第4話 穴・ケツ・結
ああ、私は妖精の世界にきちゃったんだな。
大地に身をゆだねながら、ユメは濃い植物の香りに異世界を感じた。胸に手を置いてみたが、そこにあるのは乳房ではなく大胸筋だったし、股間に今までにないモノの存在も感じた。
男になったのだ。
このまま、目を閉じたまま、がっつり大地に横たわり目覚めることなく息絶えたらどうなるかな、とか考えてみた。が、別にどうもならないだろう。ユメは別の世界で、あっさり男に変わってしまったことにガッカリしつつも目を開けた。そこには大きな乳房が二つ、揺れていた。
「あ、目覚められましたか」大きな乳房の持ち主、ピンク色の髪をした少女の大きな瞳がヒョイとユメを覗き込んだ。「……はい」返事をしながらユメは今までにない感覚を感じていた。
股間が、股間がヤバいです。
「私はミーナと申します。空から降って来られた時にはどうなる事かと心配しましたが。ご無事でなによりです」どうやらユメは、にっこり笑う綺麗で可愛くて良い香りのする少女の膝の上で介抱されていたようだ。確かに頭の下には柔らかな何かがある。おそらく、というか絶対、ミーナの太ももだ。少女の太ももがユメの頭の下にある。ユメは再び股間のヤバさを感じた。いきなり男として生きる難しさを突き付けられたユメに、少女とは違う野太い声が降ってきた。
「おいっ、貴様。妹の膝の上で何してやがるっ! 」
慌てて起き上がったユメの目に、青い髪が映った。先ほどの、やたらマッチョな少年が、こちらを指差して怒りに震えていた。
「お兄様、いきなり怒鳴るなんて失礼ですよ」
「いや、だってミーナ……」
「いやも何もありません。妖精王の末裔である方に無礼を働くのであれば、ラエドお兄様でも許しませんっ! 」
「うっ」妹にたしなめられ、言葉に詰まるラエドだった。
何がどうなっているのか。私は敵なんじゃないの?
クエスチョンマークが飛び交うユメの前に、ロリアと母が馬鹿でかい鳥に乗って現れた。
「ああよかった、無事なのね」
「ご無事で何よりです、ユメ様」
「あ、テメェ、何がご無事で何よりだよ、ロリア。お前がその馬鹿でかい鳥から振り落としたからこっちに来ちまったんだろうがっ」
安堵した表情の母が駆け寄るのは許せても、わざとらしいロリアは許せない。
ユメは思ったよりも太く低くなっていた声で、ロリアを怒鳴りつけた。細身の体を縮み上がらせるかと思いきや、「なんのことか分かりません、ユメ様」と、すっとぼけるロリアであった。案外、コイツ見た目よりも図太いのかも、と、思うユメの横から野太い声が響いた。
「ちょっと待てよ。妖精王の末裔だか何だか知らないが、いきなり来て好き勝手やるつもりじゃねぇーだろーなっ」凄みを利かせた声で、ラエドお兄様ががなる。
「つか、お前誰? お前こそ人間界で好き勝手しといて、なにさらしてけつかんねんっ」勢いで、エセ大阪弁も出ようというものだ。
自然災害で誤魔化し誤魔化しきているが、妖精界住人がやらかす人間界での行いのほうが影響大き過ぎるだろう。
「そりゃ妖精界が大変になっても、王族がみんなして人間界に渡ったりするからだろうがっ。今の妖精界は、上を下への大騒ぎなんだよっ」
「え、平和に見えるけど」
「それは今、たまたまだよ。たまたまっ」
「たまたまが、こんなにたまたまあるなら、十分平和ですぅ~」
「なんだと、オリャ」
「やるのか、おんどりゃ」
ガルガルと今にもお互いに飛びかかりそうな二人に向かって、母ベルタが「やめなさいっ! 」と、大地を揺るがす激しい一喝を浴びせた。
おかあさん、そんな声が出せたんだ……。
それは、ユメが初めて聞いた母の怒声であった。
「落ち着いて頂戴、二人とも」
「でもベルタ様。落ち着いたところで現状は変わりませんよ」
「それはそうだけど、ロリア。私達は人間界に渡った身。既に、こちらの世界に関わる資格など無いわ」
「そう言われましても。我々は困ってしまいます」
「そうですわ、ベルタ様」ミーナもロリアに味方した。
「我々の世界は、ベルタ様が後にした世界とは変わってしまったのです」
「そう言われても……困ったわね」
戸惑う母に、何かを思案していたラエドが言う。
「それなら、我々一族と婚姻を結びませんか? 」
「え、私はもう結婚しているわ」
「いえ、アナタではなく……」ラエドはユメに視線を向けた。
えっ? 私? はっ?
「私は婚姻に性別は求めません。政略結婚ということであれば、我々が王族の役割を果たすことに不満はありません」
「何言ってんの――――ッ! 」
意外な展開に、ユメは悲鳴を上げた。
そう言えばあいつ、やけに私のケツの辺りを見てくるけど……そういうこと? そういうことなの?
動揺するユメをロリアがニヤニヤしながら見ている。結構ヤな奴だな、お前。そんな素直な感想をユメが持ったとしても仕方ない。
「お兄様がお嫌なら、私とでも……」頬を赤らめてミーナが言った。
ありがたいお申し出ですけどっ。私まだ高二なんですけどっ。男にはなりたてホヤホヤなんですけどっ。
「まぁユメちゃん、モテモテね」
母ー、まんざらでもなさそうにアナタが言うなー。
みんながみんな、好き勝手にワキャワキャしているところへ、見覚えのある赤い髪の人影が現れた。
「モーラ。久しぶりねー」
「お久しぶりです、ベルタ様。賑やかなので来てみたのですが……」
「あら、ふふふ。うるさかった? 」
ふふふ、じゃねぇーよ、母っ。怖くて口にはできない突っ込みをしたとき、モーラの赤く燃える瞳と目が合った。探るような瞳に、ユメは戸惑った。
「どうされますか? 魔法石を使えば、性別を元に戻すことも、人間界に戻ることも可能ですが。ユメ様は、どうされたいですか? 」
「どうって……」問われてユメは初めて、自分が何も考えていないことに気付いた。急展開すぎるし、知らないことも多すぎて、選ぶ、という行為が酷く難しく思えた。
ユメの戸惑いに気付いたのか、モーラは「すぐに決めなくても大丈夫ですよ」と、優しく言った。
「幸い、人間界とこちらでは時間の進み方が違います。決められるまで、こちらで修行なさったらいかがでしょうか」
「そうしたいなら、それでいいのよ」
「うーん。そうしようかな…… 」ユメは母の勧めもあって、モーラの提案に乗ることにした。
「おかあさんは夕飯の支度があるから戻るけど。モーラ、お願いね」
「はい、ベルタ様」
「じゃあ、しっかり頑張ってね」
何を頑張ればいいのか分からないが、母は明るく言うとグルグル渦巻くポータルの向こうへと消えていった。思ったより簡単に出てくるなポータル、と、思いながら渦巻を眺めていたユメにモーラが言う。
「私も元は人間なの。この世界に来ちゃったから、こんな感じになっちゃったけどね」
「はぁ……」
返事とも溜息ともつかないような声を出して、ユメは空を見上げた。うっそうと生い茂る枝の合間から、赤く染まっていく空が見えた。
「で、あなたはどうしたい? 」
「そうですねぇ……思っていたよりも選択肢があり過ぎて決められないです……はい、決められません」
今回の事で分かったのは、両親と祖父母にはユメの性別を勝手に生贄にしてくれる程度の毒っ気があることだ。幸せも願っているようだし面白くてかわいい所もある肉親ではあるけれど、毒親でもあるのかと思うと複雑だ。性別も変わっちゃったし、魔法はどこから来るのかエネルギー問題とか、妖精の王国のことなんかも考えなきゃいけないらしい。
なかなかメンドクサイ状況に置かれてんな私、と、思いつつ、それが別に嫌でもない自分に、ユメは笑いが込み上げてきた。夕日に向かって大笑いするユメにつられてモーラも負けじと笑い始めた。
これから、どうなっちゃうの私? と、不安に思いながらも重要度は今日の晩御飯の方が高いユメなのであった。
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