第17話

 待ち合わせ、他の場所にしたほうがよかったかな。

 鳥居周辺が人でごった返しているのを見て、ナツキは少し後悔した。去年はナツキの家で待ち合わせて、合流してから神社へ向かったが、今年は移動距離が短くて済む現地集合にしたのだ。

 変更するにあたっての唯一の懸念材料が、人混みの中から待ち合わせ相手を見つけられるか、ということだったのだが――花火の打ち上げまではまだ一時間以上もあるのに、まさかここまで混雑しているとは。

 朱色の鳥居に近づくにつれて、人々のざわめく声が大きくなる。中でも目立っているのは、子どもがはしゃぐ甲高い声。高まっているのは熱もそうだ。熱気などという抽象的なものではなく、人体から実際に発せられている熱が気温を押し上げている。

 浴衣を着ている人の割合は、老若男女を問わず予想以上に高い。浴衣を着たいとは思っていない、そもそも一着も持っていないナツキはなんとも思わない。ただ、チグサが普通の服と浴衣、どちらを着てくるのかはずっと気になっている。

 不意に、こちらに向かって手を振る人物が目に留まった。もしやと思い、人波をかき分けて近づく。ある程度まで距離が縮まったことで顔が判別できた。

「チグサ!」

「ナツキ! こっち、こっち」

 遠くから見たチグサの笑顔は、普段よりも子どもっぽく感じられる。ナツキは無性に嬉しくなった。人が多すぎて、すぐには辿り着けないのがもどかしい。

「チグサ、早いね。わたしだって家は早めに――あっ!」

 チグサは浴衣を着ていた。白地に紫色のアサガオが描かれ、帯は爽やかな空色だ。チグサは少々照れくさそうながらも、晴れやかにほほ笑む。

「昔買ってもらったやつだから、ちょっときついけど。……似合う?」

「似合う、似合う! すっごくかわいい! かわいすぎて、なんていうか――あー、もう! 語彙が足りないよ、語彙が。ちゃらいお兄さんにナンパとかされなかった? 大丈夫?」

「なに興奮してるの? されるわけないでしょ」

 チグサはナツキに苦言を呈するとき、「あなたの言動を快く思っていませんよ」というメッセージを明確に顔に表すのだが、今回は上機嫌そうなまま。その表情は、むすっとした顔よりもずっと、かわいい浴衣にぴったりだ。

「でも、ありがとう。私としては思いきったつもりだから、褒めてくれてよかった」

「ねえ、写真撮ろうよ。記念撮影! ねえ、いいでしょ?」

「えー、いいよ。そんな大げさな」

「だって、かわいいもん、チグサ。今までのチグサの中で五本の指に入るくらいかわいい」

「褒めすぎだって。撮るなら、帰るときに覚えていたらにして。ほら、行こう」

 チグサはナツキの手をとって歩き出す。名残惜しい気持ちはあったが、手を繋いで歩くというのは悪い気分ではない。自分からではなく、チグサのほうから握ってくれたからこそ、より強くそう思うのかもしれない、と頭の隅で考えた。

 鳥居を潜ったとたん、賑わいが増したように感じられた。それが引き金となって、祭の渦中に身を置く高揚感は増した。

 境内の雰囲気や、なにを食べたいかについて話しながら、ナツキはチグサの横からの姿をしげしげと眺める。違うのは服装だけなのに、いつもにも増して美人に見える。本人は「褒めすぎ」と謙遜したが、写真に収めたくなったのも無理はない、と思う。このままでも充分に魅力的だが、口紅を薄く引いても似合うのでは、などと妄想したりもした。

 まずは定番ということで、ひとパックのたこ焼きをシェアして食べた。金魚すくいをするかやめておくか、迷ったが、世話のことを考えて見学するだけにした。かき氷の屋台を見つけ、迷わずに購入する。ナツキはいちご、チグサはブルーハワイ。

 運よく空いているベンチを見つけて腰を下ろし、シロップがかかった氷の山を崩しながら、一匙ずつ口へと運ぶ。頭が痛くなるたびに大げさな悲鳴を上げながら、冷たさと甘さを楽しんだ。

 そのさなか、何気なくといった口振りで、チグサがこんなことを言った。

「参道はもう半分くらい歩いたけど、後藤くんは見かけないね」

「え……」

 同じ学年の誰々が屋台に並んでいるのを見た、顔見知りの誰々と擦れ違った、といった話題は、歩いているときも食べているときも出ていた。しかし、誰々をまだ見かけていない、という切り口で人名が出されたのは初めてだ。

 その初めてとなる人が、なぜ後藤くんなのだろう。たしかに、今夏に最も繋がりを深めた人物ではあるのだけど……。

 ナツキが違和感を抱いたことに、チグサはチグサらしい鋭さで察知したらしく、こう説明した。

「後藤くん、夏祭りは毎年来るって言っていたから。いつも楽しみにしているって」

「……チグサ。もしかして、後藤くんとメッセージのやりとり、割と頻繁にしてる感じ?」

「毎日ではあるけど、ナツキと比べるとどうってことはないよ。朝と夜に数回ずつ、一日合計二十往復とか、その程度だから。長文のやりとりはほとんどないし」

 ナツキは開いた口が塞がらない。

『かけはし』で連絡先を交換して以来、ナツキは後藤くんとは合計で二十往復くらいしかメッセージをやりとりしていない。

 最初は物珍しさから、ナツキが積極的に発信して後藤くんが律儀に返信するという形で、日常のこまごまとしたことを報告したり、撮影した画像を送ったりしていた。しかし、やりとりを重ねれば重ねるほど募っていく、異性と親密に交流する気恥ずかしさに邪魔をされて、頻度は低下の一途を辿った。三日前、互いに購読している少年マンガ雑誌の今週号の感想を送り合ったのが、現時点での最後のやりとりとなっている。長文のメッセージなど、ほとんどどころか一通もない。

 まさか、人付き合いが苦手なチグサが、後藤くんと仲よくなるなんて。

 夏祭りに浴衣を着てきた本当の理由が、すとんと腑に落ちた。それを合図に、ナツキの脈拍は少し速まった。口紅が似合いそうな今宵の横顔――なるほど、そういうことだったのか。

「ナツキ、なんで黙っているの?」

「チグサは後藤くんとどんな話をしたの? 言える範囲で教えてよ」

 興奮を懸命に抑えた声で、ナツキは要望を口にした。連絡先を交換して以降、という意味だったのだが、チグサは夏祭り関連限定だと解釈したらしく、

「花火楽しみだねとか、なにを食べたいとか、そういう他愛もない話だよ。さっきまでナツキと普通に交わしていたような。あと、いっしょに会場を回らないかって言われたけど、ナツキと行く予定だからって言って断った」

「えええっ!? ちょっと! ちょっと、ちょっとチグサっ!」

 双眸を見開いて顔に顔をぐっと近づける。器が傾いたので、氷が少量こぼれた。

「なんで断ったの? えっ、普通、オッケーしない? なんで? なんで?」

「だって、あまり親しくないし。それに、夏祭りは毎年ナツキといっしょに行っているから、今年だけ違うことをするのも……」

 さすがにそこまで鈍感ではなかったようで、頬が赤い。それを冷まそうとするように、かき氷をスプーンで口へと導く。咀嚼音は遠慮がちで、ほとんど無音だ。

「そんなこと言ってたら、永遠に平行線じゃん。――よし、チグサ!」

「なに?」

「探そう、後藤くん。毎年楽しみにしてるって言ってたんでしょ? だったら、夏祭り会場まで来てるんじゃないかな」

「そうかもしれないけど、だからって……」

「さっさと食べてさっさと出発しよう。急いで!」

 ナツキはかき氷を勢いよくかきこみ始めた。チグサは戸惑った様子ながらも、食べるペースを上げた。

 食べ終わるとすぐに、二人は後藤くん探しを開始した。

 探すといっても、徹底したものではない。無駄話に費やす時間と、屋台に関心を注ぐ時間をいくらか抑えて、念入りに周囲を見回しただけだ。

 あまりにも人出が多く、成果を疑問視する気持ちから、スタート当初から集中力は充分とはいえなかった。加えて、二人とも屋台の商品を食べることを念頭に、夕食は控えめにしていたので、食べ物の誘惑に簡単に負けてしまう。空腹感が解消されてからは集中力が散漫になり、ただ歩いているだけに等しくなった。

 けっきょく、ゴールと定めた拝殿に辿り着くまでに、後藤くんの姿は発見できなかった。

「チグサ、残念だったね。来ていないのか、見つからないだけなのか、分からないけど」

「来ていたけど帰った可能性もあるし」

「あっ、そうか。……うーん。やっぱり、見つけるのは難しかったのかな」

 携帯電話を確認すると、祭りのメインイベントが始まるまで三十分少々という時間だ。

「チグサ。少し早いけど、移動しようか」

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