インプリンティング

元々は、何でも引き受ける俳優だった。木の役もやったし、性転換したムッソリーニの役もやった。地球温暖化の役もやったし、老いて業界から駆逐されるテレビデオの役もやった。若かったし、大して仕事も無かったから。声がかかるだけで嬉しかったし、別に自分が選ばれた理由なんて聞きたくも無かった。一目見てこの役にぴったりだと思われたのならそれで良いと思っていた。少なくとも、客が亀でさえなければ。


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あの時、「さぁ、幕が開くわよ」とマネージャーが言ったのを今でも覚えている。その言い方にムカついたので、私は「さっさとシャッターを開けてよ」と言った。


出来る限り質素な服に、出来る限り質素な化粧。演技指導は有体、黒い髪をひっつめて、安っぽい笑顔を浮かべて、台詞はたった一言「そろそろ私を頼ってもいいんですよ」だけ。貞潔にだの、柔和にだの、あれだのこれだの、その他もろもろ。蓋を開けてみればあまりに面白みのない役だったから、怒らせるつもりで「これが旧時代の普通<スタンダード>な母親を演じるってことなの?」と聞いたのに、マネージャーはいつも通りツーンと澄ました顔をして、「私は旧時代の普通<ノーマル>な母親を演じろと言ってるだけ」と答えただけだった。


ステージの幕が開いた瞬間。幕と言い張ってたのは「これも役者の仕事」と言い張るマネージャーだけで、動物園のスタッフは誰一人として防護シャッターのことを幕なんて洒落た呼び方してなかったけど。観客席には予想通り、亀が一匹いた。老いぼれてほとんど動かなくなった亀が、広いコンクリートの部屋の真ん中で、キャラクターの描かれた板の上で寝そべっていた。ステージ上にも異臭が立ち込めた。生きた爬虫類の匂い。せっかくの登場シーンだっていうのに、亀はこちらに気付くこともなく、ひたすら雑誌の切り抜きのようなものを噛み続けていた。


効果音が鳴った。けたたましく、そしてまったく空虚に華やかに。弾けるようなホログラムが部屋中を包み込み、私の背後から、激しい光が射した。私と亀は光に包まれ、まるでこの世にたった二人だけになったみたいに、向き合い、社会から隔絶された。一歩前に出た。私は亀に向かって微笑んだ。台詞を言おうとした。出来る限り質素な服に、出来る限り質素な化粧で。黒い髪をひっつめて、安っぽい笑顔を浮かべて、貞潔に、柔和に、あれだのこれだの、その他もろもろ。あまりに面白みのない抑揚で、たった一言、「そろそろ私を頼ってもいいんですよ」だけ。


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哀れな亀がいるということは、以前から何かで読んだことがあった。よくある世界のB級ニュースをまとめたような、それ自体がB級の動画で30秒で消費されるような、そんな哀れな一生の亀というのが私の率直な印象だった。


亀の名前はユーシャン。二世紀前にフィリピンの動物園で生まれ、一世紀前に韓国の慈善団体が引き取って、今では慈善団体(と言っても財閥のボンボンどもと取り巻きの作家先生方の自己実現の一環みたいなものだ)の動物園で余生を送っている。


この手の動物は「刷り込み」……所謂インプリンティングの習性があることで知られている。生まれて初めて見た動物を親だと思ってしまう因果な習性で、それは彼らのような種族には生き残る為には捨てることの出来ない本能のようなものらしい。


ユーシャンの仲間にインプリンティングの習性があることは二世紀前の時点で既に知られていたので、二世紀前の動物園のスタッフたちも、ユーシャンが正しく母親になつくよう細心の注意と最新のテクノロジーをもって彼の孵化に臨んだ。


だけど、それは今から聞けば笑ってしまうような最新のテクノロジーで、VRドームの中で卵を孵化させることによって、生まれたばかりのユーシャンに拡張現実に再現した優しい母親の顔を見せつけるという(原始的な)シロモノでしかなかった。


二世紀前の人間たちはこれで完璧と胸を撫でおろしたみたいだけど、意図せぬ不注意ってのは大抵、未熟なテクノロジーと手を組んでロクでもない方向に転がっていくもので。ユーシャンが卵から孵化するにあたって、一つの事故が起きた。


ユーシャンの母親を再現するVRプログラムが、何かのはずみで孵化の最中に最小化されてしまったのだ。そしてあろうことか、最小化された後に画面に映ったものは、休憩中にスタッフの一人が起動していたゲーム画面(しかも半ポルノ)だった。


スタッフたちはパニックに陥った。何時まで経っても消えないゲーム画面。いつまで経っても戻ってこないバーチャルの母親。おそらくはスタッフたちもパニックになるあまり、ゲーム画面を連打するくらいしか出来なくなっていたんだろう。


ユーシャンがこの世に生を受けたとき、彼の目に写っていたものは、彼を包み込む"無料10連ガチャ"の演出だった。こうしてユーシャンは世界で唯一ゲームの無料10連ガチャを母親と認識する亀として、その後二百年の命を送ることとなった。


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「ミーネ、あんた、哀れな亀の母親役をやってみない?」マネージャーがこの仕事の話を持ってきたとき、私はしばらく考え、そして強い口調で「願い下げ」と答えた。


マネージャーが持ってきた動画に写っていた二世紀前の女は、確かに私にそっくりだった。顔も、背丈も、声でさえ瓜二つ。しかしその見た目ときたらまったくもって貧相なもので、二世紀前という時代性を差し引いても質素な服に、質素な化粧。黒い髪をひっつめて、安っぽい笑顔を浮かべて、見ているだけで古臭いというのが正直な感想だったから。御免。こんな役やりたくない。私という俳優のキャリアを考える上で「今やるべき役では絶対にない」と突っ返すプライドこそが、今、私が本当にやるべきことだと思ったから、柄にもなく、そんな強気なことを言ってしまったのだ。


「そう言わず」としつこく食い下がるマネージャーに、私は何度となく顔を背けた。後から聞いたらそれはほとんどお金の問題で、その場その場で適当にこの仕事を引き受ける理由をでっちあげていたらしいけど(それはそれでひどい話だとは思うが)、そうしてしつこくマネージャーに食い下がられるうちに、私は次第にユーシャンという亀まで八つ当たり的に嫌いになった。そもそもこの亀が、たった一回顔を見ただけの存在を後生大事に感じていること自体、何か、根本的に間違ってるんじゃないのか。そう思い始めると、もう、嫌悪感が止められなくなった。


ただなんとなく、抗いがたい気持ち悪さがある。それだけだった。私もマネージャーも既に国家が育児を担う世代の人間だ。血縁上の親はいるが、それはそれ以上でもなければそれ以下でもなく、二百年前の親が人々にとってどのような存在だったのかは分からない。もしかすると社会環境の違いがこの嫌悪感の源なんじゃないのか? 何故、私に二世紀前の母親の役なんかやらせたがる? そもそも何故私がこの役に適任だと先方は思ったのか? 役を引き受けるまでに、マネージャーにはたくさんの質問をした。本当に沢山の確認をさせた。連絡をさせた。


返ってきた答えは全て、「やれば理由も分かるでしょ」だった。


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ユーシャンが10連ガチャで出てきたキャラクターを自分の母親だと誤解するようになった後、残されたスタッフたちはそれはもう苦難の道を歩むことになったらしい。(ゲームを遊んでいたスタッフは解雇されただろうから当然と言えば当然だ)


10連ガチャということは30秒ほどの間に計10体ほどのキャラクターが続けざま出てくることになる(10連ガチャの仕組みはよく知らないが、昔のゲームはそうやってキャラクターを集めさせたらしい)わけで、そこが全ての苦難の始まりだった。


何週間もかけて10連ガチャで出てきたキャラクターを特定した。その中から一体どのキャラをユーシャンが母親だと思い込んでいるのか、その特定に更に何か月もかかったっていうし。それが一体どれだけの苦難なのか、まるで想像もつかないくらい。


結局あれこれ調べた挙句、結果はごくごく単純なもので。ユーシャンは本当に何も考えず、最初に目にしたもの、つまり10連ガチャの一番目に出てきたキャラクターを、そのまま単純に刷り込みで母親だと認識していたことが分かった。


そのキャラクターの名前はテトラと言った。豪華でキラキラして目が痛くなるようなキャラもいたし、それこそ亀っぽい爬虫類みたいなデザインのキャラもいたが、10連ガチャから出てきたキャラの中では、一番地味なキャラクターだった。


設定上は従順なエルフの狩人だが、従順なだけで他の狩人のキャラよりずっと弱い。どれだけ育てても一定以上は強くなることがなく、スキルも他のキャラクターの下位互換で、はっきり言ってわざわざ使うポイントはどこにもないようなキャラだった。


それでもユーシャンがテトラを好きと言ってきかないので、動物園のスタッフたちはユーシャンの檻に24時間絶やさずテトラの映像を流し続けた。ゲームがサービスを終了した後も、少ない素材をつなぎ合わせて映像を流し続けた。


ユーシャンは母親のテトラと違って内気な亀で、何十年経ってもテトラの映像が流れていない場所では満足に欠伸一つできなかった。日々、テトラの声に包まれながら、テトラの絵が描かれたベッドで、テトラの絵が描かれた天井を見て寝た。


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最後の最後まで悩んだ。悩み悩み悩んだ挙句、「やるよ」と回答したのは、「このまま亀を見殺しにする?」と最低の売り文句を投げられたからだった。


亀がどれだけ長生きであろうと、万物には等しく終わりの日がやってくるもので。ジャメネラリクガメはそれが丁度200年。ユーシャンは既に200歳をゆうに超えている亀であり、いつその日が来てもおかしくないだろう。だから、「それを見捨てるのか?」っていうのが、マネージャーに私に提示した最後の条件だった。最初こそ「こんな役やるくらいなら亀より先に私が死んでやる」と強がってみたけど、実際ユーシャンの体調が芳しくないのは事実なようで、「死んでやる」とどれだけ血相変えて言ってみてもマネージャーはピクリとも笑顔を見せなかった。


亀の事なんか知りたくも無かったけど。面白いもので、亀にも人間と同じように「幼児退行」という習性があるらしい。老いて記憶が薄らいでいくと、周りの人間との記憶も一つ一つ失い、まるで子供に戻ったかのように振舞うようになる、アレ。ユーシャンの場合はそれがゲームのキャラクターとの関係に置き換わるのだから(それと少ない動画素材から作ったコラージュ動画)、新しいゲーム映像のことをどんどん忘れていくうちに、「遅かれ早かれ生まれた瞬間に見たガチャの演出しか受け付けなくなってしまうんじゃ?」と飼育スタッフは頭を抱えていたそうだ。


未熟なテクノロジーってのは大抵、意図せぬ不注意と手を組んでロクでもない方向に転がっていくもので。飼育スタッフは亀が死ぬ前になんとか手を打とうと、あれこれ(乏しい予算の範疇で)考え抜いた結果、一つの突拍子もないアイディアを思いついてしまった。現代のテクノロジーで過去のガチャの映像をスキャンし、そこから3Dデータをスキャンし、架空の母親を仮想現実に再現する……までいくと予算がかかりすぎるので、薄給で働く俳優の中から比較的背格好の似ている人間を探し出し、光学迷彩で見た目を整え、そいつを亀の母親役として新しい映像を撮影するってのを。


「君が断ると年寄りの亀が死んじゃうかも」という暗黙の脅しを添えて。


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元から渋々引き受けた役だった。送られてきた台本にはたった一言の台詞、参考資料はたった一枚のキャラクターポスターしかなかった癖に、付属の資料にはこれでもかというほどミッシリ、ユーシャンの一生が描きこまれていた。


名前、ユーシャン。種族、ジャメネラリクガメ。年齢、212歳。好きな食べ物、サボテンとリンゴ。嫌いな食べ物、小松菜。生まれ、フィリピンのマニラ。住まい、韓国ソウル・ヒョンスン動物保護センター爬虫類保護区。好きなもの、テトラ。


内気な性格で、生まれた頃からテトラの目がないところでは草も上手に食べなかった。一人遊び(当人に一人遊びという意識があったのかどうかは分からないが)好きで、テトラの描かれている紙をグシャグシャにして、身体に纏うのが好き。


ジャメネラリクガメは韓国国内には他に同種族がいないため、遊び友達があまりいない。同系統のリクガメとの交流も何度か図られたが、ユーシャン自身が警戒してうまくいかなかった。飼育員さんは数名お気に入りがいる。


フィリピン時代は若い亀らしい活発な部分も見せ、ゲーム中テトラと適役であるキャラクターサンヒョクが画面に現れると興奮して自傷行為等みられた。韓国への引っ越し後は性格も穏やかになり、滅多に感情を表に出さなくなった。


現在は一日に18時間ほどテトラのイラストが描かれたスペースで眠り、起きている時間はテトラの動画が流れる窓辺で甲羅の天日干しをしているか、テトラの等身大パネルが置かれている柵の側で餌を食べている。


加齢とともに少しづつ記憶力が低下しており、一部飼育員に対して怯えるかのような反応を見せるようになった。それはテトラのゲーム映像に対しても同じであり、一部のゲームサービス終了後に自作した動画には見向きもしなくなってきている。


「貴方にはどうか、是非、今は亡きユーシャンの親を演じてもらいたい」……。どれもこれも、わざわざこのご時世に飼育員たちが手書きで残したメモを送ってきていてた。だからこそ、悲しいかな、私はユーシャンという亀が更に嫌いになった。


これだけ大事にされているこの亀が。周りの存在には目もくれず、大事にされていることにすら気付かず、未だに一目見ただけのゲームキャラを大事にし続けていることに、なにか、物凄く生理的な嫌悪感があったからだとは思うけれども。


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飼育員にも聞いた。役作りの一環だからって言って、無理を押して。「あの亀ってなんであんなにこのキャラのことが好きなんだと思う?」と、何度も、何度も。


けれど返ってきた言葉の中に「それはユーシャンにしか分からない」を超えるものはなく、私の役作りへの努力は、一言で言えば全て徒労に終わった。これまでやってきた役の中で、最も不満足な状態で臨むステージになった。愛されるキャラクターには愛される理由がある。だからこそ愛される理由を演じるし、演じることで愛される理由を伝えることも出来る。しかしこのキャラには愛される理由がなかった、客観的に見て、本当に何もなかった。単なる絵でしかなかった。それでも亀はオイオイと声をあげ縋り付くので、私は亀と役の間で板挟みになったようにさえ感じた。


ステージ上に立っていた瞬間も、よく分かっていなかった。自分で何を演じたらいいのか、自分がこれから何を演じようとしているのか。インプリンティングの習性を発見したオスカル・ハインロートは、自らを親代わりに追いかけるアヒルを見て、それをアヒルの本能的行動だと解釈したらしい。本能的行動。それは種が脈々と受け継がれる中で結果的に残されてきた性向で。例えば、初めて見たものに一生ついていく性質。そこに明確な理由はない(ように私は感じる)。そういう行動をとりやすい個体が結果として生き延び、種を残しやすかったのでは?という考察が出来るだけ。


結局、私には理解できなかった。最後まで、あの亀の気持ちが。正確には、全てが全て後付けにしか聞こえなかった。「声が優しかったんじゃないですかね?」嘘だ、他にも声が優しいキャラはいた。「ユーシャンの好きな色合いだったんじゃ?」嘘だ、上下白なら他にも選ぶべきキャラはいる。「やっぱり一番自分に似てると思ったんじゃ?」嘘だ、爬虫類より爬虫類に似てる哺乳類などいるわけない。ただ単純に、「一番最初に目にしたキャラクターだから」という理由で生涯それに執着し続ける姿を、どうしても理解してあげることが出来ないまま、あのステージに立った。


あとはやるしかないという事は分かっていた。「やれば理由も分かるでしょ」という言葉を信じて、一言台詞を発する、それをやるためだけのステージだった。


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溢れる光の向こうから、何者かがこちらを見ていた。それは丁度私自身の影に隠れるような形で、動かず、ただその場でじっと私の姿を見据えていた。けたたましい音楽の向こう側で、あ、あ、と細かい呼吸音が聞こえたような気がした。


天井からまた別の光が降り注いだ。背後から私を照らしていた光は、誰がステージに出てきたのかを分かりにくくする演出なのだとマネージャーは言ってた。その後しばらくして、今度は貴方を観客席にお目見えさせるためのスポットライトが当たると。


予告通りだった。光の切り替わりと同時に、前方へ伸びていた影が消え、足元へと影がまとまった。この日のために何度も練習した。出来る限り派手でなく、出来る限り華美でない、ただし良いことが起きたと思わせるような動きを。


自分自身に言い聞かせた。私は普通<ノーマル>だ。特別<スペシャル>でもなければ、超特別<スーパースペシャル>でもない。そんなことわざわざ自分自身に言い聞かせるような前時代的な人間は、今はもう一人だっていないのに。


でも、あえてそれが、そんな普通<ノーマル>が良いのだと言うのなら、私はプロとして、それを全うしたい。気持ちは分からないし、分かりたくもない。でも、一生を添い遂げるというのなら、何か、立派なことだとは思わなくもなかったから。


両手を挙げた。たいして大げさにではなく。特別<スペシャル>ではないんだよと言わんばかりに。一周その場でくるっと回る。超特別<スーパースペシャル>なわけがないだろうと見せつけんばかりに。


一歩前に出た。光の向こうで見守っている亀に姿を見せつけた。安っぽい笑顔を浮かべた。期待していたわけでは無いでしょう、でもヨロシクという気持ちを込めて。そして言った。たった一つの台詞を。「少し抑揚のない感じで」と言う指定通りに。


「そろそろ私を頼ってもいいんですよ」その台詞を合図に、プロジェクションマッピングのホログラムが弧を描いた。「テトラ」の文字が、私の下半身少し前に浮かび上がった。「ノーマルレア」の文字が、額の左上にくっきりと浮かび上がった。


そして、ステージには静寂が訪れた。ああ、多分、これは元からそういう空気になることを狙っていたんだろうなと思わせるような、何度も何度も繰り返されてきたことなんだろうなと思わせるような、気まずい、気まずい空気だった。


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ユーシャンが死んだのは、それから大体数か月後のことだった。聞いた話じゃ、飼育員の予想通り本当に記憶がまだらになっていき、死の数日前には本当に200年前の10連ガチャの映像にしか反応を示さなくなるまで弱り切っていたらしい。最後は本人望み通り、テトラの絵が描かれた毛布にくるまれて死んだ。享年212歳。結局、私が演じたテトラがユーシャンを騙せたのもほんの数か月だけで、元々の老化もあって体調が元に戻ることは無かった。申し訳なさから葬式に出て、飼育員スタッフに平謝りされ、更に申し訳ない気持ちになって帰ってきた。


たった数か月、母親の偽物を見せた。それが私にユーシャンに出来た全てだった。お世辞にも満足のいくステージではなかった。想像していたより感動的でもなく、想像していたより絵空事でもなく。ステージ終わり、ユーシャンは「あ、あ、あ」と低く唸り声をあげて私の方に歩み寄ると、私の全身を見回して、もう一度「あ、あ、あ」と低く唸り声をあげて、その場で眠りについた。あまりに不安になって「これってどういう評価なんでしょう」と飼育員に尋ねたが、さっきも言った通りの話で、返ってきた言葉の中に「それはユーシャンにしか分からない」を超えるものはなかった。


今でも部屋に、参考資料として貰ったポスターを飾り続けている。自分によく似た背格好の存在が、上下グレーの地味な格好で地味なポーズをとり、「そろそろ私を頼ってもいいんですよ」(これしか台詞がないのか?)というキャッチコピーで決め顔をしている。後から専門家に聞いたら、そもそも当時からしてテトラを使っているプレイヤーなどおらず、基本的には他キャラに融合(サポート?)させるような存在で、200年前からしてユーシャンはかなり稀有な存在だったらしく、やっぱりそんなキャラを好きになる理由は「それはユーシャンにしか分からない」とのことだった。


あれ以来、私は俳優としての仕事を選ぶようになった。別に役を選り好みするようになったわけじゃない。今でもほとんどの仕事は受けているし、木の役も、性転換したムッソリーニの役も続けている。ただ、一応、確認するようになった。何故私がその役に選ばれたのかを。別にそれによってどうこうするわけじゃない。「一目見てこの役にぴったりだと思われた」に続く言葉を確認するようになった。答えとして帰ってくる言葉は実に様々で、筋が通ってよく分かる理由から、直観に頼りすぎていまいち分からない言葉もたくさんある。それはそういうものだと、納得もしている。


あれ以来、マネージャーはしきりに「やれば理由も分かるでしょ」と言うようになった。その言い方が毎回いちいちムカつくので、私は「分からなくてもやらなきゃいけなくしてるのは誰?」と答えることにしている。






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