日々を送る探偵
エリック――正確には彼と思われる黒装甲の戦士だが――との再戦を心に誓ったとはいえども、俺の送る日々は変わらない。当たり前の話だ。そうそう簡単に大きな
と、まあ。そんなわけで。
「ジョーンズさん、起きてください。朝ですよ」
「くぅー……。あと五分よこせ……」
黒い戦士にしこたまやられてからはや四日。今朝という今朝も、俺はサーニャ嬢に惰眠を阻止されていた。まったく。俺にとって睡眠がいかに貴重か、この娘はちっともわかってない。いや、わかっていた上で言っているのかもしれないが、完全に余計なお世話なのだ。そのへんの機微を、わかっちゃいない。
「さっきは三分でしたが。いい加減にしてください。と、言いますか、寝室で寝ましょうよ」
「俺は常在戦場なんだよ……」
所長席上の小さな攻防。サーニャ嬢の鋭い舌鋒を、俺は怠惰にいなしていく。俺の見立てじゃ、この娘は強い代わりに真っ直ぐすぎる。だから変な踏み込みで怪我を負うのだ。ま、その代わりになかなかタフなようではあるが。
「その心根はわかりましたが、健康上はおすすめできません」
「ぐぬぬ……。ちっ!」
だから俺は、時機を見計らって起きることにしている。半分は彼女の言う通りだし、そもそも、こうして手を差し伸べてくれること自体が俺への気遣いなのだ。あんまり無為にしてたら、俺がお天道様からバチをもらっちまう。やりすぎな場合は、ともかくとしてだ。
「はい、朝食もできてますから。顔を洗って来てください」
「……わーった」
渋々。あくまで渋々といった体で、俺は洗面所へ向かう。こういうふうにしていると、あたかも俺が飼い慣らされてしまったようにも見えるかもしれない。
だが、実際には逆だ。俺が、あの娘を慣らしているのだ。そこのところを、間違えてはいけない。俺は俺の心に、しっかりと刻み込んでいた。
チンッ。
俺が席に戻って来たタイミングで、小気味よくトースターの音が響く。おそらくは、サーニャ嬢がすでに投入していたのだろう。俺は手短に挨拶をし、口をつけた。
「最近、妙に静かですね」
「なにがだ?」
携帯越しにニュースを手に入れながらパンを頬張る俺に、嬢がのたまう。そうか。嬢が来てから、アレコレ事件続きではあったか。認識を新たにした俺は、一息にコーヒーをあおる。彼女の入れた甘さ控えめの味が、熱く喉を焼いていった。同時に先日の熱さも思い出しかけ、俺は左奥歯を軽く噛んだ。あれから未だに、サワラビとはロクに話をしていない。
「いえ。依頼者も事件もない感じですから。平和だなって」
「そうそう事件がいくつもあったら、俺の身体がいくらあっても足りねえよ」
「それはそうですけど」
俺の決まりきった返事に、彼女はなおも疑問を呈した。気持ちはわからんでもないが、あんまりこっちの領分に踏み込まれても困る。俺は一発、牽制をぶち込むことにした。
「カネの心配なら要らんぞ? これでも一応、ここの大家みたいなモンだからな」
「そっちの心配は、あんまり。世話して頂いてる身で、踏み込める部分じゃありませんし」
ありゃ? 俺はそういう心配だと思っていたのだが。ともかく牽制は、見事なスウェーでかわされてしまった。
「前に聞いた気がするんですよ。『この街は、死と気苦労に満ちている』って」
「ん? ……あー」
続いて放たれる彼女からのパンチに、俺は記憶を振り返る。ああ、最初の頃に俺かサワラビが似たようなことを言ってたか。ほとんど事実を、脅かしのように。
「そいつは事実だぁな。ま、おっつけそろそろ、依頼も来るだろうよ」
あくまでのんきな風にコーヒーを啜った瞬間、ドアを叩く音が俺を横合いから引っ叩いた。俺は思わずむせそうになったが、なんとか液体を喉奥にしまい込んだ。危うく、醜態を晒すところだったぜ。
「ジョンさん、開けてくれ! 大変なんだ!」
「そぉら、言った通りだろう?」
そんな事実を笑顔でごまかすと、俺は軽い足取りで玄関へと向かった。
***
カァー……カァー……。
夕暮れ。六番街の路地では、カラスが楽しそうに鳴いていた。俺たちはわずかな報酬を手に、それなりの足取りで事務所への帰途についていた。
「随分、あっさりした事件でしたね……」
「ま、こんなもんよ」
難事件というか荒事ばかりを目にしてきたサーニャ嬢が、小さくのたまう。だが俺にしてみれば、こっちのほうが日常だった。
「まあ、はたから見れば痴話喧嘩の仲裁に見えるかもしれねえ。だが、アレはアレで、この街を揺るがしかねない問題だった」
「はあ……」
俺の言葉に、嬢は首を軽くかしげる。まあ、そりゃそうだよな。俺は、説明を続けてやることにした。
「いいか? あの夫婦は六番街の市場で店を営んでいる」
「確か、果物屋でしたね」
「そうだ。まあ、果物屋自体は市場に何軒もある。だから、規模自体は小さな話だ」
「はあ」
俺の説明に、サーニャ嬢は生返事をする。まあ、さもありなんだ。だがこの説明、ここからが本番なんだ。
「ただな。あそこは夫婦仲の良さをウリにしていた。今回の浮気……いや、未遂というか、誤解だが。ともかく、二人の仲が悪くなったとしたら?」
「どうしても空気が悪くなりますし、装ったとしても気付く人は気付く……あ!」
嬢が手を打ち鳴らす。そうだ。そこに気付いてほしかった。
「気付こうと気付かまいと、そういう空気は伝播します。最終的には市場全体に影響して……」
「そうだ。風が吹けばなんとやら、には近いが、六番街の市場が寂れる危険があった。そういうことだ」
「なるほど……!」
嬢が口をあんぐりと開ける。そうだ。だからこそ、あの事件は早めに解決する必要があった。両者ともに物分りがよく、解決を模索していたからこそできたことではあるんだがな。ともあれ、スピード解決というものは気分がいい。今日は久々に一杯空けてもいいだろう。……と、思った矢先のことだった。
「……」
ガッデム。いい気分と名のいう積み上がったレンガが、狼の一息であっという間に崩れ去った。狼の正体は二人の黒服。我が根城たるアパートの前。遠目で見る限り、帽子とサングラスで素性を隠しているようだ。
なんの用かは知らないが、おおよそ厄ネタと見るのが妥当だろう。俺は嬢に、小声で立ち位置の指示を出す。俺の後ろ一歩。そこまでならまだ、俺がかばえる。
「すみませーん、なんのご用でこちらへお越しでしょうか」
気付いていない風に彼らへ近寄った俺は、あくまで帰宅した大家の体で話しかける。すると男の一人が、帽子とサングラスをおもむろに外した。その正体は。
「会いたかったよ、ジョーンズ・デラホーヤ」
「おま、えは……!」
短く切り揃えた髪の色は金。瞳の色も金。ヒゲも陰りもくすみもない顔。俺はこの男を忘れはしない。あの再会を除けば、幾年、十幾年ぶりの出会いだったとしてもだ。
「エリック……」
「ようやく会えたよ」
二度の遭遇を思わせない穏やかさで近寄って来る旧友。俺は心底から恐ろしさを感じていた。人はここまで、冷静に振る舞えるものなのか。
「こちらこそだ。忘れもしないぜ、エリック」
だが俺は恐怖を押し殺す。そして旧友に手を伸ばす。今は背後にすら、視線をそらしたくはなかった。
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