第2話‐3 日々の生活に鍋師がいるということ

 12時前。私は車を用意するためにビルを出た。昼食の時間は削れてしまうが、仕方がない。

 徹夜明けの後藤さんに運転なんぞさせる訳にはいかないし、少しでも体を休めてもらいたいから。弁当は、後藤さんを相手会社まで送り届けてから車内でいただくことにしよう。


 社用車をビル前に回してくるとタイミングよく後藤さんがコンビニの袋を持って降りてきた。


「後藤さん、行きましょう」

「おお、おお。白井様が輝いて見えるぜ」

「徹夜明けで幻でも見てるんです。さ、乗ってください」


 後藤さんが後部座席に乗り込んだのを確認し、私は車を発進させた。


「私のカバンの横に資料を置いてあります。提案をまとめてみましたので、見ていただけますか」


「相変わらずかっけえなあ、白井様は。あ、これもありがとう。助かった」


 そういって後藤さんはコンビニの袋をがさりと揺らす。

 資料片手におにぎりを食べる彼をミラー越しに見て、私は見抜かれたかと心の中で呟いた。竹内ちゃんから手渡されたのになぜ気付くのか。変なところで勘がいいのは後藤さんの能力の一つなのだろう。


「何のことでしょう。竹内ちゃんは気が利きますよね」

「うはは。白井様らしいわ。確かに竹内さんはいい子だわな」

「手を出しちゃダメですよ」

「既婚者に向かって言うセリフか? 大和田はわっかんねえけどよ」

「……そうですね。忠告する相手を間違えました。謝罪します」


 わざと軽口を多めに、私たちはえんとつフーズの事務所へと向かった。

 向こうに着いたら、私は同席せずに待っていることにしよう。環境が変わって変に雰囲気がまずくなるのもよろしくない。

 仕事で成果をあげることが、一番大切なのだから。




   〇   〇   〇




 後藤さんと共に、営業先であるえんとつフーズに到着した私たちは、早くも想定外の出来事に遭遇することとなった。社用車の中で弁当でも食べながら待っていようと思った私は、小走りで駆け戻ってくる後藤さんを見て何事かと外へ出た。

 聞けば、社長が出てしまっていると言うのだ。もちろん、私たちは伺いを立てている立場なので、相手の事務の人にどうすれば良いか聞いてみた。眼鏡をかけたその事務の人は申し訳なさそうに何度も頭を下げ、急いで社長に電話を入れてくれた。

 社長は、自社の農場へ行っているとのことだった。


 先方が約束を取り違えていたり、忘れてしまったりしていることは、ままある。そしてそんな時は逆に好機だ。

 普段と違うこと、というものはそれだけで好材料になり得る。


「後藤さん、後藤さん」

「ん、なんとなく言いたい事は分かるぞ。白井ともそれなりに長い付き合いだ」


 さすが後藤さん。同じことを考えていたようだ。その勘の良さはどこから来るんですか? 腹の贅肉ですか? だとしたら素敵なものですね。いつも「これは妻と共に育て上げた幸せ肉というものだ。断固として俺は痩せない」と豪語しているだけのことはあります。


 農場の場所はここから一時間ほどの郊外だ。山の麓にあるのどかな場所だと資料にあったのを記憶している。イレギュラーが生んだ反則技だが、相手のフィールドに入る絶好の機だ。


 眼鏡の事務の人にお願いして、社長に取り次いでもらう。

 その上で、後藤さんに交渉を託す。私と後藤さんは目でコンタクトを取り、頷きあった。


 相手の社長は最初こそ驚いていたようだったが、後藤さんが「いつもお世話になっているから」と一押しして、私たちは直接社長のいる農場へと向かうことになった。

 私たちも、会社の商品を直接見ておいて損はない。もちろん、それも後藤さんはちゃんと伝えてくれた。

 お礼を言って事務所を出た私たちは会社に連絡を入れた。


「うす、後藤です。ええ、はい。今から白井と別の場所に、ええ」

「あ、竹内ちゃん。あのね、三時になったら河内さんに……うん、そう、その件で。お願いね」


 後藤さんは社長に、私は竹内ちゃんにそれぞれ一報を入れて次なる目的地へと向かい、私たちはえんとつフーズ所有の農場へと到着した。

 ちなみに、お抱え運転手のような真似をしているが、必要があれば行うだけでいつでもこのような仕事の仕方をしている訳ではない。

 今回は無理やり仕事をねじ込んできた琴科さんのせいだ。


「後藤さん、到着しました」


 私は敷地内の駐車場に車を停め、髪形をいじりながら仮眠を取っていた彼を起こした。


「ああ、オハヨ……。あれ、髪型、変えてくのか」

「これでも一応、女ですから。多少は見栄えを気にさせてください」


 職場では女であることを捨てているが、女の武器まで捨てた覚えはない。イレギュラーの場所なればこそ、私は存在するだけで価値がある。

 とはいっても、少し髪型を変えて明るく見せる程度の技術しか持っていないけれど。今度、竹内ちゃんにかわゆさの秘訣でも聞きたいものだ。


「おー。職場と雰囲気変わるな。似合ってる似合ってる」

「……馬鹿にしてます?」

「本心だよ」


 えんとつフーズ所有の農場。その敷地およそ50ヘクタール。野菜を主に扱っているこの農場で栽培されたものの多くは、契約している個人へと出荷されると聞く。個人ということは、バーや居酒屋といった飲食店経営者がその対象だろうか。

 その辺りから、広告を出す相手を絞り込むような提案が出来るかもしれない。


 社長が作業服のまま出迎えてくれた。

 互いに挨拶を交わす。


「いやはや、申し訳ありません! お約束を忘れとった上にこんな辺鄙へんぴなところまで!」


「いえいえ社長! 何をおっしゃいますやら! 先ほども申しました通り、品物を直に見た方がいい。お手数ですが、案内お願いいたします!」


 後藤さんが快活に言い、私も「今日はよろしくお願いします」とぺこりと礼をする。少し仮眠をとったためか、後藤さんは普段通り元気そうだ。


 社長は嬉しそうにあちこちを案内してくれた。

 季節ごとの旬の野菜を出来る限り手軽に。それが社長のポリシーであるらしい。この農場でも、季節ごとにエリアを分けてそれぞれの野菜を作っているそうだ。現在、一番力を入れているのは促成栽培の一画だと言う。


「ウチは小料理屋に扱ってもらう事がほとんどでしてな。そういった所では季節を大切にせにゃならん言いよるんですわ」

「しかし社長さん。それがどうして促成栽培に? 旬よりも早くなりませんか」

「料理の世界には、走り、旬、名残りと時期がありましてな。出始めの時期の先取り感は好まれるもんなんです」


 ああ、なるほど。

 新発売の携帯電話を早く手に入れようと行列をなす人たちの気持ちと同じようなものだろうか。


「無駄になってしまう作物も?」


 後藤さんが尋ねる。


「そうなんですわ。この商売、足りぬも余るも困りもんですな」


 案内の最後に、後藤さんが実際に野菜を食べたいと言うので社長は農場の事務所で私たちにトマトを振る舞ってくれた。もぎってきただけの何の変哲もないトマト。

 トマトと言えば夏野菜。だが、トマト本来の旬は春である。この時期のトマトは、一年で最も瑞々しく、甘いのだ。はて。確信をもってそう思ってはいるが、どこで手に入れた知識だったかな。大学時代に三鍋から聞いたんだったかな。


「白井さん、でしたかな。不思議そうな顔をされてますな。トマトは春が一番の旬なんですわ。どうぞ、どうぞ」


 どうにも社長には勘違いされているようだが、訂正するのも失礼なのでそのまま黙っておく。

 後藤さんをちらりと見ると、新事実を突きつけられたという驚きが浮かんでいた。平静を装っていても分かる。それなりに長い付き合いだもの。


 そしてこのトマトは甘かった。

 私の語彙が少ないのが悔やまれるが、「甘くておいしい」以上の言葉を見つけることが出来なかったのだ。


「うめえ」


 ああ。後藤さん、あなたも私と同類か。

 私たち二人の顔を見た社長は満足そうに頷き笑った。


「その顔が見たくてこの商売はじめたんですわ。多くの方にうちの野菜を食べていただける言うんは、幸せです」


 その言葉が、私にはとてもまぶしく思えた。

 私や後藤さんが仕事に誇りやプライドを賭けるように、社長は野菜にそれらを注いでいるのだ。





   ○   ○   ○




 帰りの車中で、私達はああでもない、こうでもないと話を繰り広げていた。

 まだまだ草案の段階だ。案は多ければ多いほどいい。


「やっぱりあのトマトは美味かったわ。旬の良さを押していくのはどうよ」

「走り、名残りの存在を周知するのも良いですね。幅を広げ、そうした季節にも売り出せればよいのでは」

「やっぱ料理屋か八百屋が層になってくるか」

「そうですね、現状で小売りのノウハウは無いと言っていました。ですからウェブページの充実はあまり効果がないでしょうね」

「個人経営の農場とくれば、知ってる人しか見ないだろうからなあ。新規開拓にウェブページ導入は、イマイチか……」

「ナシではないでしょうが、コストに見合うとは思えませんね」


 そこまで言って、後藤さんはふと話を止めた。なんだろうかと運転席からミラー越しに見ると、彼は私のカバンを見つめて不思議そうに言った。


「白井、弁当派だったっけ?」


 ああ、忘れていた。

 仕事から急に現実に引き戻された感じがする。家に押しかけてきた自称、鍋師の存在を思い出してしまった。


「なあ、食ってもいいか」

「え。食べるんですか」

「いつもコンビニパンで済ませてた白井の弁当だろ? 興味ある」


 いや、私の弁当ではあるが、私の作った弁当ではないのだ。しかしここで作ってもらったなどと口にしては後が大変だ。

 どうしよう。自分で作ったことにするのがいいのだろうか。いやでも三鍋に悪い気がする。さすがに。


「ダメか?」


 くそう。想定外だ。

 後藤さんがめざとい。確かに、おにぎりとお茶だけしかなかったからお腹は減っているのだろう。ここで否定したら、それはそれで面倒だ。勘のいい後藤さんのことだから、変に追及の手が入ることになるだろう。かといって、どこかで食べて帰りましょうと言うのも不自然だ。


 弁当が見つかった時点で手詰まりだったらしい。

 私は三鍋に対する罪悪感を出来るだけ考えないようにして、出来る限り平然と答えた。


「味の保証はしません。そして条件が一つ。それぞれの評価を。出来るだけ詳細に話してください」

「花嫁修業の一環か? こりゃあ明日は雨どころか雪だな」

「許可を取り消しましょうか?」

「すまん、ありがたくいただく。腹減ってしょうがなかったんだ」


 ごめん、三鍋。

 私の平穏な仕事環境のために弁当(それ)は犠牲になりました。


 きっと三鍋のことだから不味いものなど入っていないだろう。

 たった2日ではあるが、三鍋の作ってくれたごはんのおいしさを思うと、ちょっと勿体ない気もする。


「うまそうだな、これ」

「どれですか」


 せめてどんなものが入っていたかは記憶して帰ろう。


「なんかこの……。うん、美味いわ。ミニごぼうみたいな甘辛いの」


 なんだそりゃあ。分かるものを入れてくれよ三鍋。


「スーパーで安売りしていたものを煮詰めただけです。おいしいなら良かったです」


 苦しい。我ながら言い訳が苦しい。

 駄目だ。これはもはや白状してしまった方が早いんじゃなかろうか。


「米、普通じゃないな。うめえ。何で炊いたんだコレ」


 わっかんないですってば。見た目ただの白米じゃないか。なんだ。なんだ三鍋。私に恨みでもあるのか。無色透明の何を炊き込んだんだお前は。


「昆布だし……です」


 もう駄目だあ。

 帰ったら三鍋に権利のないクレームを理不尽に入れることを決意して、おいしそうに弁当をほおばる後藤さんをちら見しながら私は会社へと車を走らせた。




   ○   ○   ○




 社に戻った時にはすでに定時に近い時間だった。

 オフィスフロアの隅で大和田くんが力尽きている。


 他の人たちものんびりと帰り支度をしている人が多い。私は他の人と同様帰り支度をしている河内くんを見つけ、今日の連絡役を竹内ちゃんにお願いしたことを思い出した。

 その竹内ちゃんは……あれ、いない。もう帰ったのかしら。


「竹内嬢なら今しがた帰った所だよ。残念だったね、白井君」


 琴科さんがひらひらと手を振って教えてくれる。見抜かれてしまった。

 この人のこの超然とした態度はどこから出てくるのだろう。


「今日は本当にありがとう。どうだい、四人で飲みにいかないか。もちろん、僕のおごりだ」


 一つの仕事をやり終えたら、通例としてささやかにだが関わった人間で飲みに行く。今回はチーム・琴科の一員に私もカウントしてくれるらしい。光栄だ。


「異存ありません。上限はありますか」

「琴科さん、こいつウワバミっすよ」


 後藤さんめ、余計なことを。


「無論、好きなだけ。労働は正しく評価されなければ。白井君が今回の影の功労者なのだからね」


 何でもないといったようにからから笑う琴科さんは本当に面白い人だ。これが独身の余裕といったものだろうか。同じ独身の私に、この余裕は出せそうにない。

 しかし、見習うつもりもない。ハナから真似などできるはずがないと分かっているからだ。


 私は荷物をまとめるのでと言ってその場を後にした。

 後ろから「いつもの所なー」と聞こえてきたので、振り向かずに手を挙げてそれに応えた。


 今日は美味い酒が飲めそうだ。

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