踏み込みを図る少女
私は、常々おかしいと思っていた。あの二人――ジョーンズさんとサワラビさん――は、互いのことをどう思っているのだろうと。あんなに距離が近くて。あんなに息が合っているのに。どこかお互いに一枚の壁を張っている気がする。
『ゆうべはお楽しみでしたね』
『違う』
例えば。私があの事務所で迎えた、新しい朝。二人がどういう姿をしていたかは、今でも覚えている。
『頼んだ』
『頼まれた』
ある時に交わされた、短くも互いに要領をつかんでいたやり取り。あれほどの関係というのは、一年や二年で、生まれ得るものじゃない。若い私でも、何となくわかる。だから、その時に踏み込んで。
『ボクと彼は、いわば共犯者だ』
一応の答えを、サワラビさんから入手した。だけど、私は満足してはいなかった。よって。
「あっちがダメなら、こっちを押してみるしかないよね……。海で開放的になったら、もしかして……」
探偵の方にも、尋ねてみることにした。
***
とはいえ、初日は私もはしゃぎ過ぎてしまった。聞くことを忘れていたわけではないけども、海なんてものがまず、久々だった。なにより。自由な休日というものが、ここ数年の私には欠けていた。
「おはようございます」
「はい、おはよう」
「おう。おはようさん」
そんなわけで、思わず寝すぎた翌朝。食堂で顔を合わせると、サワラビさんはともかく、ジョーンズさんがひどく眠そうだった。
「寝られなかったんです?」
「夢見が悪かったんだよ……チッ」
ものの試しに聞いてみれば、彼は心底機嫌が悪そうに私に答える。ホテルの一夜にテンションが上って……とかそういうものは、一切期待できなさそうだ。
「サーニャ嬢。ジョンは寝不足のご様子だ。そっとしてやってくれ」
「はあ」
そんな私に、訳知り顔で仲裁に入ってくるサワラビさん。まあ、優しい人なのだとは思うのだけど。
「きっとアレだよ。ホテルのテレビかビデオに夢中になって、ゴミ箱の中をティッシュで一杯にしてるんだ。年頃の子も、近くにいなかったしね」
「ぶふっ!?」
思った次の瞬間にはえげつない一撃を浴びせていたので、やっぱり前言は撤回する。
「ば、バカヤロ! 誰がそんな思春期の……」
「おいおい、ジョン。誰もティッシュをナニに使ったとか言ってないだろう? もしかしたらキッズのアニメやアニマルのビデオでも見て、感動で涙と鼻水が止まらなかっただけかもしれないじゃないか。それともなんだい? まさか本当に……」
「やってない」
からかうような口調のサワラビさんに圧倒されつつも、ジョーンズさんは自身の無実を断言する。
「本当に?」
「やってない。キッズのテレビプログラムも、大人のアレでソレなやつも、俺は断じて見ていない」
重ねて断言するジョーンズさん。サワラビさんが、詰問めいて顔を近付けていく。一体これは。私は、なにを。
「サァラビィ。ここぁ食堂だぞ」
「……。おっと。ちょっと興に乗り過ぎたね」
残り十センチかそこらのところで、ようやくジョーンズさんが彼女を止める。すると舌でも出しそうな調子で、サワラビさんは引き下がった。いや、すでにジョークが過ぎてます。
「ったく。飯だ飯。こんな上等なモンは事務所じゃ食えねえんだ。味わって食べるぞ」
ボリボリと頭をかきながら、ジョーンズさんがパンを手に取る。私もつられて、パンを手に取った。それはとても柔らかく、香ばしくて、甘いのに。どこかで苦味がちょっとしていた。
***
結局こうなるんだなと、私は風の中で思った。砂を踏み締めて、向こうから探偵がやって来る。父かもしれない、お人好しでタフな男が。
「一体全体、なんだってんだ」
白髪交じりの銀髪をむしりながら、彼は現れる。当然だ。私は直前に、彼の部屋に手紙を置いていた。『砂浜で、二人だけで会いたい』と。
「お聞きしたいことが、ありまして」
私は努めて、事務的な口調を心がけた。さもないと、彼の警戒心を引き上げてしまう恐れがあった。
「手短にな。楽しいホリデーも、後わずかだ」
ジョーンズさんの機嫌は、どうやら悪い方らしい。まあ当たり前だなと、私は思った。だから私は、一息に間合いを詰めることにした。
「でしたら、単刀直入に言いますね。サワラビさんのことを、どう思ってるんですか?」
「あん?」
脈絡のない質問に、彼は鳩が豆鉄砲を喰らったような声を繰り出した。少々、唐突に過ぎたか。だから私は、距離の微調整へと移行する。
「いえ、他意はありません。ただ、こう……その……」
近いようで遠く、遠いようで近い。この私にしかわからない肌感覚を、どう伝えるべきか。さんざん考えたはずなのに、いざ対面するとやっぱり迷った。だが、言わなければ伝わりもしない。だから。
「どことなく、壁みたいなものがあるようで、でも、距離感が近く見えまして、はい……」
思ったままを、素直に伝える。すると彼の面食らったような顔は、呆けたようなそれへと変化した。考えても見なかったとでも言いたげに、彼は固まってしまった。
「ジョーンズ、さん?」
私は、背伸びして彼の目を見た。するとジョーンズさんは、すまんと言って顔を背けた。私に見えないように、しばし表情を隠して。それから。
「まずは、面倒な女だ」
一つ目の特徴を言い。
「続けて、イヤミな女だ」
二つ目を重ね。
「だが、憎めない女でもある」
三つ目を添えた。
「つまり?」
けれども私は、それで許す気になれなかった。二人の仲を見せ付けられたのだ。これくらい言ったって、バチは当たらないだろう。サワラビさんが見たら、逆に私を煽り出すかもしれない。ともかく私は、真剣に尋ねた。
「つまりと言われてもな……共犯者で、厄介事を持ち込んでくる女で、面倒で、距離感がやたらと近くて……。かと思えば急に遠くなる……。そのくせ、俺に邪険にされても嫌がらんと来た」
「はあ」
返って来た言葉は、どこまでも要領を得ない。もしかすると、本人もわかっていないのか。私の中で、少々不躾な想像が浮かび上がる。彼はそんな私を見ながら、くつくつと笑った。
「まあ、なんだ。そんな固くなるな。俺とアイツはそういう仲だ。互いの素肌まで見ておきながら、心じゃどこにも触れてない。触れていたとしても、奥の奥までは通じちゃいない。そういう仲だ」
どこか諦めたようで、どこか達観しているようで。ジョーンズさんは、薄皮一枚で私の踏み込みをかわしていく。彫りの深い薄髭面が、遠のいていく気がする。私は、追いすがるように尋ねた。
「そんな関係で、良いんですか?」
「良いも悪いもないだろう? 俺たちは、そういう関係だ。これ以上聞くなら」
瞬間。ジョーンズさん、いや、ジョーンズ・デラホーヤの目が細くなり――
「俺が逆に問うぞ。日が浅いのに、なにがわかると」
重く、太い声が、私を打ち据える。厳然たる月日の事実で、私を殴りつける。想像の中の私は、そのワンパンチだけで膝をついた。
「……」
「外面だけで人を見てると、そのうちやらかすぞ。よく覚えとけ」
そんな私を、彼は一瞥たりともしない。声を戻すこともなく、立ち去っていく。
私の休暇は、こうしてままならぬ終わりを告げた。
閑話・完
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