番犬は鼻が利く
@smile_cheese
番犬は鼻が利く
私の趣味は観察である。
それも、人間ではなく幽霊の観察だ。
父親譲りの才能で幽霊が見えるサングラスを発明した私は、この世に未練を残して成仏しきれずにいる幽霊たちのことを日々観察している。
そして、時には幽霊たちの声に耳を傾けることもあった。
そんな私のことが幽霊たちの間で少し噂になっているらしい。
とある日、行きつけのカフェテラスでいつものようにミルクティを飲みながら、発明のアイデアを練っていた私に背後から幽霊が話しかけてきた。
『あなた、茉莉さんですよね?』
その幽霊は見た目が40代くらいの女性で、小さな犬を連れていた。
もちろん、その犬にも足がなかった。
このサングラスは幽霊を見ることはできても、幽霊の声まで聞こえるようにはできていない。
しかし、どういうわけか幽霊が見える者にはその声も届くようになっているらしい。
天才科学者である私でさえ解明できない現象というのがこの世には存在するのだ。
(そうだけど。あなたは?)
『見ての通り、私は幽霊です』
(見えるはずのない幽霊が見ての通りだなんて、おかしなこと言うわね)
『あなたは見える方だと伺ったので』
(それで?幽霊のあなたが私に何のご用かしら)
『息子を助けて欲しいのです』
(息子さんを?)
『息子は今日の22時59分に自殺します』
私はこの幽霊の言葉に耳を傾けてしまったことを後悔した。
面倒なことに巻き込まれそうな予感がしたからだ。
(なぜそう言い切れるのかしら?)
『私は見てしまったのです。ケルベロスの持っている"命の手帳"を』
(ケルベロス?命の手帳?あなたは一体なんの話をしているの?)
『信じてもらえないかもしれませんが、ケルベロスはただの神話ではなく確かに存在しているのです。そして、ケルベロスの持つ手帳には地獄に堕ちる者たちの寿命が記されているのです』
(そんな手帳が存在しているかはこの際どうでもいいわ。あなたの息子さんが地獄に堕ちることは決定しているの?)
『はい。どんな理由があろうと、自ら命を終わらせる行為はそれだけで地獄行きなのです。私がそうでしたから』
(嫌なら答えなくてもいいわ。あなたはなぜ自殺なんてしたの?)
すると、その幽霊は連れていた犬の幽霊をそっと撫でた。
『この子が死んでしまったことがショックで。息子も私も家族同然のように可愛がっていましたから』
(なるほどね。それで手帳を見たあなたは息子さんが後追い自殺するんじゃないかと思って何とかして止めようと私のところに来たのね)
『その通りです。幽霊の私では息子を止めることが出来ませんから』
(もしも、私が引き受けなかったら?)
『残念ですが諦めるしかないでしょう。そして、あなたのことを呪うでしょうね』
やっぱり耳を傾けるべきではなかった。
私はただ静かに幽霊を観察したいだけなのに。
冗談じゃない。
(呪われるのだけは勘弁よ)
私は仕方なく幽霊の指定したマンションの屋上へと足を運んだ。
私が物陰に身を潜めて待っていると、予定時刻の30分前に一人の男性が現れた。
男性の目は虚ろで、どこか遠くを見つめていた。
まるで、死後の世界を見ているかのように。
男性は真っ直ぐとフェンスの方へと近づくと、そのフェンスをよじ登ろうと手をかけた。
「待って!」
私は慌てて男性に声を掛けた。
「君は、誰だ?」
男性は不審者にでも出くわしたかのような表情で私を見てきた。
マンションの屋上に隠れていたんだから無理もない。
回りくどいのは嫌いだから私は男性に事実をありのままに伝えることにした。
「あなたのお母さんに頼まれたの。息子の自殺を止めて欲しいって」
「何を言ってるんだ?僕の母親はもう死んでいる」
「知ってるわ。自殺したのよね?私、幽霊と会話ができるの。あなたのお母さんとも話したわ」
「ふざけているのか?」
男性は少し怒った表情で私のことを睨んだが、フェンスからは手を離していた。
「あなた、犬を飼っていたでしょ?」
「どうしてそれを」
「その犬の幽霊にも会ったのよ。あなたのお母さんはその犬の死がショックで自殺してしまったって言ってた。けど、あなたのことが心配で私を訪ねてきたのよ」
「母さん…」
もう少しで説得できそうだと思った私は話を続けようとした。
『勝手なことをされては困る』
私は驚いて周りを見渡した。
私と男性以外には誰もいない。
けれど、どこからか声が聞こえてきたことは確かだ。
『どこを見ている?ここだ』
まさかとは思ったが、私は声のする方を見上げた。
これは夢なのかと、私は自分の目を疑った。
なんと、スーツ姿の長身の男性が空に浮いていたのだ。
足があるということは、幽霊などではない。
考えられることは一つだ。
「あなたがケルベロス?地獄の番犬…」
『ほう、私を知っているのか』
ケルベロスは私を見下ろしながら不適な笑みを浮かべた。
「思っていた姿とは違うのね」
『頭が3つある大きな犬の姿を想像していたか?確かにその姿が本当の私だ。しかし、人間の姿の方が便利なこともあるのでね』
そう言うと、ケルベロスはゆっくりと屋上へと降りてきた。
「な、何なんだ!あんたたちは!」
男性はひどく取り乱した様子だった。
いきなり目の前に幽霊の話をする女と空から男が現れたんだから無理もない。
ケルベロスはその男性にゆっくりと近づいた。
「く、来るな!」
男性は再びフェンスに手をかける。
『そうはいかない。時間だ』
ケルベロスはさらに男性に近づく。
このままでは不味いと思った私は声を張り上げた。
「待って!まだ時間まではあと10分あるはずよ!そうでしょ?」
時計の針は22時49分を指していた。
あの幽霊から聞いた時間にはまだ早い。
この10分の間になんとかしてあの男性を助けなければならない。
しかし、そう考えていた私の思いに反してケルベロスは男性の体を掴むとフェンスにグッと押さえつけた。
「止めて!」
『ダメだ。手帳の時間は書き換えられている』
「え?」
ケルベロスの目が一瞬、真っ赤に光ったように見えた。
そして、男性はフェンスごと屋上から突き落とされてしまった。
「いやああああああ!!!」
私はたまらず目を逸らした。
これまで幽霊はたくさん見てきたけれど、人が幽霊になる過程を見たのは初めてだった。
私はしばらく震えが止まらなかった。
「書き換えられたってどういうこと?」
『人の寿命など、きっかけさえあれば常に書き換えられるように出来ている。ただそれだけのことだ。私は今からあの男の魂を地獄に引き渡す。それが私の仕事だからな』
ケルベロスは背中を向けると私の前から立ち去ろうとした。
「待って。あの人は地獄になんか行かないわよ」
『どういうことだ?』
「だって彼の死因は飛び降り自殺ではないもの。あなたが突き落としたんだから。自殺じゃなけれぱ地獄には堕ちないんでしょ?」
これが男性の命を救えなかった私に唯一残された抵抗だった。
それを聞いて、ケルベロスは深くため息をついた。
『呆れたものだ。君は何も分かっていないんだな』
「どういうこと?」
『私は番犬だ。鼻が利く。あの男からは犬の匂いがしたんだよ』
「犬の匂い?そりゃあそうよ。彼は犬を飼っていたんだから」
『血の匂いなんだよ』
「え?」
『あの男に染み付いていたのは犬の血の匂いだ。あいつは犬を殺していたんだよ。それも1匹どころじゃなく、何匹もだ』
「そ、そんな…」
『だから言ったんだ。勝手なことをされては困ると。あいつは自殺しようが何しようが地獄行きは決定なんだよ』
そう言い残すと、ケルベロスは私の前からスッと姿を消した。
その瞬間、全身の力が抜け、私はその場に座り込んだ。
もうこんな面倒なことに巻き込まれるのは御免だ。
二度と幽霊の頼み事なんて聞くものか。
あの幽霊は全てを知っていて私に近づいたのだろうか。
息子が犬を殺していることを知りながら、それでもなおその命を助けようとして。
どっちだろうと、もう私には関係のないことではあるけれど。
どこか遠くから、犬の遠吠えが聞こえた気がした。
私はサングラスを外して空を見上げた。
夜空には綺麗な満月が浮かんでいた。
完。
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