閑話 天狗の子孫だと嘯く男、琴科の休日

 ――仕事の休日には仕事のための仕事をするに限る。


 これは僕の持論だ。もちろん、心身をリフレッシュするのが良いという人もあるだろう。けれどそれとて大きな視点で見れば仕事の準備であると言って差し支えない。

 仕事のための仕事とはつまり、金銭を得るための仕事をいかに効率よく、いかに楽しく過ごせるか考えて行動することなのだ。


 幸い、僕の職場はそれなりに融通が利く。自由に仕事をする権利がある代わりに、成果を出す責任がある。決められた仕事をただ割り振られてこなすだけの仕事は、きっと僕には向いていない。そういった意味では、僕を拾ってくれた社長には計り知れぬほどの恩がある。

 うちの社長はどこからか人材を見つけてくるのが巧い人だ。足りないパズルのピースを埋めるかのように人を探してくる。それは人伝手であったり、数少ない面接であったり、僕のように居酒屋で意気投合した相手を引きずって入社させたり。


 とりわけ社長の嗅覚に惚れ直したのは、白井君を採用した時のことだ。彼女をどこかから連れてきた社長は僕と共に面接をした。彼女と社長は初対面のような雰囲気だったから、知人からの紹介でも受けたのだろうと思っている。

 いくつか、形式通りの質問をした後、社長はどこかに電話をかけたかと思うと、白井君向かって「君、採用ね」と告げたのだ。彼女は驚いていた。もちろん、僕もだ。あんな型に嵌まった質問で何が分かったのかと正直少し社長を疑ったものだ。


 そんな僕の疑念が社長に伝わったのか、社長は笑いながら白井君に対して「十秒だけ、この人を見てくれる?」と言って隣席の僕を指した。それから「どう?」とにこやかに笑って彼女に向かって聞いた。どうと言われても困るだろうと僕の方が困惑したくらいだ。

 彼女は社長に促され、正直に答えていいよと後押しされた。少し沈黙した後で、僕に向かって「独身に見えます」と言った。確かに事実さ。その事実は数年経った今でも変わらないままだし、結婚というものに真剣に向き合ったこともない。ともすれば失礼とも取られかねない返答だったが、彼女はさらに言葉を続けた。その言葉は今でもはっきりと覚えている。


 ――とても仕事ができそうな方ですが、誰かとチームを組んだ時にいつも以上に力を発揮する方ではないでしょうか。労働と、その成果に何よりも魅力を感じておられる気がします。なので、独身なのではないかと思いました。


 その時の僕はきっと目を丸くしていたことだろう。同じようなことを、何度か社長から言われたことがあったし、何よりも僕自身それを経験則として知っていたからだ。

 社長は僕の肩を叩き「な、面白い子だろ。ピンときたんだよ、ピンと」と笑みを絶やさなかった。

 こうして彼女は僕たちの職場の一員となった。彼女はとにかく人を見る目がある。個性派揃いのうちの会社が一つのまとまりとしてやっていけるのは、間違いなく彼女が社員の個性を把握しているからに他ならない。




   ○   ○   ○




 新年度も少しは落ち着いて、夏に向けて少しスケジュールには余裕がある。数日前には後藤君や大和田君と共に徹夜で仕事もしたが、あれはまあ、イレギュラーのようなものだ。あの時は白井君にとても世話になった。僕たちの職種、とりわけうちの会社はサービス業の繁忙期より少し前が主戦場だ。


 つまり、サービス業者各種の夏の商戦に向けての準備期間こそが僕らの書き入れ時であり、年度初めのこの時期は数少ないゆるやかな時期なのだ。


「さて、街に出てはみたものの……」


 どうやって休日を過ごすべきだろうか。休日には、仕事のための仕事をするに限る。けれど、元々抱えている仕事がないなら、そのための仕事もまたない。何を準備すればよいものやら。


 僕の職場には一人、変わり者がいる。皆それぞれに変わっているけれど、彼はまた格別だ。彼――河内君は預言者めいたところがある。彼が喫煙中に口にしたことはことごとく良い方向に繋がるのだ。ただし、本人は発言したことを覚えていないけれど。後で聞いても、そんなこと言いましたっけ、と返ってくるばかりだ。

 これに気が付いているのは社長と僕だけだと思う。ちょっとしたジンクスのようなものだと、二人とも考えているけれど、何かに行き詰った時には目安として頼りになるのだ。


 そんな彼が、喫煙室で僕に言ったのが、「琴科先輩、たまの休みなら街に出てみてはどうです」という一言だった。休日は何をしているかという話題だったと思う。


「河内君の言うことだからなあ、何かあると思うんだけれど……」


 本屋に寄って旅行ガイドを眺め、次の休暇が取れたらどこの国に行きたいかなと考える。学生の頃は数年ほど諸国を巡って放浪していた。そのお陰で大学を卒業するのにずいぶんと時間を要してしまったけれどあれはあれで良い経験だった。

 今でも長期の休みが取れたら気になった国へと遊びに行くし、学生時代に世話になった人たちへ礼を言いに海外に行ったりもする。


 特にあてもなく街を歩く。

 僕のように、目的を持たずに歩いている人間を見抜くのが得意なのが、街頭セールスの人たちだ。彼らの嗅覚もまた仕事人として一流であり、どんな相手に対してもきっちりと自社の製品をアピールする姿はまさにプロフェッショナルだと思う。


「いかがです、今はキャンペーン期間中ですので話だけでも」

「本当に冷やかしだよ。今は必要としていないし」

「ええ、ええ、どうぞどうぞ」


 捕まったのは携帯電話のキャンペーンだった。僕の機種はまだそれほど古くもないし、海外で使うことを念頭に置いたサービスオプションもいくつか契約してある。特に新しいものに変える必要性は感じないけれど、最近の機種事情やプランには興味がある。情報は持っておいて損はないものだ。


 携帯電話のアンテナショップ内に入ると中には数人の客がいて、それぞれ話を聞いていた。


 最近の料金プランはかなり煩雑になっていたけれど、これも時代なのかも知れないと思う。いや、携帯電話の進化が速すぎたのかも知れない。数十年ほど前には通話の機能すらないポケベルだった頃を思い出せば今の多機能ぶりに恐れ入るばかりだ。


 ひとしきり話を聞き、僕はアンテナショップを後にしようと立ち上がって店員に礼を述べた。入り口で入れ違いに店に入った男性とすれ違った時、何か強烈な既視感を覚えて思わず男性の方へと振り返った。

 男性の方もまた、ふとこちらを振り返る。

 どこかで見たことがある。どこかの営業先の人だっただろうか。いや、仕事で会った人間ならば、僕は忘れない。


「人違いであれば申し訳ないのだが……」


 男性はそう断ってから僕の頭から足先へと視線を動かした。声にも確かに聞き覚えがある。


「天狗……か?」


 そう掛けられた声を呼び水に、僕の記憶の中で様々な出来事が瞬時に巡った。


「ああ! やっぱり君か! 久しぶりじゃないか!」

「やはり天狗か! 奇遇だな!」


 僕たちは思わず駆け寄り、力強く握手をした。互いに相手の肩を叩きながら歓喜の声が漏れる。僕の事を天狗と呼ぶ彼の本名は知らないけれど、数年前に僕がギアナ高地へと旅行した時、現地で出会ったのだ。


 鍋道と言う、よく分からないものを究めるために、修行として世界を回っていると彼は言っていた。旅先で偶然出会った日本出身の者という事で意気投合した僕らは、満天の星空の下で石鍋を囲んだのだ。まさか、また会えるとは思ってもいなかった。一期一会の旅だとばかり思っていたし、またそれが旅というものだから。


「鍋道はまだ続けているのかい」

「無論だ。鍋道の研鑽に終わりなどない」


 聞けば、彼はスリランカで失くした携帯の代わりを入手しにきたとの事だった。


「いやあ、まさか再会できるなんて。これも奇縁だ。飲みにでもいかないか」

「確かにそうあることではない。しかし、俺は鍋師としての修行中なのだ」


 残念そうに彼は言った。修行の一環として、今は住み込みで食事の世話をしているらしい。


「鍋師の決まりごとであるので、奉公先を教える訳にもいかん。しかし近いうちに予定を合わせ是非飲もう」


 そうして彼が新しい携帯を契約するまでの間、僕は彼と色々な話をした。


「そういえば天狗よ。何か出自の手がかりは掴めたか」

「いやあ、皆目」


 僕の一族は、天狗の末裔だと祖父から聞いたことがある。実家の蔵にそれらしき書物もあり、事の真偽はさておき、なにやら面白そうな感じがするので僕はことあるごとにそう述べることにしている。

 不思議なもので、自分は天狗だと繰り返し思っていると、本当に天狗というものがどこかにいるような気がしてくるのだ。

 いつか天狗が見つかるといい。国の内外を問わず僕が旅に出るのも、天狗を見つけてみたいという思いが少なからずあるからかも知れない。


 そんな己の心中を聞いてくれたのが、彼だ。石鍋を囲みながら、彼はただすんなりと「見つかるまで探せば、必ず見つかるものだ」と笑って受け入れてくれた。


「なあに、探せばいずれ見つかるさ。君ともこうして再会できたのだからね」

「うむ。まさに縁とは異なものだ」


 アンテナショップを出て、僕たちは連絡先を交換した。改めて自己紹介をするというのもどこか気恥ずかしいものはあるけれど、何せ互いに名前も知らないのだからしょうがない。彼の名前を、そこで初めて知った。


「俺は三鍋だ。鍋奉行抱えが与力、鍋師見習いだ」

「僕は琴科。会社勤めの……何でも屋さ」


 力強く鍋師と言いきることが出来る彼は格好いい。鍋奉行やら、与力というのは鍋道の中での役職のようなものだと会話する中で聞いた。僕は特に役職を持たない。自分で仕事を作って、それを自分や周りでこなしていく。営業もすれば企画も行うし、技術屋でもある。総務的な仕事は苦手だけど、そこは白井君に任せておけば心配いらないからね。


「天狗よ、この辺りで手土産になりそうなものはないか?」

「別に天狗と呼んでくれなくてもいいのに」


 笑って返すが、彼は呼びなれているからと軽く言ってのけた。


「日用品かい?」

「いいや、美味いものが良い。奉公先に買って帰ろうかと思ってな」

「帰って夕食を作るのだったね。なら、デザートになりそうなものはどうだろう」


 駅前の和菓子屋はそれなりに有名だったはずだ。僕も河内君にお礼がしたい所だし買っていくことにしよう。まさかこのような再会があるとは思ってもみなかったからね。

 駅から電車に乗って帰ると言うので、駅へと向かうまでの間、僕は彼にあれこれ、鍋師の成り立ちや歴史を聞きながら和菓子屋へと案内した。自分が知らない世界のしきたりや常識というものはたいへんに面白いものだ。

 僕がここの名物は水羊羹だと言うと、彼はそれを購入し、僕もまた河内君への礼にとそれを買った。


「今日は素晴らしい日であった。天狗よ、また会おう」

「ああ。君の話はとても楽しい。また聞かせてくれよ」


 軽く手を上げ、彼は改札の向こうへ颯爽と進んでいった。彼の新しい携帯に一番に入ったデータが住み込み先の人ではなく僕のデータだというのがどこか可笑しく、また少し嬉しくもあった。

 彼はホームへ向かうエスカレーターの先まで進み、やがて姿が見えなくなった。ギアナ高地で出会った彼と今の彼を思い比べながら、少しの間その場に立ったままだったが、しばらくしてから僕はようやくその場を去った。

 ああ、実に面白い休日だった。




   ○   ○   ○




 翌日、出社してきた河内君に水羊羹を渡しておいた。


「何です? 琴科さん」

「なんとなく、君にあげようと思ってね」


 いぶかしむ河内君と僕を交互に見て、社長は面白そうな顔をしている。河内君の予言でいい事があったと見抜いたのだろう。


「天狗は気まぐれなものだからね、遠慮なく受け取ってくれ」

「羊羹好きなんで、くれるんならいただきますけど。まあ、羊羹の分くらいなら仕事引き受けますからね」

「それは助かる。忙しくなったら是非頼むよ」


 なんとなく、本当になんとなくだけれど、僕は天狗が見つかりそうな、そんな予感がしているんだ。今年度は、特別面白い年になりそうだ。


 さあ、今日も仕事に精を出すとしようか。

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