第19話
「ここ、そうなんだよね?」
立派な構えの門の奥に建つ、巨大な二階建て日本家屋を見やりながら、ナツキは言った。
「そうでしょ。そう書いてあるんだから」
チグサはチグサらしく冷静に答えたが、双眸は親友と同じ対象に釘づけになっている。
ナツキは改めて門札に注目した。三十秒前に見たときと同じく、笹沢、と明記されている。カイリから送られてきた画像をプリントアウトしたものを、リュックサックから取り出して確認してみる。笹沢家、と注釈された地点が二人の現在地で間違いなかった。
「カイリ、こんなに大きな家に住んでいたんだね。びっくりした!」
「うん。すごく立派なお家」
「すごい雰囲気だよね。なんていうか、お手伝いさんが二・三人働いていそう。カイリのことをお嬢さまとか呼んで」
「笹沢さんがそう言っていたの?」
「たとえだよ、たとえ。カイリは無意味な嘘をつくタイプじゃないから、少なくとも今日は一人なのは間違いないよ」
「とにかく、ここが笹沢さんの家で間違いないんだから――」
「そうだね。押しちゃおう」
インターフォンを鳴らす。五秒も待たずに繋がった。
「やっと来た。ちょっと遅くない?」
「カイリ、来たよー! いえーい!」
モニターのレンズに向かって両手を振る。同じ行為を促すつもりでチグサを横目に見ると、眉根を寄せて親友から一歩離れた。インターフォン越しにため息がはっきりと聞こえた。
「なにはしゃいでんの。遠足に来たわけじゃあるまいし」
「似たようなものでしょ。カイリ、門開けて。それとも、すでに開いてる?」
「閉まってる。かわいい女の子が一人でいるのに、物騒でしょ」
通話が切れた。すかさずチグサが、
「ほら、怒られた。もうちょっと静かにしてよ、恥ずかしい」
「チグサとかカイリとかのほうが異常なんだって。だって、泊まりに来たんだよ? テンション上がらない?」
「私は笹沢さんとは親しくないから、そこまでは」
「もう、そんなこと言っちゃダメでしょ」
「でも、事実ではあるわけだし」
「チグサは消極的すぎだよ。せっかく仲よくなれるチャンスなんだから、『よっしゃ、仲よくなるぞ!』っていう気持ちを前面に出していかないと」
足音が近づいてきた。閂が外される音がして、どこか厳かさを感じさせる音を立てながら門扉が開かれる。
「ナツキ、木島さん、こんにちは――いや、こんばんは、かな」
カイリはTシャツにジーンズという、彼女にしては飾り気のない、肩肘を張らない服装に身を包んでいる。
「カイリのパンツ姿、なんか新鮮だね。体育のときくらいだもんね、スカートじゃないのは。脚長いからすごく似合ってる!」
「そう? 家にいるときはいつもこんな恰好だけど」
「お尻が締めつけられてきゅっとなって、すごくかわいいよ。似合う、似合う。さすがカイリ」
「なにその着眼点。きもっ」
つぶやきを漏らし、チグサの耳に唇を寄せる。
「ねえ、ずっとこのテンションなの? ちょっとうざい感じの」
「ずっとっていうか、だんだん高くなっていってる」
顔を遠ざけ、ため息。やれやれ、というふうに両手を腰に当てたが、すぐにそのポーズを解除して二人を手招く。
「入って。門、閉めちゃうから。あたしの部屋に行こう」
「うわっ、広っ!」
元親友の自室を初めて見たナツキの第一声だ。
現在地に至るまでのあいだに、広い玄関や、長い廊下や、高級な調度品を見たときも、ナツキは決まってシンプルで短い感想を述べてきた。そのたびに、呆れたようなリアクションを見せてきたカイリだったが、呆れるのにも飽きたらしく、リアクションに対するリアクションを示すことはもうない。
「あっ、ぬいぐるみだ。おっきい! わー!」
ナツキがベッドの上に見つけたのは、年端のいかない子どもほどの大きさの、栗毛のクマのぬいぐるみ。古いもののようで、左腕の付け根に修繕された形跡がある。
「小さいころにプレゼントされたものだから、捨てづらくて。見てのとおり邪魔なんだけど」
カイリは眉をひそめて説明する。
「中学生になってもぬいぐるみを持っていることに、なにか文句でも?」
「そんなこと一言も言ってないよ。文句どころか、むしろ嬉しいかな」
「嬉しい? なんで?」
「昔誰かにもらったものを、大きくなった今も大切にしているってことでしょ。そういうの、なんかいいなー、と思って」
カイリは真顔でナツキの顔を見つめる。どうしたの、と問おうとすると、言葉をかけられるのを嫌がるように背を向けた。
「お茶、淹れてくる」
後ろ姿が消えたのを見届けて、広々とした部屋の中央、正円形のガラステーブルに向かって二人は座る。向かい合うのではなく、ドアから近い側に肩を並べて。荷物を床に下ろすと、すかさずチグサが、
「せっかく泊まりに来たんだから、喧嘩は絶対にやめてね」
「分かってる。怒り出さないギリギリのラインを攻めているから、大丈夫だよ」
「そんな冒険、しなくてもいいから」
「仲よくなるためにはそういうことも必要なんだって。分かってないなぁ、チグサは」
言葉のキャッチボールをするあいだも、四つの瞳は盛んに動いて室内を観察する。ナツキは本棚を見つけて「あっ」と声を漏らした。
「マンガがいっぱいある。カイリね、意外かもしれないけど少女マンガが好きで、昔は熱心に語り合ったりとかしたんだ」
「そうなんだ。ナツキは少年マンガ派だったよね」
「どっちかというとそうだけど、マンガならだいたいなんでも読むから。ていうか、ほんと懐かしい。うわー、テンション上がる!」
「まだ上がるんだ」
呆れたようなチグサの言葉を聞き流して、ナツキは本棚の前まで移動する。そのうちの一冊を抜きとる。
「ちょっと、人の私物を勝手に……」
「まだ戻ってこないだろうから、平気、平気。それにしても懐かしいなー、この作品」
ページをめくろうかとも思ったが、それは自制し、表紙をチグサに見せる。
「ああ、それね。けっこう流行ったよね。実写ドラマ化もされたんだっけ」
「そうそう。ヒロインの恋人候補がいちいち個性的で――」
マンガも含めて本をよく読むチグサは、その作品は既読だったらしく、話が盛り上がった。
ふと気がつくと、トレイを手にしたカイリが戸口に佇んでいる。その顔つきは、穏やかではない。
「ナツキ、なにやってんの?」
「やばっ」
速やかに本を棚に戻し、動物じみた素早さで元の場所に舞い戻る。カイリは何秒間か本棚を凝視してから、テーブルまで歩み寄ってグラスを配る。氷入りのアイスティー。グラスをテーブルに置く手つきは少々荒っぽい。
「……で、勝手になにをしてたわけ?」
二人の真向かいに腰を下ろし、睨むと言っても過言ではない鋭い目つきでナツキを見据える。
「いや、懐かしいなー、と思って。ほら、わたしたち、昔はよくマンガの話をしたでしょ?」
「それが勝手に見ていい理由になるとでも思ってるの? 図々しいんだけど」
チグサが今にも口を開きたそうにナツキを見ている。安心して、とばかりにチグサに視線を送り、曇りのない笑みをカイリに向ける。
「ならないかもしれないけど、カイリも変わっていないところあるんだなって思ったら、つい見入っちゃったの。不愉快だったら、謝るよ」
返事はない。ナツキは言葉を続ける。
「カイリ、中学生になってからすごく変わったでしょ? 大人っぽいのは昔からだけど、それにしても変化が急っていうか。わたしも周りの子も、そこに戸惑っているんだと思う。カイリのことを知らなかった、別の小学校出身の子は別にして」
カイリはグラスには手をつけずに話を聞いている。それはチグサも同じだ。
「髪の毛を染めたとか、そういう細かいことももちろんだけど、それだけじゃなくて、なんていうか、考えかた? 姿勢? 生きかた? ようするに、根本的な部分だよね。そこがいきなり劇的に変わったから、置いてきぼりを食らったみたいな、そんな気がして」
カイリは物言いたげに唇をうごめかせたが、なにも言わなかった。ナツキは白い歯をこぼす。
「だから、昔と変わらないところがあるのを見つけて、安心したし、嬉しかったんだ。勝手に見たのは悪かったと思う。ごめんね」
「……なんか大げさ。変わらないこともあるのが当たり前でしょ」
ふう、という声を息とともに吐き、カイリはアイスティーを一口飲んだ。感じの悪いため息ではなかった。
誰からともなく、他愛のない話が始められた。
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