第14話

 生じた間の長さは、ナツキには実際の二倍にも三倍にも感じられた。それを破るカイリの「はあ?」という声は、空間を満たす静けさも相俟って、強く鼓膜を震わせた。

「ピラミッドって、エジプトとかにあるあれのこと? あれが林の中に建ってるの? S町の外れにあるあの林に?」

 頷くと、カイリは眉間に思いきりしわを寄せた。

「林の中にピラミッドって……。そんなもの、あるわけないじゃん」

「それが、あるんだって。本当に林の中にピラミッドがあるの。この目で見たんだから、紛れもない事実だよ」

「見たってことは、なに? 林まで行ったの?」

「行っていないよ。一学期の終業式があった日に、チグサと二人で駅ビルまでお昼ごはんを食べに行って、帰りに屋上に寄って景色を見ていたら、たくさんの木に囲まれているピラミッドを見つけて」

「本当に? 見間違いじゃないの?」

「見間違うはずがないよ、あんなに大きくて個性的な形の建物。チグサだってばっちり見たし。そうだよね?」

 視線と言葉を投げかけると、チグサはカイリのほうを向いて頷いた。

 カイリの表情は疑わしげなままだ。疑念は薄れるどころか、むしろ深まった感すらある。

 その向かいの後藤くんは、驚愕と困惑と不信感がない交ぜになった表情をしている。ピラミッドという単語が出て以来、ずっとその顔だ。

「ネットで調べたら詳細が分かるかもしれないけど、そんなのはつまらないと思ったから、ピラミッドに関する情報はシャットアウトして、林まで行くことにしたの。誰かに教えてもらうんじゃなくて、自力でピラミッドに辿り着いて、自分の目でピラミッドの正体をたしかめる。それがわたしたちの目的」

 カイリが反応を示すまでには少々間があった。ナツキからすれば、心地いいとは決していえない間が。

「それだけの理由で、大きなリュックサックを背負って、暑い中を歩き回っているわけ?」

「そうだよ。文句ある?」

「バカじゃないの。ガキかよ」

 吐き捨てるような物言いに、場の空気は張り詰めた。

「木島さん、人がいいから、どうせナツキに無理矢理付き合わされてるんでしょ。ガキくさい遊びに他人を巻きこむって、マジで迷惑ね。木島さんとあんた、両方かわいそう」

 ナツキは体温の上昇を自覚し、頬に灼熱感さえ覚えた。テーブルの下の両の握り拳が不穏に痙攣する。

「もったいぶった言いかたをするから、シリアスな話なのかと思ったら、そんなくだらないことだったとはね。真剣に聞いたあたしがバカみたい」

 教室で時折するように、カイリと派手に口論をくり広げる自分の姿を、ナツキは脳内に鮮明に描いた。

「これだからナツキと話すのは嫌なの。ガキくさくて、こっちまでレベルが低い人間にならなきゃいけないから」

 しかし、懸命に理性を働かせて、イメージを頭の中から追い払った。

 ショッピングセンターでのカイリとの一件を話したとき、暴力を振るうのを自制したナツキの対応を、チグサは称賛するとともに、全面的に支持する旨を述べた。暴力を振るっても自分が損をするだけだよ、と。

 ナツキがその発言を思い出したのは、感情を抑えこんだあとでのことだったが、抑えこむことに成功したのは、あのときに得た教訓が胸の奥から作用を及ぼしてくれたおかげだ、という気がした。

 わたしのことをガキって言ったけど、カイリのほうがよっぽど子どもじゃん。

 似たような思いはこれまで飽きるほど抱いてきたが、心に余裕を持ってそう思えたのは、これが初めてかもしれない。

 予測とは違った対応がとられたからだろう。カイリは怪訝そうな、かすかに不安も滲ませたような顔でナツキの顔を見返した。

「カイリにとってはくだらないかもしれないけど、わたしたちにとってはそうじゃないから。わたしたちがやろうとしていることをバカにしたいなら、好きなだけどうぞ。カイリに悪く言われたからって、ピラミッドの正体を掴むのを諦めるなんて、絶対に有り得ないから」

 毅然と断言して、食事に戻る。一人だけ器の中の減り具合が遅い。わらびもちを二個まとめてフォークに突き刺し、口へと運ぶ。

 カイリは表情のない顔でナツキの顔を凝視していたが、やがてスプーンを動かし始めた。無言で、どこか淡々とした手つきで。それに少し遅れて、チグサと後藤くんも食事を再開した。

 友だちと話をするときなんかに、今日わたしが言ったことをばらして笑うんだろうなぁ、きっと。

 そう思うと悔しかったが、なるべく心を空にして、黙々と食べ続けた。


 約束どおり代金はナツキが支払った。誰が払うのか決めていなかった、後藤くんのぶんも含めて。

「少し出そうか?」

「俺、自分のぶんは払うよ」

 チグサと後藤くんが相次いで申し出た。ナツキは二人の心づかいに感謝しつつも、どちらも辞退した。二人は似た者同士なのかもしれない。頭の片隅でそう思った。

 一方のカイリは、ナツキには見向きもしない。チグサや後藤くんにも目を合わさず、わざとふて腐れた態度をとっている節がある。眉子に対して「ごちそうさま」の一言もなかった。

 わざわざ不機嫌そうに振る舞う必要はないのに、とは思ったが、腹は立たなかった。悪口を言いたいなら好きなだけ言え、と開き直って以来、心に余裕が生まれていた。

「カイリ、最後に一つだけいい?」

 四人全員が店の外に出たタイミングで、ナツキは切り出した。

「なに? まだなにかあるの?」

「あのね、カイリの家、林から割と近いんでしょ。だったら、家がある場所を教えてくれないかな。ピラミッドに辿り着くための足がかりにしたいから」

「嫌です」

 ぴしゃりと言って、自転車の錠を開けてサドルに跨る。ナツキは自転車の横手に素早く回りこんでハンドルを掴んだ。

「ちょっと。漕げないから、離せよ」

「なんで教えてくれないの? もしかして、自分が帰る家の場所も忘れた?」

「んなわけないでしょ。あんたに個人情報を教えたくないだけ」

「なんで? それくらいいいじゃん」

「ていうか、自力で辿り着きたいとか言ってなかった? 人を頼ってんじゃねーよ」

「だって、あまりにも道が複雑だから」

「たしかにね。『かけはし』から林のほうへ行くあたりの道、なんかごちゃごちゃしてるもんね。まあ、あたしは抜け道を知ってるけど」

「じゃあ、それを――」

「もう、うるさいなぁっ! 離せよ、バカっ!」

 カイリは手刀を振るってナツキの手を離させ、ペダルを漕ぎ始めた。ナツキは追いすがろうとしたが、チグサが「危ない」と言って腕を掴む。

 遠ざかっていく自転車は、十メートルほど進んだところで停車した。カイリは三人のほうを向いた。

「いろいろとむかつくことはあったけど、おごってもらったし、特別サービスで赦してあげる。――でも」

 約十メートル離れた場所からでも、顔が憎悪に歪んだのがはっきりと見てとれた。間近で目にしていたならば、思わず後ずさりをしていただろうというような、激しい歪みかただ。

「あたしの友だちに探りを入れるとか、そういうバカな真似はしないでよ。もしそれをやったら、ナツキ、あんたマジで殴るからね。……じゃあね」

 カイリは立ち漕ぎをして見る見る遠ざかっていく。まだチグサに手を掴まれたままだったが、振りほどいて追いかける気力は湧かない。

「行っちゃったね」

 後ろ姿が見えなくなってすぐ、チグサがつぶやいた。掴んでいた手をようやく離し、ナツキと目を合わせる。

「ていうか、笹沢さんの家がある場所、知らなかったんだ。昔は仲よかったのに」

「うん。わたしも、元常連の子がカイリだって分かった瞬間、『あっ、カイリの家なら分かる!』って思ったんだけど、よくよく考えると知らないんだよね。カイリがうちに遊びに来たことは何回かあるんだけど、逆は一度もなくて」

 親友。大喧嘩をして仲違いをする前までは、カイリとの関係はそう表すのが最も適切だと認識していた。それはカイリも同じだったはずだが……。

「チグサの意見も聞かずに、いろいろと突っ走っちゃったけど、怒ってない?」

「怒ってないよ。ピラミッドの正体をたしかめようって提案したの、そもそもナツキでしょ。だから私としては、ナツキが望むならそれでいいかなって感じ。むしろ、笹沢さんと喧嘩にならなくて安心してる。……でも」

 チグサはかすかに眉根を寄せる。

「残念だったね。笹沢さんが教えてくれていたら、ピラミッドにかなり近づけたと思うんだけど」

「そうだね。でも、仕方ないんじゃない? 訊き出す相手がカイリっていう時点で、正直、九割以上諦めていたし」

「ちょっと訊きたいんだけど」

 ずっと黙っていた後藤くんが話に割って入った。

「ピラミッドって、本当のことなんだよね? 比喩とか隠語とかじゃなくて。……いや、嘘をついていないっていうのはなんとなく分かるんだけど、でも、やっぱり信じられなくて」

「そうだよね。笹沢さんとか後藤くんみたいな反応が普通だと思う」

 チグサは苦笑いを押し殺したような顔で答える。

「私たちだって、未だに信じられないくらいだから。実際、笹沢さんに『バカじゃないの』って言われたときも、そう思われるのも仕方ないなって、私自身は思ったし。実在していることが信じられない気持ちはあるんだけど、実在しているのは紛れもない事実だと認識している、って言えばいいのかな。……うーん、分かりにくいかな。ごめんね、説明が下手で」

「いや、分かるよ。木島が言いたいこと、なんとなくだけど分かる」

 なんとなく分かる。短い時間で、後藤くんはその言葉を二度口にした。字面だけをとってみれば、無責任な肯定の言葉とも受けとれるが、後藤くんが発する「なんとなく分かる」からは真摯さが感じられた。

「それはもちろん、墓として造られているわけじゃないんだよね。ピラミッドのこと、どこまで分かっているの? ネットでは調べていない、みたいな話だったけど」

「えっと、それはね――」

 二人がかりでの説明になる。後藤くんは時折首を傾げたり、目を丸くしたり、眉をひそめたりしながらも、真剣に話を聞いてくれた。

「もしよければ、俺にも協力させてくれないかな」

 説明が終わってすぐ、後藤くんの口から発せられた言葉に、二人は思わず顔を見合わせた。

「協力っていっても、なにができるのかは分からないけど……。やっぱりほら、二人よりも三人のほうが都合がいい場合もあるだろうし」

 瞳を見ただけで、ナツキにはチグサの気持ちが読みとれた。二人が思っていることは同じだった。

「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、でもわたしたち、二人だけでがんばりたいの。少なくとも、今のところは。うーん、どう言ったらいいのかな。二人プラス協力者ならいいけど、三人のパーティーとして目的地を目指すのは違うかな、みたいな」

「ナツキ。その言いかた、後藤くんに失礼」

 チグサがすかさず、小声で苦言を呈した。

「えー、それ、チグサが言う? 眉子さんが後藤くんも呼ぼうかって言ったとき、嫌がったのチグサじゃん」

「ちょっと、本人の前で言わないでよ」

 二人が言い合っているあいだ、後藤くんはなにか考えているらしく、難しい顔を足元に向けている。二人のやりとりが途切れたのを見計らって、ナツキと視線を合わせる。

「相内の言うとおりだと思う。俺も二人の立場だったら、付き合いが浅い人間をわざわざ仲間に加えたいとは思わないから。図々しく割りこんだ俺が悪かったよ。さっきの発言はなかったことにして」

 少し早口にそう言って、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出す。

「でもさ、相内の言いかただと、協力者? そういう人間が、いないよりもいたほうがいいと思うから、連絡先だけ交換しておこうよ。もしよければ、だけど」

「そうだね。……あ、でも、今はスマホ持ってない」

「ああ、そうなんだ。ちょっと待ってて」

 後藤くんは店の中に入って、すぐに戻ってきた。藍色の便箋とペンを手にしている。その場で文字を書き記し、チグサに手渡す。

「それ、アプリのID。なにかあったら気軽に連絡してきて」

「ありがとう」

 チグサが恭しく頭を下げたので、釣られたように後藤くんもお辞儀をした。ナツキは首を伸ばして便箋を覗きこんでいたが、おもむろに後藤くんのほうを向いて、

「なかなか達筆だね。便箋、家宝にしちゃおうかな」

「いや、登録が終わったら捨ててくれていいけど。ていうか、立ち話が長くなったね。中は涼しいのに、ずっとここで話をして。気が回らなくてごめん」

 そう言いながら、心配そうな眼差しをチグサに投げかける。ピラミッドについて説明したときに、チグサが熱中症にかかったことも話したので、それが念頭にあるのだろう。チグサは恐縮したように頭を振り、

「ううん、大丈夫。長いっていっても、五分とか十分とかだし、日陰だしね。今日は美味しいスイーツ、ありがとう」

「どういたしまして。じいちゃんに伝えておくよ」

 後藤くんはナツキとチグサの顔を交互に見て、こめかみを指でかいた。いつの間にか、頬がうっすらと赤らんでいる。

「二人とも、また来てくれる?」

「もちろん! また二人で食べに来るから」

 元気よく答えて、同意を求める眼差しをチグサに注ぐ。親友は表情を和らげ、もちろんとばかりに頷く。後藤くんの顔から照れの色が薄れ、満面の笑みが咲いた。

 初めて見る、それでいて、とても後藤くんらしいと感じられる笑顔だった。

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