第23話 新しい環境

 そんな思いを抱きつつ、公子は右のお下げに触れた。

「似合ってるって。少なくとも、野沢さんよりはぴったり来てるよ。って、これは、野沢さんがいないからこそ、言えるんだけど」

「あら。二人並んだとき、どう言うのかしらね」

 少し意地悪心を起こして尋ねる公子に、秋山は薄く笑って切り返す。

「それは困るなあ。とりあえず、さっきの言葉は、野沢さんには内緒にしといてよ」

「どうしようかな? ――気分がいいから、そうしときましょ」

 ひとしきり、笑いが起こる。

 それから、秋山がふと思い出したように、つぶやいた。

「このまま行けば、うまく合流できるな」

「何のこと?」

「道順、思い浮かべたら、すぐ分かるはずだよ」

「えっと」

 頭の中で浮かべてみる。高校に行くには……。

「ああっ! 何だ、ユカの家からも、同じ道を通るのね? だから、合流って」

「正解。当然だけど、頼井もね」

 おかしそうに笑う秋山。きっと、口喧嘩している二人を想像したのだろう。

 それからものの二分も歩かない内に、交差点を迎えた。そう、悠香達二人が出て来て、合流する地点になるはずの。

「おはよう!」

 公子が見つけるよりも先に、悠香の元気のいい声が耳に届いた。

 そちらを見れば、手を大きく振って、坂道をかけてくる悠香の姿が目に入った。その後ろ、幾分しんどそうに、頼井がついて来ている。

「今日はもめてないみたいだね」

「ほんと」

 顔をこちらに向けた秋山に、公子は笑顔でうなずいた。そうして、こちらからも悠香達に向かって手を振る。

「おはようっ!」


 校門を通り抜け、校舎へと続く道をしばらく行く。まだ桜が残っていて、花びらが目の前を右上から左下へ、ちらちらと流れて行く。

 校舎の手前に、大きな木製の掲示板が三枚並んでいた。その前に人だかりしているのは、新学年のクラス名簿が張り出してあるから。まだ始業式には早いはずなのに、相当の混雑ぶりだ。

「同じクラスだといいね」

 掲示を見る前に、悠香が公子に言った。

「うん」

「今年こそ、ユカといっしょになりませんように」

 公子の後ろにいた頼井が、手を合わせて拝んでいる。

「あんたには言っとらん!」

「じゃ、じゃあ、ユカと頼井君、去年も同じクラスだったの?」

 頼井を怒鳴りつけた悠香の迫力に、公子はたじろぎながらも、声をかけた。

「そうよ。ついでに言うと、中三のときもいっしょだったの。ったく、洒落にもなんない」

「ほんと、腐れ縁ね。全部で何クラスあるの?」

「八クラス。確率、そんなに高くないはずだけどな」

 肩をすくめる悠香。

(八クラスか。秋山君といっしょになれたらって期待してたんだけど、八分の一じゃあ、望み薄よね)

 秋山を見やる公子。

 その秋山は、すいすいと人混みを縫って、掲示板の前へと進んでいる。彼のあとに、公子ら三人も続いた。

「っと……俺、四組だわ」

 割と背の高い頼井が、自分の名前を真っ先に見つけた。それでもまだ、何か探している様子。

「げ。やっぱり」

 あきらめたように、頼井がこぼした。

「どうした?」

 秋山が振り返って、頼井を見やる。

「まただよ。ユカといっしょのクラスになっちまった」

「何?」

 少し低い位置で、うめくような声を上げたのは悠香。背伸びして、四組の名簿を食い入るように見つめる。

「あちゃあ、本当だわ。どういう基準でクラス分けしてるか知らないけど、陰謀を感じる」

「俺も」

 頼井が言うと、あんたに言われたくないとばかり、悠香は頼井の脇腹に肘打ちした。

「あーん、見えないっ」

 公子はなかなか確かめられずにいた。目の高さが原因ではない。むしろ、視力が悪くなっているのかもしれないなと、嫌でも自覚してしまう。

(もっと近づかなくちゃ)

 そう思って、前のいる人達の間に身体を滑り込ませようとしたとき、ふっと肩をつかまえられた。

「あったよ」

 秋山が、掲示板の一点を指さしていた。

「どこ?」

「三組の最初の方」

 最初の方ということは、男女の別なしに五十音順に並んでいるらしい。公子は目を凝らした。

 あった。最初から数えて確かに三番目。朝倉公子、と。

「公子は三組かあ」

 残念がる悠香。

「でもまあ、体育は二クラス合同でやるから、多分、いっしょだよ」

「うん。忘れ物したときはよろしくね」

「お互い様」

 ふふっと笑ってから、公子は秋山の方を見た。

「秋山君は何組?」

「あ、ひどいな。ちゃんと見てほしかった」

「え? どういう……」

 公子がお下げを揺らして首を傾げると、秋山は再び、小さく指さした。

「公子ちゃんの名前のすぐ上」

 その言葉を耳にして、公子はどきっとした。

「じゃあ――」

 もう一度、目を凝らす。

 自分の名前を見つけ、その上に視線を移した。

「あ、本当……」

 秋山広毅とあった。

「よかった。いっしょのクラスになれて」

 秋山が微笑みかけてくる。

「知っている人間が一人でもいた方が、心強いでしょ? ほら、公子ちゃん、昔から人見知りする方だったから」

「うん。思い切り、頼りにさせてね!」

 うれしくてたまらない。公子は大げさにお辞儀した。


 玄関、下駄箱、廊下、階段、また廊下。ここまでは四人いっしょ。三組の前に来て、二人ずつに分かれた。

「とりあえず、出席順か」

 先に教室へ入った秋山がつぶやく。

 出席簿の順番に従い、右端の前から着席するようにと、黒板に書いてある。その上、ご丁寧にも席順を示した表まであった。格子状の枠一つ一つに、名字で各自の席が記されている。

 表を見なくても、右端の列の前から二番目が秋山の席、公子はそのすぐ後ろだと、すぐ分かる。

 机の列は六。各列七脚だから、一クラス四十二人の計算になる。

 他には、「始業式は九時から体育館で 五分前には移動完了のこと」と赤いチョークで記してあった。

「同じ中学だった奴は……他に二人か」

 黒板の座席表を見ている秋山。

坂口さかぐち若菜わかなだけど、公子ちゃんは知らないんだっけ?」

「男子? だったら、ほとんど知らないから」

 新学年のクラス。その独特の雰囲気に、転校生の身ということも併せて、公子は伏し目がちになってしまう。

(うらやましいな。秋山君のことだから、中学が違う子でも、たくさん友達になってるんだろうね)

 その証拠に、公子が秋山に話しかけようとしたら、それよりも早く、彼の横に男子が二人、集まった。

「秋山、また同じクラスになれたな」

室田むろたかあ。たまには自分で宿題しろよ」

「ひっでえ」

 室田という名前らしい男子は、にきび跡が目立つ顔で、快活に笑った。縦にも横にも、なかなか大きな身体をしている。

「俺、やっぱり端っこだぜ」

 もう一人の男子が、愚痴をこぼす。

「だろうな。わ行の若菜クン」

 すぐに応じる秋山。

(あ、この人がさっき言ってた、若菜君なんだ。うーん、やっぱり、見た覚えないよー)

「いいことじゃないか。少なくとも一学期の初めは、一番後ろの席が確定してるようなもんだ」

 室田は本気でうらやましがっているみたいだ。

「それはそうだけど、今度のあの席、ちょっとな。女子包囲網が」

 若菜の言葉に、秋山と室田は黒板の座席表を確認した。

「なるほどね。前が横部よこべさん、右斜め前が本庄ほんじょうさん、右が松崎まつざきさんか。見事に、離れ小島ってわけだ」

 秋山達は、冷やかすように笑った。

(うわぁ、女子の名前まで覚えているんだ)

 ちょっと気になる公子。ちょうど反対側の、若菜の席の付近を振り返ってみた。さっき名前が出た女子なのだろう。めがねの子と、ぽちゃっとした子と、三つ編みの子が、かしましくお喋りに興じていた。にぎやかすぎて、内容までは聞き取れない。

 身体の向きを戻して、ぽつねんとしてしまう公子。まだ秋山達は喋っている。

(秋山くーん……と、こんなことまで頼っちゃだめだ。私も話せばいいのよ。誰でもいいから)

 と、強く意識したものの、公子は周りの席を見て、ためらってしまった。公子の席の左隣は、まだ来ていない。来ているのかもしれないが、着席はしていない。後ろを見れば、男子がちょうど来たところ。斜め後ろも斜め前も、男子だ。せめて女子でないと、話しかける勇気は出ない。

(私もひょっとして、周りは男子ばかり? もしそうだったら、秋山君だけが頼りよ!)

 内心、叫びながら、秋山の背中を見つめる。

「えーっと、朝倉、さん?」

 不意に後ろから呼ばれ、びくっとした公子。その驚きがはっきり表に出てしまい、一層、恥ずかしくなる。

「はっはい」

 小さな声でどもりながら返事し、ゆっくり振り返った。

 先ほど来たばかりの男子が、いくらかきょとんとしたような表情をしていた。

(えーっと、この人の名前……)

 振り返ってから、黒板の座席表で名前を見ておけばよかったと後悔した公子。

「あー、いきなり呼んでごめん。そんなにびっくりするとは思わなくて」

 多少かすれ気味の声だが、丁寧な口振りだった。

「い、いえ」

「朝倉さんて、多分、初めて見る名前だと思うんだけど、転校してきたとか?」

「そう、そう」

 必要もないのに、二度、返事してしまった。顔もうつ向き気味になっていく。

「あ、飯田いいだ

 前で声がした。

(秋山君! 私、まだ話せないみたいっ)

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