説教される探偵

「ちょーっとジョンらしくないんじゃないかね」


 マッサとの交渉が、ギリギリもギリギリの展開で終わった数十分後。俺はいつもの喫茶店でサワラビに詰められていた。理由は明白。俺の行った交渉が、あまりにも下手したてに過ぎたからだ。


「そうは言っても、実際に探偵ごっこだからな。しかも、私情満載のだ」


「だからと言って、あそこまで譲歩することはないだろう。言い値の四倍なんかのたまったら、どれだけ吹っ掛けられることか。わからないキミではないだろう?」


 うぐ。俺は、声に出さずに軽くうめいた。まったくもって、サワラビの言葉は正論だった。正論過ぎて、返す言葉もない。だが、俺にも問わねばならぬことがあった。


「ああ、そうだ。どれだけ吹っ掛けられるかなんて、正直想像もつかなかったさ。だがな」


「だがな、じゃないよ。ボクを失望させないでくれないか。キミはもっと、タフでクレバーな男だろう。見切り時を間違えるなんて、やっぱりらしくないよ」


 ぐぬっ。今度はうめきは、小さく声に出てしまった。ブルシット。やっぱり俺は、俺を保てていない。彼女の言葉で、改めて実感した。ならば、どうするか。知れたこと。俺に戻るだけだ。


「済まない。助かった。ありがとう」


 まずやるべきこと。それは礼だ。人間関係というのは、そのほとんどを礼儀が占める。礼儀がなっていない奴は嫌われるし、いつしか集団からも消えていく。俺は師匠に、そう教わった。


「オーケー。実のところを言うと、こっちもキミに感謝してるよ。なにせ先方への取っ掛かりが一つ、できあがったからね」


 サワラビが、感謝の言葉を返してくれる。しかし同時にその一節に、俺は苦いものを覚えた。そう。『先方への取っ掛かり』だ。俺はできれば、サワラビにソイツを与えたくなかった。


「話を戻そう」


 サワラビの口が、シロップを大量にぶち込んだアイスコーヒーへと伸びていく。別に艶めかしさは感じやしない。そういう次元の関係はとうに過ぎているし、別に思春期のガキでもない。それどころか、甘さを想像して胃がもたれそうになる。そういう年頃だ。


「キミは一体、あのヌードル屋台のイタマエになにを感じているんだい? いくら沽券にかかわる失態を犯したとはいえ、少々やりすぎな投資方法だったよ?」


「だろうな」


 俺はコンマ一秒で肯定した。なにも否定する要素はない。事実として、恣意の篭った探偵ごっこなのだ。マッサの言葉は、実にブルズアイだった。


「ただな」


 俺は、熱いブラックコーヒーに口をつけた。熱さと苦味が、一息に胸へと押し寄せてくる。俺はソイツを、しっかりと受け止めた。すべては俺のミス。あの日掛けられたコーヒーの熱さも、右に同じだ。


「あのイタマエは、俺の朋友だ」


「そうだね。ソイツは、傍から見てても十分わかった」


「そんな人間に、俺は不義理ができなかった」


「日を選んで、金を持って行けば良かったじゃないか」


「そう言われちゃあ、立つ瀬もねえな」


 サワラビの詰問を、俺は肯定した。全くもって、彼女の言う通りだった。反論しても、なにも生まない。そういう展開だった。ならば、なぜ俺はあんな無茶を引き受けたのか。


「ただな。俺はアイツに生殺与奪を握らせたかった。そうしなければ、無銭飲食になっちまう」


「わけがわからないよ」


「俺だって、わかっちゃいない。ただ、そうしたかったんだ」


 俺は、久方ぶりにタバコに手を伸ばそうとした。しかし、テーブルに灰皿がない。時計を見る。禁煙の時間帯だった。ブルシット。さすがに、外まで行って吸うほどの気力はなかった。


「……キミらしいと言えば、キミらしいんだろうね」


 しばしの沈黙の後、サワラビが呆れ気味に口を開いた。肩をすくめている辺り、本当に呆れているのだろう。その点に関してだけは、心底反省する必要がある。俺は、重々に承知していた。


「だけど、損益分岐点まで見失うのはキミらしくない」


 だが、それで終わるほどこの女は甘くなかった。俺は理解する。今回サワラビが説教を選んだのは、二つの事象が原因だったか。

 一つは、イタマエからの無茶な依頼を引き受けたこと。いや、そういう展開に、俺が自ら持って行ったことか。

 一つは、イタマエの依頼を果たさんとするあまり、益のない範囲にまで金を突っ込もうとしたこと。

 まとめると『無茶、不条理を働いたこと』が原因にしかならないが、これに対して理由を訴えても効果はない。『無茶をしない約束』? もっと意味がない。俺の稼業に、無茶はつきものだ。ではどうするか。


「そうだな。俺の判断としておかしい。許されたものじゃあない」


 まずは罪を認める。その上で、落とし所を探る。ソイツが、俺の出した結論だった。事実、コトはすでに発生してしまった。なかったコトにできないものを、あだこだ言っても仕方がないのだ。


「わかってくれたのなら良しとしよう。探偵稼業に無茶はつきもの。約束させるなんてのは、おこがましいからね」


「そこをわかってくれるとは。やはり持つべきものは共犯者だぜ」


 不意に筋肉の緩みを覚えて、俺は自分の顔が強張っていたことに気付く。ブルシット。考えが顔に出てたら、探偵商売上がったりだ。まったく、今日の俺はなっちゃあいない。席を外して、顔を引っ叩いてやりたいところだ。


「さて。説教が終わったところで、次の手を練らなくちゃいけないわけだが」


「マッサを待たなくちゃ、始まらないだろう」


「それはある。だが、あの男にも」


「わかっている」


 俺は背もたれに身体を預けた。マッサがどこまで事情を聞かされているかは不明だ。しかし下層こちらにいる、ある程度の能力やツテを持っている人間。そういう連中にまるごと、エリックの手が伸びている可能性がある。それこそ饅頭マントウ屋の元締や、あの悪党だった女にもだ。俺が築いてきたものが、すべて敵に回る。恐怖を覚え、身体が震えた。


「おや、ビビったかい?」


「ぬかせ、武者震いだ」


 見透かしたようなサワラビの声を、俺は切って捨てた。ビビっていることぐらい、自分でもわかっている。そして、最悪の展開に持ち込まないための方法もだ。


「キミの想像は読める。キミがこれまでに培ってきたもの。そのすべてがボクを追って来る。敵に回る。そんな想像を、抱いたのだろう」


「……」


「そうなる前に、かの人物とはケリを付けなくちゃならない」


「……」


 俺は、無言を押し通す。だからと言って、サワラビの無茶を飲む訳にはいかない。だいたい、どうして俺が一方的に説教されなくちゃならないんだ? 無茶はお互い様だろうに。そう思うと、怒りがふつふつと沸いてきた。


「伸ばされている手を手繰って、こちらから飛び込む。それしかないと……」


「わかっている」


「なら」


「やりたくねえ」


 子どもじみた抵抗だった。しかし想いは止められなかった。共犯者だとか、男女の仲だとか、そういうのは関係ない。言葉にはしづらいが、俺はサワラビを敵手に晒したくなかった。


「虎穴に入らずんば虎子を」


「やらねえ!」


 テーブルに手を付き、俺は立ち上がった。当然、強い音が店内に響き渡る。客がほとんどいない。だが、俺に向かって強い視線が飛んできた。マスターだ。彼は、首を横に振っていた。確認した後、サワラビを見る。こちらをまっすぐに見ているが、その感情は読み取れなかった。


「……悪かった。金は払うから、ゆっくりしてくれ」


 俺は、サワラビに背を向ける。そしてそのまま、逃げるように店を去って行った。

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