第22話 新しさと懐かしさと

「あんまり驚いちまって、感激し損なったぜ」

 頼井は悠香を横目でじろっと見た。

「そうそう」

 要も頼井の真似をしたかのように、悠香を見ている。

 当の悠香は素知らぬ態度で、菓子を口に運ぶ。

 頼井は悠香から目線を外し、公子へ向けた。

「折角の、感動の再会だってのに。ねえ、公子ちゃん」

「そんなに思ってくれてた?」

 公子は、ジュースのお酌を受けながら、聞き返す。

「もちろん! いなくなってから、しばらく、公子ちゃんの話ばかりしてたよ、ここにいる連中」

「本当だったら、うれしいな」

「ほんとほんと。ユカやカナちゃんは言うに及ばず、僕も秋山も。な?」

「あ、ああ」

 頼井に肩を叩かれ、少しむせながら応じる秋山。公子の記憶にある秋山よりも、心なしか口数が少なくなっている。

 そんな秋山が、やっと口を開いた。

「いなくなるのも唐突だったけど、帰ってくるのも突然だね」

「転校したときは、ちょっとだけ余裕あったでしょう? ほら、お別れ会をやってもらった」

「そうそう、あったわね」

 悠香が、頼井の話をそらすためか、乗ってきた。

「クラスでもやったけど、私はここにいる五人でやった方がよく覚えている。

手前みそかな」

「私もよ」

 両肘をついて、やや上目づかいになる公子。軽くまぶたを閉じるだけで、すぐに思い出せる。

(終業式のあった日だから、クリスマスイブだった。ボーリングして、ビリヤードして、学校では禁止されてたカラオケに行って、唱いまくったっけ。真昼だったのに、最初、いけないことしてるみたいで、どきどきしてたけど、段々慣れてくると、秋山君とデュエットして、別の意味でどきどきして。終わってから、今日みたいにユカの家に集まって、パーティ。ケーキを焼いてみたけれど、お喋りに夢中になって、ちょっと焦げちゃったな。それから――みんなからプレゼントもらって、泣けちゃって)

「あのときは、キリストさんにもサンタさんにも遠慮してもらったからねえ」

 目を開けると、悠香がにこにこしている。それが急に、にやっと意地悪な笑みに変わった。

 悠香の標的は、やはり頼井。

「――っと、健也はあとで嘆いていたっけ? 女の子と親しくなれる絶好の機会を逃したって」

「ったく、おまえとはやっとれんわ!」

 頼井の物腰は、関西弁風になっていた。それがまた元に戻ったかと思うと、公子に向かって手を合わせた。

「洒落なんだよ。本気で悲しがってたんだから、公子ちゃんが転校するの」

「ふふ、ありがと」

 みんな、変わってない。そう実感して、公子はうれしくなった。ただ一点を除いて。

「帰ってきたの、春休みになってから?」

 秋山が話しかけてきた。

「そうだけど、実際に決まったのは、二月の下旬だったの」

「あ、それなら分かる」

「?」

「いや、学校、そんな急に転校できるものなのかって、気になってたんだ」

「編入試験、受けたわ」

 公子は高校の名前を告げた。

「何だ、同じじゃないか」

 うれしそうな頼井。「四月から、よろしくぅ」とコップを差し出された。

「こちらこそ」

 と、公子もガラスのコップを取り、頼井のそれにこつんとぶつけた。

「じゃあ……いっしょになるんだ」

 秋山の方は、ワンテンポ遅れて反応を見せた。

「うん。――カナ、ごめんね」

 公子は気になって、要の方を振り返った。

「どうして謝るの? 別の学校になったのは、自分のせいだもん。こうやってさあ、普段、会えるんだし、気にしないよ」

 要は心底からの笑顔で返してきた。

 それを見て、また胸が痛くなる。

(私が許してほしいのは、もう一つのことなのよ……。どうしても、秋山君と同じ学校に行きたかった。たとえ、カナちゃんが秋山君とカップルになったと知った今でも、その気持ちは変わらない。こんな私、許してもらえる?)

 要と秋山が楽しげに話しているのを目の当たりにし、もやもやとした複雑な気分が増す公子だった。

(二人が話しているところを見ても、前は何も感じなかったのに……)


 四月に入って、公子は新しく制服やかばん、靴に体操服等をもらった。

「こっちはブレザーなのよね」

 制服を掛けたハンガーを手にしていると、うきうきしてくる。

「あ、そうだ」

 ハンガーを戻す公子。その手はそのまま、別のハンガーを選び出した。下がっているのは緑のリボンのセーラー服。前の高校での制服。

「確か、入れっぱなしだっけ」

 胸ポケットに手を入れ、彼女が取り出したのは、深草色の表紙をした生徒手帳。これも前の高校の物。

 公子は手帳を一ページ、めくった。表紙裏、透明なビニールに挟んであるのは一葉の写真。

「だいぶ傷んじゃった」

 そっと取り出し、手のひらに乗せる。角が少しほころんでいるそれには、秋山が写っていた。天文館の建物を背景に、レンズの方を振り向いた秋山の上半身が収められている。

 中学二年のいつだったか、みんなで遊びに行ったとき、父親から借りて用意したカメラで撮った物。もちろん、他にも色々と撮って、できあがった写真をみんなに渡したけれど、誰にも内緒でこの一枚、焼き増しした。

「今度は、こっちに入っててね」

 独り言を口にしながら、公子は写真を真新しい生徒手帳の表紙裏に挟んだ。大事な宝物でも取り扱うかのように、そうっと。

 そのあとで、ふと気づいた。

(今度の生徒手帳、たくさん、書き込むところがあるのね)

 余計なと言っては語弊があるかもしれないが、前の高校のにはなかった付録が新しい生徒手帳にはあった。スケジュール表やアドレス欄はともかく、身だしなみのチェック項目一覧、宿題の覚え書き欄、春、夏、冬休みといった長期休暇用の一日の予定表等、まるで小学生扱いしている。持ち主自身のことを記載する欄についても、身長・体重やら血液型、果ては座右の銘でも書かせるつもりらしい、四角い枠が取ってあった。

(学区内では名門校だもんね。校則はそんなに厳しくないけれど、こっちの方はうるさい感じ。でも、まあ、最初が肝心だから)

 公子は面白半分のつもりで、書き込みを始めた。書き込むのは生徒手帳の背に備え付けの細い鉛筆。これも、前の高校の手帳にはなかった。

 記入が済んで、青革の生徒手帳をブレザーの胸ポケットに滑り込ませると、試着に取りかかった。

(買うときに着たんだから、合うのは分かっているけど、やっぱりね)

 着終わって、姿見の前に立つ。最初、真正面を向いていたのが、右に左と向きを換え、次に肩越しに自分の後ろ姿をチェック。最後に一回り。ふわりと、わずかにスカートの裾が持ち上がる。

「髪、短くしようかな」

 声に出しながら、手で髪を隠してみる。今の公子は、ロングヘアを朱色のゴムバンドでまとめて、お下げにしている。

(昔みたいにボブカットぐらいにした方が似合うかな、こっちの服には。そうなってくると、髪留め、いいのがほしくなるのよね)

 新しい学校生活に向けて、今の公子は、ほんの小さなことでも心が弾んで仕方がなかった。

(秋山君と同じ学校に戻って来られたんだ)


 朝、いくらか緊張しながら、新しい制服に身を包ませマンションを出た公子を、秋山が待っていた。

「ど、どうしたの?」

 うれしさよりも先に、驚きが立ってしまう。

(カナちゃんのところへ、迎えに行かないの? 家が遠いから? 学校が違うから? ――私のところに来るのは何故?)

「秋山君の家、昔と変わっていないんでしょう? だったら、遠回りになるんじゃあ……」

「遠回りは遠回りだけど、そんなに変わらないよ」

 微笑む秋山。

 公子は、二年前に戻ったような錯覚を感じてしまう。

「住所を聞いて、ちょっとびっくりしたんだ。公子ちゃんのマンション、結構、近いんだなって」

 確かに、距離で言えば、中学のとき公子が暮らしていた家よりも、現在のマンションの方が、秋山の家に近い。

「それにしたって、わざわざ待たなくても……」

 歩き始めながら、公子は申し訳なさでいっぱいになった。

「迷惑?」

「ううん。そんなことない」

 強く頭を振る。

「でも、待ってもらうの、悪いわ。部屋に来てくれたら、私、急いだのに」

「何階の何号室かまでは聞いてなかったからね」

 そうだっけと頭に手をやり、公子は部屋を教えた。

「七階、いいな。眺めがいいんじゃない?」

 後方に建つマンションを振り返った秋山。

「それはもちろん。初めて部屋に入ったときなんか、ベランダから外の景色を見るだけで楽しくなっちゃった。あ、そっか! 秋山君、飛行機、今でも好きなのよね?」

「そうだよ。二年前から変わりなく、ずっと子供っぽいままなもんで」

「うふふ、それでいいよね」

「そういう反応で助かったよ」

 大げさに息をつく秋山。

「前に話したときから、二年、いやほとんど三年経つことになるから、不安だったんだ、実のところ」

「外見だったら、秋山君、中学生のときの学生服と比べると、だいぶ大人っぽくなった感じ」

「見た目はおじんになったって? はは、この制服のせいだ」

 軽く襟もとを引っ張った秋山。それから視線を公子に向けた。

「公子ちゃんこそ、制服、似合ってるね」

「そ、そうかな?」

 ちょっと照れてしまう。結局、髪はまだ切らずに、お下げのままにしている。それで似合ってると言ってもらえるんじゃあ、なかなか切れなくなるかもしれない。

(秋山君は、いつも私に髪を切れなくするのね)

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