第6話-3 居候が消えた日のこと

 タバコの匂いが染みついている喫煙室。

 用事でもなければ自分のテリトリ外にはあまり入らないものだ。


 そんな自分の領域ではない場所で、河内さんと琴科さんがタバコを吸うのを見ている。訳が分からない。


「河内君、最近どうだい?」

「いや、いたって普通ですけど、あの、白井さん、なにか用事があるのでは?」

「私が聞きたいです」

「いやあ、白井君にはいつも感謝しているのさ、僕は」

「感謝してない人なんかいないでしょ。いつも仕事の取りまとめしてもらってるんですから」


 ふう、と紫煙を吐いて河内さんがこちらを見る。


「しかしアレですね。白井さんが喫煙室にいるのって、なんだか見慣れないですね」

「私は非喫煙者ですから」

「ま、タバコなんて極限定的なコミュニケーションツールだとは思いますけど。あ、そうだ」

「何でしょう?」

「トカゲって、おいしいんですかね? 昨日テレビで見ましたが」

「……副作用がきついですね」

「へえ。食べたことあるんですか?」

「漢方薬にしたものですが。味は、あまり分かりませんでした」


 そういえば、三鍋に飲まされたな。乾燥トカゲ入りのスープを。あの肌のハリは捨てがたいが、その後の倦怠感は酷いものだった。あれ以来、飲んでいない。多分、三鍋の荷物の中にまだあるんじゃないかな。


「聞きたいんだ、河内君。仕事が煮詰まっている白井君がどうすればいいか」

「ああ、ストレス発散とかですか? 白井さんはいつも真面目ですからね。ドライブなんてどうです?」

「それはいいね。白井君、ぜひそうしよう」

「なぜ琴科さんに決定権があるのですか」

「そりゃあ、僕はほら、天狗だから」


 タバコを灰皿に押し付けて、琴科さんがにこやかに言い放つ。それから河内さんに向かって言った。


「僕、これから早退するから。ああ、白井君も一緒に」

「そうなんですか?」

「え、聞いてませんよ」

「今言ったからね。ついては河内君、いつぞやかの水羊羹の貸しを返してもらいたい。今日の僕の残りの仕事は君に任せた」


 琴科さんに背を押され、喫煙室から再び応接室へ。

 あれよと言う間に荷物をまとめるように指示され、社長からは三鍋の居場所を記したメモが渡される。


「説明を! 説明を求めます!」

「今から三鍋君を取り返しに行くのさ。思い立ったが吉日、というやつだね」

「思い立ちすぎではありませんか!?」


 社長も何か言ってやってください。できれば美和子さんにも援護してほしい。


「よろしく頼む」

「何をよろしくされているか分かりませんが止めないのですか社長!?」

「大丈夫よ。白井さん。あなたならきっと大丈夫」

「根拠のない大丈夫ほど無意味な激励はないのですよ美和子さん!」


 私の残りの仕事はどうする! 残された仕事を放りだすほど、私は無責任な社会人ではないぞ。しかしこの変人トップ2の勢いから察するに、どうやら逃れられぬらしい。

 荷物をまとめながら「ああ、もう」と呟いていると、小走りに竹内ちゃんが走り寄ってきた。


「あの、どうなったんですか?」

「三鍋の所に行くことになったみたい。んもう、仕事、残ってるのに……」

「あ、あたしがやります!」

「竹内ちゃん?」


 彼女はぐっと息を呑んで、まっすぐにこっちを見てくる。


「伊賀さん……えっと、みなべさんを助けられるのは香奈子センパイだけなんだと思います」

「助け方もなにもかも分からんまま連れていかれようとしてるけどね」

「それでも、センパイならきっと大丈夫です!」


 例によってなんの根拠もないのだろうが、なんだろう、竹内ちゃんに言われると大丈夫な気もしてくる。彼女は私の手を取って、しっかりと握って言葉を続けた。


「センパイのおかげで、あたしもちゃんとお仕事できるようになってるんですよ。だから、縁の下はどうか、任せてください!」

「おお、天使が……天使がいる……」

「ちょっともう、恥ずかしいからって茶化さないでくださいよセンパイ」

「あはは、ごめんね。ありがとう。それじゃあ、任せた。分からない事があったら、引き出しの中にあるオレンジ色のファイルを見て。だいたいのことは書いてあるから」

「はい! それじゃあ、行ってらっしゃい!」


 彼女に送り出されたならば100人力だ。腹づもりはできた。オフィスバッグ一つを抱え、カツカツと床を鳴らして琴科さんの元へと歩み寄る。

 いいだろう。竹内ちゃんに言われたら、やる気になるしかないと言うものだ。


「兵は迅速を尊ぶものです。さあ、行きましょう」

「やるとなったら潔いね、白井君は。それでは、いざ」


 社用車の使用許可をもらい、運転は琴科さんがする手筈になった。オフィスからの発ち際、琴科さんは社長に対して「ガソリン代は経費でも?」と尋ね、社長は「我が社の危機を救うのだから立派な経費だろう」と返していた。話の次元が小さい。行くならば早くいきますよ。


 外に出ると、ちょうど西陽がまっすぐに射してきてまぶしかった。




   〇   〇   〇




 社長から受け取った紙には、三鍋の居場所。

 でもこれ、合ってるのかしら。まあ、合ってるんでしょうね。鍋師のやることはよく分からんけれど、でたらめではないのだから。


「さて、まずは白井君の家に行こうか」

「なぜです」

「河内君がタバコを吸っている時の言葉を聞くとね。なんだかこう、いい感じに良い方向へ事が転ぶのさ」

「琴科さん、見かけによらず迷信を信じるタイプですか」

「そう馬鹿にしたものでもないよ。だって、河内君の勧めのおかげで、三鍋君と再会できたのだから」

「なるほど、それは少し信憑性がありますね」

「だろう」


 朝のテレビ占いや雑誌の片隅にあるようなラッキーアイテムの類など欠片ほども信じていないが、実感を伴った迷信やおまじないの類であれば一考の価値はある。

 一流の人間が持つ種々のルーティーンなおはまさにそういったものなのだろうから。


 つまり、奇跡にも近い再会を果たした三鍋と琴科さんの立役者が河内さんの言だというならば、聞いてみて損はないだろうということだ。


「それで、家に寄って何を準備すれば?」

「トカゲじゃないかな? 会話に出てきたのはそれだったろう。家にあるかい」

「一般妙齢女子の家に、トカゲがあると本気で思っているのですか?」

「ないのかい?」

「ありますけど」


 あるんだよなあ。粉末状の漢方薬だけれど。

 お肌のハリを取り戻して一体全体どうしようというのだろうか。


 ともあれ、私の知らない所で話がぐいぐい進んでいる気はするが、置きっぱなしになっている三鍋の荷物に、きっとあの漢方薬は残っているだろう。

 それを持って、さっさと話をつけに行くとしよう。


 どうしよう。勢いに流されてなんだか楽しくなってきた。

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