第6話

「それ、大きくない?」

 合流を果たして早々、チグサから指摘された。

 チグサが指差したのは、ナツキが背負っている、赤ちゃんが収まりそうなくらい大きな黒いリュックサック。

「シンプルなデザインだけど、かっこいいでしょ?」

「まあ、かっこいいけど。重くないの」

「中身は全然入っていないから、平気だよ。そんなことより、昨日言っていた地図、あれはどうなったの? 地図を描いて、一度通った道を記録するっていう」

「ちゃんと持ってきてる。ちょっと待って」

 チグサはウエストポーチのファスナーを開く。中から出てきたのは、表紙が水色のポケットサイズのメモ帳。

「こんな感じで描いてみたんだけど、どうかな」

 チグサからメモ帳を受けとり、水色をめくってみると、

「あっ、すごい!」

 現在地の公園から『甘味処かけはし』に至るまでの道のりを示した地図が記されていた。記憶と照合した限りでは、怖いくらいに正確だ。ところどころに細かく書きこまれた注釈が、いかにも几帳面でチグサらしい。

「思い出しながら描いたってことだよね。それなのに、すごいね。これならさくさく進めそう」

「あくまでも『かけはし』までなら、だけどね」

 返却されたメモ帳をポーチに仕舞い、音を立ててファスナーを閉める。

 昨日帰宅した直後と、就寝する前、そして今朝寝覚めてからの三回、ナツキは体調を案じるメッセージをチグサに送った。そのいずれにも「大丈夫」という言葉が含まれた文章が返信された。

 ナツキがピラミッド行きに情熱を燃やしていることは、チグサが一番よく知っている。親友に気をつかって、多少無理をしているのでは、という懸念がなくもなかったが、

「ナツキ、出発しよう。許された時間は短いわけではないけど、長くもないんだから」

 少なくとも、昨日の不調を引きずっているようには見えない。

 だから、今日はきっと大丈夫だ。


 昨日は素通りしたコンビニに、今日は立ち寄って飲み物を購入する。二人ともスポーツドリンクを選んだ。店を出てさっそく一口飲み、昨日と同じ道を進む。

 既知の道を進む安心感から、リラックスしたムードが二人を包んでいた。最初は日常の些末な出来事について語っていたが、やがてナツキのほうからピラミッドの話題を切り出した。

「なんなんだろうね、あのピラミッド。大昔からあったものじゃないってことは、ピラミッドの形を真似したお墓とかかな。お金持ちの変わった趣味の人が、自分の墓はピラミッド型にしてくれって遺書に書き残していて、遺族が願いを叶えたっていう」

「でも、お墓って、法律で決められた場所にしか建てちゃいけないんじゃなかったっけ」

「あっ、そうなんだ」

「そうだったと思う。もちろん、あの林が建てても構わない場所の可能性もあるけど、お墓を建てるために整備されている感じじゃなかったし、たぶん違うんじゃないかな」

「そっかー。でも、お墓じゃないとなると、正体は想像もつかないよね。地球侵略のために宇宙人が造った拠点とか、そういう非現実的な可能性しか浮かばないよ」

「さすがにそれはないと思うけど、一般人が近寄ると危ない施設の可能性はあるかもしれない。新興宗教団体の本部とか」

「やばい団体の施設よりは、宇宙人の拠点のほうがまだ安全かもね」

「地球侵略のためにって言わなかった?」

「たとえばの話だって」

 気の置けない者同士、好き勝手な予想を並べ合い、笑い合う。暑さを忘れるくらい快い時間が過ぎていく。

 三叉路手前の道端に建つ、赤い涎かけの地蔵を今日も横切る。それに前後して、二人がチグサ手製の地図に視線を落とす回数が増えた。一度通ったとはいえ、道のりが複雑だからだ。

「あ、こんなところにも道がある。全然気づかなかった」

 チグサはひとり言をつぶやいては、昨日は見えていなかった事実を、イラストや文字の形でメモ帳に書き記していく。ペンを動かす手つきも、ペン先が紙の上も走る音も軽快だ。

「結構見落としがあるね。行き止まりが多かったし、この道を行けなかったときはこの道を、みたいなチェックはちゃんとしていたつもりだけど」

「通る道は昨日と同じなんだよね? 新しいルートを開拓するとかじゃなくて」

「そうだよ。でも、もしかしたら、実は道が間違っていて最初からやり直し、なんてことになるかもしれない」

「それって、徒労感半端なくない?」

「もしかしたらの話だよ。でも、楽しいね。地図の完成度を高めていくのは」

「チグサ、そんな趣味があったんだ」

「趣味というほどでもないけど、中途半端にしておくのは気持ち悪いから」

 昨日チグサがしゃがみこんでしまった地点は過ぎたが、今のところ体調に問題はなさそうだ。

 建物と建物の隙間を抜け、雑草が生い茂った空き地を突っ切り、通りに出る。

「早かったね。昨日迷いまくったのが嘘みたい」

 第一関門を難なく突破した喜びに、二人は得意げな笑みを交わし合った。

『かけはし』がある方角に向かって通りを直進し、店の前を通過する。今日は店に寄らないと事前に決めている。眉子の気さくな話しぶりに引きずられて、つい長話をしてしまいそうだし、冷気にあたることで気が緩むのは避けたい。だから、挨拶をするのも控えるという取り決めだ。

 通りすぎざま、二人は窓から店内を覗いてみた。来客はなく、壁にかかった水墨画の松の木がどこか寂しげだ。

「この時間帯、お客さんはあまり来ないのかな」

「そうみたい。ティータイムにはちょっと遅いからかな」

 店が暇なとき、眉子はなにをして過ごしているのか。店主を務めているおじいさんや、眉子の旦那さんはどんな人なのか。後藤くんは将来、家業を継ぐのか否か。好き勝手な想像を弄びながら、道なりに歩む。

 道は緩やかな曲線を描きながら、林がある方角からは徐々にずれていく。

「道、一回曲がったほうがいいね」

 足を止めてのチグサの一言に、二人を包む空気は淡い緊張感を帯びた。頷き合い、路傍に黄色い花が密生した細道に入る。

 地蔵がある地点から『かけはし』がある通りに出るまでと、似たような雰囲気だ。ようするに、脇道や分かれ道が多く、行き止まりや元の道に戻ってくるなどの仕掛けに満ちていて、簡単には先へ進めない。加えて、チグサには地図を更新する作業があるため、二人が歩みを止める回数は飛躍的に増えた。


「うーん、思うようにいかないなぁ」

 重々しいため息がナツキの唇から溢れた。顔を俯けたことで垂れた汗を、手の甲で拭う。日陰にいても、運動した直後だから、汗は次から次へと滲み出しては肌を伝う。

 二人が生まれる前から建っていたに違いない、老朽化した木造二階建てのアパート。その駐車場にあるコンクリート製の車止めに、二人は腰を下ろしている。脇道に折れてからまだ十分ほどしか経っていなかったが、思うように先に進めず、募る一方の疲労に音を上げたのだ。

「行き止まりが多いから、先に進むだけでも一苦労だよね。障害物越しに道を見つけたとしても、そこになかなか辿り着けないから、すごくストレス溜まる。暑いし、足が疲れるし……」

 話しかけたつもりだったが、返事がない。怪訝に思い隣を窺って、息を呑んだ。チグサが項垂れていたのだ。

 下から顔を覗きこむ。顔色がよくない。顔中に無数の汗の粒が浮かんでいる。

「チグサ、飲み物飲んだほうがいいよ。ほら」

 足元に置いたリュックサックからチグサの分を取り出し、手渡す。何口か飲み、息をつく。表情は冴えないままだ。

 自力ではその場から一歩も動けないくらい、体調が悪いわけではないように見える。『かけはし』も近い。昨日ほどの絶望感はないが――。

「今日はこのへんにしておこうか」

 チグサは驚いたようにナツキを見返した。

「道が分かりにくいし、一時間で辿り着くのは無理っぽいよね。作戦、ちょっと見直したほうがいいかもしれない。だから、体力が回復したら帰ろう。戦略的撤退ってやつ」

 少し間があって、チグサは頷いた。


 帰り道の途中で双方の飲み物が尽きた。購入したのと同じコンビニに立ち寄り、ゴミ箱に空のペットボトルを捨てる。

「家まであとちょっとだけど、飲み物を買っておこうか。いちごオレ、おごってあげる。昨日はチグサだけなしだったもんね」

 しかしあいにく、目当ての商品は販売されていなかった。他の商品でも買ってもよかったのだが、最寄りのスーパーマーケットまでは徒歩五分の近さだ。

「じゃあ、そこにも売ってなかったら、いちごオレじゃない飲み物を買うってことで」

 チグサの同意を得られたので、移動を開始する。

 いちごオレは今度こそ置いてあった。

 片手に一パックずつ持ち、レジに向かおうと顔を上げて、ナツキは固まってしまった。通路の果てに、思いがけない人物の姿を発見したからだ。その人物も二人に気がついたらしく、早足で歩み寄ってくる。

「ナツキ。チグサちゃん」

 軽い驚きを無理なく抑えつけたような顔で、名前を呼んだ二人の顔を順番に見る。ナツキの母親の真樹だ。手にしたプラスチック製の買い物カゴには食材が満載され、長ネギと三つ葉が突き出ている。

「おばさん、こんにちは。お久しぶりです」

 チグサは恭しく頭を下げる。真樹は会釈でそれに応じ、娘に向き直る。

「大きなリュックサックなんか背負って、なにしてるの?」

「お母さんこそ、なんでここで買い物を?」

「あっちのスーパーだと売っていないものがあるから、この店で買っていたの」

 そう、この店は品揃えがいい。コンビニにはないいちごオレだってちゃんと売っている。

「チグサちゃんと二人で、どこかへ出かけていたの?」

「うん。まあ、ちょっと」

 ピラミッド、という単語を出すのは抵抗があった。隠しごとの気配を察知したらしく、真樹の表情が険しくなる。

「こんなに暑い中、歩いて?」

「うん。だから飲み物を買おうと思って」

「まさか、水分もとらずにずっと歩き回っていたの?」

「そんなわけないって。飲んでいたやつがなくなったから、買おうとしてたの」

 肉親ならではの、プライベートの領域にずけずけと踏みこんでくる図々しさが、ナツキはうっとうしくなってきた。

「もう行こう」とチグサを促そうとして、真樹がチグサの親友の顔を凝視していることに気がつく。息を呑むほど真剣な顔つきだ。

「チグサちゃん、大丈夫? 顔色、すごく悪いけど」

 シリアスな声が空調のきいた店内に放たれた。罪過を真正面から告発された気がして、ナツキは青ざめた。

「立っていて、つらくない? 吐き気とかは?」

「大丈夫です。そういうのはまったく」

「本当に? チグサちゃん、体調がすごく悪そうに見える。自覚はないのかもしれないけど」

 真樹は「すごく」という単語を口にするたびに、声に力をこめる。

 チグサは俯いてしまった。まるで親友の母親から体調を案じられているのではなく、意地悪な継母から難癖をつけられているかのようだ。

 ナツキの目には、チグサは元気いっぱいではないかもしれないが、安静を要するほどではないように見える。実際、駐車場を発ってから、コンビニを経由してスーパーに至るまでの道のりを、休むことなく歩いて来られた。過度に心配する必要はないのに、お母さんは大げさすぎる。

 反発心を抱く一方で、チグサを熱中症寸前まで追い込んだ罪悪感がある。しかも、親友をそんな目に遭わせたのは今日で二回目だ。自らの行いを棚に上げて真樹を非難するだけの図太さは、ナツキにはない。

「チグサちゃん、車で家まで送ってあげる。ナツキもいっしょに」

 娘に注がれた真樹の眼差しは、穏やかとは決していえない。反抗しようものなら、他の客の迷惑も顧みずに、声を荒らげかねない雰囲気だ。

「精算を済ませてくるから、少し待ってて」

 ナツキの手からいちごオレを二つとも奪いとり、買い物カゴに入れる。娘を見据える厳しい目つきから一転、チグサに柔らかくほほ笑みかけ、足早にレジへ向かう。

「なんか、ごめんね。うちのお母さん、強引で」

「ううん、そんなことない。好意に甘えさせてもらうね」

 二人は移動を開始した。店内に蔓延した冷たい空気が、体にまとわりつくように重たかった。

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