向かい合った探偵

「旦那……いや、ジョン」


「どうした、急に砕けやがって」


「ありがとうよ」


 翌日。イタマエがかの女性と無事に対面を果たした、その帰り道。彼は突然、俺に向かって頭を下げてきた。俺は慌てることなく、そいつを押し止める。


「構わん。俺の欲が絡んでる。どうってことない」


「それでもだ」


 下を向いているイタマエから、鼻を啜る音が響く。俺は、正対の姿勢をあえて崩した。男には誰だって、他人に見られたくない姿がある。今こそ、その時だろう。


「旦那が無茶を言うから、あっしも思わず無茶を振っちまった。だというのに、見つけて来てくれて。そして、顔合わせまで」


「幻滅しただろう? 初恋の女が、今や春を売っている。しかも、決して」


「でも生きていやした。この街にいやした。だから」


「そうか」


 鼻声混じりの声が、俺の耳を小突いてくる。たしかに、後悔はないのだろう。だが。


「ありがとう、ございやした」


 再度の礼が、俺の思考を押し止める。いかんな。余計な推理を重ねてしまうのは、どうにも俺の悪癖らしい。結果はどうあれ、奴は満足している。だから、それで十分。そういうことで、いいはずだ。


「それじゃあ、あっしはこれで」


 六番街の街角で、イタマエが俺に別れを告げる。俺は『元気でやれよ』とだけ言って、奴を見送った。おそらくはまた、しばらくラーメン・ヌードルはお預けだ。そうはいかない戦いが、待ち受けている。

 少し歩いて人気のない道に入り、俺はおもむろに口を開く。言われずとも。確認せずともわかっていた。粘っこい気配が、今日の俺にはずっとまとわりついている。慈悲だかなんだか知らないが、ここまで出て来なかったのは、ひとえに運でしかないだろう。


「出て来いよ」


 応じる声はない。徹底した無言。俺にはもはや、正体の見当がついていた。アイツはそういう奴だ。肝心要のところは、自分でやらないと気が済まない。だからある意味、俺が引きずり出したとも言える。勝負の読みは、五分五分だがな。


「……ジョーンズ。まさか君が、彼女と繋がっていたとはね」


 ブルズアイ。そしてバッドラック。俺の予想通りに、ソイツは軍警の装いナリで現れた。右手に、銃ではないナニカを握っている。おそらくそれこそが、ヤツの装甲なのだろう。


製薬会社かいしゃの人間だったとは聞いちゃいたが、正体に関しちゃ初耳だった。それが事実だ」


 間合いを取り、機を窺う。言葉を交わす。できれば、戦闘は避けたい。そいつが本音だ。しかし。


「だとしても、だよジョーンズ。かつて我々に抗った者と、我々の影を知る者が組んでいる。これを看過することはできない。だから」


「俺を討ち、サワラビを拘束して覚えめでたく、ってか? いただけねえな。まったくいただけねえ」


「そうか。だったら」


 どこまでも輝きを放つ男に、一瞬だけ翳りがよぎった。そのように、俺からは見えた。だが次の瞬間には、手にしていたブツを自らの前に持ち上げていた。


「――ッ!」


 俺は反射的に、右の奥歯を噛んだ。前回の記憶が確かならば、コイツには最初からフルスロットルで行かねば勝ち目はない。よりキマイラに近付くのは難儀だ。しかしそうするだけの価値が、この戦いにはある。アイツらの元に、帰るためにもだ。


「やるしかない」


 エリックの声が、かすかに響く。そこにこもる想いは、俺にはわからない。だが、俺は悲しかった。古い馴染と、わかり合えない。戦わねばならない。生き残るためとはいえ、こんなに悲しいことはない。


「うおおおお!」


 俺は、全てを振り切るようにアスファルトを蹴る。いきなりのフルスロットルは、尻尾を使った一撃。回し飛び蹴りの要領で跳ね、背を向ける。スキはデカいが、奇襲には最適。ソイツが、俺の構想だった。しかし。


「なるほど。先日のようにはいかない、と」


 エリックの腕が、ヤツの急所をガードする。やはりか。やはり一筋縄ではいかねえか。衝撃と反動で地に足が付き、俺は隙を見せる形になる。だがヤツは攻めて来なかった。俺は態勢を整え、問う。


「どういうつもりだ。絶好の機会だったぞ」


「わからせるためだよ、ジョーンズ」


「む?」


 輝きを呑み込んだ黒色の装甲が、さらに黒みを増したように見える。エリックはそのまま、抑揚のない声で俺に告げる。


「キミは私には敵わない。【製薬会社我々】には到底及ばない。その事実を、キミに突き付け、わからせる。そのためには――」


 平坦な声とともに、ヤツが滑らかに俺の間合いへと侵入する。それは俺には対応し難いほど早く――


「前回以上にキミを圧倒する他ない。そうだろう?」


 再び。あの日の一撃が再び、俺の腹部をえぐっていく。だが、俺は歯を食いしばった。くの字に曲がる身体に抗い、たたらを踏まぬようにこらえる。今にも胃の中身が飛び出そうだが、ソイツも耐える。踏み止まり、殴り合う。俺が選んだのは、『抵抗』の二文字だった。そうだ。俺はいつだって。


「なら。前回のようには倒れてやらねえ」


 装甲の下で、口角を上げる。口の端から血はこぼれたが、それでも不敵には見えるだろう。もっとも、見てる奴なんていないんだがな。だが。


「見える。見えるよ、ジョーンズ。今、キミは痩せ我慢をしている」


 エリックはのたまう。見透かしたように、俺へと告げる。わかっていた。コイツは、そういう男だ。俺じゃあないくせして、俺以上に俺のことをわかっていやがる。あけすけに言っていいなら、相当のバッドガイだ。


抵抗レジスタンス。揺るがぬ反骨心。それがキミの根幹だ。故に、タフであり続ける。故に、私の忠告にも耳を貸さない。だから、そいつを叩き折る。そう決めた」


 踏ん張り、構えを取る俺へと向けて、再びエリックが滑らかな踏み込みを見せる。俺は敢えて、大きく逃げた。右斜め前方に大きく、低く踏み込む。全身全霊の回避行動。当たり前だ。次に食らったらいよいよヤバい。ソイツを隠せる余裕もない。正直に言えば、かなりのデスペラードだ。まったく、嫌になる話だぜ。前に進むくらいでしか、意地を示せない。


「ふむ。心を折るには足らないか」


「冗談じゃねえ。なんでこっちの奥の手に付いて来やがる」


「企業機密だな」


「そういうところが、製薬会社アイツらの犬だって言ってんだよ」


 俺は全身全霊を込めたまま奴へと振り向く。なんとか、一瞬でも速く行動する。そうしなければ、延々と攻め手に晒されることだろう。それができるだけのスペックを、エリックは内外両面で備えていた。


「飼い犬とて、時には主の手を噛むだろう?」


 振り向く速度はほぼ同時。俺が顔を向けた途端に、エリックの減らず口が俺の耳を叩いた。わかっている。俺も大概だが、コイツも同じくらいに頑固な輩だ。だから。


「そのためなら他人を泣かせても問題ない、ってか? やっぱり犬だよテメエは!」


 昔と同じように、殴り合ってわかり合う。それしかない。右拳を固め、敢えて大振りに打って出る。たとえそれが――


「なにを言われようが、私は止まらない」


「うぐお……」


「それが私の、決めたことだからだ」


 エリックに隙を与えたとしても。土手っ腹を、またしても撃ち抜かれたとしても。たしかにソイツはヤバい。めちゃくちゃにヤバい。だが!


「知らねえよ」


「む!?」


 口角を上げ、意地を張ることぐらいはできる!


「知らねえって、言ってんだよ!」


 足を踏みつけ、全力の殴打。今にも反吐が出そうな中、それでも胸と声と意地を張る。それくらいのことは、俺にもできた。

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