第8話

 ナツキは誰とでもある程度仲よくなれるが、放課後や休日にいっしょに遊ぶ人間の数は少ない。

 中学生になり、クラスが別々になったことで、ただでさえ少ない友だちの数はさらに減った。その数少ない友だちの一人がチグサであり、カイリだ。

 しかし、カイリとはゴールデンウィーク直前に大喧嘩をしてしまい、自他ともに認める親友から一転、険悪な仲になってしまった。

 そして、唯一の遊び相手と言っても過言ではないチグサとは、真樹の強引な決定のせいで、三日のあいだいっしょに遊べない。

 朝から部屋にクーラーをかけ、マンガ、ゲーム、マンガ、ゲームのローテーションで時間をつぶす。早めの昼食をとったあと、少し仮眠をとって、引き続きマンガとゲーム。

 それにも飽きて、あくびをしながら時計を見て、ナツキは思わず目を瞠った。まだ午後二時を回ったばかりだったからだ。

 この調子で過ごしていたら、退屈に殺されてしまう。今日一日だけならまだしも、これが三日も続くのだと思うと、ぞっとする。

「……遊びに行こう、かな」


 行き先に決めた大型ショッピングセンターは、ナツキの自宅から徒歩十五分ほどの場所にある。

 真夏の暑さを考えると、十五分歩くのは少々つらい。出かける前はそう思っていたが、いざ歩いてみると、さほど苦痛を感じないことに気がつく。二日間炎天下を歩いたことで、心と体がいくらか鍛えられたのかもしれない。

 ナツキは最初、気の赴くままにフロアを逍遥するつもりでいた。しかし、入ってすぐの場所にある店のショーウインドーに陳列されていた帽子を見て、ピラミッド行きに役立ちそうな商品を見て回ろう、と考えが変わった。

 帽子、服、靴、鞄。テナントの数が多く、軽く覗いてみるだけでもかなり時間をつぶせる。自分ではなく、チグサにぴったりか否かを基準に見ていることに気がつき、くすぐったいような、むず痒いような気持ちになった。大きすぎるリュクサック。不評だったニューヨークヤンキースのキャップ。買い換えるものがあるとすれば自分のほうなのに。

 いいな、と思うものは何点かあった。チグサにサプライズでプレゼントしたら喜ぶだろう、とも思った。しかし、あいにく、手持ちの金が少なすぎる。今日のところは、有意義に時間を消費できたのでそれでよしとして、エスカレーターで二階へ。

 来る前から覚悟してはいたが、賑わう場所を一人で歩く疎外感はやはり心に刺さる。二階はフードコートにゲームセンターにオモチャ屋と、家族連れで賑わう店が多いせいか、より強くその感情を覚える。

 何軒かの店に寄るつもりでいたが、一軒目の雑貨屋を出た時点で、もう帰ろう、という気分になった。

 ただ、歩き回ったせいで喉が渇いているので、水分補給をしておきたい。フードコートか、それともカフェか。ぱっと浮かんだ二つの選択肢のうち、現在地から近いという理由で、前者を選択する。

 フードコートは空席を見つけるのも難しい盛況ぶりだ。疎外感を散々味わってきたのも相俟って、しりごみをしてしまったが、ショッピングセンター内の飲食店はどこも似たようなものだと思い直す。

「あっ」

 売り場へ向かう途中、有象無象の客の中に見覚えのある顔を見つけて、両足がその場に釘づけになる。意識が飲み物に向いていたせいで、四・五メートルの距離に迫るまで、その人物の存在にまったく気づかなかった。

 声に反応したのか、気配を察知したのか、その人物の顔が持ち上がる。双眸がナツキの姿を捉えた。

 その人物の唇から、ナツキがこぼしたのと同じような声がこぼれた。喧噪の中にもかかわらず、まるで耳元で発せられたかのように聞こえた。その人物とともに白亜のテーブルを囲んでいた少女たちが、一斉にナツキのほうを向いた。

「ナツキじゃん。こんなところでなにしてるの?」

 切れ長の目でナツキを見据えながら、明るい茶色に染めた長髪をかき上げる。笑みが浮かぶ二歩手前、といった口元だ。

「……カイリ」

 笹沢カイリ。ナツキのクラスメイト。ナツキの親友だったが、中学生になってからは犬猿の仲となった少女。

 同席しているのは、カイリの左側にサキとトウコ、右側にコトハとアイカ。いずれもナツキと同じクラスに所属していて、学校ではカイリと常に行動をともにしている。

 四人は一様に表情を少し緊張させ、出方を窺うようにナツキを見つめている。ナツキとカイリの不仲が念頭にあるからだろう。

「なにって……。今は真夏で、ここはフードコートなんだから、目的は一つしかないでしょ」

 黙ったままでいると、それを足がかりにからかわれる。重みさえ感じられる淀んだ空気を振り切って、ナツキは毅然と返答する。

「喉が渇いたから、飲み物を飲みにきた。それだけだよ」

「そういう意味じゃないって。なんで一人なのかってこと」

 カイリの口元の笑みの気配が、滲み出す二歩手前から一歩手前に変わった。残る一歩を踏み出すのをもったいぶるように、踏ん反り返って脚を組む。ミニスカートの裾がめくれ、一瞬垣間見えた下着の色は、闇夜のように黒い。

 尊大な態度も、行儀の悪さも、引きしまった長い脚が主役だとどこか様になっていて、それがナツキは悔しかった。同時に、敗北の予兆のようなものを漠然と感じてもいた。

「誰と来たの? もしかして、一人?」

 ナツキは返答に詰まってしまった。肯定すればその事実を嘲笑されるし、否定すればつまらない嘘をつくことになる。……なにも言い返せない。

「ちょっと、みんな」

 カイリは口角を好戦的に歪め、四人の顔を一人ずつ順番に見た。

「ナツキ、一人でここに遊びに来たんだって。夏休みなのに、一人で。さびしー」

 嘲りの色を隠さずに笑う。四人も一斉に、カイリよりも遠慮がちではあったが、笑った。頭に血が昇り、両手に力がこもる。

 一人でなにをしようと、個人の自由でしょ。なんでいちいちけちをつけるの? バカじゃないの。

 反撃の言葉が頭の中で混沌とした渦を描く。しかし、声に出したところで、それさえも嘲笑の種にされるのだと思うと、なにも言えない。

「ていうか、木島さんはどうしたの? ナツキ、あの子と仲いいでしょ」

「今日は予定が合わなかったの。仲がいいからって、常に行動をともにするとか、有り得ないから」

「あっ、そう。あんたとあの子、あんなに仲よしなのにね。この前だって、和スイーツのお店で仲睦まじく食事してたし」

 体の芯が熱くなった。視野はカイリを中心とした狭い範囲内に限定され、喧噪は遠のいた。引き出しの奥に仕舞ってある日記帳の一節を、予告もなく朗読されたらこんな気持ちになるのかもしれない、と思う。

 四人とっては初耳だったらしく、トウコが「なにそれ?」とカイリに尋ねた。

「K町に『かけはし』っていう甘味処があるんだけど、そこでナツキと木島さんが食事をしているのを見たの。午後五時くらいだったかな。窓越しに見ただけだけど、仲がいいを通り越して怪しい感じだったよ。お互いに自分のぶんを相手に食べさせるとかして、すごくいちゃついてた。見ているこっちが恥ずかしくなるくらい」

 えー、と四人が声を揃えた。その反応に気をよくしたらしく、カイリの舌は滑らかさを増し、声のボリュームも高まる。

「あれは親友同士の域を超えてたね。やっているほうは自覚ないのかもしれないけど、すっごくいやらしかった。公然猥褻罪だよね、あれは」

 衣類に水が染みこむように、熱が全身へと広がっていく。

「知名度は高くない店だし、学校からは離れた場所にあるから、人目を避けるためにそこを選んだのかな。お忍びデート的な。二人が仲いいのは知っていたけど、まさかそういう関係だったとは――」

「カイリっ!」

 周囲の客が振り向くほどの大声で、ナツキは発言を遮った。

 憤然としてカイリに詰め寄る。カイリは組んでいた両脚をほどき、鋭利な眼差しでナツキを見据えながら待ち構える。四人の姿は視界には入っていないが、四人ぶんの視線をひしひしと感じる。

 一メートルほどの距離を隔てて、犬猿の仲の二人は睨み合う。口火を切ったのはナツキだ。

「カイリ、なにストーカーみたいな真似してるの? 窓越しに見たって、気持ち悪すぎるんだけど。なんなの? なにがしたいの?」

「言いがかりはやめてよ。たまたま通りがかっただけなのに、ストーカーだなんて」

「じゃあ、店の前を通った理由をちゃんと言って」

「だから、たまたまだって。ていうかナツキ、あんた、なんでそんなにキレてるの? 仲がいいから羨ましいな、って言っているだけじゃない。ねえ?」

 また四人の顔を順番に見る。ナツキが怒りを露わにしているため、怖々とといった様子ではあったが、全員が首を縦に振った。

 カイリの友だちなのだから、カイリの味方をするのは当たり前。分かっていたはずなのに、ナツキは立ち眩みにも似た絶望を感じた。カイリたち以外の、フードコートに入る誰に訴えても、誰も共感してくれないどころか、突き放すような冷笑が返ってくるだけ。そんな気さえした。

「せっかくだし、交際宣言でもしていけば? その趣味はないから理解はしてあげられないけど、祝福ならしてあげるよ?」

「そんなんじゃないって!」

「顔、真っ赤だよ。そんなに木島さんが好きなんだねー」

 どんな言葉を返しても嘲笑されること。間接的に親友を馬鹿にされたこと。仲がよかったころとはすっかり別人になってしまったカイリ。

 その全てを否定したくて、ナツキの右手は自分のものではないかのように痙攣したが、すんでのところで理性が勝った。

 瞬間、どう振る舞うのが最も自分の利益になるのかが、すとんと腑に落ちた。

「そんなにわたしをバカにしたいなら、お友だち相手に好き勝手に言ってれば。カイリの言っていること、全部的外れだから」

 声はかすかながらも震えを帯びた。それを誤魔化し、心の昂ぶりをなだめる意味から、深く息を吐き出す。

「こんなところで喧嘩しても仕方ないから、帰る。じゃあね」

 五人に背を向け、靴底で床を強く踏みしめながらテーブルから遠ざかる。カイリが笑い声を上げた。

「捨てゼリフとか、ださっ。負け犬の遠吠えじゃん」

 怒りがぶり返してくる。引き返して、右手を振り上げて、憎らしいカイリの顔を目がけて拳を――というイメージが脳裏を過ぎったが、頭を振ってそれを振り払う。

「おーい、飲み物はどうしたの。喉渇いたって言ってなかった?」

 カイリの声を無視し、フードコートをあとにした。

 水分補給は、二者択一で選ばなかったほうの候補であるカフェで済ませることにした。注文したのは、七種類の果物が使われているという、ミックスジュース。カウンター席の隅で肘をついて淡々と飲み、飲み終わるとさっさと店を出る。

 飲んでいるあいだも、店をあとにしてからも、帰宅して部屋で過ごしているあいだも、心は重たく、気分はすぐれなかった。

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