語り合う探偵
「コーヒーをどうぞ」
「ありがとう。君は席を外していなさい」
「はい」
応接用の机を挟んで、長椅子で俺たちは向かい合った。無論視線はそらさない。俺の意地であり、気持ちの勝負でもあるからだ。相手にビビった方が負けとなる。そういう戦いだ。
「では、ごゆっくり」
そう言って、サーニャ嬢が事務所から去って行く。玄関のドアは、やたら静かに閉じられた。外にはエリック側の連れ――護衛か、あるいは同輩か――がいるが、ソイツは直前にエリックから言い含められている。おそらく、余計なことはしないだろう。
「
一呼吸の後、エリックが口を開いた。相変わらず視線は、こちらを悠々と見据えている。変わらないなと、俺は強く思った。だからこそ、恐ろしいのだが。
「そっちが連れを外で待たせてるんだ。こっちだってそうする」
だから、俺は視線をそらさない。堂々と、対等に。エリックに向けて言葉を返す。ここで引くような
「そういうところは、変わらないようだな」
「ありがとうよ」
かくて、最初の攻防は睨み合いに終わる。互いにジャブは打ち合ったが、それだけだ。特に見どころはない。だが、内心では俺がエリックに気圧されていた。この男がなにを目論んでいるのか、まったく読み取れない。
「音楽をかけてくれ」
唐突に、エリックが口を開いた。一瞬、どういうことだと問い質したくなった。この街でそれをすることの意味はわかる。だがエリックは。
「
「……ああ」
表情を見て取ったのだろう。エリックが一気に踏み込んで来る。俺はあえて、彼の言葉を受け入れた。席を立ち、お望み通りに少々パンチのきいた曲をかき鳴らしてやる。すると相手は、金色の目を鋭く光らせた。ついで、厳しい踏み込みが俺を襲った。
「ありがとう。早速だが、本題に入ろう。今抱えているウチ絡みの案件。すべて手を引いてくれ」
「今はなにも抱えちゃいないぞ」
圧の強い言葉に対して、俺は半分だけ嘘をつく。厳密には、例のチップとサーニャ嬢の件がある。だがそいつは、まだ表面には出ていないはずだ。奴がどこまで踏み込んで来るか。それによって、俺の対応も変わる。
「……【ビースト】絡みもか」
「今は抱えてないな」
互いの目を見据えたまま、俺たちは言葉を交わす。ここからは腹芸、演技力の勝負だ。そして俺は、演技力にはちょっとばかり自信がある。探偵ってのは、演技してナンボの世界だからだ。依頼人に安心感を与えるための振る舞い。相手から証言を引き出すための振る舞い。ちょっとしたことで泡を食っていたら、誰一人としてこっちを見ないんだ。俺をナメてもらっちゃ困るぜ、エリック。
「ならば、私から腹を割ろう」
そんな目論見を横目にコーヒーをすするエリック。彼は直後、ゆっくりと口を開いた。しかも、ガードを開くとのたまった。ありがたい。ようやくお前の真意が見えるぜ。
「過日、君を襲った黒い装甲。アレは私だ」
「やはりな」
拍子抜けするような一撃に対して、俺は、目をそらさないままにコーヒーをあおった。ナメられたか? それとも、こっちの把握具合を測っているのか? ともかく、俺にとってはわかり切っていることだった。あの時、あの声を耳にした時点で、俺の中では黒装甲の正体は判明していた。
「私は……否、我々は。君の行動を認識している。すべてから手を引くべきだ」
「……」
エリックから放たれる続けざまの言葉に、俺は沈黙を決め込んだ。『我々は』というのは、おそらく『
「……ノーコメントだな。依頼人の安全、そして探偵のプライドにかかわる。イエスかノーかなんざ、言わせないぞ」
俺は密かに、右奥歯の感触を舌でなぞった。こうなった以上、事務所を壊してでもこの場を切り抜けなければならない。しかし、次の言葉はまったく意外なものだった。
「……君の抱えるものは、すべて私が片付ける。と、してもかい?」
「どういうことだ」
俺は平静を装ったまま、エリックに問い質す。本当なら身を乗り出したいところだが、それではさっきまでの言動と矛盾する。
「私は今、軍警の中堅にいる」
「上を目指す真っ最中ってか」
「その通りだ。例の大佐……ああ、あの危険な犬を放した男だよ。彼からの覚えもめでたい。そう振る舞っている」
「……それで連中の頂点に立ち、この街を改めると」
「そうだ」
エリックは、一切の逡巡なく答えた。揺るがない。揺らがない。これがこの男の怖いところだ。俺は意識を引き締める。まずはもつれた糸から、解きほぐしていこう。
「あの時、ジョナサン・D・モールトが俺だと」
「把握してたさ。把握した上で四番街のルートを使わせた。ああ、例のご夫人はなにも知らんよ。すべては私の、企みの上だ」
「下層に犬を放ったのは」
「それは大佐だ。そこに嘘はない。私は機会として、その事案を使った。信じてくれ」
「なぜ突然に俺を襲った」
「
「……」
俺はコーヒーをすすった。この場にサワラビがいれば、と無い物ねだりさえもが脳裏に浮かんだ。だが現実としてアイツはいない。俺が、俺の力だけで切り抜けなければ。
「良くわかった。お前の主張は、よーくわかった」
だから俺は、まずはゆったりとうなずいた。ここで誤魔化したり、セコセコしたりするなぞ俺らしくない。今必要なのは、俺の、俺たる振る舞いだった。
「なら良かった」
「だがな。お前が頂上に立つまで、何年かかる?」
一度は顔をほころばせた奴に向かって、俺は一転、
「……」
「五年か? 十年か? いや、お前のことだ。三年、下手すりゃ一年かからずにどうにかする手管を考えているんだろう。だがな……」
俺は息を吸った。そして、実質的な決裂発言をぶっ放す。
「お前が、仮にこの街を浄化するとしてもだ。それが成されるまで待つ道理はない。こうして話をしている今ですら、泣いてる奴がいるかもしれない」
「……」
エリックの表情は変わらない。泰然とこちらを見つめている。だから俺は、トドメを刺しに行った。
「俺にはソイツを、泣いてる奴をほっとけねえよ。でなきゃ、探偵なんてやってない」
決まった。渾身の右ストレートだ。コイツは俺の信念だ。心からの想いだ。師匠だってそうすると、俺は勝手に信じていた。
「……ふふっ」
だがエリックは、軽く笑みを浮かべた。俺がそうすることさえも読み切っていたかのように、椅子に深く腰掛け直した。
「変わらないな、君は。なにひとつ、変わっちゃいない」
空になったコーヒーカップを整え直し、悠然さを崩さぬままに口を開く。俺は改めて恐ろしくなった。まさか。まさか俺は最初から――
「そう身構えないでくれ、ジョーンズ。こっちはある意味で副題だ。通るとすら思っちゃいない」
「そうか」
俺は内心で胸をなでおろす。だから、副題という言葉を聞き逃していた。
「君に、一人探してもらいたい女性がいる」
その本題は、俺にヒビが入るような一撃だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます