演技する探偵

 砂糖とミルクを入れた乳臭いコーヒーを二人に差し出すと、自称娘ことサーニャが露骨に顔をしかめた。一瞬だったが、俺にははっきりと分かってしまった。


「なにが不満だ?」


 俺は率直に問う。砂糖とミルクのリクエストは、要望通りにこなしたはずだが。


「カップ、だね。こりゃ。年頃の子に出すカップじゃないよ、これは」


 目ざとい俺に、言いよどむそばかす娘。サワラビが横から、割って入った。俺が出したのは、事務所にあるカップで一番マシだと思ったやつなんだが。


「まあボクに出された、飲み口がひび割れてるのよりはマシだけど。この下卑た絵はないだろう?」


 そう言ってサワラビは、カップに描かれた裸婦を指差した。ついでに大人向けの言葉も書かれている。これでは俺の立つ瀬がなかった。


「善処はする。話を戻そう」


 反論することも考えたが、たしかに情操教育には悪いシロモノだ。俺は逃げを打ち、強引に話を引き戻した。今重要なのは、そっちではない。


「サーニャ嬢。『母の仇を探して欲しい』ということだが」


「はい」


 そばかす娘は、素直に答えた。やはりこの町には惜しい女だ。早いところシャバ……この町の外へ戻してやらねば。俺にしては珍しいことに、使命感というものが芽生えていた。


「私はEUの生まれでして、母一人子一人で育ちました。決して恵まれた生活ではありませんでしたが、それでも母は私を愛してくれました」


 そばかす娘が、小さく顔をうつむけ、サワラビが軽く鼻をすする。少々ぶしつけな感想が浮かんだが、一旦スルーすることにした。


「続けてくれ」


 俺は続きを促した。思うところはあっても、今は無用だ。少しでも、話を聞く必要がある。サーニャ嬢はうなずき、言葉を続けた。


「もう半年ほど前になります。その日、母からメールが届きました。『帰って来ないで。愛しているから、帰って来ないで。貴方の父親は、アジアにある【タウンナンバー四十九フォーティーナイン】に住む、J・Dという男。彼を頼れば、きっと』と」


 無論、急いで帰りましたと、彼女は力なく言った。


「でも帰り着いた時には、すべてが終わっていました。母は家におらず、後日死体が川で見つかりました。警察は『事件性なし』として捜査を手早く打ち切りました」


「気に食わねえな」


 トースターから飛び出したパンを回収し、二人に渡す。ついでにもう二枚をトースターにねじ込んだ。少々力が、こもってしまった。


「これを、見て下さい」


 少女は一瞬だけスカートに手を入れ、小さな布を机に置いた。俺は机に赴き、サワラビはしげしげとそれを覗き込んだ。


「母が握り込んでいたと、親切な刑事さんが託してくれました。『大きな声じゃ言えないが、タウンナンバー四十九へ行けばわかる』とも」


「そりゃあ大きな声じゃ言えねえわな」


 俺はうなずきもせずに言った。身体で布を覆いつつ、縫い留められた番号を記憶する。コイツは厄介なことになった。俺の記憶が確かならば。これは。


「よりにもよって【製薬会社】、おっと失礼」


 サワラビが口を開き、俺は手で制した。彼らは目ざとく、耳ざとい。どこでなにを聞かれているか、わかったもんじゃない。俺は一瞬だけ思案し、大きく口を開いた。


「ソイツをしまえ」


 若干わざとらしい気もするが、ことさらに大声で言う。ここから先は、俺の経験と勘、演技力の勝負だ。


「悪いが、俺は聞かなかったことにする」


 言葉とは裏腹に、サワラビに指でサインを送る。無論、逆の意味だ。俺は努めて無感情に立ち上がり、冷たく言った。


「母親のことは忘れろ。帰る銭がないならここに住んでも構わん。だが、仇討ちだけはよせ」


「そんな!」


 娘が声を張り上げる。俺は半分無視して、言葉を続けた。


「ああ、正直心当たりはちっともないが、父親役もやってやろう。多少品位はアレだが、学校もある。知恵をつけて、上層へ食い込むのもありだぁな。隣の部屋を貸してやる」


「ちょっと、話を勝手に」


「サァラビィ。あと頼む。俺はまず、ガッデムホットなシャワーを浴びらぁ」


 食い下がろうとする娘を振り切り、俺はシャワーへ向かう。サワラビをちらりと見る。『承知』のサインが、そこにはあった。


 ***


 六番街の市場には、今日も多くの声がこだまする。


 旧時代のパソコン基盤を売る声。

 上層――五番街までの支配層地区――から流れてきた廃棄の食品を叩き売る声。

 見るからに怪しげな物品を、高く売りつけようと話を盛る声。


 そんな声をかき分けて、一つの声が俺の耳を叩く。


「あのっ、先ほどはすみませんでした」


 半分消え入りそうなほどにしょげた声は、押し掛けて来たそばかす娘のものだった。現時刻は昼前、だいたいあれから一時間が過ぎていた。外出の目的は買い出し。そして別件の情報収集だった。


「いいってことよ」


 俺は煙草の煙が掛からぬよう、数歩後ろを歩いていた。前でもいいが、距離が開くとオイタを許す可能性がある。要するに、これもまた気苦労だった。俺は深く煙を吸い込み、手持ちの灰皿で後始末をした。


「サワラビから、大体聞いたな?」


 少し大股で少女に並び、声を落として問う。声は喧騒に紛れ、さしもの連中でも解析し難いはずだ。


「はい。あの識別証は【製薬会社】の物。うかつに【製薬会社】の名前を出すな。話は引き受けたが、他の依頼に紛れて進行する。よって時間がかかる。住居については先の通り。と、言われました」


「よーし、いい子だ」


 声を落としながら、会話を続ける。二人して、前を向いている。俺の目の端に、一人の男が映った。奴は俺に近づき……軽く肩が当たる。


「おい!」


「ああ、すみません。急いでたんで」


 へへ、と薄ら笑いをにじませ、男は雑踏へ消えていく。俺は懐を探り、サイフと今一つのブツがあるのを確認した。


「なんですかあの人。わざとぶつかってきたようにも見えましたけど!」


 そばかす娘が、これみよがしに言葉を荒げる。しかし俺にしてみればこれでよかった。計画通りというやつだ。


「気にするな。サイフが消えてないからスリの類でもない。ほれ、あそこで饅頭マントウでも買おうじゃないか。サーニャ嬢も、腹が減っているだろう?」


 そう言って、俺は一軒の屋台を指差した。今時古風な竹籠の蒸し器から、もうもうと美味そうな煙を立ち上らせている。娘もそちらへ目を向ける。すると、俺の耳が微かな鳴き声を拾った。


「決まりだな」


「っ、はい」


 腹の虫を鳴らして恥じらう乙女を尻目に、俺は屋台へと向かう。人の良さそうな主人が、俺を出迎えてくれた。


「へいらっしゃい」


「イキのいい奴を一つ。それと、なるべく出来立てのを二つだ」


「あいよ、イキのいい奴一、出来立て二ね」


 確認を経て、店主が饅頭を袋へ詰めていく。一つはとうに時間を経た奴だが、これでいい。打ち合わせ通りだ。


「それ、冷めてますよ?」

「なあに、構わんよ。さて、買い物と行こうか」


 細工を済ませた俺は、少女を露天商へと連れて行く。最低限はともかく、いくつかの道具は揃える必要があった。

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