第20話

 夕食を済ませ、入浴を終えると、三人は一階の和室に集合して布団を敷いた。カイリの部屋は狭くないが、三人が寝るとなると少々窮屈なので、そちらで寝ることにしたのだ。ナツキを真ん中にして、右にチグサ、左にカイリ、という並びだ。

 湯上りの火照った体を布団の上に横たえて、取り留めもなく言葉を交わす。そう長い時間ではなかったがはしゃいだ疲れと、夜の静けさが相俟って、落ち着いた雰囲気での会話となった。

 話はやがて恋の話題へと移ろった。会話はカイリが饒舌に牽引した。

「顔は割とよかったんだけど、あたしがトイレに行きたくなってみんなから離れたら、ストーカーみたいについてきたのね。睨んでやったら、なんかへらへらしながら、泳ぎ終ったらどこかに遊びに行こうとか、誘ってくるわけ。下心丸出しだからだと思うんだけど、そのときの顔が信じられないくらいに不細工だったから、これはないな、と思って。あたしはトイレしたいんで、それどころじゃないんで、みたいなことを言って追い払ったんだけど」

 カイリが語っているのは、去年の夏に海に行ったときに、大学生を自称する男にナンパされた話。女友だち四人で海水浴に行ったさいの出来事らしい。

 昨夏といえば、ナツキとカイリはまだ仲違いをする前だが、話題に上っている海水浴にナツキは参加していない。カイリの交友関係の広さは知っているが、年上の男性から誘いを受けた出来事とセットで事実を伝えられると、やはり驚いてしまう。

「そのあとどうなったの? 笹沢さん、怖い目に遭わなかった?」

 ナツキの頭越しにカイリを見ながら、チグサが尋ねた。チグサは最初こそただ話を聞くばかりだったが、会話が進むにつれて、意見や質問を投げかける頻度も高まってきた。

「向こうが思いのほかあっさり引き下がったから、そういうことは別に。軽薄そうなやつだったし、すっぱり諦めて、他の女でもナンパしにいったんじゃないの」

 カイリはがらんとした床の間をじっと見つめる。当時に思いを馳せているのだろうと思っていたら、いきなりチグサに話を振った。

「木島さんはどうなの? 男関係の話、全然聞いたことないから、すごく気になるんだけど。ちょっとしたことでもいいから、この機会に話してよ」

「えっ、私? 私はそんな……」

 チグサはかすかに眉根を寄せて口ごもった。ナツキは助け舟を出すつもりで言った。

「チグサ、最近後藤くんと仲いいよね。普段どんなことを話しているのか、教えてよ」

「は? 後藤と?」

 カイリは顔をしかめた。といっても、不快感や不信感を抱いたのではない。驚いたが、自分が驚いたことを他人に知られたくない場合に、決まって見せる表情だ。チグサはナツキを睨んだが、カイリへと視線を向け直したときには、困り顔に戻っている。

「たしかに『かけはし』でいっしょに食べてたけど、ナツキもいっしょだったし、そんなふうには思わなかったけどな。木島さんと後藤って、なんか意外な組み合わせ」

「笹沢さんが思っているのとは全然違うよ。よくメッセージのやりとりをするだけで」

「どんなこと話してるの。教えてよ」

「わたしも気になる! 教えて、教えて」

 チグサは俯いて考えこむ。やがて布団から体を起こし、二人に膝を向ける形で正座をした。

「やましいことはなにもないから、言うけど」

 前髪を触りながらそう前置きする。さらに数秒の間を置いてから、ようやく話し始めた。

「『かけはし』で四人で食べて、笹沢さんが帰ったあとで、後藤くんがアプリのIDを教えてくれたの。私一人だけじゃなくて、ナツキにもね。その日の夜から、後藤くんから頻繁にメッセージが来るようになって。内容は、その日の『かけはし』の客足とか、日常のささいなこととか。頻繁にっていっても、わたしがナツキ以外の人とやりとりする機会がめったにないからそう感じるだけで、客観的にはものすごく多いわけではないと思う」

「後藤くん、わたしよりもチグサに送るメッセージのほうが圧倒的に多いからね。そのことをチグサから知らされたとき、びっくりしたもん。わたしには一日おきに一回とかなのに、チグサには一日に二十往復とかだから」

 カイリはチグサにではなくナツキに「マジで?」と目で問いかける。問われたほうは、しかつめらしい顔で「マジで」と頷く。

 チグサは親友の発言を遮ろうとするように、なにか言おうと唇を半分開いたが、一言も発しなかった。ナツキが喋るのをやめると、その頬は紅潮した。後藤くんの名前が出て以来、一貫して照れているような気配に滲ませながらも、顔に赤味は表われていなかったので、頬がいきなり炎上したように見えた。

「で、どこまで進んでいるの、お二人は。デートとかは?」

「そういう関係じゃないよ。約束したこと自体ないし」

「約束はしていないかもしれないけど、夏祭りにいっしょに行こうって後藤くんから――」

 ナツキがセリフをみなまで言えなかったのは、チグサに腕を叩かれたからだ。チグサは腕力がないので痛くはなかったが、チグサなりに力をこめた一撃なのは分かった。

「夏祭り、か」

 カイリはおもむろに上体を起こしてその場に座り、チグサへと身を乗り出す。

「そういえば、あたしが引きこもってるあいだにあったね、そんなイベントが。そこで進展があったの?」

「ない、ない。なにもないよ。ナツキといっしょに行ったら、たまたま後藤くんと河川敷で会って、三人で花火を見ただけだから」

「たまたま? ほんとかなぁ。後藤、木島さんを待ち構えていたんじゃない? 男って無意識にするからね、そういうストーカーまがいの行為」

「違うと思う。私たち、割と長く屋台を見て回っていたから、待ち伏せをしていたなら声をかけてきただろうし」

「あっ、後藤を庇うんだ」

「違うって。笹沢さんが思っているような意味で庇ったわけじゃないから」

 カイリとやりとりしながらも、牽制するようにナツキを何度か睨む。花火を待つあいだ、チグサと後藤くんのあいだで語られたのは、二人の家庭環境についてだった。後藤くんの許可をとっていない今の段階で、その話題をカイリに話すのは控えてほしい、という意味だろう。

「あっ、そう。木島さんがそう言うなら、そういうことにしておこうかな。じゃあ、デート以外ではなにかあった? たとえば、プレゼントを送ったり送られたりとか」

「プレゼント……。あっ、そういえば」

 ちょっとごめん、と断って、枕元に置いているスポーツバッグの中を探る。取り出したのは、一通の便箋。

「チグサ、それは……」

「ナツキも見たでしょ。後藤くんからもらったものだよ。IDを教えてくれたときに」

 リレー形式で便箋がカイリの手に渡る。カイリはそこに綴られた字をじっと見つめ、チグサに視線を合わせる。

「これ、木島さんだけのもの? ナツキには別の便箋を送ったの?」

「ううん、二人で一枚。後藤くんが私たちに協力したいって申し出てくれて、とりあえず連絡先を交換しておこうということになって、IDを便箋に書いて渡してくれたの。私たち、スマホを持ち歩いていなかったから。そのIDを、私がメモ帳に書き写してナツキに渡して、便箋は私がバッグに入れたまま忘れていたの」

「なるほどね。後藤のやつ、なかなか上手いことやるじゃない」

 ナツキはチグサの発言のおかしな点に気がついた。

 チグサは二回目のピラミッド行きから、ずっとポーチを腰に巻いている。ただ今日は、一泊に備えて着替えなどを持っていく必要があるということで、例外的に大きめのバッグを使っている。

 四人で食事をしたとき、チグサが携帯していたのはポーチだったのだから、後藤くんから渡された便箋は、当然ポーチに収められたはずだ。

 その便箋がバッグから出てくるということは――。

「チグサっ!」

 ナツキは素早く体を起こすと、親友の肩を強めに叩いた。

「後藤くんとのこと、親友として応援してるから。ちょっと嫉妬しちゃうけど、チグサが嬉しいとわたしも嬉しいから。がんばれっ!」

「ちょっと、なにを勝手に言って――」

「あっ、恥ずかしがってる! かわいいなぁ、もう!」

 頭を撫でようとしたナツキの手をチグサが払い除けたことで、二人のあいだでじゃれ合いが始まった。チグサは初めこそむっとした様子を見せていたが、すぐに笑顔に変わった。

「あーあ、なにやってんだか。子どもじゃあるまいし」

 カイリは呆れ声を発したが、顔はほほ笑ましそうだ。――そして。

「二人とも、やめなって」

 仲裁に入るふりをして、自らも戯れに参加したのだった。

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