バフタイズ

煙ちゃん

第1話「ようこそ、Bar baptizeへ」

 日本の地方都市森岡市、大きな繁華街のあるメインストリートから一本外れた小さな商店街の雑居ビルの二階。


 欅の木で作られたドアはやや威圧感があり、入ったことが無い人からすれば気軽に入れる物では無い。その扉の真ん中にあるシルバープレートには「OPEN」の文字が見える。


 十二月二十四日。時刻は午後八時30分過ぎ。


 世間はクリスマスムードで、赤と緑の照明や装飾が街を飲み込んでいる様にも見える。繁華街に近い場所にあるここBAR Baptizeの窓からは、腕を組んで歩くカップル、プレゼントを抱えて歩く子供などクリスマスを楽しむ人が見える。


 お世辞にも大きいとは言えないこの街に、人がこんなにいるのは珍しい。


 そんな下界――ここが二階なので大げさかも知れないが――を見て店主は顔をしかめて客の女性に愚痴をこぼす。




「クリスマスとかいう文化早く無くならないかね? キリストだって二千年も自分の誕生日を祝われても嬉しくねーと思うんだよな。ほら、誕生日が来て喜ぶのってガキだけだろ? そもそも日本人は…」




 カウンターの中でグラスを洗いながらマスターである一宮いちみや 俊光としみつが呪詛の様に愚痴を連ねていると、呆れ顔の女性は店内の赤と緑の装飾に視線を送りながら答える。




「また、マスターはそんな事言って。店の中めっちゃ浮かれてるじゃん。装飾もそうだけど、何? この有線。クリスマスメドレーのチャンネルとかあるわけ?」


「いや、俺は反対したよ? 勿論。でも、まあなんだ、そういうのが好きな上司がいてな…。雇われの辛い所なんすよ。あ、志保さん、おかわりどうする?」




 そう声をかけられた女性は丁度空になったグラスを置いてスマホに目線をやる。




「んー、そうだな。じゃあ…」


「そろそろカンパリの時間かな、クリスマスに毒されてなきゃ、だけど」




 そう言いながら俊光は手際良くコリンズグラスに氷を入れ始める。


 志保は少し笑いながら首を縦に振り、肯定の意思表示をした。




「クリスマスなんてただのOLには普通の日と変わんないよ。むしろ独り身で実家暮らしの私には厳しい日だよ。飲みに誘ってくるのは冴えない上司か無個性な同僚、行った所で傷の舐めあいか、会社の愚痴でしょ? 一応特別な日だって自覚あるだけに、余計行きたくないよね」


「誘ってくれる人いるのに断ったの? ウチに来てくれるのは有難いし、こう言うのも何だけどさ、婚期とか大丈夫なわけぇ? 志保さん、可愛いのに行き遅れちゃうよ? はい、カンパリソーダ。炭酸きつかったらマドラー使って炭酸抜いてな」


「いっつも一言余計なのよね。接客スキルは高いのに、なんでそう無神経な事言えるの?!」




 志保はBaptizeの近くに住んでいる女性で、常連客の一人である。


 年齢は二十三歳、身長は百六十センチ程で、暗めの茶髪。髪は胸くらいまでの長さで、タイトな黒のパンツスーツを着用している、誰が見ても仕事の出来る女OLを体現した見た目をしている。


 気心の知れている相手にはオープンだが、会社では高嶺の花のような扱いをされているらしく、そのイメージを壊さないように気を付けている為、心労が溜まっている様だ。


 顔は目鼻立ちが整っており、バランスが良く、ナチュラルメイクで男女共に羨望の的になっている。




 薄い赤色の、カンパリソーダを一口飲み、マドラーで炭酸を抜きながら志保は下を向きながら小さい声を落とす。




「大体こんないい女が一人で飲みに来る理由とか、考えたりないのかしら…。そりゃあ、少しは私も恥ずかしいから面と向かって言ったことなんて無いけどさ? まあ、『お得意様がお酒好きな人多くて、勉強したいから来てます!』なんて言った私が悪いのかも知れないけどさ?」


「志保さん? 炭酸キツかった? それとも何? クリスマスの呪いと自分を取り巻く環境が寂しすぎて悲しくなっちゃったとか?」


「うるさいなキミは! 炭酸がキツかっただけだよ!」




 二人が和やかに談笑していると、一人の男性が椅子から立ち上がり、二人の方へと歩いてくる。


 灰色のスリーピースのスーツを上品に着た初老の男性で、手にはダーツが握られている。


 スーツの胸ポケットからは折られた青色のハンカチが入っており、それも相まって気品のある紳士の様な雰囲気だ。


 年齢を感じさせない、しかし低い心地の良いトーンで俊光と志保に声をかけた。




「横からごめんね、マスター。 ダーツやるから両替してもらえるかな?」


「そろそろ来る頃だと思って用意してましたよ。ミーさん。今日は勝たせてもらいますからね」




 初老の男性は柔らかな笑みを浮かべた後に志保に声をかける。


 俊光は百円玉を十枚ミーさんと呼ばれた男性に渡して、カウンターから出てホールに出る。


 ダーツマシンの横に置かれた自分のダーツを取りに行った様だ。




「志保ちゃん、君もやるかい?」




 ミーが志保に声をかけると、少し考えた後に志保が答える。




「うーん、じゃあ、ハイ! ご一緒させてもらいます!」




 また満足そうな笑みを浮かべたミーは百円玉を三枚取り出した後に、自分の飲み物を持って歩きだした。




「そっかそっか。じゃあ行こうか」




 二人はBaptizeの常連で、週に二、三回は顔を合わせる。


 ミーはダーツが非常に上手く、大きな大会で優勝した事もあるらしい。


 色々な知識を持っていて、彼と話すだけで賢くなった様な気すらする。


 他人に対しての礼儀や作法も洗練されていて、しかし堅苦しくなく、傲慢でも無い。誰もが目指す大人の様な人物だ。初めは警戒した志保だったが、何度も顔を合わせる内になんとなく話す様になった。


 初めは打算的な付き合いをしようと思っていたが、彼の話す話題や知識は社会人にとって有益であり、知的好奇心もくすぐられる。それでいて論理もしっかりとしているので、話せば話すほどに引き込まれていくのだ。




「志保ちゃんはダーツ持ってなかったよね?」


「ええ、そんなにやらないのでいいかな、と…。やっぱり持ってたら上手くなりますかね?」


「うん、そうだね。上手くなりたいなら持ってた方がいいと思うよ。ハウスダーツだとシャフトとかフライトが壊れているものもあるからね。それだと練習しても自分のスタイルが掴めないまま、上達しなかったりする。そうそう、マスターも上手くなりたい、って言ってマイダーツを買った訳だからね」


「そ、そうなんですね。じゃあ私も買って練習しようかな…」




 ダーツマシンの前に到着した二人はトシのダーツ談義に花を咲かせながらスローライン――ダーツを投げる場所を示すラインがある場所――の横にあるテーブルに各々の飲み物を置く。


 ミーが心底愉快そうに笑う。




「マスターをダシに使うと志保ちゃんは本当に良い反応をするよね」


「へぁ!? な、なんスかミーさん!」


「そんな三下みたいな喋り方だったかな? ふっふっふ、いや、ごめんごめん。おじさんになるとつい若い子をからかいたくなってね。お詫びに志保ちゃんのダーツ僕が買ってくるよ。どうかな?」


「い、いりません! どうしてこの会話の流れでそういう事言うんですかっ! 断るしかないじゃないですか!」




 くつくつと笑うミーに対して、不意を突かれ慌てる志保。心なしか顔も赤くなっている気がする。


 そこにダーツを持った俊光が帰って来て、志保とトシに声をかけた。




「志保さんもやるの? あれ? 何か顔赤いけど酔っぱらってんの?」


「違っ、悪い?! ミーさんに誘われたの! 酔ってないし!」


「そうそう、僕が誘ったらやるって言うから。顔が赤いのは別の理由かな? ふっふっふ」


「…ミーさん、ミーさん! こーいう小娘が趣味だったんすか? 何? 口説いてたとか?」




 こういう構図になると徹底的に志保がイジられる。ミーは志保が俊光に好意を持っている事を感付いている事からそれをからかう。俊光は理由も分からずにその流れに乗っかってくるので更に質が悪い。


 少なくともアルコールが入っているので、最悪酔ったふりをして逃げてしまう事も出来るのだが、志保のプライドがそれを許したら負けると叫んでいる。




「いやいや、実はそうなんだけどね、フラれちゃった。プレゼントも拒否られておじさんショックだよ。他にいい人がいるみたい」


「何ぃ! 聞き捨てならんな! 誰だその幸せコンチキショーは! うちの看板娘はやらんぞ!」


「そんな人いないしココの看板娘になった覚えもないわよ! …はあ、ちょっとお手洗い行ってくる…。その間におかわりお願いしていい? あ、同じのでいいよ」




 ツッコミで乾いた喉を潤す為にカンパリソーダを飲んだ志保はトイレに逃亡する事を決めた。


 後ろでは男子中学生が使う女子を冷やかす野次の様な声を俊光があげて、それを見たミーが笑っている。


 冷やかされているのは分かっているが、志保の顔には幸せそうな笑みが浮かんでいる。




(やっぱ、好きだな。ココ)




 自分が無理をせずにいれる場所が少ない志保にとってBaptizeは特別な存在になっていた。俊光に好意がある、という事は除いても美味しいお酒に料理、仲の良い顔見知りがいる、それだけで人は幸せな気持ちを噛みしめる事もあるのだ。


 そう思いながら店内を見ながらトイレへと移動する。


 BAR Baptizeは多くの客で賑わいを見せていた。八席程のカウンターも埋まり――ほとんど常連客だが――、あとはテーブル席が空いているだけ。そこには金色のプレートに刺繍の様な文字で「ご予約席」と書かれていた。




(そういえば、この席っていつも予約席よね。その割に誰かが座ってるの見たことないし…。マスターの事だから「団体客なんか入れても片づけが面倒くせー。どうせこねーだろうから使ってない」とかなんだろうけど)




 店を預かるものとして、それはどうなのだろうか少し考えた志保だったが、特に気にも留めずに入口の横にあるトイレへと向かった。






 ダーツ対決はミーの圧勝で幕を閉じた。カウントアップで戦ったのだが、ブルやトリプルを連発し、これでもかとロートン、ハイトンを出し続けるトシを二人はただ関心して眺めるだけになってしまった。


 その後も世間話やミーのクリスマスの起源の話や、俊光のクリスマスダメ、ゼッタイ論発表、志保イジリなどで時間は過ぎ、十二時を回ろうとしていた。




「っと、ミーさん志保ちゃん。悪い、そろそろラストオーダーだけど、どうする?」


「あ、もうそんな時間なの? ごめんね。遅くまで、もう帰るからチェックで」


「マスター、僕もお会計ね。カードで頼むよ。そういえば、あそこのテーブル席、ご予約でしょ? 結局来なかったね」




 ご予約席、と書かれた金のプレートが悲しく光るテーブルを見ながらミーがクレジットカードを差し出す。


 カードを受け取り、端末を操作しながらバツの悪そうな顔で俊光が答える。




「本当っすよ。予約あってバックレられるって飲食店からしたら結構キツイっすよ。はい、ミーさん。これサインお願いします。いつもありがとうございます」


「とか言って、マスターの事だから面倒だからテーブル潰してるだけなんじゃないの? 私は店主として売り上げロスを作るのはどうかと思うけどねー?」


「バッカ、志保さん。この店の坪効率の事しか考えてないこの俺がそんな理由で使わない訳ないじゃん。あんのよ、ホントに、予約、今日は」




 今日は、の部分だけ小声になっているのを見ると、概ね志保の考えは当たっていたらしい。




「やっぱり団体客めんどくせー、とか思ってるんでしょ?」


「ハッ、何を言うのかこの小娘は…。ねぇ、ミーさん。売り上げを上げるためにやらなきゃいけないのは団体客のリピーターを増やす事! 団体客はただ仲間と一緒にいるだけで無限に酒飲んでくれるから相手しなくていいし、フードだって人数分出る。何よりテーブルチャージという魔法もあるしな。単純計算、一卓二倍、三倍とれるんだから有効に使わない手はないね」


「うんうん、その通りだね」




 ニコニコと笑みを浮かべ肯定するミーだったが、志保は疑いの眼差しを投げるのをやめない。




「えー、ゼッタイ嘘。どんな人が来るのさ? 知り合いなの?」


「あー、まぁ、前の仕事先の同僚かな。特別延長しなきゃいけないくらいには、なんつーか、重要なお客さん? っていえば良いのかな。金払いもいいし。多分」




 歯切れの悪い俊光の回答に満足していないのか、訝しげな顔をした志保は時計を見ながら、俊光に話しかける。




「はいはい、一人客で長居する典型的メンドクサイ常連ですいませんねー。…はい、お会計、ご馳走様」




 バックから取り出した長財布から一万円札二枚を取り出した志保は、俊光に会計の金額が書いてある紙と共に手渡した。




「志保さん。酔っぱらってんの? お会計八千九百円って書いたじゃん。何? 送ってってあげようか?」


「バッ、違うわよ! ボトル無くなったから新しいの入れといてって意味! あとお釣りはいいから! 何か美味しいものでも食べて! …それじゃ、私は帰るね。ミーさんも。ダーツ楽しかったです! またご一緒させて下さい!」


「お、おい、志保さん、悪いってこんな…」




 志保がいつも飲んでいるボトルは二千円で、会計と足せば一万円では足りないが、それでもお釣りの金額は多くなってしまう。


 俊光は年下でもあるお客さんからチップをもらった事がなく、少し取り乱してしまった。


 彼の中でお客さんは神様だ、という考え方は無い。というより、対等な立場であると定義しているので、自分がしたサービス以上の金額を取る事も無ければ、安くすることも無い。


 たまに年配の常連さんや、接待などで使ってくれる人から貰う事はある。それはその人達の慣習であり、マナーであると考えて受け取る。




「ほんとにいいから! 楽しかったお礼ってことで。マスター、ミーさん、メリークリスマス。また来るね」




 茶色いロングコートと白いマフラーを着た志保が、そう言って店を後にした。


 返そうとして追いかけようとするが、外に出た志保を追いかけて足を止めさせるのもどうかと考えた俊光は頭をかきながら渋々とレジにもらった金を入れる。




「ふふ、いい子だね。志保ちゃんは。マスターと歳も近いんだし、お互い独り身同士。どうだい? そろそろ夫婦経営なんてのを視野に入れてみたら?」


「本人がいないところでこんな事言ったらアレですけど、志保ちゃんの働いてる会社、広告代理店の大手っすよ? 良い男なんざゴロゴロいるでしょうよ。本社勤務の話あったって言うくらい有能みたいだし、場末のバーテンの俺なんかじゃ釣り合わないっすよ」


「ふっふっふ。僕から見たらお似合いだけどね」




 カウンターに置かれたミーのスマホから音楽が流れる。


 カフェなどで流れている様なクラッシックジャズの音がクリスマスのBGMを上書きする。




「おっと、僕も迎えが来たみたいだから帰るね。この後も、あるんでしょ? 程ほどにね。現金持ち歩かない主義なもんで、チップあげられなくてすまない」


「勘弁して下さいよ。ミーさんにはいつもご利用頂いてるだけで充分です。…あんにゃろう、変な空気だけ残して帰りやがって…」




 恨み節を炸裂させる俊光を見たミーはいつもの笑みを浮かべて、席を立った。


 仕立ての良さそうな黒いチェスターコートを羽織り、黒い手袋をはめて扉に向かって歩を進める。




「じゃあマスターまた。メリークリスマス」


「はい、いつもありがとうございます、ミーさんも良いクリスマスを」




 俊光はその場で頭を下げて、ドアが閉まる音がしたのを確認すると、一息ついた後にカウンターの片づけを始める。


 グラスと食器を下げて、カウンターをダスターで拭き上げ、アルコールを吹きかけて乾いたダスターで仕上げをする。


 有線を止めて、看板の電気のスイッチを消す。いつも通りの閉店作業を行っている。


 無音の店内には俊光が作業する音だけが響く。俊光はふと、何かを思い出した様に、虚空に向かって話し始めた。




「ミコ、酒ばっか飲んでないで周りの警戒しろって。人払いは終わってんだろうな?」




 店内に人影は無い。洗っているグラスから視線を動かさずに俊光は続ける」




「もう誰もいねーだろ。出て来いよ神様」




 そう言った瞬間、予約席から光が漏れ始める。ふわふわと漂っていた無数の光の粒が集約して、一個の人影を形作った。


 大多数の人間であれば急に光が漏れだした所で視線はソコに固定され、好奇心や不安で顛末を見守るであろう光景が広がっているが、俊光は気に留める様子も無く、淡々と作業をしている。


 何もない所に光が集まり、一際大きな光源が明滅した。そして聞こえてくる、年端も行かぬであろう少女の声。




「何よ! 何よ! トシったら一人でクリスマス満喫して! 我にも構えよー! そもそも我の信徒であるトシがなーんでクリスマスなんて祝うんだよー! うわぁぁぁぁぁぁ! 」


「もう出来上がってんじゃねえよミコ! うわっ、酒くせぇ!」




 光の渦から顕現したのは明らかに酔っぱらっている少女の形をした何かだった。


 頭には二本の角が生えていて、白と黒のツートンカラーの髪の毛を頭の上で纏めている。


 大きい赤い瞳を持ち、人懐っこい小動物の様な印象を受ける。今は酔っているのか赤い瞳にいっぱいの涙を浮かべて、泣きながら俊光に縋り付いている。


 身長は百四十センチ程で、体型はオーバーサイズの巫女服を着ているため分からない。




「その絡み上戸、なんとかなんねーのか! ついでに離れろ! おえっ、匂いだけで酔いそうだ…」


「なんなんだよぉぉ! 神様に向かって離れろとか言うなよぉぉ…。寂しかったんだよぉぉ! 相手しろよ! オラァ!」


「急にキレんな! 神様なら少しは神様らしい態度をしろ!」


「バーカ! トシのバーカ! ロリコン! ロリコンになれ! ほーれほれ、トシの好きなロリがここにいるぞー?」




 急に甘い声色に変わり、先ほどまでと違って妖艶な雰囲気を醸し出し始める。


 心なしかブカブカの道着も着崩れてきていて、その手の趣味の変態には大変なシュチュエーションになっている。


 ミコと呼ばれる少女は俊光の手を取り、指を淫靡に絡める。潤んだ赤い瞳で俊光を見上げるが、全く意に介していない様だった。視線を一瞥もくれることなく、俊光の冷たい声がミコの頭上に落ちてくる。




「俺幼児体型には興味ないんで。あと邪魔すんな! いい加減酔い覚ませ!」


「ばぁぁぁぁぁぁぁ! 嫌いだ! 嫌い! トシなんて嫌いだ! …でも好き。大好き。ね、お墓、一緒しよ?」


「だから情緒どうなってんだお前! 一周通り越して笑うわ! あー! もう、志保さんからチップもらったけどお前にはなんもやらんからな!」


「あの女にもらった金なんて、捨てて、粉々になるまで踏みつけて、それをヤギの餌にでもしてしまうののがいいのではなくって?」


「今日は特別ぶっ飛んでんな! キャラもそうだけど色々やべーぞお前! 石油王の嫁みてーな事言ってんじゃねーぞ!」




 看板の消えた店内で騒ぐ男と少女。


 男は一宮いちみや 俊光としみつ


 BAR Baptizeの店長兼経営者、二十七歳独身。趣味は読書と自分探し。特技は何処でも寝れる事。


 魔徒まとと呼ばれる異形、妖怪、怪異、怨霊などの類を相手取るプロフェッショナル、解魔士かいましとして人知れず活動している。


 少女はミコ。人間の年齢にして十五歳程の外見ではあるが、神である。


 年齢は不詳――本人曰く二十歳――独神。趣味は人間観察と祝福の加護。特技はすぐに酔える事。


 解魔士として活動する俊光の信仰すべき対象であり、俊光を守護するもの。


 神格は低くマイナーな神でそれをコンプレックスに感じている。非常に酒に弱く、酔うと色々なレパートリーで俊光に襲い掛かる。


 平常時は真面目で勤勉、だらしのない俊光を窘め、叱る事もあるが、一度酔うと手が付けられない。


 ここBAR Baptizeはそんな俊光とミコの拠点にもなっている。




 騒がしい店内を他所に、外は無音。雪が降り積もる音さえ聞こえて来そうな程、人の往来もなければ、車の通る音もしない。


 一通り言い合いをした後に、俊光は泣きながら暴れるミコを好物であるチョコで落ち着かせながら、口を開く。


 良いように、子供をなだめる様に扱われた事が気に入らないのか、テーブル席のソファに小さく纏まって、チョコを頬張りながらむくれ顔で俊光を睨んでいる。




「にしても、もう約束の時間過ぎてるぞ。ホントに来るのかよ…。さっきの予約バックレの話、現実になんじゃねえの? …まあ、それならそれで大歓迎なんだがよ。どーせ厄介ごとだろうしな」


「んぐんぐ。…そういえばトシ、誰が来るのかしら? 結社の人間?」




 結社というのは、善道ぜんどう解魔結社かいまけっしゃの略称だ。


 各都市に支社があり、全国に解魔士を擁する団体だ。強力な魔徒による人的、または公的被害から人間を守護する名目で設立された。


 結社が雇う解魔士には実力、知識、家柄、経験などを考慮して番号が与えられている。


 数字が少ないほど知名度が高く、結社内でも重宝されて、重要な案件が回ってくる。




「おう、爺の知り合いの補助を頼まれた。しっかし、そいつがまた厄介な――」




 そう俊光が言いかけた所で、二人の会話が止まる。ミコも先ほどのキャラブレ状態から、冷静な顔つきになる。


 BAR Baptizeの周りには人の目に見えない結界が張られている。解魔士の縄張りを示す様な物で、解魔士やそれに関係するモノ達には認知出来る。


 結社の人間は規律と礼儀が重んじられている。他の所属の解魔士の縄張りに入る時は何らかの形でコンタクトをとる。


 コンタクトの取り方は一つでは無いが、分かりやすい物が多い。例えば家鳴りの類――部屋に何も無いのに音がする――や念話と言われる解魔士同士で使われるテレパシーの様な物が一般的だ。




「入ったわね。何? この人。挨拶も出来ないわけ?」




 礼儀作法と言うのは人にも神にも大事な物だ。特に今回の様なケースは。


 解魔士に限った話では無く、どの業界、どの世界、どの時代でも他人を尊重する文化というのはある。




「ノックも無しに我ん庭ちに土足で入って来るとか、何? これ、舐められてるわよね? トシ、気を付けなさいよ。…ひー、ふー、み、三人来るわ。気配からして人間は二人。我はいつも通りサポートに回るから」


「あー。まあ、こうなるって分かってたよ。今回はな」


「…後で説明してもらうからね?」




 そう言って青筋を立て怒りに燃えるミコは再び姿を消した。


 今回、結社にいる知り合いからの依頼は、今から来る人間の解魔の補助である。


 その人物というのが一癖も二癖もありそうな人物なのだ。


 十座じゅうざと呼ばれる結社内で十本の指に入る実力者達。結社の中での発言力は勿論、富や名声といった副産物も舞い込んでくるポジション。


 その十座の末端の席に史上最速、最年少で上り詰めた青年がいる。今回来る人物はその彼なのだ。




「真っすぐこっちに向かって来てんな。さて、お出迎えの準備でもしますかね」




 キッチンに立ち、カップを三つ用意する。ケトルを取り出し水を溜めて火をかけ、お湯を沸かす。


 カップにお湯を注ぎ、しばらくしたらそのお湯を捨てる。器を温める為だ。


 仮にも結社の依頼人、失礼があっては俊光の看板、Baptizeに傷がついてしまう。




(どんなクソ野郎でも、形式上の歓待はせにゃならんからな)




 準備を進める俊光の耳に、外の階段を登る音が聞こえた。




(ん? 二人分の足音しかしないな。 …ああ、見張りに一人置いて来たか。チャージとれねえじゃねえか!)




 そんなどうでもいい事を考えながら窓の外を見ると大柄な屈強な男が仁王立ちしているのが見える。


 顔はフードを被っているので見えないが、その下から覗く獰猛な眼光は確実にこちらを捉えている。


 外は氷点下だと言うのに、素足で立ち、身震いの一つもなくこちらを監視している。




「寒そうだなアイツ。…っと、来たか」




 ドアが開き、ベルの音が響く。


 外に立つのは俊光より一回り背の低い眉目秀麗な出で立ちの薄い笑みを浮かべる男。


 髪は暗い蒼色で、短髪で清潔感がある。


 煌びやかな白いファーが印象的なアウターを着ており、ミーさんの様なスリーピーススーツを着込んでいる。しかし、腰には現代社会で滅多にお目にかかれないレイピアが三本。高そうな宝石や装飾の鞘にそれぞれ収納されている。


 その後ろには彼に隠れて、小さな女の子が控えめに立っていた。


 赤い髪の生気の感じさせない虚ろな眼が印象的な子だ。




「ようこそ、BAR Baptizeへ。お客様、寒い中ご足労頂き、ありがとうございます。お席ご用意しております。こちらへどうぞ」

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