ミスを犯す探偵

 一通りの買い物と情報収集を終え、俺は七番街にある馴染みのカフェへと移動した。流行りによらない音楽を流す小粋さがウリで、俺はしばしば顔を出す。


「お、ジョンさんじゃないですか」


「よぉ、マスター。奥空いてるかい?」


「空いてるよ」


 横に見慣れぬそばかす娘が付いているのに、マスターはそちらを見ない。何度か依頼人を連れ込んでいることもあり、手慣れているのだ。


「じゃ、使わせてもらうぜ。注文はもうちょい後で頼む」


「あいよ」


 もはや慣れ切ったやり取りを済ませると、店内の音量が一段上がった。サーニャ嬢が、軽く身を震わせる。


「なぁに、そのうち慣れる。行くぞ」


「は、はい」


 もはや自宅のように歩き慣れた店を、奥へ奥へと進んでいく。一番奥には、六人がけの席が用意されていた。『ご予約席』と書かれたプレートが置かれているが、許可は取ったので問題ない。


「サーニャ嬢、掛けてくれ」


「え、でも」


「いいから」


 一度は躊躇した娘も、再度勧めると席に座った。俺は懐にしまっている『情報』を再度確認し、彼女の向かいに座った。一瞬怪訝な顔をされたが、こうでもしないと話しにくい。


「さて。いくつか整理しようか。まずアレだ。前にも言ったと思うが、俺は『J・D候補の一人』であって、しかも現時点で思い当たるフシはない」


「ええ、伺いました。それでも、『父候補の一人』としては外しません」


「オーケー。だが俺も鬼じゃねえ。隣の部屋は貸すし、家賃も特別にまけてやる。これもさっき言ったな」


 一つずつ確認すると、彼女はうんうんとうなずいた。これでいい。共通認識を持っていないと、ささいな行き違いで大事おおごとになる。だがここまでは序の口。問題は、このあとの会話だった。


「アンタの依頼は受ける。確実に時間はかかるが、どうにかする。どういう経緯であれ、サワラビが俺につないだからな。報酬もきっちりいただく。サーニャ嬢の言う通りにな」


「はい」


 彼女はうつむき、スカートの裾を握った。そりゃそうだと、俺も思う。しかし俺にしてみれば、貞操――身体を差し出して解決されても困るのだ。だから俺は、きっちりと吐き出した。


「言う通りとは言っても、欲しいのは労働力だ。家賃も差っ引く代わりに、ある程度は俺の手足になってもらう。無給でな」


「無給」


「破格だと思うぞ? 【製薬会社】絡みの依頼なんざ、世界のどこを見ても、受ける方の頭がおかしいシロモノだからな」


 っ、と娘の唇から声が漏れた。俺は改めて、そばかす娘を直視する。血色はやや悪く、手にもあかぎれの跡があった。この町に来るまでも、相応の労苦があったのだろう。だがそれを差っ引いてなお、この娘は幸運だった。


「なに、オプションでJ・Dも探してやる。俺が親父役ってのも、体裁が悪かろう」


 半分は手探りだが、顔には出さずに会話を続ける。少女は考え込んでいるのか、相槌さえもなくなっていた。俺は一度間を置き、マスターを呼んだ。暇だったのか、いそいそと彼はやって来た。初老の、風格のある男だ。


「ブラックのコーヒーと」


「レモンスカッシュ、ありますか」


「ありますよ」


「じゃあ、それで」


 俺が話を向けると、少女の反応は意外にも早かった。注文を書き付け、マスターはカウンターへと戻って行く。彼女を見ると、翳りは幾分か鳴りを潜めていた。これ以上の深入りは避け、当たり障りのない話題へ切り替えていく。


「レモンスカッシュ、好きなのかい?」


「母が時々、買って来てくれたんです」


「ほう」


「決して広くないアパートで、慎ましく暮らしていました。メールをくれるまで、父のことについては一言も」


 そうか、と俺は応じた。いずれにしても、記憶の琴線には触れなかった。彼女も、それ以上は話さない。そのまま黙りこくっていると、マスターが飲み物を置いて行った。


「いじめちゃいけませんよ、ジョンさん」


「そりゃねえぜマスター」


 軽口を残して、マスターは戻っていく。まったく、気の利く男だ。俺は再度頭を切り替え、書き付けとマイクロチップファイルを机上に置いた。前者はぶつかってきた男、後者は『イキの良い饅頭』から手に入れたものだ。


「これは?」


「さっき市場で手に入れた。不自然なことがあっただろう?」


「ぶつかって来た人、饅頭三つ」


「正解、俺のツテだ。一人でやれることには、限界がある」


「それで、あまり怒らなかったんですね」


 そういうことだと、俺は書き付けを開いた。ファイルは事務所で解析に掛けねばならないが、こっちは今でも読める。そばかす娘が、しげしげと覗き込んだ。


「これ、は?」


「ちょっと素行調査を頼まれてな。四番街に住む、そこそこ上流なお方からのご依頼だ。『娘にボーイフレンドができたようだが、どうにも怪しい』ってな。で、だいたいビンゴ。ファイルはまた別件だな。ちょいと危険なブツだ」


 チップを容器に戻し、懐に入れ直す。オリエンテーションとしては、こんなところだろうか。そばかす娘は書き付けをしげしげと眺めている。まあ読まれても問題ないやつだ。


「あの。この『【ビースト】使用歴あり』っていうのは?」


 不意に少女が口を開く。俺は書き付けに目を落とし、悔いた。しまった。おいおい説明しようと考えていたのだが。あんまり打てば響くもんだから、ニュービーなのを忘れてたぜ、ガッデム。


「街の裏っ側に出回る、危険なクスリだ。また後々話す」


「ちょっと!?」


 俺は書き付けを素早くしまい、店を出ると告げた。携帯電話をレジに押し付け、キャッシュレスで支払いを済ませる。待ってよ、と声が聞こえるが、俺は無視した。自分のミスを飲み干し切るには、ワンブロックを歩く程度には時間が欲しかった。


 のだが。


「キャーッ!?」


 背後からの悲鳴に俺は振り返る。見ればそばかす娘が、上から伸びた赤い物に巻かれていた。ブルシット! 目を離した途端にこれか! 俺が失態を悔いる間にも、彼女は巻き上げられ……赤い物はなんと、口に繋がっていた。


「おいおい、舌ってことは」


 俺は四階建てのビルを見上げる。屋上に、舌の持ち主たる一人の男。逃がすことなくサーニャ嬢を小脇に抱え……


「ハイヤッ!」

「ひいいいっっっ!」


 高々と跳んだ。この身体能力、もはや明白である。俺は電話を手に取り、サワラビを呼び出した。


『どうした?』


「俺のミスで、サーニャ嬢を【ビースト】連中に攫われた。悪いが、俺はやるぞ」


『オッケー。メンテナンスはしっぽり、ボクに身を委ねてね』


「言ってろ」


 軽口を叩き、俺はスピードを上げる。相手はビル伝いに跳ね回る。言うまでもなく、向こうが有利だ。しかしサワラビから着信が来た。


「どうしたサワラビ!」


『朗報だ。キミには申し訳ないが、実はボクの判断であの子に発信機を付けていた。あの生き物はジグザグに跳んでるけど、おおむね九番街へ向かってる。ボクも行く』


「助かる」


 俺はワイヤレスフォンに切り替え、なるべく近道になるルートをひた走る。三度目のミスは、なんとしても避けたかった。

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