第2話

「たまには新しいお店で食べたいよね。いつもとは違う店に入ろうよ」

 提案したのはナツキだ。特に断る理由はないから、という感じで、チグサもその案に賛意を示した。

 ボリュームが売りのステーキハウス。テレビのローカル番組でも紹介されたオムライス専門店。最近オープンしたばかりの和風レストラン。候補ならばいくつも挙がるが、どうやら互いに、初めての店に入ることに若干の心理的抵抗があるらしい。

「やっぱり、いつものところにしようか。行こうと思ったらいつでも行けるしね」

 二人はけっきょく、駅ビルにある徳島ラーメンの店まで行き、食事を済ませた。

 空腹は満たされたが、ナツキの中では依然として、新しいものに触れたい欲求が居座っている。会計を終えて店を出てすぐ、チグサに向かって新たなる提案をした。

「ねえ、屋上まで行ってみない? この駅ビルの屋上」

「屋上? なんで?」

「今日から夏休みだし、いつもとは違うことをしたい気分だから。といっても、フェンス越しに景色を眺めるだけだけど」

「暑そうだし、私は別に……」

「ちょっとだけだから、行こうよ。ね? ね?」

「まあ、付き合ってもいいけど。熱中症になったら責任とってよ」

「大丈夫だって」

 チグサの手を引いてエレベーターへ。目的の階に着くまでに何人かが乗り降りしたが、屋上で降りたのはナツキとチグサだけだ。

「あっつぅ」

 エレベーターホールの自動ドアを潜った瞬間、チグサはさもうんざりしたような声を漏らした。

 ビルに入る前、炎天下を歩いていたときよりも、心なしか日射しがきつく感じられる。地上よりも高い場所だからだろうか、とナツキは考える。なんとなく馬鹿にされそうな気がしたので、口にはしない。

 二年前にペットショップが店を閉じ、店舗も撤去されたため、空間は閑散としている。二人の背丈の倍ほどある金網に囲まれた内側には、自動販売機と、屋根つきのベンチと、硬貨を入れると動く簡易な遊具があるのみ。現在二人以外の利用者はおらず、貸しきり状態だ。まだ七月だというのに、晩夏特有の憂いがうっすらと漂っている。

「自分の家がどこにあるか探そうかな。この高さと距離なら見つかるよね。周りに高い建物もないし」

「私はベンチで待ってるから」

「あっ、じゃあ、ジュース買っておいて。眺め終わったら、ベンチでジュース飲みながらだらだらしよう。せっかくだから」

 財布から百二十円を選び出し、「なにがせっかくなのか分からない」という顔をしているチグサに手渡す。ベンチと自動販売機があるほうに向かったのを見届けて、自宅があると見当をつけた方角へ。

 金網にへばりつき、網目越しに地上を見下ろす。

 視界に映ったのは、相内家とは正反対の方角に広がる町並みだ。全国チェーンのドラッグストア。三階建ての立体駐車場。古い石橋。飲食店と思しいログハウス風の建物の入口を、たった今、二十歳くらいの男女のペアが潜った。

 自動販売機の取り出し口に飲料が落下する音が聞こえた。とたんに喉の渇きを覚えた。高い場所から景色を眺めるのは嫌いではないが、いかんせん暑すぎる。

 親友のもとへ向かおうとして、ナツキの体は硬直した。目の端に、不可解で気がかりな映像が映りこんだからだ。

 金網を両手で掴み、顔を押しつけ、そのなにかを凝視する。

 遥か遠くに、林が広がっているのが見える。その中央、深緑の木々に取り巻かれて、異様な外観の建造物が建っている。遠くにあるせいで像がはっきりとしないのに、異様だという印象を強く受ける。

 両手に力をこめ、視覚に全神経を集中させて、その物体を凝視する。

 ナツキは危うく叫ぶところだった。

 ピラミッド。

 四角錐で。砂色で。いくつもの石を積み上げて造られていて。

 そんな建造物が、林の中に建っていた。

 がこん、という、二本目の飲料が取り出し口に落下した音。

 距離があるせいで見間違えたのだろうかと、何度も目をしばたたいた。炎暑のせいで頭がぼーっとしているのだろうかと、頬を叩いて気合いを注入した。

 しかし、何度見直しても、林の中にあるのはピラミッドだ。

 どうして、日本の平凡な地方都市なんかに、あんなものがあるの?

「ナツキ」

「ひゃあああっ!?」

 出し抜けの声と、うなじに感じた冷たさに、ナツキの肩は跳ね上がった。

 振り向くと、背後でチグサが飲料の缶を両手に持って立っていた。どちらもジュースで、そのうちの一本が首筋に宛がわれたらしい。

「ナツキ、どうしたの。挙動が不自然だよ。ていうか、ナツキの家はそっちじゃなくて――」

「チグサ、あれ見て。ほら、あそこ」

 ナツキは横に退き、林のほうを指差した。

 問題の場所に注目した瞬間、チグサは双眸を見開いて絶句した。

 五秒ほど凝視を継続し、ぎこちなく首を回してナツキのほうを向く。ナツキは神妙な面持ちで頷く。チグサは顔を正面に戻し、先ほどと同じくらいのあいだ砂色の四角錐を見つめ、また親友の顔を見た。

「チグサにも見えているんだね。わたしだけに見える幻覚とかじゃなくて」

「うん。遠いからぼやけているけど、実在しているのはたしかだと思う。でも、なんであんなものがあんな場所に……」

 二人は無言で、その場から動けなくなった人間のように一点に立ち尽くし、同じ対象を見つめつづけた。

 やがて、頬を伝う汗にくすぐったさを感じて、ナツキは我に返る。

 さっきからずっと、直射日光を浴びつづけている。わたしはともかく、チグサにはよくない。

「チグサ、ここから出よう。暑いし、それに――なんか怖いよ」

 チグサは首を横には振らなかった。


 帰宅したナツキは、制服から私服に着替えると、携帯電話を手にベッドに寝そべった。ピラミッドについて調べてみようと思ったのだ。

 入念に探したが、T県T市でピラミッドが発掘されて注目を集めている、というニュースは見つからない。ローカルニュースは毎日夕食のときにテレビで見ているが、ピラミッドの話題が取り上げられた記憶はない。覚悟していた結果ではあったが、それでもため息をつかずにはいられなかった。

 めげることなく、さらなる関連情報を求めて、検索を継続する。世界的に有名な観光スポットということで、ピラミッドを取り扱ったウェブサイトは膨大で、切り口や取り上げかたも虹のように多彩だ。気になったサイトから順番に、駆け足で観覧しているうちに、はたと気がつく。

 ――この夏、カイリは家族といっしょに海外旅行に行く。

 矢も盾もたまらず、親友に電話をかけた。

「チグサ、今なにしてるの?」

「ちょっと気になったから、ピラミッドについて調べていたの」

「えっ、マジ? わたしもまったく同じことしてた。すっごい奇遇!」

「まあ、気になるしね。あんなものを見ちゃったら、さすがに。用っていうのは、もしかしてそのこと?」

「うん。本題に入る前に、あのピラミッドについてお互いどこまで把握しているのか、確認しておこうよ」

 チグサは、ピラミッドがエジプト以外の場所にもあると知って、興味を覚えたらしい。そこで、ピラミッドは世界のどこに何基くらい現存しているのか、検索サイトを活用して情報を収集していたのだそうだ。

「日本にもピラミッドはある、みたいな説もあるみたいだけど、どうも眉唾みたい。だから屋上から見たあのピラミッドは、土の中に埋まっていたものが発掘された、とかではないんじゃないかな」

「なるほど。じゃあチグサは、屋上で見たピラミッドの正体については、ほぼ分かっていないんだね」

「うん。古い時代に造られたものではないこと。あのピラミッドの存在はまだニュースにはなっていないこと。把握しているのはその二つくらいかな」

「わたしも、ピラミッド全般について広く浅く調べただけだから、手がかりはまったく得られていないんだ。そういうことなら、チグサ」

「なに?」

「いっしょにピラミッドまで行ってみない? 間近から見たらどんな感じなのかとか、造られた目的とか、二人で調べてみようよ」

「調べるって?」

「言葉どおりの意味だよ。ネットに頼るんじゃなくて、自分の足でピラミッドのところまで行って、自分の手と目でピラミッドの詳細をたしかめるの。どう? 燃えない?」

「別の意味で燃えそうだよ。まだ七月なのに、最高気温三十三度とかでしょ。屋上から見た感じだと、歩きだと、下手したら一時間くらいかかりそうだよ。どう考えてもきつくない?」

「夕方に行けばいいんだよ。暑さがましな時間帯に往復二時間なら、ギリ許容範囲内じゃない?」

「正直、そこまでして知りたくないかな」

「わたしは知りたいの! だって、ピラミッドだよ? カイリのヨーロッパ旅行に対抗して、わたしたちはエジプトに行くの! そう考えたら、全然負けてないよね?」

「日本のT県T市でしょ」

 チグサはさもうんざりしたようにため息をついた。気乗りがしていないことをアピールするために発した、聞こえよがしのため息だ。

「行くならナツキが一人で行って。体力のない私がいっしょにいても足手まといになるだけだし、そっちのほうがいいんじゃない。ナツキはなんでも一人でできる子なんだから」

「できないよー。トイレとか、夜中に一人で絶対に行けないし」

「なんで見え見えの嘘をつくかな。修学旅行のときは普通に行ってたよね」

「げっ、ばれた」

「……どうして、そこまでして私を同行させたいの?」

「だって、一人よりも二人のほうが絶対に楽しいし」

 懸命の説得が続いた。互いに強情だったが、ナツキには勝算があった。なぜなら、チグサは要求を拒み続けながらも、自分から通話を打ち切ろうとはしない。ため息をついたとしても、呆れた顔を見せたとしても、そう簡単に親友に愛想を尽かさない。見捨てない。それが木島チグサという人だ。

 そして、期待どおりの展開となった。

「分かった。そこまで言うなら、一回だけなら付き合ってあげてもいいよ」

「ほんとに? やった! ありがとう、チグサ!」

「お礼なんていいよ。ナツキがしつこいから、嫌々付き合うだけだから」

「一つ提案なんだけど、今日明日はピラミッド関連のことを調べるのは禁止にしない? 情報を知れば知るほど、辿り着いてからの楽しみが減るから」

「まあ、いいけど」

「じゃあ、明日の予定を話し合っておこう。移動手段だけど、徒歩でいいよね。あっちの方面、多分バスとか電車とかはないから。それから、持ち物だけど――」

 チグサは口で言うほど、ナツキの提案に気乗りがしていないわけではないらしく、話し合いは思いのほかスムーズに進む。

 明日の夕方四時、S町の公園で待ち合わせをするという約束を交わして、長い通話は終わった。

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