女と話す探偵

「どうするんだい」


「どうするもこうするもねえよ。やるまでだ」


 マッサとの通話の直後、俺とサワラビは再び言葉を交わしていた。しかし、先刻とは微妙に空気が違う。なぜなら。


「七番の歓楽街といえば、本来ご法度であるはずのあれやこれやができると評判の場所だよ? そんなトコに身を置いてるなんて、十中八九ワケアリか好き者だ。この件、ここまでで手を引いた方がいい」


「話してみなけりゃ、わからねえだろうが」


 サワラビから紡がれる、目的地の正体。ソイツは俺も、十分承知している。だがここで引いたら、探偵の名がすたる。師の姿を、脳裏に浮かべた。あの人は、どんなヤバい場所でも自分で踏み込んでいた。それが探偵のポリシーだと言って、どんなにヤバい事件ヤマでも引かなかった。


「それは同意するけどね。今回ばかりは、ボクは同行できない。女があそこに入る時は、その身を……」


「わかっている。それに、俺だって無為無策であそこに乗り込む訳じゃねえ。ほっそいツテだが、辿ってみるさ。足がつこうが、構いやしねえ」


 俺は決意を、言葉に変える。さっきも言ったが、エリックの手がどこに伸びているのかわかったモンじゃない。歓楽街へ繋がるツテを頼った瞬間に、ヤツの手先が見えて来る。そんなことだって、もはや起こり得るのだ。だが探偵のプライドにかけても、ここは退くわけにはいかないのだ。


「……オーケー。せめてキミの無事を祈るとしよう。彼女とイタマエを、会わせられると良いね」


「そうなってくれると、俺も嬉しいよ」


 それだけ言って、俺はそそくさと風呂場に向かった。


 ***


 昼間の歓楽街は、はっきりと言えば静かである。だがマッサからの情報が正しければ、俺の行く先は昼間でも動いているはずだった。いつもよりもラフな――さっくり言えばこの街でも怪しまれないようなスタイルに身を包み、俺は案内人――ツテを隣に据えて歩んでいた。


「旦那がこの街に用とは、珍しいこともあるんですねえ。明日は槍でも降るんかね」


「おいおい、ソイツは冗談がすぎるな。……ま、俺がここに来るのは珍しいか」


「そうですよ。旦那、独り身のくせに遊ばないんですから」


 ツテは言いたい放題だが、俺はそれを受け流して道を進む。ほっそいツテだと言った割に話が早かったのには、ささやかながらの幸運が関係していた。


『いつぞやに蜘蛛を追っ払ってもらってますからねえ。やってやりまさあ』


『ありがたい』


 そう。俺が頼ったのは、かつて操られていたとはいえ俺に手を出してきた男。少々ナリは小汚いが、恩義に厚く、下層の深い場所にも顔が利く男だった。こんな手のかかる案件でも動いてくれたのは、まったくもってグッドだった。一連の事件で、初めてのラッキーだと言っても良いだろう。


「さて……聞いた場所はこの辺りなんですが……。旦那、気をつけてくださいよ。探偵って知れると、上層うえからの手入れを怪しまれますんで」


「わかってる。上層あちらさんは、変なところで小うるさいからな。そりゃあっちの人間が下層こっちにハマって、変な病気でも持ち込んだらマズいのはわかっちゃいるが」


「そういうこってす。今にしたって、何人に上の息がかかっているやら」


 彼の口から語られるのは、歓楽街の世知辛い事情だ。雇う前に調べはしているのだろうが、上層うえにかかれば経歴の操作などお手のものである。少しでもコトが起これば、すぐさま摘発の手が伸びるだろう。


「ま。この街はたくましくもしたたかなんで、色々とやっちゃいるでしょうけどね」


「だろうな。でなけりゃ、この街で生き延びていられるはずがねえ」


 言葉を交わしつつ、俺たちは目的地を探す。先も言った通り、昼の歓楽街は静かなものである。だが幾人かは、こちらを見ていた。客人に目を光らすのも、彼らの仕事の一つなのだろう。招かれざる者がいれば、直ちに伝えねばならぬのだから。


「おっと、ここの三階でさぁ。話は通せてないんで、客として行ってくだせえ」


「ここまで案内してくれただけでも助かる。礼は……後だな」


「へえ」


 俺はツテと別れ、建物へと乗り込む。ただでさえラフなスタイルをより着崩し、遊んでいても怪しまれないよう、気を使う。一見普通の事務所に見えるその扉の向こうに、店の受付があった。まあ、表立ってはやりにくい店ということだ。


「いらっしゃい。誰にするね」


 少々歳のいった女性が、話の速さをうかがわせてくる。俺はすかさず、例の女性を所望した。ここで迷うような素振りを見せると、付け込まれる恐れがある。師との『社会勉強』で、学んだ記憶だ。


「あいよ。奥で待っといてくれ」


 女性が特に不貞腐れるわけでもなく背を向ける。マッサの証言では、彼女はこの時間でも客を取っているはずだが。ともかく俺は、中へと通された。お子様には見せられないから、詳しくは言えないけどな。そして。


「へえ。見ない顔だねえ」


 さして待たずして、ターゲットは現れた。イタマエが語るような面影には少々遠いようにも見えるが、ソイツは年季だから仕方ない。俺は、軽口で話を合わせることにした。


「ほぉ。客の顔を、大体覚えてるのかい」


「そりゃあねえ。こんな年増を買うのなんて、よほどの好き者か、度胸試しだろうからね」


「そこまで言うかね」


 半ば女を捨てたかのような物言いに、俺は思わず口を挟む。器量良しかどうかは置いとくとして、決して手配り気配りを怠っていない。それだけは、見てる姿からも伝わって来た。


「まあ、その辺のヤボは良いじゃないか。さっさとやること……」


「ああ、それなんだがな」


 彼女が服を脱ごうとしたところで、俺は待ったをかける。そして素早く追加のチップを繰り出した。ここまで来ておいてやることをやらないのはご法度だし、彼女の名誉に傷を付けることにもなる。それをごまかすための、身銭だった。


「なんだい、これは」


「済まねえな。やることやりに来たんじゃねえんだ。ちょいと、頼まれごとがあってな」


「……事と次第によっちゃ、叩き出すよ」


 女が脅し文句を投げて来る。これも予想の範疇だ。この女だって、プライドを賭けて稼業に勤しんでいるのだ。しょうもない話であれば、叩き出す権利はある。


「会って欲しい、男がいるんだ。なにも話さなくて良い。ただ一目会って、手を取ってやって欲しい。かつてあんたに惚れた男が、今もその幻影かげに焦がれてるんだ」


「……今日はおかしな日だねえ」


 女は、間の抜けた顔で、そう言った。


「私を買おうなんていう物好きがいたかと思えば、『会いたい』なんてのたまう酔狂まで出る。明日の天気は、槍なんじゃろか」


 歌うように、言葉が続く。俺は、次なる言葉を繰り出すか迷った。この女が、ブルズアイであるか確認する。そのための言葉をだ。そんなだから先手は、女が取った。そして、意外な言葉だった。


「いいね。会おう。初恋だかなんだか知らないけどさ。仮に私が人違いでも、せいぜい演技してやろうじゃないの」


「いいのかい」


「いいさ。私だってこれでも女郎だ。買われた以上は、願いを果たす。望まれたなら、望みに応える。それが女郎の、プライドってもんよ」


「ありがてえ」


 俺は全力で、女に向かって頭を下げた。

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