対峙する探偵
ソイツは、あまりにも堂々と闊歩していた。俺たちのいる世界の近所まで、連中は侵略の手を伸ばしていたのだ。あまりにも大きいソイツは、一般的な成犬の十倍はあるようにも見えた。俺は男を腕で押さえながら、壁の裏へと潜む。
「旦那」
「お前は逃げろ。俺はヤツを見極めにゃならん」
「でも」
「被害を出すわけにはいかん。俺ならどうにかなる」
六番街からつながる大通り。ヤツはそこを闊歩している。側面から見てさえも、かなり禍々しく思えた。果たして俺は、コイツをどうにかできるのか。
「今なら大丈夫だ。俺の家まで走れ」
「応援を連れてくるので?」
「違う。とにかく生きて帰れ。もし三十分以上たっても俺が帰って来なかったら、この連絡先へ電話しろ。アクがキツいタイプの人間だが、信用はおける。俺絡みなら、余計にな」
サワラビの連絡先を伝え、俺は男を追いやろうとする。男は不安げな顔を見せていたが、もはやわからせる以外の手段はなかった。二言三言のやりとりの末、男はようやくうなずいた。
「だ、旦那。ご無事でいてくださいよ!」
「無事で済むとは思えんが、せいぜい死なないようにする」
俺は掛け値なしの本音を吐いて男を追いやり、顔だけを路上に出した。例のヤツは、未だ大通りを歩いていた。なにかを求めているのか。あるいは、単に人通りが多いはずの場所を歩いているのか。例の犬かどうか。全ては、向き合わなければわからない。
俺は黙って、奥歯を噛んだ。わずかな閃光ののち、容易には砕けぬ装甲を身にまとう。脳に叩き込んだ犬の写真を、記憶から引きずり出す。一番の特徴は眉間の星模様。ヤツを先回りして、正面から――
「ビンゴかよ」
口から出たのは、絶望だった。眉間に、記憶とまごうことなき星模様があった。つまり、このあとやることは。
「生きて帰って、エリックに問い質さなくちゃならん」
決意の修正。もはや生命と引換えにする意味はない。いや、コイツそのものはどうにかしなくてはならないが、決戦の時は今ではない。俺は足に力を入れて、跳び上がる。
「コイツで……落ちろっ!」
殺さない程度に威力を落とした踵落とし。だが犬の反応が一手早い。首を巡らせ、かわしてしまう。俺はくるりと回って着地する。その時、ヤツの目が光ったのを見た。
「できれば、初手で済ませたかったぜ」
努めて口角を上げ、あくまでも余裕有りげに見せる。しかしその程度で畜生が怯むなら、これほど幸せなこともない。つまり。
「アオオオオオン!」
犬が大きく吠える。右、左と前足を繰り出す。完全に俺をロックオンした左右の連撃を、極力引き付けてからかわしていく。すると今度は、直接食って掛かってきた。
「どっせい!」
慌てて上顎と下顎に手を掛け、俺は耐える。足元では、アスファルトのひび割れた音が走る。このままでは、状況を知らない通行人に見られても文句の言えないありさまだ。と、思考を若干走らせていたのが悪手だった。
「ごっ……!」
喰われないようこらえているところに、横合いから衝撃が走った。正体は即座に分かった。犬の手のひらだ。上からの圧力が一瞬緩むや否や、すかさず右の拳が叩き込まれていた。俺の身体はあっさりと吹き飛び、壁に叩き付けられた。畜生、こっそり弁償しなくちゃならん。
「げほっ!」
アバラか内臓をやられたのか、装甲の中で俺は喀血した。装甲越しにダメージを与えてくるとは、やっぱり【ビースト】状態なのか。
しかし、思案を巡らせている余裕はない。巨大な犬が大きく吠え、俺の元へと迫ってくる。クソッ、どうやって生き延びる? このままじゃ無駄死に、なに一つ果たせやしない。
だから俺は、足を踏ん張って立ち上がった。せめてもの迎撃の構えを取った。このまま死んだら、誰一人にとて許されやしない。エリック? そんなの序の口だ。サーニャ嬢? まだまだ。このまま逝ったら顔向けできないのは、サワラビ、依頼人。そしてなにより。
「師匠だ」
巨大な犬ころを正面に見据え、俺は腰を落とした。俺と師匠の絆は、そんじょそこらの言葉じゃ語れやしない。あの人は俺に生き方を、探偵のイロハを、心の在り方を教えてくれた。だのに、こんなところで負けて死んだら。
「顔向けできるか? できねえよなあっ!」
奥歯をもう一度噛む。別段力が膨れ上がるわけでもない。単なる気合の注入だ。しかし気の持ちようというのはあるもので、俺の両足に力が漲った。当然、アスファルトのひび割れる音が響く。だが、今は気にしちゃいられない。
「応ッ!」
「キャインッ!」
大口を開けて、俺を喰いに掛かる犬。対して一歩早く踏み込み、顎をかち上げた。聴こえてくるのは犬の悲鳴。上下の牙が、自分自身を痛め付けたのだ。
「ハッ!」
俺は素早く飛び下がる。生き延びるのなら、ここが引き際か。数歩距離を取って、様子を見る。前足で口をかばう様子からすれば、わずかなりとも獣性を削げたか。
「決着は、また後々だ!」
俺は犬を見据えたままに飛び下がる。相手の性質はともかく、対応を決めないとどうにもならない。いつものように、倒して終わりでは済まない可能性がある。なにせお大尽の飼い犬だ。おいそれと傷は付けられない。相手を無力化する術が必要だった。
「痛み分けだな」
追って来ないことを確認して、俺はヤツから背を向ける。負った傷を考えれば、痛み分けどころか敗北にも等しい。しかし生き残るという条件は達した。だから痛み分けだ。……はっきり言えば、言葉遊びにも等しい言い訳だった。
「っ……!」
人気のない場所で装甲を解くと、一瞬で体中に痛みが走った。畜生、内蔵を痛めていなけりゃいいんだが。壁に身を預け、痛むアバラを押さえる。すると、耳に聞き慣れたバイクのエンジン音が響いてきた。
***
「それで、結局収穫は?」
「ビンゴ、ってことくらいだな……いてぇ! もそっと上手くやってくれ!」
「機械のメンテはともかく、人体のメンテについてはなんとも言えないからね。上手くやって欲しいのなら、本職を呼ぶことをオススメするよ」
「くっ……!」
サワラビに送られてどうにかマイルームへと戻った俺。しかし待ち受けていたのは、感極まった男による抱擁とサーニャ嬢による無言のどぎつい視線、そしてトドメにサワラビによる拙い診断と治療だった。
「それにしても、事態の進捗が速いねえ。昨日話を聞いたと思ったら、今日にはもう本人……いや、当の本犬とかち合うなんて」
「ああ……運良くどうにかなったが、アレを無力化するにはちと手を焼きそうだ」
言葉を吐きながら、俺は思い出す。ああ、そうか。不運の昨日はとっくに終わりを告げていたか。仮に今日が豪運だとしても、あんなビンゴは御免こうむる。……と、そういえば。
「……あの野郎はどうした?」
知り合いの男を思い出し、サワラビに尋ねる。するとこともなげに彼女は答えた。
「サーニャくんが、朝まで様子を見るってさ。治療が済んだら、ボクも行く。年頃の子一人に、男の面倒はかわいそうだ」
「そうしてやってくれ……って、痛え!」
不安を先取りした答えに胸を撫で下ろした矢先、俺は再びザル治療を受ける。しかし胸には、闘志の炎が灯っていた。
第三話・完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます