第五話目まぐるしきもの

呆気にとられる探偵

 短いバケーションから帰って来てはや三日。俺は、自分の失策を思い知る程度には疲れ果てていた。


「いったいどうしたんだい。帰り道の時点で、兆候はあった気がしたけど」


「うるせえ」


 あの娘が来なくなり、早くも荒れ始めた部屋の中。諸事情でやって来ていたサワラビが、俺に尋ねる。だが知らん。踏み込んで来た、アイツが悪いのだ。俺が間違えたことは事実だが、この程度で投げ出したら男が廃る。


「ケンカかい?」


「ケンカならとっくに、何度もやった」


 俺は所長席の椅子で息を吐く。そうだ。俺とサーニャ嬢は、水と油のような性格だ。事件絡みで覚えているようなぶつかり合いから、ちょっとした小競り合いまで色々やった。だが――


「今回はちと、やりすぎたかもしれん」


 観念したかのように、俺はつぶやく。どうこう言い訳しようが、あの発言が彼女を追い込んだことは明白だからだ。俺が俺を推理するなら、そう判断する。それほどまでに、コトは明白だった。


「なるほど? さては、あの子にボクたちの関係でも探られたかい?」


「……」


 続けざまの追及を、俺は黙秘でかわした。いや、ここまで来てから黙秘したところで、バレバレと言えばバレバレなのだが。しかし素直に打ち明けるには、俺のプライドがかなり邪魔だった。


「だいたいわかった。後で彼女と話をするよ」


 案の定、察しがついたのだろう。サワラビはようやく舌鋒を引っ込めた。ここぞとばかりに、俺は話題を切り替えることにする。


「一応、休暇中のごたつきは片付けた、が……」


「まあ、そろそろだよねえ」


 少々先延ばしになっていたある訪問を、この機会にやってしまおうか。そんな話を持ちかけようとしたところで、サワラビはなぜか俺に顔を近付けて来た。


「なんだ」


「気付かないかい? デートの可能性に備えて、めかし込んで来た」


「……おい」


 俺の低い声に、女はクスクスと笑う。先日の変装に比べればちゃちなものだったが、よりにもよってなところがめかし込まれていた。


「なんで薄汚れた白衣とかじゃなくて、そこなんだよ」


「んー? 一番特徴的なところではあるだろう?」


「っく……」


 そう。サワラビの奴は、よりにもよって目のクマを薄く仕上げてきたのだ。ちなみに多くは語りたくないのだが、コイツからクマが消えるだけでその顔の良さは数倍マシになり、白衣を普通の服に着替えるとただの美人と化す。告げたくはないが。


「さあ、行こうじゃないか六番街。キミのことだ。どうせ顔役には話を取り付けてあるのだろう?」


「……」


 俺の顔は露骨にひん曲がる。正直なところ、あの狒々爺にサワラビを見せるのはためらわれるのだ。いや、逆に効果はあるかもしれないが、サワラビを対価にするハメになるかもしれない。それはそれで、どうにもガッデムな話である。


「そんなに行きたくないと言うなら、腕を組むよ?」


「それなら自分で行く」


 手を差し出そうとするサワラビに、俺はようやく覚悟を決めた。部屋着から一張羅ではない探偵のそれに着替え、彼女をエスコートする形で市場へと繰り出した。


「おおっ、随分と賑わってるんだねえ」


「お前だって、ジャンク機材とかの買い付けに来たりするだろうが。初見みたいに言うんじゃない」


「まあねえ。ただ、普段は行きつけに一直線だからねえ。こうして俯瞰すると、また変わるのさ」


 ふむ。と相槌を打ちつつ、俺は饅頭マントウ屋の今日の陣取りを探す。固定店舗も屋台店舗も相乗りなのがこの市場の特徴だが、屋台の店は大体場所の取り合いなのだ。ちなみに、どこに店を置こうが場所代はほぼ一定らしい。


「さあさあ! 今日は上層の中古基盤が大安売りだ!」


「見てくれは悪いが、外郭都市から野菜が入ったよぉ! 見てくんなぁ!」


「さあ、こちらはインドからやって来たとある聖者の……」


 早速歩き始めると、そこかしこから売り子の声が襲い掛かる。今日も今日とて、各所の口上は滑らかで騒々しかった。


「おいおい、そんなにスイスイ行くんじゃないよ」


「馬鹿言うな。足を止めたら最後、色々売り付けられちまうんだよ」


 左右からやって来る「そこの旦那」的な誘い文句をかわしながら、俺はサワラビの手を掴み、引く。こんな調子だと、饅頭屋にたどり着くのはいつになるか。


「ちょっとちょっと。せめて手を引くのなら」


「うるさい。目的が第一だ」


 サワラビの文句を跳ね除け、ひたすら前方だけを見据えながら進むと、ようやく馴染みの饅頭屋が目に入った。問題は、元締めが本日この都市まちにいるかどうかだが。


「へいらっしゃい」


「できるだけ出来立ての奴を二つ。それと」


 俺は声をすぼめる。相手もわかっているようで、さり気なく耳を近付けてきた。俺は外に漏れないよう、注意深く相手に告げる。


「とにかく大きいのを一つ。在庫はあるかい?」


「ちょいとお待ちを」


 屋台の主が、素早く裏へと下がる。おそらくは先方への連絡だろう。事前のアポとかは難しいから、ここがダメだとどうしようもない。十秒、二十秒。果たして。


「大きいの、在庫あるよ。時間かかるから、別のところで待っとくれ」


 三十秒。どうやら、賭けは幸いの方に振れたらしい。俺はカネを払い、釣り銭と一緒に元締めアジトへの入室証をもらう。ちなみにこの手続きは毎度毎度だ。狒々爺は、どうにも用心深かった。


「毎度ありい」


 主の軽い声に見送られながら、俺たちは饅頭を頬張っていく。具の中身が怪しいのは世の常だが、これについては追求しないのが不文律になっていた。


「意外に美味いじゃないか」


「怒られっぞ」


 口をすぼめながらハフハフと饅頭に挑むサワラビをたしなめつつ、俺は適当なところで路地へと入る。土地勘自体はある程度手慣れているので、念のためのフェイクも混ぜながら、とある寂れた雑居ビルへと侵入した。


「こんなところに?」


「シッ。聞かれるぞ」


 素直な物言いを隠さないサワラビを黙らせながら、階段を登る。二階、三階、そして四階。運動不足には効きそうだなと思いながら、五階へとたどり着いた。そのまま最奥の部屋、観音開きの一室へとたどり着く。


「へえ、ここだけは」


「ああ。ちょっと遅れちゃいるが、警備は今様だ」


 俺は扉に備え付けのインターホンを押し、カメラに向けて入室証を晒す。すると無機質な許可の声が降り、扉の鍵が開く音がした。


「探偵のジョーンズ。ジョーンズ・デラホーヤだ。邪魔するぜ」


 勝手知ったる、とまでは行かないが何度か通った扉を、俺はそれでも用心深く潜る。サワラビも真似して、腰を低くして室内へと入った。ところが。


「やあ探偵。待っていたよ」


 迎える声は、狒々爺のものではなかった。護衛の男ども――全員黒服にサングラスだ――も、調度品――中国系の物品が多い――も、なにも変わっちゃいない。にもかかわらず、頭目席から放たれる声だけが常と違った。はっきり言おう。女の声だ。


「ああ、そうか。椅子が大きくて見えないか」


 俺たちに背を向けたまま、声の主が立ち上がる。その姿に、俺は見覚えがあった。ポニーテールに結わえられた、ブロンドの髪。チャイナドレスの似合うプロポーション。


「テメエまさか」


「久しぶりだねえ、探偵。いや、ここじゃはじめましてかな?」


 女が正面を向く。ビンゴだ。見間違えるはずもない。かつて……いや、少々前に取り逃がした女。かの強盗団の、女首領だった。

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