第2話‐4 日々の生活に鍋師がいるということ

 会社の近所にある居酒屋は、いつも私たちが利用している場所だ。オフィスビルが立ち並ぶこの界隈は、飲食店経営においては激戦区だろう。

 そんなしのぎを削る争いを勝ち抜いている店だけあってサービスの質は高い。客との距離感も程よい感じである。中には常連客しか入ってはいけないような空気を醸し出す店もあるくらいなのだから。


 私たちはお互いを労いながら楽しい時間を過ごしていた。

 すでに数杯のジョッキが空き、私は何杯目か分からないビールを手にしながら次は何を飲もうか考えていた。なにせ今日は琴科さんのおごりだ。楽しまなければ損だもの。


「大和田くんが一番忙しそうだったわね」

「琴科さんが言ったんすよね。業界の過去15年くらいの流行をすべて洗ってくれって。何で15年だったんです?」

「おおまかにだけれど、流行り廃りというものにはサイクルがあってね。一般的には20年が周期だと言われているんだよ。なぜ20年かは……今回は置いておこう」

「じゃ20年でいいんじゃねえすか?」


 運ばれてきた焼鳥をぱくつきながら後藤さんが横槍を入れる。


「そこがミソだよ。20年といえばそれなりに長い時間だ」


 確かにその通りだ。20年前と言えば私は義務教育の名のもとに真新しいランドセルを背負って登校し、毎日机に座っていた時期だ。


「時代が変われば変化するものはある。20年を丸ごと追うのではなく、時代の流れを反映させなければ」

「そんなもんっすかねえ」

「あくまでも、僕の個人的見解だ。みんな、それぞれのやり方があるだろう?」


 それはその通りだ。後藤さんは自分の受けた仕事を放りだすことを何よりも嫌うし、大和田くんはデータを信頼する男だ。

 琴科さんは、言うなれば社会派とでもいった所だろうか。


 わたしは?

 私はどうなのだろう。何か、彼らのように芯になる部分があるだろうか。


「白井さん、どうしました?」


 隣で飲んでいた大和田くんがこちらを見る。


「私流の仕事の仕方って何かしらと思って」

「白井さんは白井流でしょ?」

「そうだぜ。白井様がいなけりゃ、ここまでスムーズに全員の仕事が回らねえ。感謝してるよ、ほんと」


 それは、そうなのだが。

 確かに私は職場の環境を整えることで、皆の仕事の効率アップを図っていると自分でも思っている。しかし、そこに何かしらのこだわりがあるのだろうかと少し疑問に思ってしまったのだ。


 私だから出来る。職場でも、たびたびそう言ってもらえることは嬉しい。私の仕事が評価されているのだと思えるから。

 琴科さんがこちらを見ている。あの目が悔しい。なんでも知っているとでも言いたげなあの目が。実際、見透かされているような気もする。


 分かっている。羨ましいんだ。

 真っ直ぐに自分の道をゆく彼らが。そして、それをサポートしている私は、心のどこかで突っ走るようにがむしゃらに仕事をしてみたいと思っているのかも知れない。


「――これは聞いた話なのだがね」


 あ、やばい。

 琴科さんの語りが始まる。


「そ、そういえば今日の営業先の話なのですがっ」


 駄目だ。あれが始まると何かとイイ話をされて、なんとなく丸め込まれてしまう。私の悩みを話のタネにして自分だけ評価をあげるのはズルいぞ。

 これ以上、独身レースの中で差を開けられてたまるものか。いやでもこの場にいるのは、自称天狗と、既婚者と後輩だからなあ。ここでポイントを稼ぐ必要性も合理性もないのだけれど。


 私は無理やり琴科さんの話を遮って、今日のえんとつファームでの出来事を皆にも話し、何か良い案はないものかと言った。


「俺としちゃ、やっぱ提携先を増やす方向がいいと思うんだよな」

「代理で営業を請け負うのもアリでは? 前にも一度やってなかったすか? 河内さんと後藤さんで」

「ありゃダメだわ大和田。俺、野菜に詳しくねえもん。あれは商品の事を知っていることが前提だ。それに、えんとつファームにも営業部はあるぞ。前は、個人でやってた人だから通ったやり方だ」


 良かった。うまい具合に話が仕事に逸れてくれた。基本的に私を含め仕事のことを考えるのが好きな連中ばかりだ。それこそ、風呂でもトイレでも仕事はできる。


「単純に、知名度を上げることが良いかも知れないね。具体的な方法は……すぐには思いつかないけれど」

「街中で野菜のサンプリングでもしますかねえ。美味かったからなあ。野菜が」


 後藤さんは大きな声で笑った。冗談めかして言う辺り、本心ではないのだろう。

 街頭サンプリングの手続きは面倒なのだ。特に食品が絡んでくると。


「後藤さんがすべての申請を通してくれるなら。警察と、保健所と、あと保険関係」

「やだよ面倒くせえ。あ、そういや美味かったと言えば、白井の弁当も美味かった。あれで今日の午後は乗り切れた。さすが白井様」


 その後藤さんの発言に、他の二人の視線もこちらに集まる。


「ほほう。キミがわざわざ弁当。いい人でも出来たのかな?」

「え、僕の分はないんですか、白井さん」


 えらいこっちゃあ。

 変な所から話が繋がってきよったでえ。


 私の安寧たる仕事生活に差し障りが出てしまう。どうする。どうする私。どう言い訳をすればこの場を誤魔化せる。


 その時、タイミングよく店員さんが誰かの注文した品を運んできた。「お待たせしました、こちらアジの開きになります。」「あ、僕です」そのやりとりを聞いた瞬間。運ばれてきた魚の姿を見たその一瞬で。

 私の中で完全に忘れられていた出来事が浮かび上がってきた。


 ――では、今日の夕飯は魚にしよう。


 ――ムニエル? 任せておけ。俺は鍋師だ。造作も無い。


 ――これを持っていくのだ。仕事、頑張るのだぞ。


 忘れていた。三鍋は今頃、食事の用意をして待っているのだろうか。

 しばらくの間、呆然としていたであろう私は、後藤さんの呼びかけでハッと正気に戻った。時計を見る。


「八時半……」


 やばい。

 と、とにかく連絡しないと。


 いや無理だ。結構前に携帯変えたから、三鍋の連絡先知らない。家に固定電話も引いてない。携帯電話一つですぐに連絡が取りあえる現代社会の環境に慣れすぎていたらしい。

 

「あ、あの、私帰ります!」


 とにかく、急いで帰らなければ。

 急に立ち上がる私に驚いた表情の2人と、いつもの笑みを崩さない1人に慌てて会釈して店を出た。


 私は走った。

 電車での数駅がとても長く感じられてもどかしかった。




   ○   ○   ○




 マンションの前に着いた時には、まもなく十時になろうとするような時間だった。

 自分の家に帰りづらい日が来るとは思ってもみなかった。三鍋、怒ってるかなあ。


 私の脳裏に、リビングで一人さみしく座る三鍋の姿が浮かんだ。

 食卓にはいくつかの皿が並び、彼がそれをさみしそうに眺めている。そんなイメージ。


「大丈夫、大丈夫。と、とりあえず一番に謝らないと……」


 エレベーターで上がり、自室の前で大きく息を吸って気持ちを整える。

 マンションの五階。506号室。自分の部屋のはずなのに、どうにも気が重い。


 ええい、ままよ!


 玄関にかかっていた鍵を開け、私は「ただいま」とひっそり口にする。

 そのまま、謝罪の言葉をつづけようと思ったのだが、リビングの方から三鍋が先に飛び出してきた。流れるような仕草で廊下を滑りうずくまる。土下座の姿勢に見えなくもない。

 あれ、何だか見たことあるぞ、この風景。


「あ、あの、三鍋? わたし、その……」


 むしろ、土下座しなければならないのはこちらの方ではないのか。ダメだ。三鍋といると私の判断能力と状況把握能力は著しく低下する。


「すまぬ、カタコよ! 帰宅の時間を聞いていなかった故、飯が冷めてしまった! 鍋師、三鍋祥介、一生の不覚である!」


 どうして。

 悪いのは私だ。


「ごめんなさい、その、本当に――」

「本当にすまない。今後は、鍋師として一層の精進を重ねる」


 若干喰い気味に、三鍋が謝罪を重ねる。


「い、いいから! ほら立って! 私が悪かったんだから。三鍋、携帯持ってる? 連絡先、交換しましょ」


 三鍋の腕を掴んで起こし、私はしっかりと謝る機会を逃したままリビングへと入った。

 そこには、数品の皿と伏せられた茶碗が置いてあった。うう、目に毒だ。こちらの罪悪感が膨らむ。


「ムニエルではなくなってしまうが、冷めているので今から手を加える。美味いものを食ってもらいたい俺のわがままだ。ちなみに、携帯電話は持っていないぞ」

「え、持ってないの? 調べものにも便利なのに」

「スリランカで失くしたのだ。解約はしたが、新しいものは持っていない」


 新しいものを買えばいいのに。むしろ買ってほしい。連絡に困る。

 

「私は何を手伝えばいいのかしら」

「座って待っているのも退屈だと言いたげな顔だな。では、今から言う調味料を混ぜてくれるか」

「ほんとゴメン。罪悪感が強くて。任せて」




   ○   ○   ○




 食卓に並んだのは、何かの魚料理。そしてサラダ。あとは白米と味噌汁だ。


「いただきます。ごめんね、帰るのが遅くなって」

「その話はもういいではないか。しかしカタコよ。飲みに行っていたのならば腹が膨れているのではないか?」


 あ、バレてる。

 いや、そうか。それなりにアルコールも飲んだもの。分かって当然だ。


 あれ、私、すごくひどい事してない?


「ううん、食べる。白状する。飲みに行って、途中で気づいた。三鍋の存在を忘れてたの」

「無理もない。状況が状況だ。気にしていないのでカタコも気にするな。近いうち、新しい携帯電話を買ってくる。これからは連絡を取り合うことにしようではないか」


 どうして怒らないのだろう。

 しかも美味しいし、これ。


「ねえ、これ何て料理?」

「特に名前はない。家庭料理など、そんなものだろう。揚げ出し風にアレンジしただけだ」

「ずるい。美味しい。だいたい、鍋師ってなんなの」


 私は気になっていた疑問をぶつけてみた。

 鍋と言うからには、あの冬によく食べる鍋のことなのではないかと思ってはいるが、三鍋の口からは事あるごとにその単語が飛び出してくる。鍋が関係ないような場面でも、だ。


 三鍋は「ふむ」と一つ頷き、魚に少し箸をつけてから言った。


「鍋とは何か。鍋の深遠に到達するために生涯を捧げる者。それが鍋師であり、そのための作法を鍋道と呼ぶのだ」

「じゃあ鍋物だけ研究してればいいんじゃないの?」

「それではいかん。鍋道とは、すなわち道だ。道とは、人生だ」

「なんだか大げさねえ」

「茶道、華道、剣道、柔道。おしなべて道とは生きる事と等しいのだ。鍋道を究めるとは、人生を究めるに等しい」

「また屁理屈言って。私は、美味しいごはんがあればそれでいいわ。今朝もありがとう。美味しかった」


 そう言うと、三鍋は満足そうに頷いた。


「それが聞けて何よりだ」


 私は今朝のごはんを思い出すと同時に、弁当を後藤さんに進呈してしまったことも思い出した。これも、言わないとマズイよねえ。


「あ、あのね、三鍋。私、言わないといけない事があって……」


 私は揚げ出し風にされた魚をつつきながら切り出した。私にも、三鍋のような滑らかな土下座スキルが欲しい。罪悪感で三鍋の顔をまともに見られない。


 よくよく考えてみればみるほど私はひどい事をしたと思う。

 作ってもらった弁当を食べなかった挙句、ごはんを用意して待っていてくれたのに自分は外で飲んできたのだ。しかも、存在まで忘れていた。そりゃあ、いきなり環境が変わったのだから多少は仕方がないと思えるが、それを言い訳にしてはいけない。ああ、でも言い訳したい。


「実は、今日のお弁当、食べて、ないの……」

 

 小さく息を吸って、私は今日の昼間の出来事を下を向いたまま告げた。職場の人にあげてしまったと伝え、三鍋の返事を待った。


 うう、顔を上げられない。何かしゃべって欲しい。

 数秒経っても返事がなかったので、私は間が持たずに二の句を継いだ。


「その、食べた人はね、後藤さんって言うんだけど。ミニごぼうみたいなのが美味しいって言ってた。あと、その、炊き込みご飯も美味しかったって」

「カタコよ」


 声が上から降る。席を立って、私の横にまで来たらしい。その穏やかな声に私は思わず顔を上げた。三鍋は右手の親指と人差し指でOKサインをつくってみせた。


「三鍋……」


 そしてそのままOKサインは私の方に近づき、おでこの前で勢いよく人差し指が弾かれた。


「あいたぁっ!」


 違った。OKサインじゃなかった。でこピンの動作だった。痛い。結構痛い。


「うむ、それで許そう」


 三鍋は元の席に戻り、再びご飯を食べ始めた。


「これからは昼食を抜いてはいかんぞ、カタコよ」

「うん、ちゃんと食べるように……え?」


 なんだろう、私が悪いと思っている所と違う所を指摘されている気がする。


「あの、三鍋? お弁当、あげちゃったこと、怒ってないの?」

「事情があったのだろう。なんだ、お近づきになりたい者でもいたか?」


 平然とした調子でそう言ってのけたので、コトはどうやら難所を去ったらしいと私は心中で胸を撫で下ろした。


「冗談。社内恋愛は仕事の能率を下げるわ」


 私がそう言うと、愉快そうに三鍋が笑った。


「昔、サークルでも同じ事を言っていたぞ。やはり変わっていないものだ」

「言ったかしら、そんなこと」

「うむ。覚えていないか? 後輩の笠置かさぎ九ノ宮くのみやを」

「ああ、懐かしい! 確かにあの二人には言ったわね。そういえば二人、結婚したらしいわよ」

「……そうか。めでたいことだ」


 それからしばらく、大学時代の話題に花を咲かせながら、二人で食卓を囲んだ。誰かとこうやって食べるご飯は久しぶりだ。

 外食では決して味わえない雰囲気がある。なんだろう、団欒とでも言おうか。三鍋相手にそれを感じるのもなんだか可笑しいけれど、それでもいいかなと思う自分もいた。


 同棲(仮)三日目にして、この篭絡のされよう。

 三鍋が人をたらし込むのが上手いのか、私が単純なだけなのか。


 できれば、前者であれば嬉しい。それならば私の自尊心はなんとか保てるだろうから。私は、昼食を抜かないことをしっかりと約束した。三鍋はそれに対して満足そうに頷いていた。明日のご飯が、少し楽しみになった。

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