動画クリエイター

ああ、そうだ。ヒョネ。このディスクは、お前に託す。中にはゲームが入ってる。私がいなくなったら、気晴らしにでも遊ぶといい。


……いや、別に他意は無いが? もうしばらくすれば引退する身だ、捨ててしまうより後進に託した方が祖国の為になると思っただけだよ。老婆心。忠誠心。あとは……好奇心だな。実はな、私も着任してすぐの若造の頃に退官された教官殿からいただいたものなんだ、それ。だから……もうかれこれ三十年モノの資料か? お前はまだ産まれてもない大昔だろう? いずれにせよ年代物だ、起動しなかったらお前の手で捨ててくれ。


……なんだ、お前も大概疑り深いな。後輩を想う先達から、未来を担う若者への置き土産だぞ、なにが不満なんだ……。分かった、分かったよ。もうそれは私には必要のないモノなんだ、もう今後遊ぶこともないだろう。十二分に遊んだ。机の片付けは三日では終わりそうにない。引き継ぎもまだ沢山残ってる。だからそんなものの行き先についてまで報告書に残してる余裕はない。あとの処理はよろしく頼む。……これで満足か?


まったく、そういう疑り深さは目の前の仕事にこそ活かしてもらいたいもんだがな……。私だってなにもお前に厄介事を押し付けたわけじゃないんだぞ。後進に託すのが祖国の為と思ったのは偽りのない本音だ。……それこそ、教官殿もおそらく昔の私が不憫に見えたんだろうなと思ったんだ。……お前の働きぶりを見てると、どうにも昔の自分を少し思い出してな。……褒めてる? ハハハ、お前、これが誉めている口調だと思うか?


地味な仕事だ。対外情報工作というものは。お前もここにきてつくづく分かったろう? 前線に出る部局や攻勢の花形と違って、我々のような大衆操作を任される部局は特に日陰者だ。お前、科技大出身だったな。専攻は? それというのはコンピューターサイエンスにかかる暗号化技術ということか? ……なるほど。学士様ともなれば、プロパガンダ動画を量産する任務というのは、まぁ、たしかに骨が折れる仕事かもしれないな。


動画は再生数という形で露骨に成果が見える工作だ。人を相手にする情報工作と違って、上の人間にも成果が比較しやすい。故に、諜報員同士を競わせて叱責することで仕事をしたような気になる人間も多く見てきた。……だがな、そんなことは結局どこに配属されたって言えることでもある。命令があれば、遂行する。党から命じられた動画製作に演出や拡散を施し、より多く、より深く正しい道に導くのが私達の本分だろう?


……お前が、その命令に疑問を抱いていることは、知ってる。……心配するな。私はどうせあと三日で退官の身だぞ? 退官したらな、党からマンションがもらえるんだ。私の故郷は山に囲まれた湾の街で、数年前にその山側に建てられた真新しいマンションらしい。毎日釣りに出るんだ。イカを釣って自分で捌く。悠々自適な生活だ。……心配しなくても、仕事の話など直にしたくもなくなる。お前との縁も、あと三日のことだ。


……ただ、工作活動の先達としてではなく、一人のイカ釣り親父としても。今のお前が仕事に対して重圧を感じているのは、分かる。まぁ、ナミョンは生まれこそ貧乏だが人懐こいところがあって、人に可愛がられる術をよくよく知ってるからな。動画はお世辞にも出来は良くないが……、中国人に何故かウケが良い。セジンは音楽大学出身で長くてウィーンにいたそうだからな、外を知ってるエリートだ、そういう人間の作る動画が欧州で再生数を稼ぐのは無理からぬ話だ。


若いお前にはまだ本当の意味で理解するのは難しいかもしれない。だが、私達のような持たざる者の人生は、努力、努力だ。嘆くことにそれほど意味はない。お前の動画のコメント欄も見ている。それを上官殿がどう仰っているのかも、だ。……まぁ、そうだな。たしかに嘘臭い。お前の動画は。日本人でなくとも分かる。語学レベルが低いわけではない。ただ全体的ににわか仕込みの臭いがプンプンする。言葉遣いや、言い回し。そういう細かなニュアンスが特に稚拙だ。


その原因についても、なんとなくだが察しはついている。……ハハハ、分かるさ。かつての私もそうだったから。お前から見れば、日本人はさぞ愚かなんだろう。馬鹿らしい動画を見て、馬鹿らしい知恵をつける。YouTubeの馬鹿らしい解説動画を本気で有り難がっている。こんなもので本当に情報工作など可能かと疑うのも無理はない。だが、そんな愚かな日本人を、お前は騙せていない。その一点については真摯でなければならない。


情報工作の一歩目は対象への「浸透」にある。当該国家の文化に溶け込み、混じり、そこに私たちが存在して良い理由を相手に悟らせる。……例えばお前、"シューティングゲーム"を遊んだことはあるか? 知らんだろう。面白いぞ。一度遊んでみるといい。こう、自機を動かしてだな。敵に向かって弾を撃つ。古典的なゲームだ。私の現役時代は丁度それが日本で流行っていたのものだから、私は一時期これを一心不乱で遊んでいたんだ。


無論、最初は私も面白味が分からなかった。こんなものに必死になっている日本人は愚かだと思っていた。小さな駒から小さな弾がピュンピュンと飛び、それをコツコツとひたすら避ける。それだけの遊びだ。とても知的とは言い難い。おそらく祖国の百人に百人が遊んですぐ「これは時間の無駄だ」と切り捨てるような代物だった。それでもなんとか攻略法を編み出し、日本人と話をあわせられるだけの技術を得た。遊びの勘所……、弾避けやリスク取りの概念を理解した。


おかげで今や私は祖国で一番縦シューティングゲームの上手い諜報員だ!……まぁ結局、費やした時間ほどの見返りはなく、私の現役時代にはあまり役には立たなかったんだがな。……私が熟練と呼べるテクニックを身につけた頃には、既にゲームジャンル自体が過渡期に入っていた。動画製作は再生回数が増えてこそだろう。その知識一つで一般の日本人を装うことは、最早到底叶わなくなっていた。後に残ったのは妙にシューティングゲームに詳しい政治botだけだ。


まぁ、それはそれで一定の本物らしさはあったが……時代は変わってしまった。もう分かっただろう? そうだ。これが、そのゲームのディスクなんだ。あの日、教官殿は私に、このゲームディスクを渡すと同時にこう言った。孫子の「敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」という言葉の意味するところを知っているかと。私は若かったので、胸を張って「はい」と答えた。それを見て教官殿は、「となると君はその言葉の意味を知らんと見える」と、そう仰った。


ヒョネ。ニュース動画ごときで日本人を洗脳できるものかと腐るお前の気持ちは分かる。このようなもので全てを知ったような気にさせられているとすれば、自らの敵とする日本の大衆とはなんと愚かなのだとお前が蔑む気持ちも分かる。しかし、裏を返せば今のお前はどうなんだ? お前の知る日本の大衆はせいぜい数千から数万人、しかもその僅かな表面だけを知り、お前は敵を知った気になっているのではないかと問われて、どう答える?


引退間際となった今なら分かる。このゲームを通し、教官殿は私に諜報員としての心構えを伝えてくださったのだ。もしかすると、多くの弾の中に入り込むという縦シューティングというゲームシステムも、なんらかの示唆だったのかもしれない。このような小さな世界ですら、私は相手のことを知らない。このような狭い世界ですら、私は知ったような気になっている。しかしそれは裏を返せば、日本人ですら日本のことを完全に聞き及んでいるわけではないことをも意味する。


浸透するとは即ち、溶け込み、混ざることだ。赤い色水に溶け込むときに、自ら赤く染まる必要はない。下手に自らを赤く染めると、かえって微妙な色の違いが目立ってしまう。謙虚であることだ。全ての赤を揃えた絵の具より、相手の色に染まる無色透明な水の方が掻き出すことは困難だ。どんな些細なことでも良い。ヒョネ。これからの情報工作において、自らは情報を受取る側の存在ということを忘れてはならない。


コメント欄に耳を傾けなさい。相手の耳障りの良いことを教わり、耳障りの良いことと党の方針を結びつけなさい。人気のニュース動画を見なさい。今世界で真実とされているものが何かを知り、その十倍、いや百倍の反論を動画にしなさい。まったく人気のない動画を見なさい。そんな動画ですら話題になっている出来事を学び、さもどこかに存在している人物を装うのではなくお前自身が話題の出来事を語れるよう切磋琢磨に努めなさい。


お前のやっている仕事は、一見すれば意味が分かりづらいものだろう。だが、それは必ず祖国の未来に寄与する偉大な使命だ。動画の最初につまらない会話を入れるのも、おかしな漫画を描いて親しみを増すのも、日本人のとるにたらないニュースと我が国の国家方針を繋げて語るのも、全ては正しい情報を正しく伝えるために必要な任務だ。誰かがそれを果たさねばならない、どんな手を使っても、どれほど愚かしいやり方であっても。


「無駄なことなど何もない」……,。このディスクは、その教訓を身をもって私に教えてくれた御守りのようなものだ。なので、これはやはり、お前に託そうと思う。あと、これもやる。説明書と、よく分からないが通販の挨拶用紙らしい。全部もらってやってくれ。遊んで、無様にやられるといい。そうして「こんなことは無駄だ」と考えるに至ったときは、あの日老いぼれが何か言っていたと思い出してくれ。……じゃあ、あとは頼んだぞ。


……なんだ。まだ何かあるのか? ああ? それは……そうだろう。今時そんな大昔のゲームを遊んでいる日本人はいないだろう。さっきも言っただろう、ゲームジャンル自体プレイ人口は大きく減ったと。言ってなかったか? 別にそれを遊んだからといって日本人と話題が合う訳でもないし、情報工作に直接役に立つ訳ではない。だからな、「やったって無駄だ」と思うその心持ちこそが……初心をという話をだな……ついさっき……。


……分かった、分かった。そういうところも含めてお前は本当に若い頃の私にそっくりだな……。教官殿には今更になって本当に申し訳ない……。いいか? もうさっきまでの話は無しだ。いいからシノゴの言わず、そのゲームを遊べ。分かったな。十回でも百回でも遊べ。それがお前の今後の為だ。理由? 言わん。言ったら意味がない。自分で気づくまで遊べ。やれば分かる。面白いゲームを薦める、そこになんの不満がある?


……あーもう、分かった分かった!耳を貸せ!……いいか? ここだけの話、そのディスクには"まじない"がかけられている。幸運のまじないだ。シッ!大きな声出すな!……他のやつらはまだ誰も知らん、上官殿にも言っていない。私とお前だけの秘密だ。何事にもコツと巡り合わせというものはあるだろう。このゲームディスクには、それがある。遊べば分かる。特に意識しなくとも、おそらくお前の今後の動画には説得力が生まれる。


嘘なものか!実際、私ももう少し若ければ……と後悔しているくらいだ。だからこそ、このまま捨てるのが惜しくてお前にディスクを託してるんじゃないか……。私の見立てではあと二十年から三十年は現状の情報工作は続く、あとお前に足りていないものは説得力と理解力だ。このディスクにはその両方が詰まっている。やれ。お前の仕事の杜撰さは、対象国、ひいては今自分が作っている動画そのものへの極端な興味の低さにある。


実のところ、自分が今何を演じているかもお前はよく分かっていないだろう。それをなんとかしなければ、お前の動画に嘘臭さは一生付きまとう。


それともなんだ。


「ゆっくり霊夢よ」

「ゆっくり魔理沙だぜ」


これからの人生、ずっと意味も分からぬままこんな口調を惰性で続けて、退官までまともでいられると本気で思っているのか?

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