決断する探偵

 九番街……寂れた飲み屋を中心に、ほとんどスラムに近い悪所。すなわち、悪党の巣窟でもある。六番街の市場を仕切る面々にもここの住人は多く、数多の勢力がひしめき合っている。


 だが昼下がりの街区は、未だ寝ているように静かだった。否、事実として眠っている。夜を照らす人々が、わずかな休息を貪っているのだ。俺は軽く空を見上げる。運良く、俺を飛び越えていくビーストが見えた。


『南西方向に向かってるね。一キロちょっと先に廃倉庫の街区があるから、そこがアジトかもしれない』


 サワラビから声が届き、俺は考えた。跳んでる間ならいざ知らず、街区に着地したあとだと住人に被害が出る恐れがある。ならば。


「やるしかねえな」


 意識的に、右の奥歯を噛み締める。かつて身体に叩き込まれた薬剤と、サワラビによって埋め込まれた機構。二つが連動し、閃光が散る。身体が獣へ変化する刹那、奥歯からの波長を受け取ったバックルが装甲を解放。俺の身を覆っていく。


 俺が探偵から戦士へと変じるプロセス。しめて一秒以下。強化された視力が、敵ビーストをハッキリ捉える。サワラビが指した方向へ、一直線に向かっていた。ごまかす必要もないと踏んだのだろう。


「ビンゴ!」


 俺の足が大地を踏み割り、砂塵を巻き上げる。ビーストの力と戦闘補助装甲の性能が、どこまで敵の跳躍力に追いすがれるか。


「敵ビーストの見当はついちゃいる。毒じゃねえことを祈るか」


 加速。もはや敵は見ていない。あとは勘と目測を信じるのみ。まっすぐに廃倉庫地帯へと飛び込み、倉庫の壁を蹴って屋上を取る。ジャスト。上空に、降下中のビーストが見えた。人間サイズの、横幅のデカいカエルが、少女を小脇に抱えている。


「っだおらっ!」


「グワッ!?」


 俺は即座に跳び、左のチョップを奴の肩へと振り下ろした。思わぬ打撃だったのだろう。少女が小脇から取り落とした。俺は右の手を伸ばし、少女をガッチリ捕まえ、背中から地面へと落ち、転がった。装甲任せの、強引な確保だ。


「んぁ」


 衝撃のせいか、少女の声が漏れる。どうやら気を失っていたらしい。目覚めるか? 目覚めたなら、全てを白状せざるを得まい。


「すう」


 だが運は俺に味方した。そばかす娘の首が垂れ、再び目を閉じる。俺は軽く息を吐いた。そのまま倉庫の裏に転がし、再度敵の前に立つ。幸いにして奴は、腕を押さえてよろけていた。ならば。


「オルァ!」


「ゲゴーッ!」


 放ったのは力任せのトーキック。でっぷり飛び出した腹に、見事につま先が刺さった。


「ゲゴオオオ」


 カエルは無様な悲鳴を上げ、転がっていく。もちろん俺は追い掛けた。ここでとどめを刺し、憂いを断つ。だが追いつく寸前、カエルが消えた。情けない悲鳴が、上から耳を叩く。


「またか!」


 見上げた俺の目が、二つの物を捉えた。屋上に立つ影。カエルを吊り上げていく強靭な糸。俺は追い掛けて跳ぼうとするが。そこへ不可視の攻撃が突き刺さる。一度ではなく、二度三度。


「くっ!」


 防御はともかくとして、踏み切るタイミングが外れてしまった。もう一度顔を上げた時には、人影もカエルも消えていた。


「追うか? いや、無理か」


 俺の決断は早かった。一人ならとことん尾行するところだが、今はサーニャ嬢を置き去りにしている。九番街の治安を考えれば、一度退くのが正解だった。


「チッ」


 ボリボリと頭を掻くと、聞き慣れたバイクのエンジン音が耳に入った。同時に、はたと思い出した。


「買い物の荷物、カフェにそのままじゃねえか」


 まったく、散々な話である。


 ***


「ん。そうか、助かった。そうさな、ちょっと預かっててくれ。んむ。ああ、ありがとう。よろしく頼む」


 西日が差し込む事務所の中、俺はひたすらに事後処理を済ませていた。意識を取り戻したサーニャ嬢に詫びを入れ、九番街絡みのツテに渡りをつけ、そしてすっかり忘れていた荷物を確認する。サワラビとの共同作業が、ようやく一息つきそうだった。


「サーニャ嬢は?」


「いったん、部屋で休むってさ。拗ねてるとかじゃないけど、疲れてるようだった」


「わかってる。どっちにせよ、こっからは俺の領分だ」


 ならばよし。長い付き合いの果てに、友人以上相棒未満になってしまった女は、きっぱりと言った。飲み口にヒビの入ったカップへ、なにやらアンプルを入れている。なにを入れたのかは、聞きたくもなかった。


「相手の正体は不明だけど、手早くケリを付けたいね」


 サワラビはなにも言わない。ただただ長椅子で、怪しげな飲み物を嗜んでいる。だが、それでよかった。俺たちは、そういう間柄なのだ。


「見当はついている。あとは現場へ行くぐらいしかないだろうよ」


 手繰り寄せるためには、動くしかない。俺はジャケットを脱ぎ、シャツとネクタイを変えていく。灰色のシャツ、赤いネクタイ、黒のジャケットに、茶色のトレンチコート。気合を入れる時の、お気に入りだ。こればかりは、きちんと整えている。


「動く?」


「現場百遍。師匠も言っていた」


 そう、と女が応じた、まさにその時。俺の電話が着信音を響かせた。


 ***


 昼間はうるさい六番街の市場も、夜の、しかも裏通りともなれば流石に静まり返っている。俺は懐にある拳銃チャカの重みを感じながら、電話で指定された路地へと向かっていた。


「旦那」


 声は闇の中から、思ったよりも通りよく聞こえてきた。そこにいたのは、薄ら笑いを浮かべる、薄汚い男。昼間表通りでぶつかってきた、俺のツテの一人である。


「へへ、すんませんねえ」


 だがその右手には、銃が握られていた。視線はうつろで、薄ら笑いも貼り付いたようなそれだった。ブルシット。コイツは……


「ッ!」


 考えるよりも前に、身体が動いた。間合いを詰める。銃を持つ側の肘に、右腕を添える。そのまま背後へ周り、左腕を首の下へ通す。右の肘を極める。


「あがっ!」


 男から声が漏れる。小汚い服の隙間から、なにかがこぼれ落ちた。素早く足で押さえ付け、確保する。もう一度しっかり極めてから銃を奪い、地面に投げ捨てた。足をのけると、下で小グモが死んでいた。大きさは、小指の先っぽ程度だった。


「だ、旦那。どうして」


「おまえ、しくじっていたぞ」


 小グモをハンカチで拾い上げ、男の顔を見る。目に光が戻り、パチクリさせていた。貼り付いたような表情も、とうに消え失せている。男は顔を伏せ、ようやく口を開いた。


「すまねえ。やっこさんが詐欺グループのアタマで、アジトを見つけたまでは良かったんだが」


「おそらくその時か」


「ああ。どうやら上手いこと泳がされたようだ」


 ふむ。つじつまは合うな。コイツを泳がしてバック、あるいは依頼主につなぐ。ありえない発想ではない。コイツが俺にぶつかった時点で、アタリを付けたのだろう。とすると。サーニャ嬢をさらったのは、脅迫の為か?


 俺の脳内で、急速に推理が組み立てられていく。見当でしかなかったものに、確信が生まれていく。小グモ、糸。【ビースト】使用者。

 つまりやるべきことは。


 俺は携帯を手に取り、サワラビを呼び出した。


『なんだい? サーニャ嬢なら、キミの帰りを待ってるよ。説明を求めてね』


「嬢はひとまず後だ。やることができた」


『そう』


 不意に、間が生まれた。聡明で口うるさいサワラビには、あまりにも珍しいことだった。


『わかった。メンテナンスはしっぽりやってやる』


「言ってろ」


 俺は電話を切り、空を見上げた。雲が月にかかり、天の目から俺を隠していた。

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