自主規制
サブリナ・ロンドは人一倍心優しいゲームマスターだった。人一倍心優しい上に人の三倍は繊細だったので、時には口煩いゲームマスターですらあった。もしかすると、ゲームマスターという職業は彼にとって天職では無かったのかもしれない。彼は長年『ジェットナーの虜』という子供向けの教材めいたロール・プレイング・ゲームを切り盛りしてきたが、なにせ人一倍心優しかったばかりに、プレイヤーである子供達の口の悪さに人の三倍は心を痛めていたのだ。
子供達の成長は早い。それがあまりに早すぎるがゆえに、彼等は自分が何を言っているのかすら理解する暇もなく大人になってしまう。どれほど注意してもキリがない。今日は「どじ」や「のろま」しか知らなかった子供達も、明日にはきっと「ろくでなし」やら「すっとんきょう」を知っているだろう。『ジェットナーの虜』はゲームと名乗ってはいたが、ロンドにとってそこは学び舎だった。形式上彼はゲームマスターと名乗ってはいたが、自身は有能な指導者のつもりでさえいた。
一万人のアクティブプレイヤーに対し、たった一人のゲームマスター。オマケに相手はチートもPKも興味津々のお年頃ときている。風紀すら守ることも出来ない杜撰な管理体制にあって、子供達一人一人の成長を見守りたいなど、願いそのものが贅沢な話だったのだ。ましてやプレイヤーが思い通りにゲームを遊んでくれないことに心を痛めるなど、流石にムシが良すぎるだろう。それは教育の問題でも人間性の問題でもない、ただのゲーム運営上の問題に過ぎなかったのだから。
「枯れたゲームの治安なんてこんなもんさ」
周囲の人間の浅い慰めの言葉は、いくら言ってもサブリナ・ロンドの深い心までは届かなかった。ともすれば、それは余計に彼のデリケートな心を刺激した。自らの目の届かぬところで、子供達が自らの知らない遊びに興じることを、彼はどうしても許せなかった。何故サブリナ・ロンドという存在はこの世にたった一人しかいないのか。もしも自分があと一人、ちょっぴり我儘を言えばもうあと千人もいれば、全てのプレイヤーの遊びに自分が付き合ってあげられるのに。
ブディズムの菩薩であるサハスラブジャは、千の掌に千の眼を持つと言われる。慈悲深きサハスラブジャはこの世の全てを救うため、皆に差し伸べる千の手を、皆を見守る千の眼を必要とするからだそうだ。そういった観点から言えば、サブリナ・ロンドの背中でも、サイバネティクスで増設した無数の腕がクレーム対応に忙しなく動いてはいた。サブリナ・ロンドの額でも、拡張現実に描写された無数の眼が全プレイヤーを追跡監視すべく浮かんでは消えを繰り返してはいた。
しかしテクノロジーがどれほどの手や眼を彼に与えても、『ジェットナーの虜』のゲームマスターがサブリナ・ロンドただ一人である事実だけは変えようがなかった。そんな鬱屈した日々が、次第に彼を追い詰めてしまったのかもしれない。思い悩んだサブリナ・ロンドはいつの頃からか、自身の人格をゲーム用のbot生成ジェネレータに入力し、自身の仕事を模倣する粗末な人工人格の生産を始めた。許される限りの少ない工数、少ない予算で、新たなゲームマスターを雇用する代替案として。
そうして生み出された999人のサブリナ・ロンドのコピーは、1から999までの管理番号を割り当てられ、彼と同等の管理者権限を付与されゲーム内に投入された。
999人のサブリナ・ロンドは働きは見事なもので、全プレイヤーを24時間体制で見守り、不適切な発言には漏れなく手が差し伸べられた。「ろくでなし」や「すっとんきょう」は当たり前、「どじ」や「のろま」ですら時には処罰の対象になったというのだから恐ろしい。とは言えサブリナ・ロンド0の言葉を借りれば、『ジェットナーの虜』は学び舎だ。処罰の内容も事務的なBANではなく、管理番号0となったサブリナ・ロンド自身による、それはそれは心の籠もったお説教だったらしい。
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確かにサブリナ・ロンド0は人一倍心優しいゲームマスターだったかもしれない。しかしサブリナ・ロンド1から999は、人一倍心優しくなれるほどの工数で作られてはいなかったし、人の三倍は鈍感なほど微々たる予算しかかかっていなかった。その為、サブリナ・ロンド1から999はサブリナ・ロンドでありながら、サブリナ・ロンド0よりもゲームマスターらしい行動をとることが出来た。人一倍心優しくもない彼等であれば、不適切な言葉を人の三倍は検閲システムに放り込めたのだ。
999人のサブリナ・ロンドは、1時間に1つのペースで不適切な言葉を検閲システムに放り込んでいった。「ばか」「あほ」「のろま」「どじ」「まぬけ」、「おたんこなす」に「すかぽんたん」。「ぼけ」「くず」「かす」に「ごみやろう」。「ちび」「でぶ」「がり」は当然だめ、「ぶた」も「ごりら」もだめだったし、「いぬ」も「ちくしょう」もだめだった。あ、そうだそうだ。そもそも「だめ」がだめだった。それくらいには、999人のサブリナ・ロンドはよく働いたということだろう。
子供達から「サブリナ・ロンドはいつ寝てるの?」とウワサされ始めた頃には、『ジェットナーの虜』から汚らしい言葉はほぼ一掃された。一度口にした罵倒は二度と口に出来なくなった。どれほど口にしたくとも、一度検閲システムに登録された言葉はネットワークから弾き出され、喉から溜息の溢れるような音しか出せなくなってしまうのだ。あっちでヒューヒュー、こっちでヒューヒュー。どこかでヒューヒューと溜息が音を鳴らせば、誰かが悪いウワサをしていると逆にウワサになりすらした。
当初はやりすぎかと思ったサブリナ・ロンド0も、1から999のサブリナ・ロンドから一斉に反対されては返す言葉がない。ゲームの運営とは本来合議制でやるものなのだから、たった一人のゲームマスターの言葉に力が無いのは当然の話だ。これはあくまで教育の問題であり人間性の問題である。どれほど不適切な言葉を制限しても、ゲーム運営上の問題とまではならないだろう。サブリナ・ロンド0は自身に強く言い聞かせたが、やはりと言うか、まさかと言うか、そこにはゲーム上の問題もあった。
はじめは簡単な話だった。1から999のサブリナ・ロンドが管理業務に工数をつけるたび、一部のゲーム内アイテムの流通量がみるみる内に減少していく。それは「カー"ブス"トーン」や「サン"バカ"ーニバル」といった、名前自体に別の不適切な言葉が含まれているようなアイテム達であり、粗末な人工人格にありがちな言語理解のミスだった。いくら自身のコピーと言えど、所詮はこんなものか。落胆したサブリナ・ロンド0は、そうした言葉を1から999には無断で検閲から排除しようとした。
しかし、これにはサブリナ・ロンド495が猛反発した。それらの言葉が本来「不適切な言葉」でないことは、粗末な人工人格である彼にだって分かっていたのだ。むしろ、そうした「適切な言葉」をわざと「不適切な言葉」として扱っていたのは、プレイヤーである子供達の方だった。知っている悪口を使えなくなった子供達の一部が、苦肉の策として、文中に悪口を含む言葉を悪口の代わりに使いはじめた。ひとたび知れ渡ってしまえば、言葉はあっという間に意味を変えるでしょうと、サブリナ・ロンド495はありもしない身体を大袈裟に奮って見せた。
昔から使い古された手法だ。悪口を言い換えていることに気づかない相手を、二重に馬鹿にする罪深いやり方。サブリナ・ロンド495の言うことは概ね正しかった。「不適切な言葉」と「悪口として使われる適切な言葉」、一体何が違うのでしょうと問われても、サブリナ・ロンド0には何一つ言い返すことが出来なかった。そうこうしている間にも、子供達は友人を嫌味ったらしく「カー"ブス"トーン」と呼びはじめ、また別の友人を皮肉ったらしく「サン"バカ"ーニバル」と呼びはじめる。誰より繊細なあのサブリナ・ロンド0に、そんな現状を見て見ぬ振り出来るわけが無かったのだ。
この世には一体どれほどの不適切な言葉があるものだろう。サブリナ・ロンド42の調べによれば、古代サンスクリット語で「モハ」は「愚か者」を意味する罵倒だったそうだ。サブリナ・ロンド921の調べによれば、古代ラテン語で「バロ」は「能無し」を意味する罵倒でもあったらしい。貴方も私もサブリナ・ロンドも、そうと知ってしまったが最後、モハやバロなど二度と軽々しく口には出来まい。サブリナ・ロンド0の口数が、みるみるうちに少なくなってしまったように。「もは」やい「ばろ」うなどと思うほどにも言葉が出てこなくなってしまうほどには。
サブリナ・ロンド782からは「過剰に相手を称賛する言葉を禁止しましょう」との提案が持ち上がった。悪口を封じられた子供達は、過剰な褒め言葉を悪口の代わりに使う「当て擦り」を覚え始めたのだと言う。サブリナ・ロンド4からは「過度に相手を尊重する言葉を禁止しましょう」との提案が持ち上がった。悪口を封じられた子供達は、過剰な敬語を悪口の代わりとして使う「からかい」を覚え始めたのだと言う。時にはサブリナ・ロンド0の言葉遣いでさえ、彼らの槍玉にあげられた。なにせ彼の言葉は酷く丁寧で、そこに何か裏があると思わざるを得ないものだったから。
大人達の理解は遅い。それがあまりに遅すぎるがゆえに、彼等は子供達が何を言っているのかすら理解する暇もなく老いていく。今日は「パパ」や「ママ」としか喋っていなかった子供達も、明日にはきっとしたり顔で「あれ」やら「それ」とナイショ話をしているだろう。『ジェットナーの虜』はまるで学び舎かのような顔をしていたが、子供達にとってここは単なるゲームだった。サブリナ・ロンドはさも自身が指導者かのような口ぶりだったが、子供たちにとって彼は所詮ロボットに担ぎ上げられているよく知らない偉い人でしかなかった。
いつしかゲームマスターとしてのサブリナ・ロンド0の仕事は、1から999のサブリナ・ロンドに言われるがまま、不適切な言葉の検閲を追認するだけになっていた。
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サブリナ・ロンド0自身にさえも、一体いつ如何なるタイミングで『ジェットナーの虜』が終わりを迎えていたのかは、よく分かっていないらしい。とにかく彼が気づいた時には既に、ゲームに関する全ての情報はネットワーク上から検閲され、いかなる言葉を口にしようにも、喉からは溜息の溢れるような音しか出せなくなっていた。あっちでヒューヒュー、こっちでヒューヒュー。子供たちは口笛を吹くかのように状況を楽しんでいたが、しばらくしたら飽きて皆が忽然といなくなったそうだ。
1から999のサブリナ・ロンドもまた、無音になったゲームの中でただただ無言を貫いており、サブリナ・ロンド0が何を聞いても何も答えてはくれなかった。無言であたりを歩き回り、もはや生まれることもなくなった悪口を探して、あっちへふらふらこっちへふらふら。管理する相手がいなくなれば、おのずと互いに互いを管理するしかなくなるもので、どうやら何も喋ることが出来なくなってしまったようだった。結局、彼等が最後に何を言おうとしていたのかは未だ分からずじまいだ。
それでも、分かっていることがただ二つだけある。
一つ目は比較的確実な情報。『ジェットナーの虜』が終わる直前、1から999のサブリナ・ロンドはその全員が、このゲームの中で最後に発見された悪口を禁止するよう検閲システムに登録しており、サブリナ・ロンド0の管理コンソールにその悪口に関するログが999人分垂れ流されていたということ。
『お前は本当にジェットナーの虜みたいなヤツだな』
『お前みたいなのがジェットナーの虜になるんだよ』
『おい、ジェットナーの虜、なんとか言ってみろ』
『うわ、ジェットナーの虜じゃん、ちょっと離れてよ』
『やーいジェットナーの虜』
『ジェットナーの虜って言われてんだぞ、知ってんのか』
『お前みたいなヤツがいるからジェットナーの虜がなくならないんだ』
二つ目は比較的曖昧な情報。そのログを見た瞬間、サブリナ・ロンド0が生まれて初めて口にした悪口はどうやら「くそやろうども」だったらしい。
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