積み上がっていく探偵
結局の所、眠れなかったことかえって幸いだった。不運の今日が終わりを告げた直後、俺の電話がデフォルト着信音を鳴らしたのだ。掛けてきたのはもちろん、サワラビだった。エリック氏との連絡手段は、他に設けることとなっていた。
「俺だ」
『ボクだ』
いつものやりとりが、妙に俺の心を和ませる。どうやら俺に足りなかったのは、他人との会話だったようだ。
『帰り道では妙に元気がなかったから黙っていたが、やはりあの依頼には裏があると考えている。断言はできないが、ボクの勘が鈍っていない限りは』
「どういうことだ」
遮って飛び出した声には、若干の怒りが混じっていた。理由はわかっている。エリックを、俺の幼馴染を否定する言動だからだ。いくらサワラビといえども、確固たる理由がなければ認め難かった。
『ふむ。やはりキミはあの軍警と縁があったか。現れた時の態度から訝しんではいたが、その様子では観察眼もさして冴えなかったと見える』
「チッ。昔、まだこの街がこんな名前じゃなかった頃の幼馴染だ。チビの頃から同級でもピカイチで、骨のある奴だった。頭はキレる。男気もある。ガキのくせに、妙に輝いてる奴だったよ。おかげで少々、目が曇った可能性はある」
サワラビに指摘され、俺は渋々現実を認めた。だが、それでもやはり、サワラビの言い草には疑問があった。
『オーケー。キミが頑なだったら、どうしようかと思っていたよ』
しかし、サワラビは「話を聞き入れる余地がある」と判断したらしい。いつもの彼女らしく饒舌に、言葉を続けた。
『まず一つ。ボクが昔、【製薬会社】の人間だったことは覚えているね?』
俺は無言を通した。覚えてはいるが、話を続けろとは言ってない。しかし止めれば情報は得られない。
『だんまりか。まあいいよ。せっかくだから、声の大きい独り言でも聞いてくれ』
俺の態度を知ってか知らずか。サワラビはおふざけ気味に言葉を綴る。いや、ヤツは気付いているのだろう。気付いているからこそ、あえてそうしている。サワラビの癖だ。わかっているからこそ、かえって煽る。そういう女なのだ。
『思い出すのが遅れてしまった。ボクもうかつだったが、かの会社では動物に【ビースト】を与え、改造する実験も行われていた。ボクがいたのはもうかれこれ十年以上は前だったから、当時は実験の段階でも、今は実用化されているかもしれないね』
「だからどうだってんだ。よくわからんぞ」
俺は思わず口を挟んだ。話が噛み合わない。探すのはペットなのに、動物への【ビースト】改造がどう関わってくるのだ。
『おっと。自分だけで結論を出してしまったかな? では、整理がてら独り言を続けていくとしよう。まず一つ。エリック氏は別に【嘘をつかずとも、事実の一部だけを伝えることはできる】。これはまあ、弁舌の基本に当たる』
「ふむ」
俺は無意識に相づちを打っていた。なるほど。たしかに基本だ。その上探偵が依頼を聞く際の基礎基本にも沿っている。
『依頼人だけが、その身に起こったことを知っている。だが、依頼人はそれを意図的に隠すことができる。選んで伝えることができる。不都合をごまかすことができる』
「だからこそ。探偵は依頼人に寄り添い、信頼されなければならない。さもなくば騙され、ハメられ、やがて死ぬ」
思い出し、口に出した。師匠から教わった探偵の心得。昨日の俺は、明らかに平常心を欠いていた。一つ気づけば、あとは早かった。過剰回転していた頭が、急激に冷えていく。
『ふむ? なるほど。どうやら、ボクは思い違いをしていたようだね。少々先走っていたらしい。すまなかった』
それは、どうやら向こうにも伝わったらしい。どうにも頭が良すぎるのか、サワラビには自分だけで納得してしまうきらいがある。ともあれ、これで軌道修正――と思った矢先、ドアがガンガンと叩かれる音がした。その向こうから、悲鳴にも似た声。
「てえへんだ! 旦那、てえへんだ!」
「深夜だぞ!」
電話を遠ざけ、叫び返す。だが向こうからの叫びは止まらない。てえへんだてえへんだと繰り返すばかり。俺はたまりかね、電話を切って表へ出る。そこにはちょっとした知人の男と、サーニャ嬢がいた。
「まず落ち着いてください。お水です」
「す、すまねえ、お嬢ちゃん」
いつの間に調達したのか、小綺麗なコップで水を飲ませるサーニャ嬢。男は一息に飲み干し、息を吐く。しかし次の瞬間には俺に飛びつき、早口で叫んだ。
「助けてくれ! 旦那! 六番の裏路地、市場のゴミ捨て場ででっけえ犬を見たんだ!」
「あ? でっけえ犬? まず落ち着いてくれ。話が端的すぎる」
「お、落ち着けるかってんだ。今にも追って来そうで」
「だから落ち着けっての」
「ぬわぁ!?」
震え声で訴える男。まずは一旦、息を入れる必要がある。俺は軽く奴の足を引っ掛けると、そのまま米俵のように担ぎ上げた。サーニャ嬢を引き連れ、事務所へと回収する。男が暴れるが、そこは俺のほうが手慣れていた。
***
「すまねえ、旦那。あまりにも泡食っちまっていたから、迷惑を考えていなかった」
「仕方ない。で、なにが起きたんだ」
十分後。サーニャ嬢に湯を沸かしてもらい、俺は事務所の椅子で事情聴取を開始した。長椅子に座りうなだれているのは、さっきは暴れていた男。ようやく口調は落ち着いたものの、未だに小さく震えている。よほど怖い目に遭ったのだろう。
「あ、ああ。今日はたまたままとまった銭が入ったんで、仲間と七番の店で酒をかっ喰らったんだ」
そうか、と俺は応じた。この辺りの労働者では、よくある話だった。
「で、しこたま飲んで家に帰る途中だな。俺は遠目に見ちまった。あそこは六番の裏路地、市場のゴミ捨て場だったはずだ。なんか動いてる気がしたんで、近づこうとしたんだ。その時」
俺は喉を鳴らした。それが他人に聞こえたかどうかまで、考える余裕はなかった。
「でっけえ犬を見た、と」
「ああ、見た。ありゃ間違いなく、犬じゃねえ大きさだ。そいつがこっちを向いた気がしたから、慌てて逃げた。その時に、目が光ったように見えたんだ。ありゃあこの世のもんじゃねえ。怪物かなんかだ」
俺は今度こそ、言葉を返せなかった。落ち着けとか、見間違いだとか、正気付ける言葉はいくらでもあったはずだ。なのに出てこなかったのは、俺の脳裏に不吉な予感が走ったからだった。
サワラビの言葉。【ビースト】の動物への実験。ペットの行方不明。怪物じみた犬。パズルのピースが、嫌な形に組み上げられていく。
「行かねばわからん」
探偵の経験が、警告を発していた。ガッデム。ちょっとした言い合いや幼馴染との再会なんて、バッドラックにしちゃまだマシな方だった。本当のアンラックはその先にこそあったのだ。俺は、自分でも驚くような早さで、一張羅に着替えていた。
「悪いが出かける。なにかあったら明朝に聞く」
サーニャ嬢に言い残し、渋る男の手を引く。現地にはもういないかもしれないが、なにか手がかりが残っていれば。
そんな淡い期待は、さらなるバッドラックで押し潰された。
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