第13話
「ていうか、なんであたしがナツキの隣なわけ?」
テーブルの前まで来るなり、カイリは毒を吐いた。
「普通、対角でしょ。仲悪い同士なのに隣って、嫌がらせかよ。ふざけんな」
「は? ふざけてないし」
ナツキは強い口調で反論する。
「元からこの並びだったんだって。席順くらいで文句言わないで、黙って座ってよ。あとから来たくせに」
「あんたが呼んだから来てやったんでしょうが。なによ、その偉そうな言いかた。――ていうかさぁ」
今度は後藤くんに鋭い眼差しを突き刺す。困惑と怯えの混じり合った目が、おずおずとカイリを見返す。
「後藤、お前、なに木島さんの隣座ってんだよ。お前がナツキの隣だったら、ちょうど対角だったでしょうが。空気読めよ、空気」
「いや……。笹沢が来るとか、予想できるわけがないっていうか」
「いいから、移れ!」
掌がテーブルに思い切り叩きつけられ、乾いた音が響いた。表情をわずかに歪めたのは、やりすぎたと思ったのか、自業自得に跳ね返った痛みのせいか。乱暴な行為を非難しようとしたナツキを横目で牽制し、またもや後藤くんをねめつける。
「そもそも、なんでお前まで席着いてんだよ。店の人間のくせに」
「それは、その――」
「わたしが誘ったの。後藤くんが悪いんじゃないし、カイリに文句をつける権利はないから」
「ナツキ、あんたもしかして、下心あるの? 後藤なんかに?」
「そんなのじゃないから。後藤くん、カイリの言うことは聞かなくてもいいからね。そんな必要があるって、どこにも書いてないから」
「いや、移動するよ。いっしょに食べるけど、席は移る、ということで」
後藤くんは弱々しい苦笑いを浮かべて立ち上がる。カイリはなにか言いたそうにしていたが、なにも言わなかった。不満が一掃されたわけではないが、とにかく要求が一つ通ったので、それでよしとしたらしい。
まず後藤くんが、次いでカイリが、席の移動を完了した。カイリは腰を下ろすなり、踏ん反り返って尊大に腕を組んだ。率直に言って、感じが悪い。
やっぱり、誘うんじゃなかった。
内心苦々しく思ったが、出て行けと言ってしまえば、また揉み合いに発展するだろう。店内で騒いで迷惑をかけるわけにはいかない。カイリのせいで、後藤くんや眉子との縁が断ち切られるなんて、馬鹿げている。
四人はなにも喋らない。沈黙は重苦しく、緊張感を孕んでいる。どんなに美味しいものを食べても絶対に美味しくは感じられない、という空気だ。
なんでカイリを誘ったんだろう? 考えるのはそのことばかりだ。
「お待たせしました」
漂ってきた上品で上質な甘い匂いに、四人は一斉に我に返った。眉子がテーブルまでやって来たのだ。両手に盆を持っている。
「配膳、手伝ったほうがよかったかな」
後藤くんの言葉に、眉子は頭を振る。
「いいの、いいの。ユウジは今はお客さんなんだから」
一方の盆をテーブルにいったん置き、持ったままの盆から、ナツキの抹茶味のわらびもちと、チグサの宇治金時を配る。息子を除く三人の顔を順番に見ながら、
「この子ね、店が忙しいときにたまに手伝ってくれるの。忙しいときがめったにないから、本当にたまになんだけどね。少し前までは頼んでもしてくれなかったのに。放っておいても成長するものなのね、子どもって」
「ちょっと、早く配って」
上機嫌そうにほほ笑む眉子を、後藤くんは手振りで急かす。「この子」と言われた瞬間、彼は芝居がかって見えるほど大きく顔をしかめていた。
「はいはい、そうね。カイリちゃん、どうぞ」
カイリの前にクリームあんみつの器を置く。『かけはし』のラインナップの中で、洋の要素が含まれている数少ない一品だ。
「おばさん、ありがとう」
ぶっきらぼうに礼を言って、後藤くんのあんみつがまだ配られていないのに、さっさと食べ始める。
眉子とカイリの短いやりとりを聞いて、ナツキは違和感を覚えた。
カイリという下の名前は、騒がしい一連のやりとりの中で眉子の耳に入った。そうだとしても、初めて訪れる客を、いきなり馴れ馴れしく下の名前で呼ぶものだろうか? 思い返せば、窓越しの手招きも、眉子の人柄を差し引いても親しみがこもりすぎていた。
……まさか。
「あの、眉子さん」
四つとも配り終え、去ろうとする眉子をナツキは呼び止めた。
「もしかして、カイリと面識があるんですか?」
「うん、あります。よく分かったね」
「この前言っていた『S町に住んでいる元常連の女の子』というのは、もしかして、笹沢さんのことですか?」
チグサが尋ねると、眉子は大きく頷いた。
「そうなの。一・二年くらい前までは、お父さんとお母さんと三人でよく食べに来てくれて。そうよね、カイリちゃん」
カイリは不機嫌そうな顔つきながらも、首を縦に振った。
ナツキは再び、カイリから「『かけはし』でナツキとチグサがいっしょに食事をしているところを見た」と言われた一件を思い出した。
カイリはおそらく、『かけはし』で久しぶりに食事をするつもりだったのだろう。店を訪れ、ドアを開ける前に窓から店内を窺うと、ナツキとチグサが来店していた。ただの顔見知りであれば気にせずに入ったのだろうが、ナツキとは犬猿の仲だ。入店するのは躊躇われたが、『かけはし』の味を堪能したい気持ちも捨てがたい。諦めきれず、しばらく窓越しに様子を窺ったものの、入る決心がつかず、店の前から去った。
つまり、カイリがあの日の二人の様子を把握していたのは、ストーカーまがいの行為を働いた結果ではなく、正真正銘たまたまだったのだ。
罪悪感がこみ上げてくる。対立関係にある相手とはいえ、濡れ衣を着せて悪者扱いをするなんて。
ただ、そのことを謝ろう、という気にはなれない。
なぜならカイリは、ナツキを含む小学校時代の友だちに対して、あんなにもひどい真似をしたのだから。
「おばさん、なに人の個人情報ばらしてるんですか」
カイリは唇を尖らせて眉子を非難する。
「ナツキと木島さんがこの前店に来たときに、あたしについて話したみたいですけど、なにを話したんですか? あたしの悪口大会でも開催したんですか?」
「ううん、そうじゃないの。カイリちゃんの話というよりも――」
「それ以上言わなくても大丈夫です!」
ナツキは眉子の声を遮った。カイリが睨んできたが、眉子の顔だけを見て喋る。
「そこのところは、カイリにちゃんと話します。眉子さんは気をつかってくれなくても大丈夫です。わたしたちだけでやりますから」
「あら、そう? よく分からないけど、若い者同士でないとってことかな。それでは、ごゆっくり」
気を悪くした様子もなく去っていったので、ほっと胸を撫で下ろす。
それにしても、「S町に住んでいる、元常連の女の子」が、まさかカイリだったとは。
眉子から「彼女」の存在を明かされたときは、今すぐにでも会って話を聞きたいと思った。「久しぶりに店に来る可能性に賭けて待ってみる?」と、眉子は冗談めかして言っていたが、時間に余裕さえあれば、一時間くらいであれば駄目元で待っていたかもしれない。
しかし、正体がカイリとなれば話は別だ。
性格、そしてナツキとの関係を考えれば、ピラミッドについて話したときの反応は、ナツキやチグサにとって屈辱的なものになる可能性が高い。何度も不愉快な目に遭わされているのに、これ以上不愉快な目に遭うのはごめんだ。
「いったい、なんなの。眉子さんと木島さんといっしょになって、なにがしたいわけ?」
テーブルに肘をつき、器の中身を少しずつ口に運びながら、カイリが疑問を呈する。隠しごとをされるのが不愉快でならない、という顔を作ってはいるが、瞳の奥で淡く発光する好奇心を隠しきれていない。
「後藤も関係あるの? 関係者が何人いるのか知らないけど、グルになってなにがしたいわけ? なにを企んでいるの?」
「わたしとチグサが勝手にやっていることだから。後藤くんと眉子さんには少し話をしただけ」
「……ああ、そっか。そうだよね。あんた、木島さんと大の仲よしだもんね」
人を見下しきったにやにや笑いがカイリの顔に浮かぶ。それが引き金となって、侮辱された過去が鮮明に甦り、頭に血が昇った。
「なに黙ってるの? あたしに話があるんじゃないの? それとも、四人だけの秘密にして楽しむことにしたの? あたしだけ仲間外れにして、それで満足? ほんっと幼稚だよね」
馬鹿にされたこと。後藤くんの前で馬鹿にされたこと。無自覚なまま、チグサもいっしょに馬鹿にしていること。その全てがナツキには腹立たしくて、耐えがたくて、上目づかいにカイリを睨みつける。
しかし、なにも言わない。
ナツキは器に視線を落とし、小さな竹製のフォークに刺さった抹茶色のわらびもちを口に運ぶ。あたかも、溢れ出そうとするものをわらびもちで押し戻し、体内に留まらせておこうとするかのように。
侮辱の言葉に非難の言葉で応戦すれば、まず間違いなく口論に発展するだろう。その結果、カイリの機嫌が悪くなれば、ピラミッドのことを話したさいに、ただでさえ不愉快だと予想される反応が、ますます不愉快なものになる。さらには、ナツキたちが欲しい情報を持っているにもかかわらず、あえて教えない、という報復措置をとるかもしれない。
そんな計算が咄嗟に働き、カイリの気分を害さないような態度をとったのだ。
テーブルは静けさに包まれている。長引けば長引くほど重苦しさを増し、口を開きづらくなるような、そんな静寂だ。カイリを除く三人の食事のスピードは衰え、ナツキに至っては、先ほどわらびもちを口にして以降、手どころか全身の動きが完全に止まっている。
カイリへの対応をチグサと相談したい気持ちはあったが、席替えをしてからというもの、ナツキはチグサを遠く感じていた。カイリが加わり、後藤くんが移動しただけで、チグサと向かい合って座るという位置関係は揺らいでいないのに。
後藤くんは、一貫して大人しい。テーブルを囲むのが三人から四人になったさいに、散々罵倒されたのに懲りて、カイリを極力刺激しない方針をとっているらしい。気づかうような視線を時折投げかけてくれているのには気がついている。心配してくれるのは嬉しいが、助けは期待できそうにない。
頼りになるのは自分だけ。自分一人の力で事態を打開するしかない。そんな思いがナツキの中で次第に高まっていく。
「ていうか、ずっと気になっていたんだけど」
突然のカイリの声が沈黙を破った。
「ナツキ、大きなリュックサックを持ってるけど、それはなんなの? やばいものでも入ってるの?」
「違うよ。長時間歩くから、必要なものを入れてるの。飲み物とか、タオルとか」
「あっ、そう。ていうか、大きすぎない? 中は満杯?」
「ううん、そんなに入ってない。大きいのしかなかったから使ってるだけ」
からん、と冷ややかな音が鳴る。カイリがスプーンを器の中に置いたのだ。カイリはナツキに向き直り、顔を見据える。
「こんな暑い中、外をうろうろ歩き回って、なにしてるの? ちょっと気になるんだけど」
「なにって……」
「やましいことでもしてるの? 違うなら、言えるはずだよね。それとも逆に、くだらないことをしているから、恥ずかしくて打ち明けられないとか?」
眼差しも口振りも挑発的だ。はぐらかせば、さらなる兆発と嘲りの言葉が追加されるだろう。
それでも一人で立ち向かおう、とナツキは決意する。
テーブルの対岸から、チグサが心配そうな眼差しを投げかけてくる。ナツキは親友に柔和なほほ笑みを送り返し、一転、凛とした表情を浮かべる。雰囲気の変化を感じとったらしく、カイリはテーブルに肘をつくのをやめた。
「カイリ。まどろっこしいのは気持ち悪いから、思いきって言っちゃうけど」
「なに?」
「S町に林、あるよね。知ってる?」
「知ってる。町外れにあるやつでしょ」
「そう。その林だけど、存在を知っているっていうことは、カイリは行ったことあるの?」
「あるよ」
即答だった。
「幼稚園のときだったかな。お父さんが運転する車に乗って、林まで遊びに行ったことがあって。と言っても、中には入らずにすぐに帰ったんだけどね。たぶん、鬱蒼としていて怖い感じだったから、あたしが入るのを嫌がったんだと思う。行ったのはその一回だけ。あえて行く理由もないし、同じ町内といっても、家のすぐ近くにあるわけじゃないから。それがどうかしたの?」
「実は、その林まで行きたいと思っているの。チグサといっしょに」
「なんで? 夏休みの自由研究に昆虫採集でもするつもり?」
「違う」
唾を嚥下し、今まで意図的に隠していた単語を口にする。
「ピラミッドが林の中に建っているから、間近から見てみたいと思っているんだ」
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