第49話 絹を裂くような

「ま、お土産は帰りに覗いてみて、手頃なのがあるかもしれない。行こ行こ」

 悠香は聞こえよがしにそう言うと、一成の手を引いて中へと入っていった。そのあとに、要と秋山が相前後してリーフレットを見ながら続き、最後に頼井と彼を気に掛ける形で公子が残る。

「あの、行ってしまったけれども……?」

 立ち止まったままの頼井を後ろから促す。と、頼井は悠香に無視されたことを気にしていない様子で、にかっ、と笑った。

「結果オーライだな。二人きりになれた」

「って、私とってこと?」

「もちろん」

 その返事を聞いている最中に、公子は頼井の脇を抜けて追い越した。そして頼井の前で立ち止まって振り返る。あまり早く進まれると、前を行く要に追い付いてしまうだろうからそうならないように。

「だったら一つ相談したいことがあるの。相談と言うよりも、意見を聞きたい、かな」

「何なに? 珍しいな、こんなにもはっきり、頼ってくれるなんて」

 頼井はオーバーに両腕を広げ、驚きと喜びを表現した。他にお客さんがいないからいいようなものの、少々恥ずかしい。

「カナちゃんのことなんだけれど」

 声を潜めて公子が口火を切ると、頼井の顔が途端に渋いものになる。

「様子が変な風に見える。元気がいつもに比べてないし、私だけ少し避けられているというか、距離感を感じるというか」

「そりゃあ……」

 即答しかけた様子の頼井。だが口をつぐみ、微かに首を傾げた。

「こんな言い方したくないけれども、自覚はないのかい?」

「自覚って?」

「ワイナリー見学んとき、秋山の奴と距離が近かったじゃん」

 公子を暫時指差して告げる頼井。二人とも歩みは自然と遅くなっていた。

「あれは秋山君と私の二人がジュースを浴びちゃう形になったから、だよ?」

「いや、原因とかはこの際、横に置いておかなくちゃ。結果だけを見て、要ちゃんがどう感じるかってこと」

「それくらいなら、私だって理解している。ただ、アクシデントだってことはカナちゃんも分かっているはずよ」

「うーん、男の俺が言うのは変かもしれないけどさ。女の子が女の子に抱く嫉妬って、そんな風に割り切れるもんじゃないことの方が多くない? 俺の乏しい経験からの勝手な思い込みかな」

「嫉妬」

 やや強めの表現に、公子はどきりとする。

「仮に公子ちゃんが要ちゃんの立場だったら、どう思う? 付き合っている男子が、他の女の子と一緒に洗面所に消えて、髪の毛を拭いてやったって」

(逆だったら……やっぱり、割り切れないかもしれない。ううん、きっと割り切れない)

 公子は納得のため息をついた。

 その上で頼井に返事しようとしたが、相手が口を開く方が早かった。

「まあ、人それぞれだし、要ちゃんと公子ちゃんとでは微妙に条件が違うかもしれないけどな、秋山との本当の距離で言えば」

「え?」

 どういう意味よと続けたつもりの公子だったが、そこへ覆い被さるように悲鳴が轟いた。少しだけ間延びした、それでいて語尾が消え入るような「きゃあ」という悲鳴が。

(何? 今の声、カナ!?)

 要の声に聞こえたのは気のせいかもしれない。直前まで彼女について話題にしていたのだから、その影響を受けたとも考えられる。だけど、そんな理屈よりも先に身体が動いていた。

「あ、走ると危ない」

 先に駆け出した公子にそう注意を促しつつ、頼井も続く。

 順路に従って急ぐと、じきに秋山らに追い付いた。といっても悠香と一成の姿はない。要が通路のほぼ真ん中でしゃがみ込んでいるが、公子達からは背中が見えるだけで表情は分からない。その傍らには片膝を着いた秋山。心配げに要の顔を覗き込み、小声で何か聞いているのが見て取れる。

「要っ」

 ここまで走ってきた勢いは、状況を目の当たりにして一旦は落ちたが、再びダッシュで駆け寄る公子。背後から、「どうしたんだ」と頼井の声が飛んだ。

「まだ分かんないんだ。急に寺西さんが」

 話す途中で秋山は腰を上げ、立ち位置をついと横にずらした。同じ女子である公子に具合を聞いてもらう方がいい、と判断したようだ。その様子に呼応し、公子はさっきまで彼のいた場所に陣取ると、要と同じようにしゃがんで目の高さを合わせた。

「カナちゃん、大丈夫?」

 要は目を閉じてしかめ面をし、胸元に片手――左手を当てている。返事がすぐにはない。

「叫び声が聞こえて、来たんだけど……具合がよくない? お医者さん、呼ぶ?」

 医者という単語に、やっと反応があった。頭をゆるゆると左右に振る動作だけだったが、医者や救急車を呼ぶほどではないようで、ひとまずほっとする。

 が、今度は右手を額からこめかみにかけてあてがう要。依然として目は閉じたままで、微かに聞こえる呼吸音は若干、乱れているよう。

「頭が痛いの? お薬がないか、ここの人に聞いてみようか? それと体温計を借りて、熱を」

 公子はそう尋ねながら、右手のひらを要の額に添えようとした。

 ところが、要は気配を感じ取ったかのように目を開けると、すっと頭を引いた。

「カナちゃん?」

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