ドアを開ける探偵

 次に俺が目を覚ました時、そこには乱雑な部屋が映し出されていた。


「……っ!?」


 あまりにも急激に変わった光景。慌てて飛び起きた俺は、二、三度周囲を見回す。その行為で、俺は現地点がサワラビのアジトだと認識する。そして、呑気な声が飛んで来た。


「あ、起きた起きた。そろそろだとは踏んでたんだよねぇ」


「……俺は」


 コップを二つ、持ち来たったサワラビ。しかし俺は真顔のまま、彼女に声を放つ。すると彼女からは、想定以上の答えが返って来た。


「キミが危ない状況になっていたからね。悪いけど、お手製の強力麻酔をお見舞いさせてもらったよ。後はマシンで運んだ。それだけさ」


「するってぇと、俺は」


「うん。ポイント・オブ・ノーリターンを越えかけていたね。あのままキレてたら、間違いなく【あっち側】だったよ」


「……」


 サワラビの言に、俺は状況を整理する。背後からの衝撃、その直前の出来事を思い出す。エリックの言葉を跳ね除け、攻撃をかわし、ただただ上から殴り付ける。奇妙な全能感。湧き出るアドレナリン。そうか。アレが。


「気付いたかい? 【ビースト】ってのは厄介だ。普段どれだけ自制しているようでも、一度タガが外れれば一瞬で持っていくだけのチカラがある。ましてやキミは、【第二段階】という切り札を切っていた。そこに過度の興奮状態、さらなる能力の引き出し……【あっち側】へ渡る準備は整っていた」


「……すまん」


「そこは『ありがとう』で良いと思うんだがねえ」


「手を煩わせたからな」


 俺は、頭を下げたままに答える。ハッキリと言えば、今回の件は失態に分類されるべき事象だ。情状酌量の余地はあるだろうが、俺にとってはやらかし以外の何物でもない。長いこと恐れてきた【あっち側】への扉を、自分で開きかけていたのだから。


「やれやれ。キミがそういう人間なのは重々知っているから仕方ないが……。あんまり、他人の前では控え給えよ?」


 サワラビが、呆れ気味に肩を竦める。それを見てから、俺はようやく顔を上げた。そして、脳裏の片隅に残っていた疑問を取り出した。


「……エリックはどうした? 捜索対象が、自ら目の前に現れたというのに」


「取引の上で、引き上げてもらったよ。『ボクを見逃す代わりに、こちらはキミを見逃す』。彼はキミに、大分痛め付けられていたからね。いずれにしても、態勢を立て直す必要があった。そう見ているよ」


「なるほどな」


 俺はベッドの上であぐらをかいた。こうしていると、サワラビに救われた頃のことを思い出す。思えば、あの頃は今では考えられないほどに荒んでいた。やりたかったことも、目指していたものも。何もかも、見失っていた。仮に、出会ったのがサワラビでなかったら。俺は――


「まぁ……。これから事態は、いっそう悪化するだろうねえ」


 思考を打ち切るように、サワラビが独り言を吐く。俺はソイツに、首を向けた。目が覚めた以上、もはや俺は眠れない。なら、サワラビの推理を聞くのも面白い。


「想像してごらんよ。エリックは上から指示されたミッションに失敗した。彼は彼なりに考えているだろうけど、【製薬会社かいしゃ】をナメちゃいけない。下手すれば、取引をした時点で情報が上に渡っている可能性だってある」


「……そいつは、つまり」


「ああ。『消される』可能性が出てきたね」


「っ!」


 思わず俺は立ち上がる。運命のアヤで拳を交わしたとはいえ、誰もそんなことは望んじゃいない。止めなければ。しかし。


「落ち着け」


 サワラビから、冷たい声が響く。それは常とは異なり、酷く冷静な声だった。


「だが」


「落ち着けと言っている。アレからすでに、四時間も経過した。コトが起こるなら、すでに起きているよ」


「……」


 黙考した後、俺は座り直した。サワラビののたまったことに、間違いはない。【製薬会社かいしゃ】という組織は、そういうことに関しては恐ろしく手が早い。俺自身も、重々承知していた。承知させられていた。


「まあアレだ。消されたと決まったわけじゃない。上手く逃げおおせ、どこかに潜伏した可能性だってある。もしかすれば、またどこかで道が交わるかもしれない」


「……」


 サワラビが、わずかな希望を吐き出す。俺は思わず、ため息をついた。連中がそんな甘っちょろい組織じゃないことは、この俺自身が一番わかっている。さりとて、エリックなら。そんな思いがどこかにあることも、俺は理解していた。


「……チイッ!」


 俺はすべてを吐き出すように、わざとらしく舌を打った。旧友の、昔馴染みの危地になにもできなかった。そんな自分を呪いたい。だが呪ったところで、出て来るのは後悔と自分への怨嗟ばかり。それよりも、今すべきことは。


「どうする。おそらく、お前も」


「ああ。バレたね。ここからは、全面衝突だろうよ」


 前のめりに身体を突き出した俺に対して、サワラビはケラケラと笑う。俺は思う。コイツは、自分の危険をわかっていないのか? いや、サワラビという女は、そういう輩だったか。俺は、思い直した。


「全面衝突だから、やるべきことはいっぱいあるんだけど。でもその前にケリを付けなくちゃならないことがある」


「む?」


 サワラビの発した言葉に、俺は本気で疑問符を浮かべた。連中と決着を付ける前にやるべきこと。この街から【ビースト】を消す前にやるべきこと。今の俺には、それがわからなかった。


「おいおいどうした。戦いが続いて、パンチドランカーにでもなったかい?」


「うるせえ。お前のそういうところが、癇に障るんだ」


 サワラビの叩く軽口に、俺は半分本気で文句を言った。普段から思っていたことだが、今となっては気安く繰り出せる。それくらいの関係を、俺たちは手にしていた。


「やだねえ。本気にしないでくれたまえよ。……頭から半分消えてるようだから言うけど、サーニャ嬢はどうするんだい?」


「っ!」


 虚を突かれた形になった俺は、思わず背筋を伸ばしてしまう。そうだった。あの自称・娘にして押し掛け家政婦もどきは、【製薬会社かいしゃ】に。


「彼らとケリを付けるなら、必然その問題も出てくる。彼女を危険に巻き込むのか。それとも手を打つのか。エリックがボクに目をつけていたことから推測するに、彼女についてはまだ排除命令はなさそうだけど」


「アイツは俺が保証人になって居住許可を得ているはずだ。いくら連中だって、おいそれと……いや……」


 俺は考えをめぐらし、危険性にたどり着く。奴らが、なりふり構わなくなったら。


「そうだよ。彼らが手段を選ばなくなったら、彼女は危地に立たされる。なにせ、保証人が【製薬会社かいしゃ】に反旗を翻してるわけだからね」


「くっ……」


 俺は歯噛みする。ここしばらく、ずっとサワラビの件に気を取られていた。しかしなんのことはない。最大のデンジャラスピースは、最初から近くに置かれていたのだ。俺は器用にベッドから降り、散乱するアレコレを避けてドアへと向かった。


「どうするんだい」


「どうするもこうするもねえ。アイツと語らう」


 呼び止める声さえも振り切って、俺はドアをこじ開けた。


 第六話・完

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