閑話ジョンの海岸物語

ほほ笑む共犯者

 ザザーン……ザザーン……。


 昼下がりの潮風とゆるい波音が、ボクに眠気を誘ってくる。なんとも良いロケーションだ。四番街に住むかの御夫人からの紹介だが、まさしく穴場と言ってもいいだろう。外郭海岸都市の中でも極めて静かな地区に、そのプライベートビーチはあった。


「サーニャ嬢、あんまり遠くへ行くんじゃないぞ」


 おお、我が共犯者がいっちょ前に保護者面をしている。健康的な競泳水着――要するに、露出が少ないタイプだ――をまとったサーニャ嬢を、Tシャツに紺の海パンで追い回している。嬢が少々はしゃぎ気味とはいえ、通報されるぞ、我が共犯者。


「あなたが追いかけて来るからですよ、ジョーンズさん。プライベートビーチだからまだマシですが、普通の海岸でしたら通報案件です」


「むぐ」


 おお、痛いところをえぐられたジョーンズが固まった。これは重篤なダメージ。頑張れジョーンズ。キミはあの夫人にそこそこ買われている。まだまだやれるぞ。


「だいたいですね。私だって、それなりの歳なんです。なんならタウンナンバー四十九ここに来るまでに、人様にはとても言えないようなことだってありましたよ」


「ぐぬ」


 ああ、これはダメだな。仕方ない。サーニャ嬢の運とメンタルはおそらく、この場の誰よりも強い。ジョーンズは腕っぷしは強いが心がいま一つだし、ボクだって頭はともかくそっちの分野には自信がない。ともかく、そろそろケリをつけよう。


「はいはい。そこまでそこまで。海に来てまで、ケンカをすることもないだろう?」


「サァラビィ。お前、海に入ってないのによく言えるなあ」


 タブレットを置き、パラソルから出て仲裁に入る。すると、追い込まれていた方が抵抗の意志を見せる。まったく、元気なことだ。


「別に口を挟む権利までは放棄していないからね。ついでに言うと、ボクの肌は海水と日光にすごぶる弱い。キミも知っているだろう?」


「……」


 ボクの情報開示に、探偵はすっかり黙り込む。まったく、だからキミはメンタルがアレなんだ。多少強引にでも、文句の一つや二つぐらいは言えばいいのに。


「まあいい。昼飯だ昼飯。どうせ手配はあるんだろう? 俺たちに、水着以外は手ぶらで来いと言ったぐらいだ。相応のものじゃないと許さんぞ」


「おお、そういえばそういう時間か。いいだろう。お見せしよう」


 結局ジョンは話題を切り替える。サーニャ嬢も、耳が聡いのかこちらへと向かって来た。ならば、披露するべきなのだろう。ボクは、用意していたブツを繰り出すことにした。


「見たまえ。特製のランチパックだ」


「おおお!?」


「えええっ!?」


 パラソルの下、ビーチシートの上に繰り出された色とりどりの食事――サンドイッチにチキンナゲット、なんならサラダに至るまで、天然物オーガニックがよりどりみどりだ――を前に、二人の目はまんまるにひん剥かれていた。驚きを隠せていないのが、はっきりわかる。


「さ、さ、サワラビさん。これって、その」


「待て、待つんだ、嬢。これは俺が推理する」


 口をパクパクさせたまま問いかけようとしたサーニャ嬢を制して、ジョンが探偵らしく動き出す。おお、顎に手を当てて考え込んでる。探偵の本気、拝見しようじゃないか。


「…………。四番街の御夫人だな?」


「ご明察。根拠は?」


 きっかり一分後。探偵は見事に正解へと到着した。さてはて、推理はいかに?


「まず、お前が作った線はない。これだけは絶対にない」


「事実だけど、強調はしないでくれると嬉しい」


 言い返しつつ、第一段階の突破を確認。そうだね。ボクが作ったところで、ケミカル全開に終わるだろう。だから、基礎中の基礎だ。問題はこの先。さて、どこまで踏み込めるかな?


「続いて浮かぶのは六番街やらなんやらだが……お前にはコネがあまりない。誘いを持ちかけてからほんの数日で、この豪華さには持ち込めない」


「一部の言葉は引っ掛かるが、良いだろう。さあ、ボクの胸元に推理の刃を突き立てるといい」


「オーケェイ。ここまで来ればあとは簡単だ。お前にそんなコネを提供できうる人物。それは先にも述べた通りかの御夫人に限られてくる。しかし……」


 見事な推理をきらめかせる私立探偵に、ボクは思わず笑みをこぼした。だが、最後の最後というところで、彼は言いよどむ。だからボクは、水を向けた。


「なんだい? 言ってみると良い」


「お前、あの御夫人にいくら積んだ?」


「残念。そこはハズレだね」


 残念だ。いやいや、本当に残念だ。あと一歩、いや半歩というところで、キミは推理を誤った。とてもあの御夫人には聞かせられない。ああ、残念極まりない。


「この世には『投資』という言葉がある」


「知っている。俺には無縁の言葉だ」


「だろうね」


 ジョンの言葉を受け流しながら、ボクはあらましを説明していく。まあ早い話が、かの御夫人によるジョンへの投資なのだ。


「……キミが茹だっていると聞かせたら、御夫人の手配は早かったよ。料金なんかも、少なからぬ割合で持ってくれた。大変だ。キミはこれから、御夫人には頭が上がらない」


「……サァラビィ」


「さすがに知らないね。御夫人がキミに期待するのは、向こうの勝手だ。それにキミのことだ。街と天秤にかけるほどでもなければ、これからも夫人の案件には乗るだろう?」


 ぐぬ、と唸る声。ボクにはわかる。結局のところ、彼はお人好しなのだ。だから、向けられた好意は裏切れない。そういう男なんだ。


「……チッ。嬢、済まねえ。推理は外した」


「え」


 ジョンがサーニャ嬢を向き、詫びを入れようとする。しかしその時、彼女はすでに食事の準備へと取り掛かっていた。


「……おいぃ?」


「知らないよ。ボクもノッたにはノッたが、そもそも推理を始めたのはキミ自身だ」


「む、むぐ」


 ジョンが唸る。ボクはその肩を、軽く叩いた。


「推理したのは勝手で、ボクはノリで応じただけだ。別に賭けでもなんでもないから、キミも準備を手伝ってくれないか?」


「……クソッ、覚えてろ!」


「はいはい、覚えていられる限りはね」


 不機嫌ながらもお人好しを発揮するジョンを横目に見ながら、ボクはバターロールやらなんやらを取り分けにかかる。平和だ。実に平和なひとときじゃないか。ジョンと組んでいると日々色々と事欠かないが、なにもないというのもまた良きことだ。


「おいひい」


「嬢、頬張り過ぎだぞ」


じょおんずはんふぁっふぇジョーンズさんだって


 食事をたっぷりとくわえながら、二人が屈託のない言い合いを続ける。ボクはソイツを横目に、ちびちびとサラダを口へと運んでいく。そんなボクたちに微笑むかのように、風が爽やかに駆け抜けていった。そこで思わず。


「ふふっ」


「おー?」


「サワラビさん?」


 漏れてしまった笑みに、なぜか二人が食い付いてくる。中でもジョンは、とんでもない顔をしていた。呆けた顔というのが、正しいのだろうか。


「んー? なんだい?」


「いや、お前、そんな顔ができたんだな」


「どんな顔?」


「……微笑んでいて、美人だった」


 彼はボクに目を合わせずに頬を染め、ぶっきらぼうにボソリと言う。その顔が、どこか微笑ましくて。


「ぷっ」


「なんだ! 笑うなサワラビ!」


「やだね。報復として、一生記憶しといてやろう」


「畜生!」


「二人とも! まずは食事をしてください!?」


 海岸の穏やかな時間は、騒がしくもゆっくりと流れていく。ボクたちはその中で、今後は得られないであろう、貴重なひとときを過ごすのだった。

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