振り返る探偵
海の水面を駆け抜けて、俺と【ビースト】の対決は続いていた。
「ええい、いい加減にしろ! サメ・ビーストッ!」
俺の放った渾身のジャンピングパンチはしかし、多重分身したサメによって不発に終わる。それどころか。
「ギュイーッ!」
「ごあああっ!」
即座に一匹に戻ったサメに、尻尾で海へと叩き込まれる。水面がコンクリートみたいに硬いせいで、装甲越しにダメージがジンジンと響く。畜生、クスリのせいで知能が格段に上がってやがる。それどころか。
「ギュイーン!」
「おおお!?」
水面が突如渦を巻き、俺は上空へと打ち上げられる。これは、
「ギュイ! ギュイ!」
ブルシット! 竜巻の中に、無数のサメが漂ってやがる。しかも殺意丸出しでだ。今世紀初頭に量産されたとかいう、サメ・トンチキ映画じゃないんだぞ!
「ファッ……!」
最悪の侮蔑語を撒き散らしながら、俺はなんとか体勢を整える。こうなりゃ、サメを足場代わりに上空へ突き抜ける他に手段はない。二段、三段。サメを踏み抜き駆け上がる。
ビンゴ! 俺は目論見通りに、上空に出た。すると中心、遥か下に、サメのビーストがいた。ギュイギュイと鳴いている。今しかない。
「せりゃあああっ!」
俺は宙返りし、ビースト目掛けて右足を突き出し、重力落下高速キックを繰り出す。瞬く間に迫るヤツ。しかし寸前、サメの姿が幽霊じみてかき消え……
「ぶげあっ!」
情けない悲鳴を上げて、俺は海に激突……ん? いや、なにか柔らかいぞ……? そして陽が眩しい……。
「あ……?」
目を開けると、俺の姿はホテルの一室にあった。広いベッドから落下し、頭を床に打ち付けていた。
***
「……」
およそ三十分後。俺の姿は、昨日のプライベートビーチにあった。アレだ。あんな夢を見た後に、上手く寝直せるわけがない。しかし時間は未だ早朝だった。ざっくり言うと、現時点で朝六時過ぎである。
「モノの話じゃ早起きは三文の徳とか言うが、絶対にウソだろ……」
大あくびを引きずりながら、俺は海岸を歩く。まあさっくり言うと、あの部屋にいる気が起きなかったのだ。四番街の御夫人の息がかかった、本当に小さなホテルの一室に。
「さりとて二人は、起こせねえしな……」
適当な場所を見つけて、俺は座り込む。本日の俺は一張羅でも、いわゆる探偵スタイルでもない。適当なジーンズに白のワイシャツ。率直に言えば、ラフ過ぎる格好だった。つまるところ、汚れてもどうにかなる。
「……」
しばしの間、俺はただただぼうっと海を見つめた。夢の中とは異なり、まったく穏やかな海だった。思わず砂上に寝転びたくなるほどに穏やかな気分だったが、さすがに自重する。うっかり睡眠に陥ろうものなら、目も当てられない結末は必定だった。
「……アレと出会って、もう何年だったか」
そんなだから必然、俺の思いは過去へと飛んだ。海の音がそのまま天から降り注いだかのように雨が降り続けていたあの日。俺とサワラビは、今では想像もできないような形で出会ったのだ。
***
「そんなところで寝てたら、風邪引くぜ」
「……」
その夜。俺は失意の雨に打たれていた。
長らく――と言っても、すっかり探偵稼業と比べるとどっちが長いやら――参画していた
『遺伝子工学で作り上げた、人工キマイラの遺伝子を注ぎ込んだ【ビースト】の試験品だ。これを喰らった人間はさて、どうなるのか……』
『や、やめろ! やめろぉ!』
結果? 正直言えば今でも覚えている。つまるところが、てきめんだった。てきめん過ぎて、俺は急性反応を起こした。暴れ放題に暴れて奴らの研究所だかを破壊し、そのまま脱走。逃げに逃げてぶっ倒れた後の出来事が、アイツから掛けられた言葉って寸法だ。
「うるさい……」
「そうは言っても、良心が咎めるのさ。どれ、ちょっと……って、これは」
目のクマが異常に濃ゆい、薄汚れた白衣に男装束をした女――胸元の膨らみと、ひっつめの長い金髪でそれがわかった――が、俺の腕を掴もうとする。そして、表情が固まった。
「なんだ。俺の腕になんかあった……うっ!」
「なんとしてでもキミを寝かせておけなくなった。許してくれ」
土手っ腹、みぞおちに肘を打ち込まれ、俺の意識は遠のいていく。暗くなっていく視界によぎった彼女の顔は、今でも覚えている。自分の罪があらわになったかのような、あまりにも悲痛そうなものだった。
「どうだい、気分は」
「……」
「一週間経ってもだんまりは、さすがに胸が痛むなあ」
それから行われた措置――同意もクソもなかった――は、俺にとってある意味で最悪なものだった。【ビースト】とやらの毒性に対して応急処置こそ行ったものの、根本から除去することは不可能だったのだ。技術的限界、というやつらしい。
それ故、サワラビは俺に【ビースト】との共生を要求していた。だが俺には、一切響かなかった。敗北、生死にかかわるレベルでのクスリの投与――様々な事実で、心がくすんでいた。
「……使いたくはなかったが、最終手段だ。ジョーンズ・デラホーヤくん」
「!?」
だんまりのまま、告げてもいなかったはずの名を呼ばれ、俺は目をひん剥き、身体を震わせた。相手はその反応にニカッと微笑み、喜色を満面にした。
「構わん。だんまりでいたいのなら、そのままでいてくれ。この街――
「……」
こっちが聞いてもいないのに、俺の生育歴を読み上げていく。そのたびに、俺の表情筋は様々に動いた。はっきり言えば恥ずかしい。だがそれを打ち明けるのもまた、羞恥の極みだった。しかし。
「特筆すべきは、十代の半ばからある探偵に押しかけ弟子みたいなマネをしていたことか。彼はある日、死体になって発見された。その名は」
「コウシロウ・ミカド。極東出身の、しがない私立探偵だ」
大切な思い出に踏み込まれて、とうとう俺は声を上げた。わかっている。師匠が今の俺を見たら、叱り飛ばすだろう。いや、鉄拳を喰らうかもしれない。あるいは、哀れむように無視されるだろうか。
「おや。ついに声を上げたか」
「うるさい。どうやって調べやがった」
「そりゃあもう。原初の手法、聞き込みさ。外周……
「……チッ」
俺は舌を打ち、ベッドの上に座った。飯を食う以外で、初めてそうした瞬間だった。思えば当時から、サワラビの家には足の踏み場が不足していた。
「……キサマは一体、なにがしたいんだ」
「んー? 目的はないよ? ただ、アレだ。死なせるわけにはいかなかった。かつての自分のやらかしが、形をまとったようなものではね」
女は適当に腰を掛け、息を吐いた。今思えば聞き捨てならないセリフの羅列だったが、当時の俺はそれどころじゃなかった。
「……礼は言っとく」
「どういたしまして」
俺はもう一度、ベッドに寝っ転がる。この先どうするかなんて、あの時はまだなにも決めちゃいなかった。そこから俺がもう一度立ち上がるには、まだしばらくの時が必要だった。
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