫌な耳鳴りが聞こえ始める。店の照明はチカチカと明滅し、地鳴りと共に揺れが起こる。




「来たか、行くぞ」


「待って下さい! 銘様、やはりおかしいです! こんな街近くに、オニレンゴが出現するワケ――」


「会議は終わりだ。オニレンゴを始末すればいいんだろ? …すぐに終わらせるよ。この僕がね」




 そう言った銘はヒノを連れて足早に外へと出ていく。外に待機していたラカンゼンジの元まで銘が移動し、三人の姿は瞬きをする間に掻き消えていた。




「クソ! 何がどうなってやがる! ミコ! 俺らも出るぞ!」




 サロンを外し、外に出ようと駆け出した俊光の足をミコが止める。




「ちょっと! 落ち着きなさい!」




 扉の前に現れたミコは両手を広げて行く手を阻む。




「議論してる時間は無い! 人里にあんなもんが出てみろ! どんだけの人間が死ぬと思ってる!」


「違うの! 反応は、! しかもさっきのより大きい個体!」




 十二月二十五日、時刻は二十六時過ぎ。二体の鬼を冠する蜈蚣ムカデが、街へと現界した。


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