怒れるお姫様
この数日間、私の気分は最悪だった。はっきり言えば、母を殺された直後の気分に匹敵するほどの最悪さだった。さらに上乗せするのならば、そんな気分を制御できない、自分に対する怒りもあった。本当に、最悪だった。
「……」
隣室に住まう大家――正確には、自分の父親かもしれない人だ――に与えられた部屋の中で、私はベッドに寝転んだ。私の生活は決して余裕があるわけでもないから、この部屋を好きなもので埋め尽くすこともできない。制御できることが少ない環境下での鬱屈は、本当に最悪だった。それもこれも、なんもかも。すべては隣室の男が悪いのだ。
「なんなのよ、あの探偵……。母さんを殺したのは、誰なのよ……」
隣室の男――ジョーンズ・デラホーヤへの愚痴が、とどまるところを知らない。かの探偵は私に疑問符ばかりをもたらし、なんの解決も与えてくれない。母の件も、サワラビさんの件も、そして、彼自身のことさえも。私にはなんにも伝えてくれない。
あんまりにだんまりが多いものだから、この数日は彼の部屋――要は探偵事務所だ――に足を向けることさえもしなくなってしまった。足を向けたところで、はぐらかされて終わるからだ。
「……焦るな。焦っちゃダメよ、サーニャ」
私の中に残った理性が、私に向けて口を開く。そう。あの探偵は『時間をくれ』と言っていた。表立っては動きにくいとも、言っていた。だけど、それにしても。
「ちょっとは私を見てくれたって」
ベッドの中で、一人つぶやく。そう。彼は私を見ちゃいない。少し前に砂浜でやらかしてからは、それが顕著だ。彼があれやこれやで忙しいというのも、理由の一つだろう。私が彼を避けているというのも、理由の一つだ。だけど……ああ、堂々巡りだ。私らしくない。私がEUから
「行こう」
私はベッドから立ち上がる。それから顔を洗い、そばかす顔にクリームを塗る。必要最低限、身だしなみだけは整える。平静を装えないのは、私にとってのルール違反だ。そして、ドアを開け――
バタン!
私は、反射的にドアを閉めていた。鍵を閉めていた。眼の前に、黒い服を着込んだ連中がいたのだ。どこからどう見ても、ジョーンズさんやサワラビさんではなかった。明らかに、アレは――
「サーニャ・マルシアーノさんですね。タウンナンバー四十九・都市管理委員の者です。少々、お尋ねしたいことがありまして」
「は、はい」
私は迷う。時間を稼ぐべきか。それとも逃げるか。いや、すでに私は反抗的な行動を示してしまった。それがいかに反射的なものだったとはいえ、今の私は『模範的な市民』ではなくなってしまっている。では、どうすれば?
「……」
いや、なにを考えているんだ、私は。そもそもいろんなことがあったとはいえ、私に『製薬会社』の手が伸びた、と考えるほうが間違いかもしれないではないか。そう。仮に、ただの訪問者だったとしたら? その場合、今の行動のほうが怪しまれてしまう。つまり――
「す、すみません。部屋が散らかっているもので。少し待ってください」
これしかない。上手い文句で時間を稼ぐ。稼げなくとも、礼儀正しく迎え撃つ。逃げたり、戦おうとするなんてもっての外だ。私は私のやり方で、彼らに抗うほかない。
「承知しました」
幸いにして、向こうからの声は理性的なものだった。平静を取り戻した私は、一つ気が付く。そうだ。このアパートで騒ぎを起こそうものなら、
「どうぞ」
外面だけを片付けた部屋に、都市管理委員会とやらの人間を招き入れる。黒い服を着込んだ面々は、やはりそうとは思い難いが。
「サーニャ・マルシアーノさんですね」
「はい」
「この街に入って一月になるはずですが、居心地はいかがでしょうか」
「はあ……?」
彼らとの問答は、想定外に真面目な言葉から始まった。
***
「で……結局ソイツを置いて帰って行ったと」
「はい……」
数時間後。私は隣室へと足を運んでいた。もはや嫌だのなんだの言ってられる状況ではない。探偵とその……相棒……としておこう。ともかく二人に、身の振り方を尋ねる必要があった。
「コレ自体は、普通に学校のパンフレットだねえ。たしかに、サーニャ嬢はまだそういう年齢だけどさあ」
「正直なところ、色んな意味で拍子抜けだぜ。連中、クソ真面目かよ」
無精髭の目立つ探偵も、目のクマが濃い相棒も、妙に呆れ返った表情をしている。私がむくれている間に、なにかコトを抱えていたのだろうか。しかしそれを尋ねるには。だけど。
「……あの」
だから私は、勇気を選んだ。いつだって、私はそうしてきたはずだ。ここで踏み込まずして、いつ踏み込むのか? 今しかなかった。
「お二人の方で、なにかあったんですか?」
意を決して。眼差しを見せて。私は二人の、目を見据えた。すると二人は、悲しげに首を振った。
「ジョン。語るしかないよ」
「シャラップ。ちょいと想定外はあった。だが、
探偵の目が、私を見据えた。私は軽く、息を呑む。そうして探偵は、ゆっくりと口を開いた。
***
「……って、訳だ。これから俺たちは、
「そういうこと。隠してた訳じゃないけど、語るほどでもなかった。それが、ボクの正体さ」
「……」
すべてを明かされた私はしかし、空いた口を塞ぐことができなかった。それもそのはず。目の前に座る二人は、たった二人で巨大な企業に喧嘩を売ろうとしてるのだ。それが自発的なものでないにせよ、結果としてはそういうことになる。勝ち目という言葉では皆無だろうし、なにより。
「そうだな。今の俺らじゃあアレだ。ゴリアテの足元をコチョコチョやってるダビデぐらいでしかねえ」
「希望的観測ではあるけど、彼らが早々に
「ですが」
私は思わず、口を挟んだ。そう。おそらく偶然だったとはいえ、彼らは私の存在を掴んでいる。学校への誘いを、放てる位置にある。だから。
「そうだね。要警戒だ。もしかしたら、回りくどい警告なのかもしれない。だけど、やることは変わらない」
「ああ。そもそもこの戦、こっちから仕掛けたらプチッと潰されて終わりだ。だから、今まで以上にコソコソやるしかねえ。……っと、想定外のせいで忘れていた」
不意に、ジョーンズさんが白髪交じりの頭をかいた。よく見ると、ほんの少しだけ白の割合が増している気がする。彼はいきなりその頭を、九十度以上に下げてきた。
「すまんかった!」
「……!?」
唐突な謝罪に、私は一瞬目を白黒とさせてしまう。だが、私は私を思い出す。そうだった。予想外の事態でこうなったけど、私は怒っていた。自分を見ようともしない探偵に、腹を立てていた。だから、返すべき言葉は。私の本心は。
「……落ち着いて、筋道を立てて言ってください。なにが悪いと思っているのですか? 今後はどうするおつもりですか? そもそも、どうしてこんなことになったんです?」
そう。許すだけではなにも始まらない。私は今こそ、一歩を踏み出すべきなのだ。自分のうちにあるものを、すべて叩き付けていく。話はそれからだ。
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