第3話-4 追憶の夢を見た日のこと
これは、懐かしい夢。かつての大学でのあれこれ。
大学のキャンパスを歩きながら、次はどこへ行こうか考える。
北陸地方へ行って魚を食べてもいいし、中部地方の山間部で山菜を食べてもいい。
「白井先輩、次はどこ行くんです」
「旅費のことを考えるとあんまり遠出もできないんだけどなあ」
後輩の
どこへ行ったとしても、多種多様な芋を食し、その地域での芋料理を探していた。
「僕は芋さえあれば何も文句ないですので」
「それを聞くと、あえて芋がない所に行きたくなる」
「やめてくださいよ。芋がないと死にますよ僕は」
サークル室まで共に歩き、ドアを開ければ三鍋と、それから別の後輩がいた。三鍋が軽く手を上げて言う。
「カタコよ、小笠原に珍しい魚料理があるらしいぞ」
「へえ、じゃ次はそこに行きましょうか」
「ちょっと先輩! 気軽に言わないでくださいよ」
唇を尖らせて鋭い言葉を放ったのは、サークル室にいた
「だって、小笠原よ? 九ノ宮ちゃん、お魚好きでしょ?」
「それはそうですけど、そんな旅費どこから――」
「え、小笠原って芋ありますかね」
「あんたは黙ってなさいよ芋男。芋々してばっかりなんだから」
「なんだとぅ、この半魚人」
「はいはい、ケンカしないの二人とも。三鍋も止めてよ」
「ケンカするほど仲が良いものだ。芋と魚は合う料理も多いものだぞ」
からからと三鍋が笑う。
賑やかなサークル室は、私たちの日常だった。
「サークル費がなくったって、旅費くらい教授の財布から……」
「だーめーでーす白井先輩。前にそれやって、教務棟から大目玉喰らったって、教授言ってましたよ」
「大目玉の一つや二つ、焼いて食うだろう、あの教授なら」
「同感同感。塩でもかけるでしょうね。いいこと言うじゃない、三鍋」
気ままに、全国各地の美味い物を求めて飛びまわる。
それが、食歴研究会サークルだった。
人間は、食事をする。つまり、食事によって生かされている。
良いものを食べれば良い体が出来上がるし、逆も然りだ。
食の歴史の中で、当時の人々がどのように食事をして、何を食事に込めていたのかを知るのは、とても楽しいことだ。地域ごとに特徴は顕著に表れる。
「甲府あたりで煮貝でも食べましょうよ、先輩方」
「またそうやってすぐ魚介類を食べようとする! これだから半魚人は!」
「高級品なんだからいいでしょ、鮑の煮貝がいいな」
「そういう問題じゃない。大体、どうして海の無い地方の名産が貝なんだ」
九ノ宮ちゃんと笠置君がやいのやいの言い合っている。
ちなみに、海がないからこそ、煮貝は名物足り得たのだ。駿河湾でとれたものを甲府まで運ぶのに、そのまま輸送してはダメになる。しかし干物や塩漬けではない、生の物が食べたい。そんな飽くなき食への探求が生んだのが、醤油に漬けて甲府までの道のりを往く方法だった。
食に対する人の欲が生んだ地方食。まさに、食の歴史なのだ。
「笠置君が食べたことないんなら、今回は甲府にしましょうか」
「うむ。小笠原に比べれば近いので、日数を取って他にも食おう」
「んもう、予算増やしたら意味ないでしょー!」
「怒らないの、九ノ宮ちゃん。時期的に落ち鮎も美味しい季節よ?」
「それは、そうですけど……!」
三鍋がこめかみの辺りを人差し指でとんとんと叩きながら考え事をしている。少しの時間の後に、ぽむ、と手を打った。
「甲府に行った後、飛騨高山まで足を伸ばして、
「三鍋の独断で決めるんじゃないわよ。落ち鮎でしょ、ここは」
「味噌って名前がつくくらいだから、きっと芋にも合いますね。大賛成です」
「だから予算がないって言ってるの聞いてます!? ねえ!」
美味いものは、私たちを豊かにしてくれる。それは、間違いなく真理だった。
○ ○ ○
飛騨高山では朴葉味噌を食べるという話だったが、私たちは河原で薪を積んでいた。
せっかく食べるなら、自分たちで作ってみるのも一興だと私が言ったからだ。朴の葉や、その上に乗せる椎茸や葱などの調達は三鍋に任せた。彼の交渉力は私たちの中でも群を抜いている。希少な食材や珍しいものをたちどころに手に入れてくるのだから見事なものだ。
「火の準備はこんなもんですかね」
「飯盒、いります? 別に市販のパック米を温めればいいんじゃ……」
「ダメ。いい? 九ノ宮ちゃん。もちろん、買ってきたものの方が美味しい。朴葉味噌を郷土料理として出してくれるお店もあるし」
それでも、実感を伴って味わう料理にこそ、その価値を見ることができる。
普段、漫然と食べているもの、例えば味噌汁一つとっても、味噌や鰹節、実となる豆腐を一からすべて自分で作ればそれが如何に大変な作業かというっことが実感できる。
その上で、全ての食材と、それを仕立て上げてくれている人々への感謝こそが料理の味に奥行きを、立体感を与えてくれるのだ。
餅は餅屋。これは間違いないし、素人がいかに手を込めて作ったものであっても、その道の職人にはかなわないものだ。それはそれでいい。大切なのは、餅屋の価値を再認識することなのだから。
「料理は、食べる人がいてはじめて完成するの」
「それはまあ、理屈としてはそうですね」
「だからね、九ノ宮ちゃん。食べる側の私たちも、料理に対して造詣を深めるに越したことはないんだから。苦労して並み程度のものを作った後で、洗練された職人の品を味わうのよ」
「私は最初から美味いものが食べたいですけど」
河原に、三鍋が戻ってきた。大ぶりの朴の葉やら、竹籠いっぱいの食材を抱えて。
「はっはー、見よ、カタコ。気前よく素材を分けてくれた」
「香奈子だって後何回言えば訂正されるのかしらね」
「諦めるのだな」
「いーやーよ」
三鍋の手から素材を受け取って、焚火の上に葉と食材を置いていく。持ち帰ってきた食材の中には、川魚やひょろ長い芋なども入っていた。
「竹串もあったろう。魚もくべて焼いてしまおう」
「三鍋って、九ノ宮ちゃんに甘いところあるわよね」
「なんだ、妬いたか?」
「冗談。それより、美味しく作りましょ。これも、将来の鍋師のためよ」
「白井先輩の言う、その、鍋師って実在するんですか?」
「当然じゃない。室町時代から続く、由緒正しい伝統芸道なんだから」
「カタコのこれはいつものことだ。話半分に聞いておけよ、笠置」
「半分も聞いていいんですか?」
「よーし、あんたら飯抜き」
懐かしい時間。過ぎた時間は戻ることはないけれど、それでも思い出の中には何かしら今につながるものを見つけることだってある。
心残り、というか、無念だったのは一点。結局、落ち鮎を食べには行けなかったことだ。それは夢の中でも変わらないらしい。
「カタコ」
三鍋が私の名前を呼んでいる。ああ、そうか、これは夢だったっけ。
どうもおかしいと思った。私が鍋師とやらを熱く語っているのがおかしくてしょうがない。夢らしくていいけど。
「カタコよ」
私の意識は、三鍋の声を聴きながら徐々に引き上げられていった。
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