ミコトの拳

桃色の髪がひらりと揺らぎ、耳の後ろから風が吹く。フジサワ・ミコトが放った25526発目の正拳突きは、腰から肩、肩から肘へと力を合流させ、少女の持つ全身の筋肉が生み出した力学的エネルギーを一つの槍として大岩の丹田へと押し込んだ。


道場中に鈍い音が鳴る。岩と骨とがぶつかり合った衝撃で、揺蕩う水面にも轍が生まれる。ミシリ、ミシリと。敗者の身体から軋む音が漏れ出す。崩れゆくのは大岩か、己の拳か。ミコトの心には、オーバーフローを体感する、強い満足感があった。


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ことの真偽は別として、少女フジサワ・ミコトには一つ、強い信念があった。フジサワ・ミコトは町で唯一の道場の一人娘である。しかし信念と言えどそれは武道と呼び得るものではなく、ましてや正義と呼べるほどのものでもない。それどころか、少女の信念は一般的には「シミュレーション仮説」と呼ばれる類の世迷い言で、人に比べて少しばかり実直過ぎる性格を持つミコトは、ジブンが人と仲良く出来ないのは全てこのシミュレーション仮説が原因なのだと盲信していたのだ。


軟弱な妄想など知るはずもない健康的読者のため、念のためだが説明しておこう。シミュレーション仮説とは即ち、この世界のすべてが仮想現実であり、我々はシミュレーションの世界で生きている存在に過ぎないとする無意味な思考実験である。しかしミコトの信念はそこから更に一歩進み、ジブンは異性愛者男性向けの恋愛シミュレーションの1キャラクターにすぎず、それも産まれてからこの方ずっと、かなり出来の悪いゲームの中に閉じ込められていると考えていた。


異性愛者男性向けの恋愛シミュレーション、所謂「ギャルゲー」をミコトは遊んだことはなかったが、少女には生まれ持った野生のカンがあった。正確にはジブンが「生まれ持った野生のカンがあるので、あたまはバカだが変なことにはよく気付く」みたいなよくある設定のサブキャラクターとして作られていると思い込んでいたので、そこから逆算的にこの世界がギャルゲーなのではないかという真実に気づくに至ったのだろうと、少女はジブンでジブンの直感をそう解釈していた。


だから、恋愛シミュレーションゲームを遊んだことはなくとも、それがどういうものなのかはなんとなく知っていた。なんとなく知っていること自体が自分がゲームの中の人間であることを示唆しているようでまた腹が立つが、それはそれとしてなんとなく知っているんだから仕方がない。平たく言えば、現実はミコトにとって悪夢の世界だった。誰からも愛されてこなかったような男の願望の煮凝りで、その願望そのものみたいな女がキャピキャピ通りを闊歩する。


全ての男はまるで全ての女を選ぶ権利でもあるかのように振る舞い、社会のシステムだってそれを支えるみたいに作られている。クラスの女友達は総じてお目目ぱっちりクリクリで、一部は気でも狂ったんじゃないかというデザインの服を着ている。ミコトはそれと比べれば慎まやかなものだが、この歳になっても上下道場着の体育会系キャラのテンプレみたいな格好で街中を歩くことがやめられず、何度も治そうとしたが語尾に「ッス」とつけるのがいまだやめられない。


この世がご都合主義の恋愛シミュレーションに支配されているだなんて、どうかしてる。こんな世界は登場人物であるジブンからすれば迷惑千万である。それもこんな四番手五番手に甘んじそうなちんちくりんの色物キャラなど。世の中にはジブンのことをジブンと呼ぶようなジブンみたいなタイプを好む男どもがいて、そういう奴らはジブンの見た目を「良さ」があると捉え、好感度を上げてやろうと虎視眈々と狙っているのだ。考えるだけで吐き気がする。こっちの気も知らないで、舐めやがって。


フジサワ・ミコトは幼い頃から、どちらかと言えば格闘ゲームの登場人物になりかった。道場主である母を超えるような、もっと言えばゲームで最強のキャラに。余計なことしかしない癖に手を替え品を替え理解者ヅラする男どもをボコボコにしたかったし、結局何をするわけでもない癖に理解者ヅラだけは一丁前の女どもをボコボコにしたかった。それでも仮に自分が0と1の塊であればそれも叶わぬ夢だから、鬱憤を発散するために、道場の庭にある大岩に毎日毎日正拳突きを喰らわしていた。


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フジサワ・ミコトがこの世界がおかしいんじゃないかと思い始めたのは、ジブンが異常に他人に厳しすぎることに自分自身でドン引きしてしまったことがきっかけだった。クラスの男のうち何人かは明らかにジブンに色目を使っている。おそらく数個しかない選択肢の中から、最も耳障りの良い言葉を選んで擦り寄ってきているんだろうことは分かっていた。気持ち悪いと思ってはいたが、それにしたって連中はこちらに好意を持ってやってきて、あれこれ褒めたり励ましたりしてくれているのだ。


それに対して何の脈絡もなく「やかましいんじゃ!」とか「話しかけるな!」とかキレるのは、流石にジブンでも酷すぎるんじゃないのかと思うのだが、これが何故だかやめられない。試しに他の女ども(この世が偽りとすら気付いてない哀れな連中)にも色々と聞いてみたが、答えは皆同じだった。「分かるわ」と笑うだけ。「なんか気持ち悪くてついキレちゃう」と、言動が一致しないヤバい輩みたいな訳の分からない言い訳を繰り返していたので、他人事ながら恐ろしくなった。


ジブンで言ってても上手く感覚が掴めないが、どれだけ他人と話しても、ジブンの中で好感度が上がっているように感じられないのだ。何かをされても有難いとちっとも思わないし、何かをしても申し訳ないともちっとも思わない。面と向かって話していても、人を全然好きになれない。男女を問わず、下手をすればジブン自身であっても。こうして文にしてみると最悪極まりない人間で、これがジブンなのかと思うと辛いところもあったが、実際他人を好きになれないのだからどうしようもない。


まさかゲームの出来が酷すぎるあまり、バグか何かで好感度が上がらない仕様になっているんじゃないか。そう言うとクラスの男ども(おそらく主人公ではない可哀想な連中)はニタニタと笑って、「案外間違いでもないんじゃない」とミコトに言った。世の中、人に好き好き言われるだけで相手のことを好きになっていくものじゃないし。古いゲームで出来の悪いヤツだと、パラメーター設定がバグってて何か別のパラメーター設定と入れ替わっちゃってることなどザラにあるのだと言う。


まったく酷いもんだと、一人の男が肩をすくめる。よくあるケースでは、相手の収入がそっくりのそのまま自分の好感度と入れ替わってしまう。パラメータの設定が間違っていて、どれだけ優しくされても相手を好きになれないが、相手の収入上がると勝手に好感度も上がってしまうらしい。酷いケースではピアノの鍵盤を叩いた数や古いバイクのエンジンの回転数とも入れ替わってしまい、常識的に考えれば好きになる訳もないゴミ相手に好感度が勝手に上がってしまうことさえあるらしい。


しかしミコトは基本的に、相手が誰であろうが気に入らない人間だ。ジブン自身であっても気に入らないくらいで(特に考えなくてもよいことを悩むウジウジした性格が)、生まれてこの方ジブンでジブンを好きになれたことすら一度としてなかった。仮にミコトというキャラの持つ好感度の変数が「mikoto.koukandoINT」だと仮定して、これが例えば、今日の気温や、星の数や、下手したらどこかの誰かの年齢みたいな、本当に無関係なパラメーターと入れ替わってしまうこともあるのではないか?


何を隠そうミコトには、たった一つだけ心当たりがあった。読者諸氏も御存じの通り、冒頭に出てきた件の「大岩」である。昔からどんな人間も基本的に好きになれないミコトではあったが、既に亡き父親と、片親でジブンを育ててくれた母親にだけはよく懐いていた。思えばミコトが初めて父親に憧れたのは、似合わないスーツで授業参観に来てもらった時でも、その大きな背中に肩車をしてもらった時でもない。道場にあった大岩の内の一つを、正拳突きで割って見せられた時だった。


父が亡くなってから道場は母に受け継がれたが、道場主となった母はそれから毎日、父が割り残した大岩に向かって正拳付きの修行をはじめた。本来であれば柔術の師範である母が、打撃の師範である父の意志を継ぐというのは、並大抵の覚悟ではなかったに違いない。覚悟を決めた母の背中の小さなこと、そして、その先に構える岩の影の大きな様を見て、幼いミコトはいつか母のような拳法家にならんと淡い憧れを抱いた。それこそが、ミコトにとって初めての「他者を認める」体験であった。


一般的な考えでは、これは「拳法家が師から闘う姿を以て道を説かれた」というエピソードであるはずだろう。しかし少女は読者諸氏が考えるより何分実直な性格であり、また、「もしかしてこの世はゲームの中なのではないか?」と妄想する程度には多感な14歳でもあったので、父母の教えを真っすぐに受け取ろうとはしなかった。「嗚呼、何故私の好感度のパラメーターは、大岩に与えたダメージなどという馬鹿げたものと結びついたのだろう」などと、世を儚むので精一杯だったのである。


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常々、ミコトは道場主である母にこう問うてきた。「お母様、ジブンはどのようにすればジブンを認められる日が来るでしょう」と。


ミコトの母は無口で厳しい偉大な武術家だったが、裏を返せば特に何も考えていない武術家でもあったため、悩めるミコトに対しても「ただひたすらに岩を打ちなさい」としか言ってはくれなかった。しかし幸か不幸か、それは14歳のミコトが求めていた言葉でもあった。社会通念上、母はその言葉を「健全な精神は健全な肉体に宿る」的な意味でしか言ってはいなかったが、実直すぎる娘はそんな言葉を「岩を割ればジブンはジブンが好きになれるだろう」と都合良く解釈したのである。


毎朝日が昇ると同時にニワトリすらたじろぐ奇声が響くと、浅い地鳴りが繰り返し、繰り返し山のふもとの県道まで轟き渡る。「フジサワ・ミコトの大岩割り」は、たちまち町中の人々の知るところとなった。以前より拳法狂いと呼ばれていた一家の一人娘、その中でも輪をかけて拳法狂いと呼ばれていたミコトが、ついには大岩を割らんと毎朝岩に向かって正拳突きをはじめたのである。それも何が理由かと思えば「岩を割ったらジブン自身を認めることができるようになるから」と言うではないか。


当然、周囲の善良な人々は少女が岩を割るなどと本気で信じていたわけではない。しかし最初こそ物珍しさ半分からかい半分で見ていた者たちも、覚悟を決めたミコトの背中の小さなこと、そして、その先に構える岩の影の大きな様を見て、いつしかミコトを一端の拳法家だと認めるようになった。当然彼らというキャラクターの好感度も、大岩に与えたダメージなどという馬鹿げたものと結びついていたわけではない。しかし、ミコトの正拳にはそれと同様の力を生むバグがあったのかもしれない。


桃色の髪がひらりと揺らぎ、耳の後ろからそよ風が吹く。フジサワ・ミコトが放った正拳突きは、腰から肩、肩から肘へと力を合流させ、少女の持つ全身の筋肉が生み出した力学的エネルギーを一つの槍として大岩の丹田へと押し込む。道場中に鈍い音が鳴る。岩と骨とがぶつかり合った衝撃で、ミコトの道着に皺が寄る。ミシリ、ミシリと。ミコトの拳から軋む音が漏れ出す。冷たい岩肌に一滴二滴と血が滴り、何一つ変わらぬ大岩の太々しい姿の前に少女が片膝をつき、そうしてまた、朝が終わる。


「大岩を割った人間はフジサワ・ミコトに好きになってもらえるらしい」……。そんな噂を聞きつけた流れの拳法家が、看板目的で道場に訪れることもあった。いつまで経っても岩を割る気配のないミコトに対して、俺が代わりに割ってやろうと悪漢どもが次々に飛び込んでくるのだ。こんな軟派者に母すら割れなかった大岩が割れようはずがない。とは言え、である。「本当にこいつが岩を割ってしまったらどうしよう」という年相応の不安も少女の中には無いでもなかった。


何度でも言おう。なにせフジサワ・ミコトというキャラクターは、自分の好感度のパラメーターが大岩に与えたダメージなどという馬鹿げたものと入れ替わっていると本気で信じるくらいには実直な性格だったのである。それはそれとして、己より力があるところを見せつけられた拳法家が、相手に対して屈辱的な敬意を抱くということは何も珍しい事態ではあるまい。しかしミコトは実直、かつ強情な性格でもあったため、ジブンがそんな憧れを抱くかもしれないという可能性自体が許せなかった。


結果として、ミコトはそうした悪漢どもを全員返り討ちにした。返り討ちにするどころか、こんなヤツを認めるわけがないという反感あり、いつまで経っても岩を割ることのできない鬱憤あり、なんでもいいからとにかく何かを割ってスカッとしたいという八つ当たりありで、観客から「何もそこまでやらなくても……」という声が上がるまで痛めつけ、「藤沢道場にフジサワ・ミコトあり」の噂を「藤沢道場にフジサワ・ミコトが出るらしい」との噂に歪めるまでに至ったのである。


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大岩に向かい正拳付きを始めてから二年が経ち、幼かったフジサワ・ミコトの背丈もミコトの期待ほど大きくはならなかったまでには大きくなった頃、フジサワ・ミコトは街の高校への進学を控えるようになっていた。「藤沢道場にフジサワ・ミコトあり」の噂を聞き、「藤沢道場にフジサワ・ミコトが出るらしい」との噂までは知らなかった都会の高名な拳法家の一人が、その拳を明日の日本のために活かすべきであるとして、ミコトに推薦入学の口を紹介してくれたのである。


あの頃より老いてまた少しだけ小さくなった母は、ミコトの成長を心から喜んでいた。仏壇の亡き父の遺影はまた少しだけ古びたが、相変わらず笑っているように少女には見えていた。毎朝の大岩割りを通してミコトの周囲に集まった人々もまた、毎朝大岩に向かい続けたミコトの進学を我が事のように喜び、ミコトがこっぴどく痛めつけた悪漢どもですらミコトがいなくなって清々すると少女の成長を喜んだ。しかし、少女にはそれが、そうした我が身の生ぬるさが、どうしても耐え難かった。


拳法家の生涯は修行である。そこに成長はあるが、完成はない。たった一つ、いや一人。大岩割りを始める頃から何一つ変わらぬ大岩だけが、その事実を理解し、ミコトの心の内を見抜き、己に「お前の一体何が変わったというのだ」と問うているような気がしてならなかった。「お前は他人から認められた、それで、お前はお前が認められたのか?」と。25525発目の正拳突きを経ても、大岩はビクともしなかった。傷一つつかなかった。そして少女はそんな不甲斐ないジブンが未だ嫌いなままだった。


叩いても叩いても、殴っても殴っても、突いても突いても。フジサワ・ミコトの胸中に、大岩にダメージを与えられている実感、ジブンのジブン自身への好感度が上がっている実感はなく、ただ焦燥感だけが募っていく。14歳だったミコトも15歳になり、歳を重ねた分だけ思慮深くなったのだ。「ジブンは異性愛者男性向けの恋愛シミュレーションの1キャラクターにすぎず、かなり出来の悪いゲームの中に閉じ込められている」という己が信念にも、僅かばかりの疑いを持てる程度には。


フジサワ・ミコトの拳は、いつしか信念の元に放たれていた拳から、迷いの中で放たれている拳へと変わっていた。純粋無垢にシュミレーション仮説なる世迷いごとを信じ、岩を殴ればジブンが好きになれると考えていた頃の拳はもうそこには無かった。この道の先にあるものが果たしてシュミレーション仮説なる世界なのか、そうだとするならジブンがこの岩を殴ることになんの意味があるのか。そうして己が拳に答えを問いかけるかのような、迷いに満ちた拳がそこにはあった。


迷いは弱さではない。道への渇望である。道を進もうとする渇望こそが己が力を線へと結び、拳の先へとたどり着かせる。たった一度の拳に死力を尽くすとは、まさに、そうした心のありようを指す言葉だ。それが仮に「ジブンは異性愛者男性向けの恋愛シミュレーションの1キャラクターにすぎないのではないか」という問いかけから始まり、「もしもそれが真実ならこの岩を割った先に自分自身を好きになれるかどうかで確かめたい」という誤った道に辿り着いた渇望なのだとしても。


己が成長を少女が理解していたかどうかは定かではない。しかしフジサワ・ミコトの鬼気迫る姿を見ていた者たち、亡き父の霊であり、母であり、やじ馬であり、少女に恨みを持つ者たちは皆、拳法家の成長をつぶさに感じ取っていた。桃色の髪がひらりと揺らぎ、耳の後ろから強い風が吹いている。道場中に鈍い音が鳴る。岩と骨とがぶつかり合った衝撃で、揺蕩う水面にも轍が生まれている。ミシリ、ミシリと。拳か、岩か、どちらが軋んでいるか分からないような音が滲む。


「藤沢道場にフジサワ・ミコトが出るらしい」との噂は、いつしか「藤沢道場でフジサワ・ミコトが本当に割るらしい」との噂に変わっていった。毎朝日が昇ったにも関わらず、ニワトリすら雄たけびを躊躇うようになった。深い地鳴りが繰り返し、繰り返し向こうの山の民家まで轟き渡るようになった。観客も、町も、フジサワ・ミコト本人ですら、拳が放たれるその瞬間に音を立てるものはいなくなった。皆が皆、岩が割れる断末魔を聞き逃すわけにはいくまいと、本能が喉を閉ざした為である。


===


それは3月31日の朝の事だった。フジサワ・ミコトは高校の下見のため、母に卸してもらったばかりのブレザー姿で大岩の前に立っていた。いつしか上下道場着の体育会系キャラのテンプレみたいな格好で街中を歩くことはしなくなっていて、語尾に「ッス」とつけるのは治らずじまいだったが、そもそもジブン自身である語尾をわざわざ治そうという気も起らなくなった。背は期待していたよりは伸びなかったが、二年前に比べれば、大岩もちょっとばかりは小さく感じるようになっていた。


桃色の髪がひらりと揺らぎ、耳の後ろから風が吹く。フジサワ・ミコトが放った25526発目の正拳突きは、腰から肩、肩から肘へと力を合流させ、少女の持つ全身の筋肉が生み出した力学的エネルギーを一つの槍として大岩の丹田へと押し込んだ。道場中に鈍い音が鳴る。岩と骨とがぶつかり合った衝撃で、揺蕩う水面にも轍が生まれる。ミシリ、ミシリと。敗者の身体から軋む音が漏れ出す。崩れゆくのは大岩か、己の拳か。ミコトの心には、オーバーフローを体感する、強い満足感があった。


敗者は勝負の必然である。だからこそ、勝者は敗者に敬意を払うのが拳の道であるとされているほどに。しかしそれはそれとして、拳を以て倒されたものは必ず、自らを越えられたという事実を、相手が自らに勝ったという事実を、認め、敗れなくてはならない。意志なき存在である大岩に、それが分ろうはずもなかった。しかし、大岩はそれを見事に全うした。ミコトの拳の周囲にヒビが入る。情けなく、未練がましく、あるいはミコトの拳を一瞬でも長く見届けたいと言わんばかりに。


静寂の中で、大岩が崩れていく。少女からまっすぐに伸びた拳、それに縋り付くようにしてハラハラと破片をまき散らしながら、哀れに崩れ去っていく。一人として歓声を挙げる者はいなかった。唾を飲む僅かな音ですら、少女の放った拳に対して、その大岩の散りゆく様に対して、不敬に当たると感じずにはいられなかったからだろう。あれほど重たくそびえたっていた岩は、見る見るうちに砂利へと還り、太々しい姿を消した。その跡にはただ一人、少し背の伸びた拳法家が仁王立ちしていた。


拳の道とは然るべきものであると語る御仁もいれば、大岩の持つ霊的な力が成し得た業だ語る御仁もいる。いずれにせよこの日、大岩は割れ、フジサワ・ミコトはジブン自身を僅かばかりだが好きになった。相も変わらず、やっぱりこの世はゲームの中だったんだと思い込み、少し落ち込んだりもしていたが。

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