彷徨える探偵
「……正直な話、やっちまったな」
どこをどうほっつき歩いたのか、思い出せない。だが、後悔が口から出て来る頃には、すっかり夜闇が街に降りていた。まったく、よく無事だったものだな。
もちろん、ここは自宅兼事務所ではない。サーニャ嬢の部屋でも、サワラビの
道が曲がりくねり、あちこちに繋がっている感覚からすると、八番か九番の裏道あたりが妥当だろうか。十番ならもっとスラムじみているし、こんなうろつき人間を放っておかない。後ろから殴って気絶させ、金品をむしり取り、街の外へと放り捨ててしまう。そういう連中が、あそこの住人だ。
「さぁて、どうするか」
適当な壁を見つけて、俺は背中を預けた。ついでに、幾日ぶりかに煙草の火をつける。血管に注ぎ込まれるニコチンの感覚が、俺に思考を取り戻させた。身体に悪いと控えちゃいるが、こういう時にはニコチンが良い。俺の、経験則だ。
「事務所に帰る……のは前提としてだが、サワラビへの弁が思いつかん」
口に出しながら、俺は思考を整える。なにがどうであれ、俺はサワラビを危険には晒したくなかった。本名が
「とはいえ、ソイツは俺の勝手か」
冷静さを取り戻すと、俺がいかにワガママを吐いたかを痛感した。ましてや、それだけで貴重な頭脳担当、メンテナンス係を喪失している。愚かさのあまり、自分で自分を殴りたくなってきた。
「……理屈はそうでも、俺が納得できねえんだよな」
周囲に気を張り巡らせながら、ひとりごちる。そう。俺が俺の感情を信じずして、どうやって生きて行けというのか。探偵はたしかに、クレバーでタフでなくてはならない。だが、内側の熱さなくしてそれらの遂行はできない。コイツは師の教えと、経験から導いた方程式だ。
「……それなら一発、ガチるしかないか」
煙草の吸殻を、壁でもみ消す。すると辺りに、剣呑な気配を感じた。おおかた、このあたりを根城にしているギャングかなにかだろう。ならば、やることは一つだ。
「出て来い。俺から金をむしり取ろうたって、そうはいかんぞ」
気配に向かって、声を放つ。俺の油断を待っていたのだろうが、気付いた以上は放っておかない。イキがる若者なら世間の道理をわからせてやり、いい歳をした裏の連中であれば徹底的に打ちのめす。ソイツが、俺のやり方だ。ただし、何事にも例外はある。それこそが――
「おいおい。そりゃあたしかにイキがるよなあ」
出てきた男どもの姿に、俺は認識を新たにする。なぜなら、相手は不倶戴天の敵。許しちゃおけない存在だった。
「オッサン。ぺしゃんこにされたくなかったら、土下座して有り金置いてけよ」
両腕をやたらとごん太くした、いかにも頭目臭いヤングが答える。周囲に立つ男どもも、皆一様に身体のどこかを、人間以外のそれに預けていた。あからさまに、【ビースト】の影響下だ。
「やってみろ。ただし、俺に負けたらそのクスリをやめろ」
「ハッ! やってみろよ!」
十人はくだらない一党が、俺に向かって一斉に動く。まったくもって壮観で、まったくもって絶望的な光景だ。だが。
「あいにく、俺は壊滅的に機嫌が悪いんだ」
すべては無意味だ。俺は右奥歯を噛み、いつも通りに装甲を纏う。さすれば、後はいつも通りだ。骨折、あるいは内臓の軽い損傷。殺さない程度に痛め付け、わからせる。それで十分だ。
「ギャッ!」
「グエッ!?」
「おげえええ……」
聞こえる。数分も経たぬ間に、いくつもの断末魔が路地に響く。俺に壊された、ヤングたちの悲しい声だ。まあ頑張れ、若人よ。ヤクを抜くのはしんどいだろうが、今ならまだ、やり直せる。俺のようには、なるんじゃないぞ。
「あばよ」
俺はヤングたちを放置したまま、その路地を去った。同時に心が、ハッキリと定まる。サワラビと、心の底からぶつかる他ない。それが済んだら、サーニャ嬢とも話をせにゃならん。
「気はクソ重いが、やらなきゃ未来も見えねえよな……」
どんより沈んだ今の心では、空を見上げることさえ叶わなかった。
***
「で? 勝手にキレて勝手に戻って来て。しかもオマケに話がしたいと? 一体全体、どういう身勝手だい、キミは」
「面目ねえ。返す言葉もねえ。キレたことは悪かった」
夜半。ゆったりのったりと事務所へ帰還した俺は、再びサワラビと向き合っていた。どうしてこうも、彼女が都合良く事務所にいるのかって? 俺の代わりに、コイツが事務所を守っていたからだ。別に頼んだつもりはないが、彼女なりの勘だろう。どうせ、俺が戻る場所はここしかないからだ。
「誠意が足りない。……と、言いたいところだけど。まあ、アレだ。のこのこ戻って来るぐらいだから、自分の感情を言語化することぐらいはできたんだろうね」
「一応、な」
所長席には座る気になれず、俺は応接席でサワラビと向かい合う。どうせ今日は眠れない。決着をつけるにはちょうどいい。
「では、言い分を聞こうか」
サワラビが、席に背中を預ける。畜生。まったくもって悔しいことだが、目のクマ以外は、相変わらず一等品の女だ。しかし俺の感情は、そんなこととは関係ない。もっと深いところに、俺の心はある。俺はそいつを、一息にぶつけた。
「お前は俺の共犯者だ。正直言って、お前がいなければ俺にはなにもできなかった。【キマイラ・ビースト】に飲まれて終わっていた。その点において、サワラビは俺の恩人でもある」
「ふむふむ。だから?」
うむ。返答は想定通りだ。この程度の言葉を熱っぽく語ったところで、目の前に座る女はなびかない。ただただ、大前提を告げただけだ。だから俺は、平然と言葉を続けた。
「まずはハッキリと告げよう。俺には、恩人を売るマネはできない」
「ボク自身が、許可を出していてもかい?」
「無理だな」
サワラビの言葉を突っぱねる。ここまでは、先刻と流れは変わらない。だからこそ、ここからは変えていく必要があった。
「随分と言ってくれるね。理由を聞こうか」
サワラビがようやく、俺の言葉に興味を示した。だから俺は、ぶつけていく。心の底からの、真意中の真意を。
「俺にとって、お前が大事な人間だからだ。俺は俺のエゴで、お前を奴らに渡したくない。その代わり、俺がお前を、なにがあろうとも護る。不足か?」
「……」
俺の言葉に、サワラビは暫し沈黙した。俺はその間、サワラビから一瞬たりとも目を離さなかった。偽らざる俺の心境を伝えるには、この手段しか思い付かなかった。自分でも、不器用だとは思う。だからこのくらいしないと、伝わらないのだ。
「まあ、合格としよう」
ほんの数分。しかし一時間ほどにさえも思えた沈黙を経て、ようやく彼女は口を開いた。ニヤリと口角を上げ、蠱惑的でもない笑みを見せる。
「正直なところ、思った以上に本音が聞けたしね」
「なっ……」
ガッデム、カマをかけられたか。俺は顔をこわばらせる。仮にこれまでの言動がカマかけだったら、俺は完全に独り相撲だ。こんな情けないことはない。だが、彼女は。
「眠ろうとしないところを察するに、どこかで装甲を纏ったんだろう? いいさ。今日は破格のサービスだ」
そう言って、俺の身体に身を寄せた。
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