第7話-1 鍋師として、鍋を披露するということ

 県境の、山のふもと。

 絵にかいたような古めかしい屋敷が、社長から受け取った紙に書いてあった場所と一致した。


「勢いでここまで来ましたが、居留守を使われたらどうしましょうか」

「そうだねえ。車ごと突っ込むというのはどうだろう。僕の車ではないし」

「私の車でもないので賛成です。費用は会社持ちだと言われたので、何も躊躇うことはありませんね」


 物騒な会話だと思うが、どこか頭のネジが外れたのかも知れない。うん、率直に言って、少し楽しい。危機的な状況であることは理解しているつもりだが、目的のために何のしがらみも考えず突っ走るのはここまで心がすくものだというのか。


 大屋敷の呼び鈴を鳴らすと、意外にもあっさりと屋敷の奥へと通された。

 うむ。洋画アクションのように車で突っ込む経験をしてみたかった気もする。残念だ。


 通された一室には、形だけの冷たい笑顔を張り付けた女性がいた。


「ようこそ、おいでくださいました。ご用件、お聞きした方がよろしいでしょうか?」

「聞かれなくともお伝えしますよ。三鍋を引き取りに来ました」

「まあまあ、まるでご自身の所有物であるかのような傲岸不遜な物言いですのね」

「ええ、雇用契約を結んでいるうちのニートです」


 やることが決まっているならば怯む事もない。私とて、たまには勢いのままに、思う事を思う様に突き進んだっていいと思う。

 芝居がかった声で彼女は言った。


「三鍋さまがかわいそう」

「それを決めるのは三鍋ですので、本人を出していただけますか」

「ふふ、よろしいですよ。しばし、ごゆるりとお待ちくださいね」


 テーブルにつくように促し、彼女は立ち去った。

 やけに柔らかい応接椅子に体を沈め、大きく一つ息を吐く。立ったままの琴科さんがくつくつと笑っている。


「君、そんなに直截に物を言うタイプだったのだね」

「義はこちらにありますので。退く理由がありません」

「それじゃあ、車で突っ込まなくてよかった。負い目ができてしまうからね」


 それもそうか。うむ。車で突っ込むカースタントアクションはまた今度にしておこう。


「しかし、やけにあっさり面会に応じたものだね」

「催眠とやらによほどの自信があるのでしょう。三鍋は、私のことを覚えていませんでしたから」

「手はあるのかい?」

「とりあえず引っぱたいてみます」

「壊れた家電の如き扱いだねえ」


 やがて、世話役であろう別の人が私たちを案内しにきた。

 時刻が時刻なので、一緒に夕食を食べてからでも遅くないだろうと。なんだその妙ちくりんな提案は。夕食に薬でも盛るつもりか。いや、それにしては堂々としすぎている気がする。それだけ、自信があるのだろうか。

 追い返されては元も子もない。とりあえず、乗っておくことでこちらの意思は決まった。




   〇   〇   〇




 六畳ほどの和室へと通され、部屋の中央にはコタツ。そして鍋の用意がある。

 まさか、この雰囲気で鍋ものをしようというのか。同じ鍋の飯を食った仲になって、気分良くお帰りいただこうとかそういう魂胆か。

 コタツには、三鍋と瀬戸の蛇姫が座っている。


「どうぞ、お座りくださいな。若淡流鍋奉行、瀬戸静美、これより鍋振る舞いをいたします」

「できればそのまま三鍋を引き渡し願いたいのですが」

「俺を、ですか?」

「や、三鍋君、お久しぶり」


 琴科さんがにこやかに手を振る。それに対する反応は予想どおり、にべもないものだった。この胡散臭い自称・天狗を忘れるくらいだからよほど強い催眠なのだろう。


「俺は、あなたとは初対面ですが」

「いいや、ギアナ高地で会ったのさ」

「申し訳ありませんが、記憶にありません」

「いやはや、さみしいねえ」


 瀬戸の鍋師の口元が上がる。話しかけても無駄だと言わんばかりに鷹揚にこちらを見て、再度席につくように促した。


「彼は、あなた方など知らないと申しておりますが」

「とりあえず、平手の一つでも見舞ってよろしいですか?」

「静美さん、粗野が服を着たようなこちらの女性はどちらさまでしょう」

「鍋振る舞いのお客様です。見届け人ですわ」

「三鍋……あんた記憶がなくても失礼千万極まりないわね」


 見届け人? どういうことだ。

 それを口にする前に、相手が言葉を続けた。


「鍋奉行になるには、どうすればいいかご存知かしら」

「……いいえ」

「まず一つ。奉行の位を持つ者と共に鍋を囲み、その作法や振る舞いを認められること」

「なるほど、これは陰険だ。あなたは我々の目の前で、三鍋君を自分の流派の奉行にしようというわけだ。いやはやとても性格が悪いね」

「心外、心外。鍋奉行を授かる場に立ち会えるなど、そうそうないのですよ。光栄でしょう」


 なるほど確かに性格が悪い。性根がもうダメだ。何よりも奪うことを楽しんでいる。随分と楽しそうな語りで挑発的にこちらを睨め上げるじゃないか。

 平手、三鍋じゃなくて彼女に見舞ってやろうかしら。いやしかし解決には程遠い一手だろうからここは我慢だ。

 しかし、一つ、と言うからには他の方法もあるのだろう。そちらの次第によっては何か手が打てるかもしれない。


「他にも、方法があるような口ぶりですね」

「あら、耳聡い。策を弄す期待をさせてしまいましたかしら。確かに、鍋奉行になるにはもう一つ方法がありますの」


 彼女の微笑は崩れない。

 三鍋を流し見てから彼女は言った。


「鍋師の一切を捨て去ることです」

「は? 鍋師の意味不明さはとうに知ったつもりですが、矛盾甚だしいにも程がある」

「鍋師とは、鍋道を究める者。真の鍋師ならば、己の中の知識をすべて捨ててもなお、無意識のうちに鍋の深淵を覗いてしまう。それこそ、真の鍋師と呼ぶにふさわしい」


 そこまで一息に言って、くすくすと笑う。


「けれど、これは方便ですのよ。鍋師界から追放される際には、薬膳にてその一切の記憶を奪われますの。その罪悪感を和らげるための、ただの作り話。記憶を取り戻すことができた者は一人もいない。そう、一人も」

「三鍋が記憶を取り戻せば、まさにその条件に当てはまるということですね」

「あら、そういえばそうですね。その前に、私が若淡流鍋奉行の位を差し上げますけれど」


 つまり、この鍋が終わって、あなたはうちの鍋奉行ですよと言われる前に三鍋の記憶を取り戻せばいいということか。時間制限までかけられてしまったが、さてどうしたものか。


 琴科さんがコタツに入り、ふむ、と一つ呟いてから質問する。


「さて、三鍋君。本当に何も思い出せないかい? この会話で、君が記憶を失っていることは明白だと思うけれど」

「……何も、思い出せませんね。しかし静美さんは私を拾ってくれた恩人ですので」

「最大級のマッチポンプの気配がするけど、不問にするわ。あんたはそういう義理堅い奴だからね。そこは別にいいわよ」

「寛大なお方ですのね。ささ、それでは野菜入れといたしましょう」


 コタツの天板には野菜の入ったカゴ。彼女は三鍋に対して白菜を入れるように願い出た。

 まあ、名目上は三鍋の作法を見ようという話だからな。形だけでもあいつが作業をしないと評価も何もあったものではないのだろう。


 三鍋が鍋の蓋を上げ、透き通った黄金色の出汁の中に白菜を入れていく。

 私はハッとして野菜カゴを奪い取った。三鍋の出番を奪えば評価できないのではないかと思ったからだ。


「あら、無礼ですのね」

「時間を稼ごうと思いまして。正直は美徳でしょう?」

「どうぞ、お気の済むまで。無駄なあがきを見るのは、嫌いではありませんから」


 顔に愉悦をべったりと張り付ける彼女を尻目に、あえて時間をかけてゆっくりと白菜を鍋に並べていく。お、なかなかきれいに並べられたんじゃないか?

 白菜の根の部分を立て、放射状に並べたことで、まるで牡丹の花のように見える。


 それを、その白菜で彩られた牡丹を見た瞬間。

 刹那、脳裏を鮮烈に走る記憶の断片、コマ落としにした過去の映像。


 ――白井先輩の言う、その、鍋師って実在するんですか?

 ――当然じゃない。室町時代から続く、由緒正しい伝統芸道なんだから

 ――いつかお祝いに、白牡丹を咲かせてあげる。


 いつか見た夢と、後輩と会った時の記憶がカチリとはまる。

 唐突な天啓。根拠のない、けれど確信を持った閃き。無意識のうちに、服の内に隠し持っていた漢方薬の小瓶に手を伸ばしていた。


 ぎゅぱっ、と小瓶を開けて中の粉末を全て口に流し入れて勢い込んで立ち上がり。白菜の沈んだ鍋をがばりと掴み。ぐいと一口、出汁を口に含む。


「白井君!?」

「な、なにをなさっておいでなのですか!」


 たぷんたぷんと、種を詰め込んだハムスターもかくやとばかりに頬を膨らませた私に、言葉を発する能力はない。

 何をしているか、だと? 私は徹頭徹尾、己の目的に従って行動しているだけだ。


 三鍋を、返せ。


 コタツの対面に座っていた三鍋の胸倉を掴み、ぐいと引き寄せて口づけをした。

 目を白黒させる三鍋のことなどお構いなしに、口移しでトカゲ粉末入りの出汁を流し込む。


 それをごくりと飲み下したことを確認してから手を離し、三鍋の口に入りきらなかった分を私も飲み込む。

 ぷう、と手の甲で口元を拭い、目を開けて呆けている三鍋を見る。


 この漢方薬の入ったスープを飲んで、私は昔の夢を見た。かつての記憶が呼び起こされたのだ。だから、きっと、これで三鍋の記憶も。

 これでダメならば、渾身の平手を見舞うくらいしか方法が残されていない。


 左右の二人も、何が起こったのか理解が追い付かないといった様子で目を丸くしている。

 しばしの沈黙が場を埋めていたが、やがて目の前の唇が小さく「……カタコ?」と私の名を呼ぶ声が聞こえた。


「おかえり。ここ数日の私のご飯を作ってないこと、ずっと根に持つから」

「開口一番恨み節とは随分ではないか。まったく状況が呑み込めておらんというのに」

「どう……して……!」


 先ほどまで厭らしく睨め上げていた彼女の視線が、驚きと怨みのこもったそれに変わる。


「さてさて、あれやこれや思いだしたからには、三鍋君は見事! 鍋奉行になったという事になるのかな」

「……天狗!? なぜ、天狗がここにいる?」

「いつか飲みに行こうと言っていた約束を、果たそうと思ってね。ところで、君の流派は何だったっけ?」

「いけません三鍋さま!」

「瀬戸姫までおいでとは……。よく分からんが、俺は元土流から離れたことはないぞ」

「……くッ!」


 顔を歪ませて唇を噛む彼女がコタツの天板を叩き付けながら言い放つ。


「いいえ、いいえ! 認めません! 鍋を完成させずして鍋奉行など、誰が認めましょうか!」

「絵にかいたような狼狽ぶりだねえ。大勢は決したと思うけれど」

「しかし、確かにそれが筋と言えば筋だと――カタコ?」


 熱い。

 目の奥がちりちりする。


 三鍋が私の名を呼んだ後も何か言っているけれど、その声が遠くなっていく。

 体の奥の方から、恐ろしく大きくて熱いものが湧き上がって、ばつん、と爆ぜた。

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