もうちょっとマシなパラレルワールドが良かった

 ゲーム開発スタジオが多数入居するオフィスビル「デスクトップ名古屋」(愛知県名古屋市中区)の屋上で5月、飛び降り自殺騒ぎを起こした男が愛知県警に逮捕された。「ゲームの不出来を苦にした自殺未遂は前代未聞」(ビル関係者)との騒動を起こした動機を「それでも俺は自分の作るゲームがつまらないと思う」と語った男。自殺志願も半ば本意気だったようで、ビルに入居する他のゲーム開発スタジオ関係者は「自分のゲームの出来がそこまで納得がいかないというのは、職人気質というか強迫観念というか」と溜息をついた。舞台となったのは高齢者向けのゲーミング・オートクチュールの専門店街。騒動を受けて新規受注は中止され、再開のめども立っていない。縮小するゲーム業界にありグレーゾーンと揶揄されて久しいオートクチュール・ビジネスだが、関係者からはトラブルの〝再発〟を懸念する声も聞こえる。



【俺を捕まえてくれ】


 「俺を詐欺罪で逮捕しないのなら、ここから飛び降りて死んでやる」


 ゴールデンウィークが明けた5月7日午前9時ごろ、一本の110番が愛知県警本部に寄せられた。電話の主は、岐阜県岐阜市のゲーム開発者の男、高輪庄司(38)。耳を疑いそうな通報内容だが、声色から受けた印象ではふざけた様子も無かった。捜査関係者は「声に真剣みがあり、緊迫感があった」と振り返る。間もなく中署員数名が屋上に駆けつけたが、男の姿はすでに屋上にはなかった。高さ約1メートルの柵を乗り越えて建物の端に移動し、自社スタジオの看板にしがみついていたという。


 「落ち着いてください」


 署員が必死に説得するが、男が聞く耳を持つ様子はない。「俺を詐欺罪で逮捕しろ」などと一方的に捲し立て、心ここにあらずといった様子だった。


 「あの高さから落ちれば、周辺一帯も巻き添え事故から逃れられない」(捜査幹部)県警は周辺に規制線を張り、通行人が建物の下や周辺に近づかないよう呼びかけた。騒ぎを受け、短文投稿サイト「ツイッター」では目撃者が次々と写真などを掲載。ゲーミング・オートクチュールを利用していた客層を中心に、騒ぎを聞きつけたやじ馬が路上に100名以上集まる事態となった。日中は人気の少ないはずのオフィス街近辺は、にわかに物騒な雰囲気に包まれた。



【お前らみんな狂ってる】


 「一目見てすぐ、よく署に"出頭"してくる男だなと分かりました」(捜査官)


 ゲーミング・オートクチュール専門スタジオ「Havana」の高輪と言えば、中署では以前から名を知らぬ者はいない"お騒がせ男"だった。ゲーミング・オートクチュールとは、主に高齢者に向けて提供されているゲーム開発の代行ビジネス。利用者が書いたゲームのプロットにあわせスタジオ側がゲームを開発、そこから製作費を徴収するというサービスで安いものでは10万円からゲームプロデューサーとしてデビュー出来る。利用者の幅も広く、未就学児の遊びや定年後の余暇として作られたビデオ・ゲームが世界的大ヒットにつながった例も少なくない。


 一方で、市場には"ゲームプロデューサーデビュー詐欺"とも呼ばれる悪徳業者も横行している。高齢者向けの居酒屋・コミュニティ施設を"呼び子"と言われるセールスマンが巡回、「あなたにはセンスがある、ゲームプロデューサーとしてデビューしませんか」などと声をかけ、自主制作にかかる予算として多額の費用を請求するというものだ。消費者庁も例年「おじいちゃんおばあちゃん、そのゲーム、本当に面白い?」キャンペーンを張るなど注意喚起を行っているが、昨年も全国125件の相談事例があったとされ、ゲーム業界団体は適正料金のガイドラインを設ける動きを見せている。


 「Havana」は業界でも指折りのゲーム開発スタジオで、利用者の要望通りのゲームを作り上げることから評判が高い。業界紙に取り上げられることも多く、特に高齢者が青春時代を過ごした80年代90年代に流行したゲームの模倣には格段の強みがあり、そうしたグレーゾーンとされるビジネスからは無縁の存在だと思われていたスタジオの一つだった。一見すれば、全てが華々しく見える世界。しかし、そんな高い顧客満足度とは裏腹に、スタジオを営む男の自作に対する評価は思いのほか低く、いつしかそれは顧客に対する罪悪感を抱くまでに至っていたようだ。


 自身の営むゲーム開発スタジオが客から不出来なゲームで高額な開発費用をとっていると思い込み、日常的には月に一、二回、多い時には週に三、四回も「自分を詐欺罪で逮捕して欲しい」と出頭してくることで知られる虚偽出頭の常習犯。それが男のもう一つの顔だった。騒動を起こした日の午前中も中署に虚偽出頭しており、対応した捜査官から頑なに出頭を拒否されたことに激怒、その足で飛び降りに向かったとみられている。同署は「貴方の作るゲームは面白いと伝えたんですが、まったく話が通じず」(同捜査官)としたうえで、丁寧な対応がかえって男の逆上を招いたものと発表した。



【華々しい世界の裏で】


 「飛び降り予告」から約6時間半が経過した同日午後3時半ごろ。署員の説得に応じる形で、男は外壁看板をつたい屋上へ。捜査官は男を逮捕する旨を伝えたものの、それが同ビルへの建造物侵入容疑によるものだということが分かると、「詐欺容疑で逮捕しろ」と主張し激しく抵抗。待ち構えていた署員が身柄を確保しようとしたところ更に揉み合いとなり、柵に足をかけ宙づりの姿勢となった。その間にも懸命の声かけは続けられたものの、捜査官の張り上げる目一杯の声も虚しく、「貴方の作るゲームは面白いので詐欺にはならない」のメッセージは男の胸には届かなかった。


 男の営むゲーミング・オートクチュール専門店では、一本300万円から600万円でゲームが開発されていた。「300万円を超える受注金額は相場としては比較的高額な部類にあたりますが、それがすぐさま不当とみなされるわけではありません。昨今のゲームの市場価格は絵画や楽曲などの芸術作品と近しく、開発にかかる費用として正当かという観点、顧客が作品及びクリエイターに認める価値が正当化かという観点、その二つによって適正価格が決められるからです」(ゲーミング・オートクチュールマネジメントを手掛ける弁護士)と業界動向に詳しい専門家は語る。


 市販のゲーム開発AIで生成されるシューティングゲームは、顧客によるレベルデザインパラメーターの設定後、一本につき1時間から3時間程度でゲームとして仕上がる。顧客の鼻歌をソースにBGM生成AIにより音楽を作成、顧客のラフスケッチをもとに彩色AIがそれらしいビジュアルを付けて仕上げられる。ゲーミング・オートクチュール開発ではゲーム開発者の仕事はそこからのプレイ及び調整のみであり、熟練した開発者であれば平均して4時間程度で一本のゲームが完成させられるという。こうしたビジネスから男が得ていた対価は、年商5億円もの売上となっていた。


 度重なる虚偽出頭に対し、中署は再三に渡り「自らが不当な金額を請求していると思うのなら値下げすればよい」と勧告を行っていたが、華々しいビジネスの裏では語られない苦労もあった。男をよく知る人々は、彼の人となりを「昔から気が弱く、頼み事を断れなかった」と評する。「明るかったのは、会社を立ち上げた当時だけでした。一緒にゲーム会社を立ち上げた友人が蒸発してからはすっかりふさぎ込んでしまって。会社の借金を返すために、詐欺まがいの商売にも手を出して。こんなゲーム作りたくないのに作らざるをえない、俺が面白いゲームを作っても今の世の中じゃ売れないからって、よくボヤいていました」(近隣住民)



【顧客の声も虚しく】


 「お前の作ってくれたゲームは面白い」「貴方の作ったゲームは面白い」現場につめかけた顧客の呼びかけも虚しく、同日午後4時頃、男は高さ5階のビルから落下。落下した付近には救護用マットがしきつめられており一命はとりとめたものの、全身の打撲、熱中症及び発作とみられる症状があったことから、男はいったん病院に搬送された。全治一ヶ月の骨折と診断され、命に別条はなし。前代未聞の飛び降り騒ぎは付近に被害も及ばず最小限の被害にとどめられたものの、封鎖されていた屋上へのドアを破るなどした疑いで、男は建造物侵入容疑により中署に逮捕された。


 同署によると、男は取り調べでも「自身を詐欺罪で逮捕してくれ」との主張を続けており、反省する素振りを全く見せていなかったという。動機については「客がゲームを面白いと言っているのはゲームをちゃんと遊んでいないから、あんなものは全く面白くないし手抜きで作っただけの詐欺」と釈明。「最初はつまらないゲームを売り捌いて客を騙しているつもりだったが、何度も何度も面白いと感謝されるたびに自分の頭がおかしくなったんじゃないかという気がしてきて、怖くて誰かにゲームをつまらないと言って欲しくなり犯行に及んだ」と供述している。


 男のコメントを受け、ゲーミング・オートクチュール専門店を利用する客層にも動揺が広がっている。昨年自身の考えたゲームの開発代行を男に依頼した名古屋市在住のAさん(70代男性)は「あれほどの才能ある人がいなくなると、これから誰にゲームを作ってもらえばいいのか」と苦しい心の内を打ち明ける。「高輪さんは天才でした、自分が昔遊んでいた頃のビデオゲームをよくご存じで、私に手なじみのあるゲームをすぐさま作ってくれたんです。つまらないゲームなんてとんでもない、あんなゲーム開発者はそうそういませんよ、替えが利かないから困るくらいで」


 一方で、夫婦共同でゲームのプランニング中だった豊田市在住のBさん(80代女性)は「おそらく経営がうまくいかず錯乱していたのだろうと思う、世の中全員が突然狂ってしまったんじゃないかと不安になったのかもしれない」と男の孤独に理解を示す。「ある日突然自分の感性が他人とずれていると気付いてしまった、それでも生きていかなければならなくなった人間が、周囲の人間が全員狂ってしまったのだと思い違いを起こすのは想像に難くないでしょう、そうでなければあんな面白いゲームを作って、つまらないつまらないと頓珍漢なことを言うはずがありません」



【孤独は続く】


 同署は逃走や証拠隠滅などの恐れがないと判断し、逮捕翌日に男を釈放。任意での捜査を継続している。


 男の入院する市内某病院には、連日多くの見舞客が訪れる。しかしその中でも男の病室に向かう人々の列は目を見張る。それぞれがぞれぞれに、男がかつて開発したゲームを持って窓口に並んでいるからだ。もちろん、病院側も安全対策を怠っているわけではない。日に日に増加する訪問者に対し、看護師たちは関係者以外立ち入り禁止▽ゲームの持ち込み禁止▽ロビーでの待機の禁止-などと指示しているという。病院では原則部外者の訪問を断っているものの、数人の警備員が全ての来館者の行動に目を配るには限界があり、現場にはいつに無い緊張感が漂っている。


 「ことが起こらないことを祈るしかない」と懸念するのは、同病院関係者のC氏だ。「彼は自分自身が詐欺師だと思い込んでいます。手抜きでゲームを作って人を騙している悪党だと。誰かにゲームが面白いと肯定されるたびに、彼の中にある違和感が罪悪感に変わってしまうのでしょう。そして罪悪感を拭うために、世の中がおかしくなってしまったのだと認識をすり替える。事件後間もないこともあり今は平静を保っていますが、またいつ衝動に駆られるかも分からない。現場はピリピリしています……たかがゲームのせいで」


 全国各地から毎日のように届く花やメッセージカードにも、関係者は頭を悩ませる。「貴方の作るゲームは全部面白いです」「これからももっと面白いゲームを作ってください」文面に溢れる"面白い"の言葉たち。プロデューサー達からのそうした暖かい一言一言が、男の孤独をより一層深めてしまう可能性があるためだ。病院は弁護士と随時相談し男の精神に影響のないよう対応を進めているが、それでも時折千羽鶴の中に一枚一枚「貴方のゲームは面白い」と書かれているような熱烈なファンからのメッセージが紛れ込み、予断を許さない状況は続く。


 弁護人によれば、男は現在病床にて退院後の債務処理の予定を立てているという。「手抜きで作られたつまらないゲームを掴まされ、騙されていたことに気付いた顧客達は、Havanaを相手取り損害賠償請求を起こすだろう」と見込んでいるのだそうだ。しかし同弁護人によれば、当面そうした訴訟の予定が無いのも実情だと言う。Havanaの顧客からなる債権者団体は全会一致で男のゲーム開発復帰を支持しており、「あれだけ面白いゲームが詐欺とは認められない」などとして更なるサポートさえ申し出た。


 病院は安全対策として夜間も警備員1人を病室前に常駐させるほか、屋上へと続く扉を封鎖、窓の下には事故に備えた落下防止用のフェンス柵も備えるなどしている。しかし、どれだけ強力なウイルスや細菌を阻む医療施設であっても、それでもなお止められないのが人の噂だ。職員には徹底して男の作ったゲームを遊ばないようにと釘を差しているが、それも所詮は付け焼き刃の対応でしかない。関係者は「"貴方の作るゲームが面白い"という事実が男の耳に入ってしまうのも時間の問題」と、今なお頭を悩ませている。

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